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橘さん~クールな彼~
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しおりを挟む「すまないな」
「気にしなくていい、暇なときに来ているだけだ」
ぎっしりと棚に並べられたボトルを背に、友人に頼まれたグラスを拭く。お酒に浸れるようにと考えられた店内は薄暗く、テーブルの上と客席に小さなライトが灯りをともしてあるだけだ。
友人のためというのが前提にあるが、最近は違う理由も出てきていた。
「店を開きたいって前から言ってたじゃん? 最近いい場所が売りに出てて、どうしようかと思ってさ。資金はあるんだけど、もう少し修行してからの方がいいかなとか、でもあんないい土地なかなか空かないし……」
「買ったらいいと思うけどなあ」
男性と女性がカウンター席で話し込んでいた。
女性の方は店に来て一杯だけ飲んで帰るとこを何度か見かけている。友人と話す姿やそんなに強くないお酒でほろ酔いになっているところ、『初めてのバー、勇気を出して入ってみたんです!』と言って、入れた喜びをマスターと分かち合うところも素直な子だなと思って、好ましく見ていた。
彼女に恋人がいたと知って、気分が沈む。
「でもさ、店が上手くいくかもわかんないし、ここは十年間修行を積んだ後に自分へのご褒美をかねて購入した方が上手くいきそうな気がするんだよなあ」
「理由なんて大層なものはいらないんじゃない。やりたいことはさっさとやったらいいし、欲しいものは手に入れればいいよ。最終的に決めるのは勇太だよ」
「そっかぁ……」
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
彼女は落ち着いたグリーンのバッグを手に席を立つ。
「はぁ」
「素敵なパートナーですね」
「いや、違うんだ、元カノ。だいーぶ前に振られてるからお友達」
「そうでしたか。失礼しました」
自然とグラスを握る手から力が抜ける。思わず顔が綻ぶのを男に見られないように下を向いた。
いつもの夕方、まだ日は高い。息抜きにオフィスからビルの下を眺める。ベンチには美しい髪の女性が座っていた。肩には見覚えのあるモスグリーンの鞄。
彼女だ。すぐに下りて行って、話をしてみたい。あの綺麗な目に俺を映してほしい。でも、バーではこっちの顔は見えていないだろうし、突然話しかけたら不審がられる可能性が高い。嫌われるぐらいならいっそ……
――『やりたいことはさっさとやったらいい』――
先日の彼女の言葉を思い出す。俺はすぐにオフィスを出て急いで階段を下りる。彼女のいる明るい所へ。
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