願わくは、きみに会いたい。《番外編》『願わくは、きみに愛を届けたい。』

さとう涼

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願わくは、きみに愛を届けたい。

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 それから電車で移動し、美術館に向かった。その美術館で、有名な水彩画家の展覧会が開催されていた。
 今日が展覧会の最終日。前からその画家に興味があって、その人の絵画をどうしても見てみたかった。
 美術館に到着し、緑に囲まれた建物の外観を眺めているだけで都会の喧騒を忘れさせてくれる。自然と心が落ち着いた。展示されている絵画もやさしいタッチで、どれも心が穏やかになるものばかり。わたしたちは静かな館内を無言のまま、ゆっくりとまわった。
「ごめんね、結局わたしの行きたいところを連れまわしちゃってるね」
 帰りにお土産コーナーで買った絵はがきを手に少し反省する。
 やっぱりわたしひとりだけが満足しているよね。
 男性の画家なのだけれど、絵画はどちらかといえば女性ファンが多いから、降矢くんはあまりおもしろく感じなかったかもしれない。
「なかなかよかったよ。どっかで見たことある絵柄だと思ったら、うちにもその人の絵、飾ってある。レプリカだけど」
「そうなの!? レプリカでもけっこうお高めで、安くても一万近くするんだよね。だからわたしは絵はがきで我慢してるの」
 以前にもネットで別の作品の絵はがきセットを購入したことがあって、今回は二度目の購入だった。絵はがきを胸に抱き、その話をすると、降矢くんは「そっか」と言って、目を細めた。
 降矢くんはときどき、こんなふうにやさしい目をする。昔は軽蔑するような目で睨まれていたのに、今となってはそのことはいい思い出だ。
 だけど、そんな目で見つめられるたびに胸がぎゅっと痛くなる。さすがに気づいてしまう。降矢くんのわたしに対する思いを。
 降矢くんは決して言葉にしないけれど、これまでの言動でそれは十分に伝わっていた。



 降矢くんがわたしをいつものようにアパートまで送ってくれた頃には夕方になっていた。
 デートだったら、別れるにはまだ早い時間帯かもしれない。でもわたしたちは恋人同士とは違う。
 それに降矢くんは寮生活をしている。降矢くんの通う大学の水泳部は寮に入らなくてはならない決まり。食事や日常生活までしっかり管理され、スケジュールびっしりの忙しい大学生活を送っている。
 今日は週に一度の丸一日オフの日なんだけれど、門限の時間まで自主トレに励むそうだ。
「今度の大会、がんばってね」
 九月早々に公式の大きな大会がある。多数のオリンピック選手を輩出してきたその大会は、多くのマスコミも取材予定で、もちろん降矢くんも注目されている選手のひとりだ。
 大会まであと約一ヶ月。たぶん、大会が終わるまで会えない。大会が終わってからもおそらく取材などが殺到するだろうから、忙しくて会えないかもしれない。
 寂しいけれど、降矢くんはこの先、日本の競泳界を背負って立つ選手のひとりだから、わたしはそっと陰から見守っていようと思う。
「今日はつき合ってくれてありがとう。体には気をつけてね。あと怪我にも」
「なんか、当分会わないみたいな言い方だな」
「大事な大会を控えてるんだもん。練習に集中したほうがいいよ」
「俺は会いたい」
「えっ……」
「安瀬がいてくれるから、厳しい練習にも耐えられるんだ。つらくても安瀬に会えるから、がんばってこられた」
 降矢くんの抑えきれない感情がとうとうあふれ出した。
 いきなりのことで、なんて言っていいのかわからない。
 一歩後ずさりすると一歩近づいてきて、それを何度か繰り返しているうちに手首を掴まれた。
「……は、離して」
「離さない。俺の気持ち、もうわかってるよな?」
「ごめん、降矢くん。わたしはまだナギのことを……」
「忘れなくていい。津久井を好きなままでいい。覚悟はちゃんとできてるから、俺のそばにいてほしい」
「そんなのだめだよ。それだと降矢くんが幸せになれない」
「俺のことはいいんだ。俺は安瀬さえいてくれれば、好きになってほしいなんて言わない」
 どうしてわたしなんだろうと思った。いつまでもナギのことでうじうじしているわたしのどこがいいんだろう。
 わたしなんかに固執しなくても、降矢くんに憧れている女の子はたくさんいて、むしろモテすぎて困っているはずなのに。
「来月の安瀬の誕生日、オフの日なんだ。俺に祝わせて」
「無理だよ」
「頼む。今のままのおまえでかまわないから」
 降矢くんに強く引っ張られ、その胸に飛び込む形になる。逃れようとしても背中に腕をまわされ、身動きができない。
「……苦しいよ、降矢くん」
 降矢くんの愛がまっすぐすぎて、息ができない。
「俺じゃ、だめか?」
 切なさで胸が押しつぶされそうだった。
 でも、この痛みにわたしは耐えなくてはいけない。泣いてもいけないんだ。そんな資格もないんだから。
「ごめん……なさい」
「津久井の次でいいって言っても?」
「わたし、やっぱりだめなの。降矢くんでも、だめなの」
 降矢くんの体がビクッとなる。その振動が伝わってきて、わたしの体は凍りついた。
 気づいていたのに。どうしてもっと早く降矢くんから離れなかったんだろう。
 食事に誘われても断るべきだったんだ。思わせぶりな態度をとって、深く傷つけてしまった。
「本当にごめんなさい」
「いや、俺のほうこそごめん」
 締めつけられていた力がふいに緩んだ。見上げる先にあるのは無気力な降矢くん。わたしから目を逸らし、立ち尽くしている。
 それから小さい声で、わたしに告げた。
「会うのは今日で最後にするよ」
 その言葉にわたしは激しいショックを受けていた。今後、降矢くんとこうして会うことができないんだ。
 言われてみればあたり前のことなんだけれど、いざその現実を突きつけられると、立っていることもままならない。
 本当にこれでいいの?
 自分に何度も問いかける。
 だけどいくら考えても答えはでなくて、いつの間にか現実逃避するように、これでいいんだと自分に言い聞かせていた。
 降矢くんが去っていく。大きいはずの背中が小さく見えて、思わず手を伸ばしそうになるけれど……。
 二年もの間、降矢くんはなにも言わず、そばにいてくれた。それをいいことに、わたしはどれだけ無神経なことをしていたんだろう。その罪の重さを思いきり自覚し、わたしは愕然としたまま、黙って見送ることしかできなかった。
 とうとう終わってしまったんだ。あっけないような、それでいて心にずしりと重たい塊が残る別れだった。
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