必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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古王封域

第5話

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 リリアはどんどん意識が遠のき、竜に挑もうとするアランを止められなかった。
 封印から解き放たれ、アズ=カラグは目を開いたものの、迫るアランをただ静かに見つめているだけで動かない。

「……アラン、やめて……お願い……。誰か、止めて……!」

 息も絶え絶えの懇願に、ようやく竜の巨大な口が動いた。

「やれやれ。千年以上、ただ眠っていただけの我にはもはや眷属たちを導く力しか残ってはおらぬ。それでも、友の頼みとあらば、聞かぬ理由も――」

 言い終えるより早く、アランの周囲の空気が歪み、甲高い音を立てて裂けた。

 アランが横薙ぎに手を振ると、体内に取り込んでいた瘴気が溢れ出し、形を成していく。
 彼の身長を優に超える、黒い鎌――いや呪いの刃。

 次の瞬間、アランの姿は視界から消えた。

 意識を失いかけたリリアでは、その動きを追うことすらできない。
 耳に届いたのは、金属が激突したような衝突音。

 音の方へ視線を向けると、アランがアズ=カラグの眼へ鎌を振り下ろしていた。
 だが、その刃先の手前に人影が立ちはだかっている。

 誰かを確かめるよりも早く、聞き覚えのある声が響いた。

「ああ、つまらない。……たしかに、こんなのつまらなすぎるよねぇ?」

 響く鈴の音。
 しゃら、しゃららと重なる澄んだ音色が、リリアの身体をわずかに軽くする。

「何度でも挑んでいいって言うから来てやったのに、この体たらくはなんだよ。ダサすぎ!」

 カイは杖の先端についた鈴を派手に鳴らすと、アランの瘴気で形成された鎌の柄を横から蹴り飛ばした。

「うわ、汚いな。なんだよその穢れまみれの得物は。……ねえリリア、俺の靴の底に呪いくっついてない?」

 カイはアランから距離を取り、わざとらしく靴の裏をこちらへ向けて見せてくる。
 リリアはあっけにとられ、声すら発せない。

 そのとき、温かな腕が床に倒れていたリリアをそっと抱き起こした。

「リリア、怪我は大丈夫か」

「……カリムさん? あなたこそ怪我は……」

「カイのおかげで、なんとかな」

 カリムが答えると、カイは不満げに顔をしかめ、リリアを覗き込む。

「……え、ちょっとひどくない? 傷を塞いだのも浄化したのも俺なんだけど。なのに声かけてもらえないって、割と心折れるんだけど?」

 カリムは眉を寄せ、冷ややかに返す。

「お前はリリアにしたことを忘れたのか?」

 一瞬、空気が張り詰める。
 カイは目を伏せ、わずかに笑った。その笑みはどこか影を落としていた。

「……そうだね。忘れちゃいないよ。そもそも俺はリリアに合わせる顔なんて、もうない」

 そうつぶやくと、カイはリリアとカリムに背を向けた。
 杖を静かに構え、その先端の鈴が低く鳴る。

「一族の復讐なんかじゃない。国を再興するためでもない」

 鈴がしゃら、と揺れ、瘴気を払い落とすように澄んだ音色が広がった。

「大切な幼馴染を奪われた……その復讐を、俺はさせてもらう」

 カイの声は、先ほどまでの軽さを完全に失っていた。
 鈴の音が鳴った瞬間、アランの気配が変わった。
 荒れ狂う瘴気がさらに濃く、黒い火花のように弾けた。

「……そこを、どけ」

「お断りだよ、王様」

 カイは笑った。
 けれど、その目だけは鋭い光を帯びている。

「俺はアラン・ルクセインと話がしたいんだ。呪いの化け物とやり合うつもりは、これっぽっちもないんだよ」

 アランが返事をする前に、黒い鎌が地を裂いた。

 ゴオッ――!

 重い衝撃が封牢を揺らし、地面の石が砕け散る。
 アランの一撃は、まさに呪いそのものだった。

「おっそ! いくらなんでも、そんなのでセラが殺されるわけない」

 カイは軽く跳躍し、アランの背後へ着地した。
 鈴が清らかな音を奏でる。

「……やめろ」

 アランは振り返らず、もう一度鎌を振る。
 暴風のような瘴気が吹き荒れる。

 カイは杖をくるりと回し、その風を断ち切った。
 鈴の音が空気を震わせ、呪いの濁流が浄化されるように霧散する。

「ほんとに弱いね。あの圧倒的な強者面していた王様がさ、呪いを受けるとこんなに冷静でいられなくなるなんて……がっかりだよ」

 カイは杖を構える。
 鈴がリンと甲高い音を鳴らす。
 その音色が辺りに響いた瞬間、アランの動きが一瞬止まった。

「……その音を止めろ、不愉快だ」

「もしかしてリリアの鈴の音色を思い出す? ごめんね、感傷的な気持ちにさせちゃってさ」

「うるさい……黙れ!」

 アランの鎌が唸りを上げてカイに襲い掛かる。
 だが、カイは鎌が叩きつけられる直前にさらりと躱して見せた。

「ほら、ほら。怒りに任せた攻撃って、ほんと雑なんだよ」

 鈴の音がカイの周囲に小さな光輪を作り出す。
 その光輪が呪鎌とぶつかるたび、ひび割れのような音が封牢に響いた。

 カンッ……カンッ……パァン!

 黒い鎌に亀裂が走る。
 アランは叫ぶ。

「うるさいうるさいうるさい!」

「……やっぱりこんな王様にセラは殺されない。つまりそれってさ、呪いに侵される前の冷静なアンタがセラを殺したってことだよな」

「黙れ! 僕の邪魔をするなああああ」

 暴れ狂うアランとは対照的に、カイの声は静かだった。

「アンタがセラを殺した理由なんて、わかりきってる。でも、ちゃんと理由をアンタの口から聞きたかった」

 カイの声には怒りでも嘲りでもない、悲しみの底に潜む、透き通った響きがあった。

「一族の復讐なんて本当は興味がなかった。でも、セラがそれを俺に期待するならって。セラと離れがたくて、ずっと一緒にいたかったから止めなかった。ちゃんと話し合えばよかったのに、もういいんだよって言えなかった。……ああ、本当につまらないね」

 カイが杖を構える。
 鈴が大きく、ひときわ高く鳴った。

「ッ……来るな……! 僕は……行かないと……リリィを……迎え……」

「迎えになんて行けるわけないだろ!」

 次の瞬間、カイが踏み込んだ。

 杖が、鈴が、光と音の軌跡を描き、アランの鎌を砕く。

 バキィィィン!!

 黒い鎌が粉砕され、瘴気が弾け飛ぶ。
 アランの身体が後方へ弾き飛ばされ、石床に叩きつけられた。

「アラン⁉」

 リリアの声はかすれていたが、確かに響いた。
 アランはうつ伏せのまま震える指を伸ばす。

「……行かなければ……私は……王として……」

「それはさ、違うと思う」

 カイが静かにアランに歩み寄る。

「王じゃなくて、アランとして向き合え。あんたがそこを間違えている限り、誰も救われない」

 アランの目に、わずかに光が戻る。
 だが同時に、瘴気が再び彼にまとわりつく。

 カイは杖を構えたまま、リリアの方へ声を飛ばす。

「なあ、リリア。たぶんアンタじゃなきゃ止められないんだよ。アランに届くのは、アンタの声だけだ」
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