必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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古王封域

第7話

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 笑い声の余韻が残っているうちに、ミリエラが指先を払った。

「来るなら来なさいよ、ライゼル。ずっと逃げていたくせに、こんな終盤で主役気取り?」

 挑発に乗らないように、ライゼルは歯を食いしばる。
 ヴァルガンは横から低く声をかけた。

「落ち着いてくださいね。あいつの言葉には耳を貸さなくていい」

「……分かってる」

 だが、ライゼルの拳は揺れ動く心を抑えきれず震えていた。

 ミリエラはその場から半歩足をずらす。
 その細い体のどこに潜んでいるのか分からない速度で、短剣が閃いた。

 風を裂く音。
 黒曜石の刃がライゼルに届く前に、ヴァルガンが剣で受ける。
 金属同士が擦れ、火花が散った。

「ちょっと邪魔なんだけど? あなたの相手をしてる暇なんてないのよ」

「……悪いが、俺はライゼル様のお守りなんでな。殺す気で来られちゃ全力で止めるぜ」

 至近距離でミリエラを見下ろすヴァルガンの目が、悲しみに縁取られる。

「しかも……命懸けとあっちゃ、なおさらだ。邪魔するしかないだろ」

「はぁ……本当に面倒な人間ね。あなたと話すのはうんざりよ」

 ミリエラは軽く地を蹴った。
 ヴァルガンから距離を取ると、すぐさまライゼルめがけて踏み込む。

「──ッ!」

 ミリエラの刃がライゼルの頬を掠め、血が飛ぶ。

「どうしたの、ライゼル。そんな鈍い剣で、私に勝てると思ってるわけ?」

 声は軽い。だが、その目は爛々と狂気に光る。

「拍の才は無くてもせめてと、あんなに剣の腕を磨いていたのに! こんな私の細腕に傷を付けられてしまうのね」

「……ミリエラ、お前はっ……!」

 ライゼルは頬の血を拭い、剣を握り直してミリエラを正面から睨みつけた。

「まあ、格好つけちゃって。どうしちゃったの?」

「どうして……どうして、こんなことに……」

「まだ分からないの? とっくに壊れていたのよ。私の世界は」

 ミリエラの短剣が唸り、ライゼルの剣とぶつかる。

 重い音が封牢に響いた。
 ライゼルはミリエラの素早い剣筋を受け止めながら、なんとか押し返す。

「お前が言うあの人のこと……俺は知らない! なにか事情があるんだろうって、ずっと感じてた……けど、聞けなかった!」

「だから何? 話す必要なんてないもの。話したって、あの人は帰ってこないのだもの」

 ミリエラは笑っていた。
 剣を交えている眼前のライゼルを見ているようで、どこか遠くを見つめている。

「だったら……だったら、そう言ってくれればよかったじゃないか!!」

 叫びながら、ライゼルはミリエラの短剣をはじき返した。

「ああ、褒められたかったさ!」

 ライゼルの声が割れた。
 彼がここまで感情をむき出しにするところを見たのは、きっとこの場にいる誰もがはじめてのことだった。
 狂っているように見えるミリエラですら、ぴくりと眉を動かし怪訝そうな顔を一瞬だけ覗かせた。

「父に認められたかった。よくやったって言われたかった……!」

 そして、続くライゼルの言葉に、ミリエラは完全に動きを止めた。

「だが、ミリエラ。お前にだって……俺は褒められたかったんだよ!」

 ライゼルの足が動く。
 ショートソードを逆手に握り、踏み込む。

「ライゼル様、待っ──!」

 ヴァルガンの制止は届かない。届くはずがなかった。
 瘴気の奔流が二人の間を駆け抜けた。
 金属のぶつかる高い音が響く。

 ミリエラは後退しながら、薄く笑った。

「あら……やっとを鳴らせたじゃない」

「……ミリエラッ!」

 刃が交差し、噴き上がる火花が二人の顔を照らす。

 ミリエラは細い体で攻撃を受け流し、時に寸前で避ける。
 だが、ライゼルの剣筋は明らかに変わっていた。

 迷いが消えている。
 彼の視界に映っているのは、ミリエラただ一人。

「──ミリエラ!」

 ライゼルの渾身の一閃が空気を裂く。
 その瞬間だった。

「ライゼル、見せてみなさいよ。お父様に褒められたかっただけの子どもじゃないところを」

 ミリエラはふっと笑い、手の中の黒曜石の短剣を、音もなく手放した。
 カラン、と乾いた音が石床に響く。

 ライゼルの心臓が強く跳ねる。
 足が止まらない。もう止められなかった。

 ミリエラは避けなかった。
 ただ、両手を広げたまま──胸元にその一撃を受けた。

 鋼が肉を裂く鈍い音。
 赤が花のように弾ける。

 ミリエラの体が大きく反り、ゆっくりと崩れ落ちる。

「……ふっ……やっと、届いたわね……」

 床に膝をつきながら、ミリエラはうっすらと微笑んだ。
 ライゼルは愕然としたまま、崩れ落ちる彼女の体を支える。

「ミリエラ……! なんで……避けなかった……!」

「避けても……同じよ。どうせ私は…………もう、立っていられなかっただけ」

 ミリエラは苦しげに息を吐きながら、それでも笑う。

「……ライゼル。あなた……本当に……いい子ね」

「やめろ、そんな言い方するな!」

「ねぇ……ライゼル」

 ミリエラはかすかに笑う。
 その声には、もう狂気の影はなかった。

「……ああ、ほんとに……いい子なのに……」

 ライゼルの呼吸が止まる。
 胸の奥が掴まれる。

「……ああ。お前に、認めてほしかった」

 震える声で、やっと告げる。

「父にじゃない。ミリエラに、褒めてほしかった。よくやったって……」

 ミリエラは彼の胸元に額を寄せ、小さく笑う。

「頼む、もう喋るな……!」

「……よくやったって、なによそれ。私は……アンタのお母様じゃ……ないのよ…………」

 その言葉を最後に、ミリエラの身体から力が抜けた。
 触れていた指が、滑り落ちる。

「ミリエラ……? ミリエラッ……!」

 ライゼルの叫びが、封牢の奥へ吸い込まれていった。
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