閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉

文字の大きさ
1 / 4

第1話 鍵をかけられた未亡人

しおりを挟む
「──父が、亡くなった」

 一瞬、意味が理解できなかった。
 長男の言葉を頭の中で繰り返してみるが、やはりしっくりこない。

「……亡くなった。あの、旦那さまが……?」

 問い返す自分の声が、ひどく間の抜けたものに聞こえた。
 暖炉の火は落ちている。離れの部屋はいつも薄ら寒く、吐く息が白くなり、指先が痺れるように冷たくなっていた。

「外は大雪だ。そのせいで馬車が横転したと、報告があった」

「事故死ですか? ……旦那さまが、死んだというの……」

 聞き慣れたはずの自分の声が、まるで他人のもののように思えた。
 椅子に座った私のもとへ、長男がゆっくりと歩み寄ってくる。

 長男とはいえ、夫と前妻との間に生まれた子どもだ。
 私より年上の義理の息子が、目の前で立ち止まった。

 長男の纏う黒い外套の裾には、雪が付着していた。彼は雪の冷たさまで一緒に運んできたようで、部屋の空気がさらに凍えた気がした。

「こんな日だというのに、慌ててどこへ向かっていたのやら。馬車は崖下へ落ちた。雪解けを待たずに遺体が発見できたのだけは、幸いだった」

 淡々とした物言いだった。
 血のつながった親が亡くなったというのに、彼は泣いていない。
 それどころか、驚いた様子すらない。感情を表に出さず、ただ事実だけを告げてくる。

 ──そうだ。私はこの家で、ただ報告される側に過ぎない。

 妻であっても、当事者にはなれない。
 旦那さまの妻、という札だけを首から下げて、屋敷の奥にしまわれたまま。
 言葉を求められたことも、意見を聞かれたこともない。

 こめかみに、ずきんとした鈍い痛みが走った。
 感情が乱れると、身体の奥がざわつく。昔から、決まってこうだった。
 痛みの原因は、夫の死そのものへの悲しみというより、自分の立場が崩れ落ちたことへの恐怖に近い。

「……葬儀は、いつですか」

 そう言ってから、自分の手が震えていることに気づいた。
 膝の上で指を握りしめる。爪が手のひらに食い込み、その痛みが現実に引き戻してくれる。

 長男の視線が、私の指先に一瞬だけ注がれた。だがすぐに、まっすぐ前を向く。

「君は出なくていい」

 その言葉を聞いた途端、耳鳴りがした。
 まるで当然のことのような言い方に、強い衝撃を受ける。

「……出なくていい、って」

 私は立ち上がった。
 椅子がわずかに軋む。その小さな音に、彼の眉が一瞬だけ動いた。警戒の色だ。
 その反応が、私を人としてではなく「扱いにくい何か」と見ている証拠のようで、胸が苦しくなる。

「私は……妻です。行きます!」

 私が言い切るより先に、彼はゆるやかに首を振った。

「駄目だ」

「なぜですか? 私はこれでも、妻なんですよ!」

 声が高くなる。
 冷静な彼とは対照的に、感情が込み上げてくる。

 夫と過ごした時間は、わずか半年。
 その間に向けられた視線は、私の体の価値を測るようなものばかりだった。
 言葉を交わすことも、名前を呼ばれることすら、限られた時だけ。

 それでも、葬儀に出ることは妻の務めだ。
 それが、私がこの家に存在していられる唯一の理由なのだから。

「……教えてください」

 私は一歩、彼の方へ踏み出した。

「妻が夫の葬儀に出ないだなんて、よほどの理由があるはずでしょう?」

 詰め寄ると、長男は小さく息を吐いた。
 その間にも、私の胸はせわしなく上下し、口の中が乾いていく。

「今は答えられない」

「答えられない? 私は……っ」

 そこで言葉が途切れた。
 何か言おうとしても、適切な言葉が見つからない。

 私はこの家で、何を言う権利を持っているのだろう。
 伴侶であるはずなのに、妻として扱われたことは一度もない。
 社交の場に並ぶこともなく、夫が帰宅した夜に寝室へ呼ばれるだけ。
 翌朝の食卓を共にすることすらなかった。
 夜の相手をする時以外、私は屋敷の離れで「いないもの」として息をしていた。

 ──そう。私は、誰の視界にも入らない場所で、ただ役目が来るのを待っていた。

「……せめて、お顔だけでも」

 言いながら、身体ががくがくと震え出す。
 今さら、顔を見たいほどの情があるわけではない。
 それでも、見ずに終わらせたら、この半年が何だったのか分からなくなる。

「それも無理だ」

「なぜ! なぜなのですか⁉」

 自分でも驚くほど、声が尖った。
 私はこんなふうに叫べる人間だったのかと、今さらながら思う。
 大声を張り上げたところで、誰も守ってくれないのに。

「お願いです。私を……」

 言いかけたところで、長男がため息をついた。
 その仕草に身体が強張り、それ以上言葉が出てこなくなる。
 彼は私に背を向け、無言のまま部屋を出ていった。

「ま、待って! お願い、話を聞いて……」

 手を伸ばした瞬間、無情にも扉が閉まる。
 直後に、乾いた金属音が響いた。

「……なに? ねえ、まさか……鍵を掛けたの?」

「君はここにいろ」

「嫌です!」

 扉の向こうから声がした。まだ廊下に、彼の気配が残っている。
 私は慌てて扉に駆け寄った。足がもつれ、転びそうになる。

「出して!」

 腹の底から声を張り上げる。

「ここから出して! お願い!」

「大声を出すな。落ち着け」

「落ち着けるわけがないでしょう! 夫が死んだのに、私は……葬儀にっ──」

「頼むから、静かにしてくれ」

「……ねえ、お願い。私をここから出して。お願いだから……」

 惨めだと思いながらも、懇願の言葉が止まらない。
 扉の向こうにいるのが、私の家族だという事実が、さらに惨めさを増幅させた。

「君が外に出ると、困る」

「……困る? なぜ……?」

 扉の外にいる彼が息を呑んだ気配がした。
 彼は一拍の沈黙を挟んだのち、低い声で話し出す。

「……すぐに人が来る。食事も運ばせる。必要なものがあれば言え」

「私に必要なのは、この部屋から出る自由です」

 返事はなかった。
 やがて、廊下から完全に気配が消える。

 私は扉に両手をついた。
 押しても引いても、びくともしない。
 錠の冷たい感触に指を滑らせ、爪が欠けるほど引っ掻く。
 指先の痛みだけが、私がまだ生きていることを教えてくれる。

「……開けて。お願い……」

 誰の返事もない。
 廊下は、この家の者たちの世界で、私はそこに踏み出すことすら許されていない。

 ふっと、力が抜けた。

 床にへたり込む。
 いつの間にか、涙が頬を伝っていた。

 ──私は、これからどうなるのだろう。

 夫は死んだ。
 半年だけの結婚生活。愛などなかった。
 妻であることすら許されなかったのに、未亡人という名だけを背負わされる。

 私の生まれは、名門魔術師の家系。
 だが実情は、魔術しか取り柄のない父と、困窮した家だった。
 借金の肩代わりとして、私は後妻に差し出された。
 名門の響きは美しいが、私にとっては首輪と同じだった。
 
「……葬儀にも行けない、弔うこともできない妻。子を宿すこともできず……私は……」

 こめかみの痛みが強くなる。
 いつもの頭痛とは、どこか違う。熱を帯びた疼きが、内側から叩くように広がる。

 そのとき、扉の外で足音がした。
 去ったはずの気配が、迷いを引きずるように戻ってくる。

「……まだそこにいるのか。私の声が聞こえるか?」

 長男の声だった。低く、鋭い。

「君は、まだ分かっていない」

「なにを……私が、何を分かっていないのですか」

「私が君を、ここから出せない理由だ」

 それだけ言って、足音は遠ざかった。

 出せない理由。
 出したくない理由ではなく。

 ──それは、いったい何なの?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

政略結婚の果て、私は魔女になった。

黒蜜きな粉
恋愛
政略結婚で冷酷と噂される辺境伯のもとへ嫁いだ魔術師の娘フリーデ。 努力すれば家族になれると信じていたが、初夜に「君を抱くつもりはない」と突き放される。 義母の「代わりはいくらでもいる」という言葉に追い詰められ、捨てられたくない一心でフリーデは子を宿すため禁じられた魔術に手を染める。 短いお話です。

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

馬小屋の令嬢

satomi
恋愛
産まれた時に髪の色が黒いということで、馬小屋での生活を強いられてきたハナコ。その10年後にも男の子が髪の色が黒かったので、馬小屋へ。その一年後にもまた男の子が一人馬小屋へ。やっとその一年後に待望の金髪の子が生まれる。女の子だけど、それでも公爵閣下は嬉しかった。彼女の名前はステラリンク。馬小屋の子は名前を適当につけた。長女はハナコ。長男はタロウ、次男はジロウ。 髪の色に翻弄される彼女たちとそれとは全く関係ない世間との違い。 ある日、パーティーに招待されます。そこで歯車が狂っていきます。

政略結婚のはずでしたが、黒の公爵に「君を愛するつもりしかない」と言われました。

ちよこ
恋愛
没落寸前のエーデル伯爵家の令嬢ルイーズは、この国最大の権勢を誇る黒の公爵エルハルトと政略婚を結ぶことになった。 釣り合わない縁談に社交界はざわめいたが、ルイーズは「家同士の利害が一致した取引に過ぎない」と割り切っていた。 ところが初夜、公爵は開口一番こう言った。 「私は君を愛するつもりしかない」 政略婚のつもりでいた令嬢と、最初から決めていた公爵の、少し不器用な初夜の話。​​​​​​​​​​​​​​​​

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

処理中です...