閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉

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第2話 保護という名の檻

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 目を覚ましたとき、部屋は明るかった。

 カーテン越しの光が、柔らかく私の身体を包み込んでいる。
 けれど、その光を心地よいとは思えなかった。

 昨夜、いつ眠ったのか覚えていない。
 扉の前で泣き疲れ、意識が途切れたのだろう。

 身体が重い。喉がひりつくように渇いている。
 それだけではない。身体の奥が、微かに熱を帯びている感覚があった。

 身を起こそうとして、違和感に気づく。

 ──ベッドに、寝かされている。いつの間に?

 確かに昨夜は、床に座り込んだまま動けなくなっていたはずだ。
 誰かが私をベッドまで運んだとしか考えられない。

 思った瞬間、背筋が冷えた。
 離れの部屋に自由に入れる者は、この屋敷では限られている。

 ──使用人かしら。それとも……。

 嫌な予感に、こめかみがずきりと痛んだ。
 魔力がざわつき、身体中を這いずり回っているような感覚がある。
 身体の奥の熱は、床で寝落ちしてしまったことで体調を崩したというわけではない。

 そのとき、扉がノックされた。

 びくりと肩が跳ねる。
 返事をする前に、静かに扉が開いた。

 使用人が二人、顔を伏せたまま入ってくる。
 お湯の入った桶と、清潔な浴巾を手にしていた。

「……なにを、しに?」

 かすれた声で尋ねる。

「奥さまの身じたくのお手伝いにございます」

「それは……誰の命令ですか」

 分かっていても、聞かずにはいられなかった。

「若さまです」

 若さま。
 夫の長男。そして、今はこの屋敷の実権を握る人間。

 私は唇を噛んだ。

「身支度を整えたら……外に出られますか」

 使用人たちは一瞬だけ視線を交わし、揃って首を横に振る。

「本日は、お部屋でお過ごしくださいとのことです」

「……本日は、ですか」

「はい」

 それ以上、何も言えなかった。
 抵抗する気力が、眠りと一緒に削り取られている。

 顔を洗い、髪を整え、用意された服に袖を通す。
 淡い水色のドレス。質の良い布地だった。

「喪服では……ないのですね」

 私の言葉に、使用人が一瞬だけ視線をそらす。

「……奥さまは、黒をお召しにならないほうがよろしいと」

「なぜ?」

「弔いの色は……奥さまの癒しの魔力と、相性がよくないとの若さまの判断です」

 思わず眉をひそめた。

「たかだか服の色で、魔力に影響なんて……」

 使用人は答えなかった。

 朝食は部屋に運ばれてきた。

 湯気の立つスープ。
 焼きたての香りがする柔らかなパン。
 瑞々しい果物まで、丁寧に切り分けられている。

 一瞬、何が置かれたのか分からなかった。

 ──こんなもの、私は知らない。

 夫が生きていた頃、食事は決まって「残り物」だった。
 食堂に呼ばれることはなく、配膳の時間も知らされない。
 冷めきった皿が、いつの間にか部屋の前に置かれているだけ。

 スープと呼べるほど具の入ったものなど、出たことはない。
 パンは固く、時には前日のものだった。
 それを食べるかどうかすら、誰も気に留めなかった。皿が下げられる時間も一定ではなく、朝食の皿が夕方まで放置される日もあった。

 ──それが、普通だった。

 それなのに、いま目の前にあるのは、誰かの体調を気遣って用意された食事だった。
 匙を入れれば湯気と一緒に香草の香りが立ち、舌に優しい温度が広がる。

「……皮肉ね」

 誰に聞かせるでもなく、呟く。

 夫が死んだ途端、私は丁寧に扱われ始めた。
 まるで、壊れ物のように。

 雪の降るこの時期に、離れの部屋の暖炉に火が入ったのも、いつ以来だろう。
 温かさがある。食事がある。世話もある。

 けれど、どれほど守られているように見えても外へ出られないのなら、それは檻と変わらない。

 ──そして檻は、内側から壊せないように作られている。

 私はそっと手のひらを見つめた。
 魔術師の家に生まれた以上、私にも魔術が扱える。
 だがこの屋敷で、それを使うことを許されたことは一度もなかった。
 許されないのに、身体だけは反応する。こめかみの痛みは、魔力が出口を探している痛みだ。

 その日の午後、私は試した。
 使用人が下がった隙に、鍵のある扉へ手を当てる。

 私は指先に意識を集め、微かな光を灯すように魔力を流した。
 私の魔力は他者を癒す聖なる力。
 扉を破壊することはできないけれど、細工をすることはできるかもしれない。
 鍵穴の周りに薄い膜を作り、金属の噛み合わせを緩める――そんなイメージを描いてみる。

 だが、次の瞬間。

 扉の向こう側から、鈍い反発が返ってきた。
 まるで、こちらの魔力を押し返す別の意志があるように。

 こめかみに鈍い痛みが走り、視界が白く弾ける。

「…………っ⁉」

 膝が床に落ちた。呼吸が乱れ、手のひらが熱い。
 私は自分の手を握りしめた。

 ──この扉、やっぱり普通じゃない。魔術で補強されている?

 そこまで考えたところで、廊下に足音がした。

 慌てて立ち上がり、何事もなかったふりをした。
 扉が開き、使用人が顔を引きつらせて入ってきた。

 彼女は私の手元を見て、青ざめる。

「奥さま……いま、なにを……」

「何もしていないわ」

 そう答えると、使用人は目を伏せた。
 

 それから、何日かが過ぎた。
 朝と夜は分かる。食事の回数で日が巡るのも分かる。
 だが、外の気配が遮断され、時間は曖昧になっていった。

 カーテンを開くことはできるが、窓を開け放つことはできない。
 太陽と月の光だけが、部屋の中に入ることを許されている。
 窓辺に立てば、遠くで誰かが話す声がする気がするのに、言葉にはならない。雪がすべてを吸い込んでしまう。

 昼食のあと、珍しく使用人が一人だけ残った。
 若い女性だった。まだ慣れていない様子で、視線が落ち着かない。

「……あの」

 声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。

「外では……私のこと、噂になっていますか?」

 一瞬、唇を噛む。

「……申し上げられません」

「若さまの言いつけ、ですね」

 小さく頷く。

 それ以上は聞かなかった。
 問い詰めれば、彼女を困らせるだけだ。

 使用人たちが私と距離をとるのは、軽んじているからではない。
 長男を、恐れているのだ。


 午後、扉がノックされた。
 言い終える前に、扉が開く。

 長男だった。
 外套はなく、目の下にうっすらと影がある。

「体調はどうだ」

「……外に出たいです」

 彼は私のそっけない態度を気にも留めず、部屋に入ると内側から鍵をかけた。

「今日は無理だ」

「今日も、ですね」

「少なくとも、しばらくは」

 私は思わず声を荒げた。

「私は罪人ですか⁉」

 彼の眉が、わずかに動く。

「違う」

「では、なぜ閉じ込めるんです」

「閉じ込めているつもりはない。保護している」

 やはり彼の言葉は理解できなかった。

「……そこに、私の意思は?」

「君の意思が危険を招くなら、止める」

 正しいことを言っている口調だった。
 だからこそ、恐ろしい。

「私は……ただ、葬儀に出たかっただけです」

「それが危険だった」

「なぜ……⁉」

 一瞬の沈黙。

「君は、正式な妻として扱われていなかった」

 心臓が嫌な音を立てた。

「父は君を社交の場に出さなかった。名を連ねることもさせなかった」

 わかっている。
 自分でも理解していたことを、改めて他人の口から突きつけられる。

「葬儀に出れば、君は妻ではなく余計な存在として扱われた」

「…………」

「場合によっては、責任を押し付けられた」

 胸が締めつけられる。

「事故の詳細は、まだすべてが明らかになっているわけではない。父がなぜあの時間に、あの場所にいたのか……」

 私は、息を吸った。

「……私が、疑われる?」

「利用される」

 即答だった。

「若い未亡人。名門の血。政治に使うには、都合が良すぎる」

 その言葉で、すべてがつながった。
 そして、私の中の熱が妙に落ち着く。

 ──理由がわかれば、痛みは少しだけ静まる。怖いのは、何も知らされないことだ。

「……だから、守っているつもりなのですね」

「ああ」

 彼は迷わなかった。

「君が壊れないようにするためだ」

 私は、ゆっくりと立ち上がった。
 壊れないように、その言葉が私を壊れ物として決めつけているようで、胃の奥がむかついた。

「……出ていってください」

 彼は一瞬だけ目を細めた。

「近いうちに、また来る」

 扉が閉まる。鍵の音がする。

 温かい部屋。十分な食事。丁寧な世話。

 それでも、息苦しさは増していく。

 ──私は、本当に守られているのだろうか。
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