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第5話 旅立ち
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旅立ちの日は、驚くほど静かだった。
王都の朝は、いつもなら人の声と馬車の音で満ちている。
けれどその日は、まるで私の気持ちに合わせるかのように、穏やかで、少しだけひんやりとしていた。
早朝の空気は澄んでいて、深く息を吸い込むと、胸の奥まで洗われるような気がする。
荷物は、思ったよりも少ない。
侯爵令嬢として過ごしていた頃に比べれば、考えられないほど簡素だった。
──誰かのために選んだものが、一つもない。
それに気づいた瞬間、小さな笑みがこぼれた。
知らない土地に行く不安よりも、未来への期待に心が躍っている。
海外留学。
名目は魔術の研鑽・文化交流と、王家としても侯爵家としても体裁の整った理由がいくつか並べられている。
けれど、私はそんなものはなんだってよかった。
新しい人生の始まりに、御託はいらない。
王都を離れる馬車は、城門の外で待っていた。
見送りは、形式的な者が数人いるだけの簡単なものだった。
礼儀正しい挨拶と、無難な激励の言葉。
当然だ。私はもう、王太子の婚約者ではない。
特別視される理由も、注目される立場でもなかった。
それでも、不思議と寂しさはなかった。
「……行くんだ」
背後から、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、剣士が立っていた。
いつもの軽装、少し気だるそうな表情。
けれど、今日はほんの少しだけ、視線が真剣に見える。
「ええ。今日、出発です」
「そっか……」
それだけ言って、彼は小さくうなずく。
それ以上踏み込まない距離感が、心地よかった。
一瞬、言葉が途切れる。
何かを言いかけて、やめたような沈黙。
けれど私は、その沈黙が嫌ではなかった。
「……引き止めないんですか?」
冗談めかして言うと、彼は肩をすくめる。
「言って残るなら、言葉にするけど」
「残りません」
「だよね」
即答だった。
二人して、思わず笑ってしまう。
風が吹き、馬車の旗が揺れる。
御者が、準備が整ったことを示すように視線を向けてくる。
もう、時間はあまりない。
「向こうではさ」
彼が、少しだけ真面目な声で言った。
「ちゃんと、自分のために生きなよ」
「……そのつもりです」
「なら、安心」
彼は、少しだけ目を細めた。
告白はない。
約束もない。
でも、この人は私を縛ろうとしない人だ。
引き留めず、追いかけず、選択を尊重する。
それがただ嬉しい。
「帰ってきたら」
私が言うより先に、彼が口を開いた。
「また、話そう」
「……ええ」
「そのときは」
一瞬、間があって。
「今より、少しだけ強くなってる顔、見せて」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「剣士様も」
「ん?」
「健やかな毎日を過ごせますよう願っております」
彼は、照れたように視線をそらした。
「努力する」
それが、彼なりの最大限の言葉だったのだろう。
御者が、出発を告げる。
私は馬車に乗り込み、扉が閉まる直前、もう一度だけ振り返った。
剣士は手を振らなかった。
ただそこに立って、見送っていた。
それでいい。
馬車が動き出す。
王都が、少しずつ遠ざかっていく。
もう、誰かの婚約者ではない。
誰かの影でも、物語の脇役でもない。
私は、私として歩き出す。
この先に、何が待っているかは分からない。
けれど、自分で選んだ道だ。
──前を向いて生きよう。
王都の朝は、いつもなら人の声と馬車の音で満ちている。
けれどその日は、まるで私の気持ちに合わせるかのように、穏やかで、少しだけひんやりとしていた。
早朝の空気は澄んでいて、深く息を吸い込むと、胸の奥まで洗われるような気がする。
荷物は、思ったよりも少ない。
侯爵令嬢として過ごしていた頃に比べれば、考えられないほど簡素だった。
──誰かのために選んだものが、一つもない。
それに気づいた瞬間、小さな笑みがこぼれた。
知らない土地に行く不安よりも、未来への期待に心が躍っている。
海外留学。
名目は魔術の研鑽・文化交流と、王家としても侯爵家としても体裁の整った理由がいくつか並べられている。
けれど、私はそんなものはなんだってよかった。
新しい人生の始まりに、御託はいらない。
王都を離れる馬車は、城門の外で待っていた。
見送りは、形式的な者が数人いるだけの簡単なものだった。
礼儀正しい挨拶と、無難な激励の言葉。
当然だ。私はもう、王太子の婚約者ではない。
特別視される理由も、注目される立場でもなかった。
それでも、不思議と寂しさはなかった。
「……行くんだ」
背後から、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、剣士が立っていた。
いつもの軽装、少し気だるそうな表情。
けれど、今日はほんの少しだけ、視線が真剣に見える。
「ええ。今日、出発です」
「そっか……」
それだけ言って、彼は小さくうなずく。
それ以上踏み込まない距離感が、心地よかった。
一瞬、言葉が途切れる。
何かを言いかけて、やめたような沈黙。
けれど私は、その沈黙が嫌ではなかった。
「……引き止めないんですか?」
冗談めかして言うと、彼は肩をすくめる。
「言って残るなら、言葉にするけど」
「残りません」
「だよね」
即答だった。
二人して、思わず笑ってしまう。
風が吹き、馬車の旗が揺れる。
御者が、準備が整ったことを示すように視線を向けてくる。
もう、時間はあまりない。
「向こうではさ」
彼が、少しだけ真面目な声で言った。
「ちゃんと、自分のために生きなよ」
「……そのつもりです」
「なら、安心」
彼は、少しだけ目を細めた。
告白はない。
約束もない。
でも、この人は私を縛ろうとしない人だ。
引き留めず、追いかけず、選択を尊重する。
それがただ嬉しい。
「帰ってきたら」
私が言うより先に、彼が口を開いた。
「また、話そう」
「……ええ」
「そのときは」
一瞬、間があって。
「今より、少しだけ強くなってる顔、見せて」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「剣士様も」
「ん?」
「健やかな毎日を過ごせますよう願っております」
彼は、照れたように視線をそらした。
「努力する」
それが、彼なりの最大限の言葉だったのだろう。
御者が、出発を告げる。
私は馬車に乗り込み、扉が閉まる直前、もう一度だけ振り返った。
剣士は手を振らなかった。
ただそこに立って、見送っていた。
それでいい。
馬車が動き出す。
王都が、少しずつ遠ざかっていく。
もう、誰かの婚約者ではない。
誰かの影でも、物語の脇役でもない。
私は、私として歩き出す。
この先に、何が待っているかは分からない。
けれど、自分で選んだ道だ。
──前を向いて生きよう。
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