政略結婚の果て、私は魔女になった。

黒蜜きな粉

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第3話

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 その夜、フリーデは震える指で小さな瓶を持っていた。

 透明な液体。
 無臭で、紅茶の色にも馴染む。
 たったこれだけで、運命が変わる。

 幸い、辺境伯家の使用人たちはフリーデに同情的な者もいた。

「献身的に尽くしてくださっているのに」
「どうして旦那様は奥様に冷たいのかしら」
「あれほど邪険にされても優しく接してくださる方なんて他にはいないわよ」

 フリーデは自分に同情的な使用人が当番の日を狙った。
 ヴィルヘルムは寝る前に自室で書類の確認をしながら紅茶を飲む習慣がある。

「今日の旦那様のお紅茶は私に用意させてくれない?」

 フリーデは使用人に声をかけた。
 使用人はフリーデの申し出に、勝手に想像を働かせてくれた。
 無視をされ続けても懸命に夫へ尽くそうとする妻。
 使用人は目に涙を浮かべながら、フリーデに仕事を譲ってくれた。

 フリーデはそんな使用人の隙を見て透明な液体を紅茶に混ぜた。

「……私が持っていくと旦那様は嫌がるだろうから。これはあなたが旦那様のお部屋に運んでさしあげて」

 用意した紅茶を使用人に託し、フリーデは自室に下がった。

 その日の深夜、フリーデは気配を消し、護衛や使用人たちの目をかいくぐってヴィルヘルムの寝室に忍び込んだ。

「……お前、どうやってここに?」

 部屋の中に現れたフリーデを見て、さすがのヴィルヘルムも声を上げた。
 隣国との国境を武力で守る辺境伯。小娘ひとりの接近に気が付けなかったことが腑に落ちない様子だった。

「先代様が私をこの家の妻にとお考えになった理由をお忘れですか? 魔術師の血を取り入れたいと願われたことを……」

 そのフリーデの言葉に、ヴィルヘルムの顔が歪んだ。
 辺境伯家にやってきてからのフリーデは一度たりとも魔術師としての力は使っていない。
 きっとヴィルヘルムは侮っていたのだ。

「……まさか、これはお前の仕業か」

 ヴィルヘルムの呼吸は乱れ、肩で息をしている。

「……からだが……熱い……。私に、何をした?」

 ヴィルヘルムに睨みつけられ、フリーデは笑った。

「やっと私を見てくださいましたね」

「……なんだと?」

 ヴィルヘルムは立ち上がろうとしてよろめいた。
 だが、なんとか持ちこたえ、フリーデをみつめてくる。

「嬉しいです。何度お声をかけても相手にしてくださいませんでしたのに」

 フリーデがゆっくりと歩みを進めると、ヴィルヘルムの目が大きく見開いていく。

「……っぐう、貴様……まさか私に毒を?」

「まさか、あなたを傷つけるようなことはいたしません。夫婦としての義務を果たすだけです」

 フリーデはそっとヴィルヘルムの肩を押した。彼はそのままベッドに倒れ込み、視線だけをフリーデに向けている。

「身体の自由が効かずとも、私を目で追ってくださるなんて……」

 そう言ってフリーデは夫の横たわるベッドに腰掛けた。身につけていた衣服を脱ぎ捨てると、ヴィルヘルムの目の色が変わる。
 その夜、ようやくフリーデはヴィルヘルムと身体を繋げた。
 だがそれは、夢見ていた夫婦になる夜ではなかった。

 フリーデの目に映る夫は理性を失い、ただ欲求に突き動かされているだけ。
 優しさも、労りも、愛情もない。
 あるのは、薬が作り出した衝動だけ。

(違う……こんなはずじゃ……なかったのに)

 フリーデが望んでいたのは家族としての愛情で、ただ子供を作るためだけの行為ではない。

 たとえ政略結婚だとしても、努力と歩み寄りで家族になりたかった。
 触れているヴィルヘルムの身体は燃えるように熱いのに、心は冷え切っていく。

(私は……なぜ、こんなことをしてしまったのだろう)

 フリーデの心の奥で、何かがひび割れる音がした。

(これで温かい家庭が手に入ると……本気で思っていたの? これで愛されると……信じていたの?)

 この行為の先に、幸せなどない。
 愛は手に入らない。

(傷つけるわけじゃないって言い訳して。教えに背いてしまった。ここまで落ちた自分が情けない)


 

 翌朝。

 光が差し込む寝室で、ヴィルヘルムは青ざめていた。
 身体の熱、理性の欠如。昨夜の記憶が、断片となって戻ってきているのだろう。
 ヴィルヘルムは震える声で言った。

「君に薬を使わせるほど、追い詰めていたのか」

 フリーデは静かに起き上がり、身支度を整える。

「ただ私はこの家に嫁いできた者としての仕事を全うしただけです」

 淡々と答えたフリーデに、ヴィルヘルムの表情が歪む。

「私は間違っていた。こんなことをさせるほど、傷つけていたなんて」

 ヴィルヘルムは深く頭を下げてきた。

「冷たくしすぎた。君を一人にしすぎた。これからは向き合う」

 必死な言葉だった。
 後悔と誠意がこもっていた。
 もし昨日までのフリーデなら泣いて喜び、すがりついていただろう。
 やっと届いたと、信じただろう。

 だが、今のフリーデはそんなヴィルヘルムを見ても心が冷え込んでいくだけだった。
 フリーデはゆっくり振り返り、微笑んだ。
 毎晩のように鏡の前で練習をしたのだ。きっと美しく笑えているはずだ。

「お気遣いありがとうございます、辺境伯様」

 声も穏やかだった。

「でも先ほども申し上げました通り、昨夜のことは妻としての務めです。ただの義務ですから、お心遣いは不要ですわ」

 フリーデの言葉にヴィルヘルムが息を呑む。

「……義務?」

「はい。跡継ぎを作るために必要なことですから」

 
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