政略結婚の果て、私は魔女になった。

黒蜜きな粉

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第7話

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 子供が生まれたのは、雨の夜だった。

 激しく打ちつける雨音の中で、産声が屋敷に響いた瞬間、フリーデはそっと息を吐いた。

 銀色の髪。
 澄んだ青い瞳。

 誰が見ても、辺境伯家の血を引く子だった。

「……男児でございます」

 医師の言葉と同時に、空気が一変する。

 フリーデの隣で、ヴィルヘルムが息を呑む気配がした。
 祝福の声があふれる中、彼はふらつくように近づいてくる。

「私の子だ……」

 震える手で赤子を抱き上げる姿を、フリーデは横から見つめていた。

「間違いない……私の子だ……」

 声が掠れ、涙がこぼれる。
 長く抱えていた疑念が、その瞬間だけ消えたのだろう。

「ありがとう、フリーデ。君がこの家を救ってくれた」

 何度も頭を下げる姿は、かつての冷酷な辺境伯ではなかった。
 ただの父親だった。
 フリーデは穏やかに微笑んだ。

「よかったですね、辺境伯様」



 子供が生まれてから、ヴィルヘルムの献身はさらに強くなった。
 政務で忙しくても必ず顔を出し、子の寝顔を確かめる。
 彼はようやく家族になれたのだと思っているのだろう。

 だが、フリーデには分かっていた。
 子供を抱くヴィルヘルムの表情が、ふと曇る瞬間がある。
 無言で遠くを見る視線、夜ごと深くなるため息。疑いは消えていなかった。

 眠れない夜が続き、顔色が悪くなり、集中力も落ちていく。
 それでもヴィルヘルムは踏ん張っていた。
 当主として、父として、夫として。
 自分が壊れていく音を、必死に聞こえないふりをしながら生きていた。

 ある夜。
 フリーデは子を乳母に預け、夫の執務室へ向かった。
 扉の隙間から見えるヴィルヘルムの背中は、以前よりずっと小さく見える。
 肩が落ち、蝋燭の光の中で文字を追う手が震えていた。
 これが英雄と呼ばれる男の姿なのかと思うと、おかしくて笑えてくる。
 
「まだお仕事をなさっているのですね」

 声をかけると、ヴィルヘルムは疲れた笑みを浮かべる。

「国境沿いの諍いが絶えなくてね」

 ふうと大きく息を吐き、眉間にしわを寄せる。

「母が亡くなり、父は寝たきりのまま。領地も不安定な中で君と子供を守らねばならない」

 フリーデはそっと夫の肩に手を置いた。

「お一人で抱え込みすぎですわ。最近ほとんど眠っていないでしょう」

「……分かっている」

 低く沈んだ声。

「だが、気を抜くと……考えてしまう。君のこと……シリウスのことも……」

 その名前が出た瞬間、ヴィルヘルムの身体が強張る。
 フリーデは表情を変えず、優しく微笑んだ。

「疲れているからです。不安は疲れた心が作り出す幻ですよ」

「そうなのだろうか。あの子の姿が幼い頃のシリウスと重なることがある」

「辺境伯様とシリウス様はご兄弟。似ている部分があって当然です」

 フリーデは小さな盆を差し出す。
 湯気の立つカップが乗せられている。

「お茶を淹れてきました。私が庭で育てた薬草で作りましたの。飲めば楽になりますわ」

 ヴィルヘルムは一瞬ためらう。
 魔術師である妻の作ったもの。
 それが自分の理性を狂わせたことがあると知っている。

「余計なことを考えなくて済むようになります。よく眠れますよ」

「……君がそう言うなら」

 フリーデが微笑むと、ヴィルヘルムの中の疑念が押し流されていくのがわかる。
 彼はカップを受け取り、中身を飲み干した。
 身体から力が抜けていくのが、目に見えて分かる。

「ああ……楽になる……」

「ええ、私が大切に育てた薬草ですもの」

「ありがとう……フリーデ……」 

 微笑んだまま、ヴィルヘルムはゆっくりと崩れ落ちた。
 書類が散り、ペンが床を転がる。
 執務机に突っ伏し、動かなくなる。

 フリーデは静かになった夫の隣に立ち、顔を覗き込む。
 まるで深い眠りについたような穏やかな表情。

 それを眺めながら、ふと父の言葉を思い出していた。

 ──魔術は人を救うためにある。

 かつてこの手は傷を癒し、命をつなぎとめるために薬を調合してきた。
 苦しむ人を助けるために、祈るような気持ちで魔力を注いできた。

 けれど今、同じ手が作ったのは人を終わらせるための一杯だった。

 心の奥底まで探してみても、罪悪感は見当たらない。
 恐れも、悲しみも、手探りしても掴めない。
 感情がみつからない。

「楽になりましたね」

 フリーデはそれだけ言い残して執務室を後にする。

「……魔術師は人を救う者。それなのに、人らしい心を失った私はもう魔術師ではないわね」

 この日、フリーデは自分が魔女であることを自覚した。

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