チートをもらえるけど戦国時代に飛ばされるボタン 押す/押さない

兎屋亀吉

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32.鵺

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 鬱蒼と生い茂る原生林を前にして、わいのわいのと盛り上がる多くの武士。
 予想はしていたけれど、集まったのはほとんどがなかなか戦功を立てることができない弱小武士やその家臣ばかりだ。
 顔ぶれは中々バラエティに富んでおり、奇妙丸君や勝三君くらいの子供から結構な大年寄りまで様々。
 みんな戦に出て活躍することが中々できないから、ちょっとでも名前が売れるように必死なんだね。

「鵺を狩るのはこの僕、別所小三郎長治だ。叔父上、行きましょう」

「小三郎は弓が達者だからの。狩れるといいのお」

「なんの、老骨も負けておりませぬぞ。この大島雲八、伊達に大殿から雲を穿つとのお言葉を頂いておりませぬ」

「年寄りがあまり無理をするでないぞ。大島殿」

 集まった面々の中で俺がかろうじて名前を知っているのはこの2人くらいか。
 別所長治君は勝三君と同じように家の当主が亡くなってしまったために別所家の当主となった12歳の少年だ。
 後見人の叔父さんと一緒に参加しているみたいだ。
 別所家は結構早くから織田に臣従していたのにいまいちぱっとしないからね。
 別所家の新当主は弓が達者で戦でもいい働きしまっせということをアピールしたいんだと思う。
 そして大島雲八さん。
 またの名を大島光義さん。
 すでに60を越えており、平均寿命の低い戦国時代では相当な高齢だ。
 後の世では、多少マイナーながらも弓の名手として確かに名を残した人でもある。
 遅咲きの武将として知られており、この人の立身出世は始まったばかりなんだ。
 ついこの間殿や善住坊さんたちが参加した姉川の戦いで活躍して、織田信長に白雲をうがつような働きと称されたらしい。
 本当に弓を射させたら右に並ぶ者なしのスーパーおじいちゃんで、俺も結構好きな武将なんだ。
 でも史実では本能寺の変の後、勝三君と戦う予定なんだよね。
 複雑な気分だ。
 本能寺の変の後は本当に色んなことがめちゃくちゃになっちゃうからなあ。
 勇者ミツヒデはなんであんなことをしたのかな。
 明智光秀もまた、謎の多い人物だな。

「お、善次郎殿。始まるようですな」

「そうみたいだね」

 この近くの村を治めているという殿の知り合いの武士が前に出てきて、各自の持ち場を割り振っていく。
 みんながみんな功に走って無茶苦茶に山を走り回ったら、包囲網が穴だらけになっちゃうからね。
 ちゃんと穴の無いように捜索していかないと。
 お目当ての虎に当たるかは運次第といったところか。
 まあみんな虎を倒せること前提で張り切っているけど、君たちが思ってるよりワンサイズでかいからね虎って。
 俺は動物園で見たことがあるけれど、大型バイクくらいの大きさは軽くあった。
 動物園のやつはのんびりとお昼寝を楽しんでいたけれど、あんな生き物が野生をむき出しにして襲いかかってきたら刀や槍なんか持っていても足がすくんで振るえないんじゃないかな。
 俺達は鎌を手に下草や枝を払いながら原生林を進んでいく。
 何度見ても、この時代の自然には圧倒されてしまうな。
 現代だったら白神山地や屋久島でしか見られないような巨大な樹が生い茂る森は、自分という存在のちっぽけさを教えてくれているようだ。
 その無言の威容に、ここは人間の生きる場所ではないからさっさと帰れと言われているように感じて少し心細くなる。
 だがそう感じているのは俺だけのようで、この時代生まれの人たちは気にせずバンバンと木立を木の棒で叩いて虎を探している。
 たまに蛇やウサギが飛び出てくる。
 彼らにとっては家で寛いでいたら突然家の扉を棒でバンバン叩かれたようなものだ。
 気の毒に。

「お、よく肥えたウサギじゃ。今日の夕餉にちょうどいい」

 吉兵衛さんが弓を取ってウサギに狙いを定める。
 すまんね、ウサギ。
 戦国時代は食料事情が悪いんだ。
 あと450年もすれば君たちが可愛がられて毎日ニンジンをもらえる時代が来る。
 頑張って種を繋いでいくんだぞ。
 俺はわざとくしゃみをした。

「ぶぇっくしっ!」

「あっ……。善次郎殿、ひどいですよ」

「すみません。ちょっと誰かが噂をしていたようで。昨日狩った猪の肉の煮込みがそろそろ味が染みていい頃合ですので、今晩持って行きますよ」

「おお、ありがとうございます。雪殿の料理は美味いですから楽しみです」

 まあ文さんの料理も美味しいと思うけどね。
 吉兵衛さんの奥さんである文さんとはよく話す関係で、塩辛いものを食べ過ぎると卒中を引き起こすと話したことがある。
 その関係で吉兵衛さんの食事は文さんが気を使って塩分控えめなんだそうだ。
 出汁の乏しい戦国時代で薄味の料理となると、かなり水っぽい料理になってしまう。
 薄味は愛の味だと思って我慢しておいて欲しいな。

「出たぞぉ!!鵺だぁ!!」

『グルァッ、グルルゥ』

 それほど離れていない位置から、虎を見つけたという声と恐ろしい鳴き声がする。
 ここからなら間に合うかもしれないな。
 俺達も各々弓に矢を番えて森を駆けた。
 森の中を走るなら隠術を極めた俺や、忍修行をしていた善住坊さんに一日の長がある。
 あっという間に吉兵衛さんと勘左衛門さんを置き去りにしてしまった。

「くっ、善次郎殿。ワシのことも気にせず本気で走ってくだされ!」

 俺は善住坊さんのお言葉に甘えて全力で森を駆ける。
 木を伝って立体的に駆ける俺の動きはもはや人間の動きではなかったかもしれない。

「ぐ、ぐぅぅ、た、助けてくれぇ」

『グラゥッ、ガゥッ』

 あっという間に虎を発見した現場に到着したが、それはもはや虎に襲われている人の図だった。
 あれほど虎を討伐してやると豪語していた武士たちは襲われている人を遠巻きに見つめ、助けようともしない。
 完全に虎の迫力に飲まれてしまっているようだ。
 襲われているのは無名の武士で、手に持った木の棒で辛うじて虎の牙を逃れている。
 しかしその鋭い爪が武士の脇腹と肩に食い込んでおり、血が滲んでいる。
 
「だ、誰か、助け、助けてくれ……」

 もはや虎の鋭い牙が無名の武士に突き刺さるのは時間の問題。
 やるしかなさげ。
 俺は手に持った弓を構え、矢を引き絞った。
 距離は10メートルほど。
 的は虎の心臓。
 無名の武士に向かって今にも噛み付こうとしている頭は動きも多いし、当てるのは難しい。
 心臓なら外れても胴体のどこかには当たる。
 俺は弓がしなる限界まで引き絞った。
 正直言って俺は弓が苦手なんだよな。
 弓術も一応最後まで鍛錬はしているものの、強い弓を引くには結局筋力がいるのだ。
 俺が使っている弓はこの時代では子供が使うような弱弓。
 この時代の名プレイヤーとはとても張り合えない。
 まあこの距離なら問題は無いだろう。
 俺は弦を引き絞る手をそっと放し、矢を放つ。
 虎に向かう矢が2本。
 2本!?



 
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