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兎屋亀吉

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79.独立騒動と例の箱

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 次の日、俺は殿の屋敷を訪れていた。
 いつもは適当に縁側でお茶でも出されるところだが、今日は少し様子が違っている。
 なぜか奥の間に通されて高そうな漆塗りの器に殿が下手くそなお茶を立ててくれた。
 普通に不味いので千代さんに立てて欲しかったな。

「善次郎、お主の言いたいことは分かっておる。いつか、こんな日が来るのではないかと思っておった」

「あれ、俺言いましたっけ?」

 今日は以前から考えていた箱屋山内の話をしようと思って良い宝箱の空箱をえっちらおっちら担いで来たのだけれど、俺はまだ箱屋の話を雪さん以外にしていない。
 雪さんは殿の屋敷に家事の手伝いに行ったりして千代さんや他の家臣の奥方たちとも交流がある。
 そちら経由で殿にも伝わっていたのだろうか。

「ああ、分かっておるさ。独立するつもりなのだろう?」

「はい?」

 いったいどういう勘違いをしたらそうなるのか。
 確かに今回の甲斐遠征で俺がメチャクチャ金を持っていることはいくら鈍チンの殿でも気がついたかもしれないが、なぜそれで独立することになってしまうのか。

「みなまで言わずともワシとお主の仲だ。少し前から気がついておったに決まっておろうが。何か事情があるのだろうと皆に善次郎の素性のことは口に出さないように厳命してあったが、薄々皆感じておったことじゃ。お主の生家、相当でかい武家なのだろう?いつまでもワシの下についておるような器ではないと前々から思っておったのだ」

「いや、何を言っているのか分かりかねますが……」

 本当に何を言っているのか分からない。
 なぜかみんな殿が戦の帰りにいきなり連れて来た怪しげな俺の素性に突っ込んでこないと思ったら、殿が聞かないように命令していたとは。
 俺も出会ったばかりの頃は素直にすべて話すほど殿を信用していなかったから、中途半端な設定を作って話したのがいけなかったのかな。
 妄想が妄想を呼び、殿は相当深読みしてしまったようだ。
 
「ちょっと前から決意しておったのだろう?どこぞに出かけておることが多かったからの。今回のことで大殿は善次郎の生家のことを知り、独立して大殿か若様の直参となることを許したのではないのか?」

 島の開拓やダンジョンの中の田畑の世話が忙しくて、結構な頻度で家を空けていたのも勘違いの原因になってしまったようだ。
 ありもしない実家の支援でも取り付けに行っているとでも思われたのだろう。
 そして甲斐遠征と信長からの居残り命令だ。
 確かに深読みもしたくなるというもの。
 だが信長からも許してもらえたし、俺は居心地のいい山内家を辞める気はない。
 信長と話したことはすべて明かすことはまだできないけれど、誤解は解いておかなければ。
 いずれ殿たちにも俺のことを明かしたいけど、なんか今更未来人でしたっていうのも恥ずかしいからね。

「大殿の話は結構どうでもいい話でしたよ。飴玉をこれからも献上せよとかそんな感じでした。あと俺の実家は正真正銘武家では無いです。誰かに仕えていた家とかそういう事実も無いです。本当に普通の家でしたよ」

「え……。じゃあ独立も?」

「しませんね」

「なんじゃ。せっかく他所の者になるかもしれぬからと、格式ばって慣れぬ茶なんぞ立てたというのに」

 殿はがっくりと肩を落とす。
 まあこれから出世していけば茶室に呼ばれることも増えるからお茶を立てるのは無駄ではないと思うよ。
 俺は練習台にはなりたくないけどね。

「せっかくお茶まで立ててもらったのになんかすみません。でもこれからもよろしくお願いします」

「なんの、いい練習になったさ。はぁ、善次郎が出て行かぬと知れて肩の荷が降りたわ」

「それで、今日来たのはこれのことで話があったからなんですよ」

 俺は背負ってきた大きな箱の風呂敷包みを解く。
 中から出てきたのは艶やかな朱塗りの箱。
 おそらく銀だと思われる白銀の金属によって補強、装飾が成された煌びやかな箱だ。
 普通の宝箱は木で作られたいかにも普通の箱といった外見だったが、良い宝箱は取得にかかるダンジョンポイントが10倍なだけあってかとても綺麗な外見をしていた。
 良い宝箱でこれなのだから、まだ一度も開けたことのないスペシャル宝箱の空き箱がどんな外見をしているのか楽しみだ。
 
「ほう、綺麗な箱じゃの。これがなんなのだ?まさかワシに売りつけに来たのでもあるまい?」

「まあ半分正解なんですけどね。これ、山内家で売りませんか?俺はこの箱をたくさん用意できるんですよ」

「うーん、商売の話か。ワシではなんともわからんな。しばし待て、千代を呼んでくる」

 以前投資詐欺に遭ってからというもの、金銭関係で殿は千代さんを挟まず何かをするということをしなくなった。
 千代さんを喜ばせようとしたサプライズが逆に一歩間違えば山内家を窮地に立たせる結果になっていたかもしれず、商売の話に軽いトラウマを負ったらしい。
 まあ殿はそのくらいのほうが上手くいくのかもしれない。
 
「お待たせしました。何か商売の話だとか」

 殿が千代さんを連れて戻ってくる。
 遠回りしたけれどこれでやっと今日の本題に入ることができる。

「なんかその箱をワシらに売らんかと言っておってな、どうじゃ千代。この箱売れそうか?」

「綺麗な箱ですね。旦那様のお知り合いのお侍様に売るとして、いくらくらいで買いますかね」

「さあなぁ、ワシの知り合いも大体奥が財布の紐を握っておる者ばかりじゃ。少し大きな家では金勘定を任せる家臣がおるところもあるがな」

 殿はそれなりに知り合いが多い。
 さすがに織田家の重臣とかには深い知り合いはいないが、同じ戦場で肩を並べて戦っていれば隣に陣取った侍と助け合ったり競い合ったりもするものだ。
 町に戻れば酒を酌み交わしたりもするだろう。
 そんな関係で同じくらいの家格の背を比べあうどんぐり仲間のネットワークというものがあるようだ。
 今では殿は出世してしまって頭ひとつ抜けた状態だが、妬み嫉みも殿は持ち前のお人好しな性格でスルー。
 どんぐりネットワークの人たちとは未だ良好な関係のようだ。
 彼らは町に繰り出して酒を買う金はそれほど持っていないが、その奥方は違う。
 少ない禄をやりくりして、刀や甲冑などの高額商品を買うための金を内助の功で貯めている。
 案外自分のための美術品や美容用品を買うだけの余裕のある家もあるかもしれない。
 侍の奥方の持つやりくりマネーというのは、馬鹿にできる額ではないのだ。

「なるほど。では奥方が買うと決めたら買うということなのですね」

「うちとそれほど変わりないと思うがな。千代ならこの箱買うか?」

「2貫くらいで買えるなら買いますね」

「ほう、それはまたなぜだ?綺麗な箱だからか?」

「いえ、ここを見てください。錠が付いているんですよ。頑丈でちょっとやそっとで開けられなさそうな錠です。2貫くらいなら買って損は無いですよ」

 そう、俺が持ってきた箱はただの箱ではない。
 オプションで鍵を追加した箱なのだ。
 ただの美術品の箱なんかそれほど売れるとは思えない。
 だからこそ、別の付加価値が必要だ。
 それが、鍵。
 物騒なこの時代に、大事なものを閉まっておける鍵付きの箱。
 これは売れる(キメ顔)。



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