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兎屋亀吉

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114.北畠家の変

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 俺と殿がいなくなって喜ぶ人は結構多い。
 殿は先日まで全く無名の有象無象の武将だった。
 それがあっという間に織田家次期当主の直臣にまで成り上がったのだ。
 同じ有象無象の武将からの妬み嫉みや、成り上がりをとにかく嫌う織田家古参家臣たちの反発感情は相当なものだろう。
 その家臣である俺もその反発感情の一部を受けている。
 しかし、そのようなことでこんな騒ぎを起こすとは思えない。
 なにせ謀る相手はあの織田信長なのだ。
 陰謀がバレたときのリスクと上手くいったときのリターンが全く釣り合わない。
 それに俺や殿と違って北畠具教が狙われる理由がわからない。
 もしこの謀反騒ぎを仕組んだのが織田家の家臣の誰かであったのならば、北畠具教がいなくなってもそれほど意味はないはずだ。
 すでに北畠家の当主は具房に受け継がれているし、そろそろ織田信長の息子である信雄に譲られるはずである。
 具教がいなくなっても、織田家による北畠家の統治がやりやすくなるだけで織田家の他の家臣には旨味がないのだ。
 だとすれば北畠家に行った織田家の人間か北畠家内部の人間の仕業が考えられるが、そうなると殿と俺を道連れにする意味がわからない。
 俺は表向きには北畠家との関わりが全くない人間だ。
 雪さんのことを知っているのは勘九郎君くらいだろう。
 それを知らずして一緒に狙うとはどういうことだ。
 何か、殿や俺と北畠具教を一緒に狙った理由がある気がする。

「待てよ、織田信長が犯人という可能性も……」

「そんなことをしてなんの意味があるのですか。信長ならもっと上手くやりますよ」

 だよね。
 雪さんの指摘に俺の馬鹿な考えは霧散する。
 信長にとって北畠具教は少し邪魔かもしれないけれど陰謀で排除する必要はないし、殿や俺に至っては勘九郎君の直臣を罷免すればいいだけの話だ。
 それ以降冷遇すれば侍としての出世の道は限られてくる。
 人事権を持っている信長が、部下の侍に対して策謀を使う必要などは全くないのだ。

「まずは情報を整理していきましょう。今回の騒動の論点は2つです。父が本当に謀反を起こしたのか。それが嘘だとすれば誰が嘘の情報を流しているのか」

「なるほど。まずはお父さんが謀反を起こしたのかを確認しなければならないと」

「はい。本当に父が謀反を起こしたのであれば2つ目を論じる必要はありません」

 なぜだろうか。
 北畠具教が本当に謀反を起こしていたとしても、まだ一つ嘘の情報が残っている。
 それは殿と俺が北畠具教に資金を提供したということだ。
 その情報を流した人がいるのではないだろうか。

「なぜだという顔をしていますね。それは、その場合伊右衛門様や善次郎さんが父に資金提供をしたという情報を流したのが父自身だからです。父には謀反を起こしたとて呼応してくれる仲間がいない。なので嘘の情報を流して織田家における伊右衛門様や善次郎さんの立場を悪くし、呼応するしかない状況に追いやるのです」

「それでも、殿や俺は呼応しないかもしれない」

「そこはやはり私の存在ではないでしょうか。善次郎さんは父にとって実の娘を嫁にやった義理の息子です。呼応してくれると思ったのではないでしょうか。その考えはあまり父らしくない気もしますが」

 お市さんを嫁にやったから浅井が裏切らないと思っていた織田信長の逆というわけか。
 なるほど雪さんと俺の婚姻がもし血縁外交であれば、俺は北畠家にとっくに取り込まれている。
 雪さんを送りつけるなんて卑怯だぞ。
 抵抗できないじゃないか。

「そして2つ目の論点ですが、もし父が謀反を起こしたという情報が嘘だと仮定すると、嘘の情報を流した下手人は織田信長の息子である具豊様が怪しいと私は思っています」

 具豊って誰だっけと一瞬思ったけれど、信雄の今の名前だと思い出す。
 織田信長の息子で、北畠家乗っ取りのために北畠家に出された奴だ。
 雪さんが一歩間違えばそいつと結婚することになっていたと思うと、あまりいい感情を持てない人物だ。
 歴史上は暗愚だったのか天才だったのか評価が分かれるが、多数決では暗愚のほうが多いみたいだし。
 天才説を説いているのは書物に優れた人物だったと書かれているからという意見が多い。
 忖度で書かれた可能性が高そうなので俺も暗愚説に一票だ。
 北畠具教も織田のバカ息子に娘をやりたくないとこぼしていたし。
 
「なるほど具豊ならばお父さんを引きずりおろしたいのは理解できる。でもなんで殿と俺も?」

「可能性の話ですが、私が生きていて善次郎さんの妻となったという情報がどこかから漏れたのではないでしょうか。具豊様は北畠家の中で年齢の釣り合う姫がおらずずいぶんと惨めな想いをされたと聞きますし、私が生きているなどという情報を聞けば怒りを覚えてもおかしくはありません」

 そういえば以前、勘九郎君に具豊の嫁探しが難航していると聞いたことがある。
 血が薄くなるが遠縁から迎え入れるか、それとも年齢やその他の問題を我慢するかの選択を迫られていたらしい。
 もし北畠家の血が薄くなることに異議が唱えられて年齢のほうを我慢したとしたら、この時代では少し屈辱かもしれない。
 武家の姫で30過ぎまで結婚できないという人はまずどこか問題のある人だ。
 器量なのか、それとも性格なのかはわからない。
 器量よしと名高い雪さんをお嫁にもらえると聞いて北畠家まで来てみたら、自分よりも20も年上のお姉さまが三つ指ついて待っていた。
 武家の婚姻にチェンジというシステムはない。
 具豊の絶望はどれほどのものだっただろうか。
 そして雪さんが生きていて、自分ではない男の妻として楽しく暮らしていると聞いたときの怒りは。
 なるほど、具豊説はあるね。


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