虎はお好きですか?

兎屋亀吉

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003話 千尋の谷

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 この世界が、以前転生したことがある世界だとわかった。ということは僕が生前使っていた魔法がこの虎の身体でも使えるかもしれないということだ。
 
 この世界の魔法はイマジネーションと魔力操作によって発動する。

 長ったらしい詠唱や、魔法陣などは通常の魔法を使う上では必要ない。

 必要なのは想像力と魔力だけだ。

 想像力は問題ない、問題は魔力だ。
 
 とりあえず魔法の基礎、火球を撃ってみる。
 
 体内の魔力を右前足に集め発火させる。
 
 ボゥッと豆粒大の火の玉が右前足の前に出現したが、それ以上は全然大きくならない。

 しょうがないので豆粒大で撃ってみたがよろよろと2メートルほど飛んで消えた。子虎たちは少しびっくりしていた。
 
 いろいろ試したが、ろくな魔法が使えない。まず魔力が少ない。

 生後10日ほどなのでしょうがないとは思うが、一度宮廷魔法使いまで登りつめた記憶があるだけに魔法がろくに使えないのは少しショックだった。
 
 これからは木登りとか兄弟達が遊んでいる間にも魔法の練習をしよう。

 そう思って魔法の練習をしているのだが、兄弟達はそんなの知らんとばかりにじゃれついてくる。

 じっと目をつぶって瞑想によって魔力操作の練習をする僕を兄弟達は面白がって肉球で顔をふにふにしたり、目の前で尻尾をフリフリしたりして邪魔してくる。たまには遊んであげるか。




 また1週間ほどが経った。乳離れした。体長は1週間前とそんなに変わらないが歯が生えてきた。

 今では母虎が狩った獲物を分けてもらって食べている。生肉だけど不思議とおいしく感じる。
 
 僕の魔法はこの1週間でずいぶん成長した。

 大気中の魔力を取り込み、自分の魔力にするという魔法上級者のテクニックで僕は息をするように魔力を取り込める。

 このテクニックを使って魔力が枯渇しては取り込みを繰り返したおかげで僕の体内の魔力容量は急速に成長中だ。
 
 大気中の魔力を取り込めるのでそこまで魔力容量を鍛える必要はないのだけれど、今の僕では少なすぎて魔法の発動もひと苦労だ。
 
 僕はこの1週間で、魔力消費の少ない省エネな魔法をいくつか使えるようになった。どんな魔法でも一応発動はするのだが、とりあえず形になったというものがいくつかあった。

 その中でも前世の僕が多用していたのは魔法障壁だ。

 魔法障壁は込める魔力によって強度が変わる。今の僕の障壁では木の棒で叩かれただけで割れてしまいそうな障壁だけれど、一応魔法障壁の形にはなった。
 
 この世界に転生した前世の僕には恥ずかしながら二つ名というものがあった。
 
 前世の僕の二つ名は【鉄壁】。

 僕の障壁が破られたことはなかった。

 少なくとも人間には僕の障壁を破れる者はいなかった。
 
 それが今では紙装甲。泣けてくる。まだまだ先は長そうだ。



 そろそろ移動だということで母虎が尻尾で兄弟たちを回収していく。

 みんなきゅーきゅー鳴いてまだ遊びたいとじたばたする。

 そんな光景を僕は母虎の尻尾に巻き取られながら、まだまだ子供だなぁと思いながら眺めた。

 今日は僕1匹で1本の尻尾だ。広い。
 
 切り立った崖の上に着くまでは、僕は母虎がいつものようにお腹が減ったから獲物を狩りに行くのかと思っていた。しかしどうやら違うらしい。

 深い谷底を見つめて母虎が悲しげに鳴いた。

「グルルゥゥ……」

 嫌な予感がする。

 ライオンは自分の子供を谷底へ落として子供に試練を与えるという。

 僕たちは虎だけどここは異世界だ。

 そういう習性があってもおかしくない。
 
 嫌な予感は当たったらしく、次の瞬間、僕達兄弟は空中に投げ出されていた。
 
 母虎に投げ飛ばされたのだと気づいたときには重力に従い僕達は真っ逆さまに谷底に落下を始めていた。
 
 まずいやばいどうしよう!これが大自然の洗礼か。

 人間関係に悩まされることはないが、野生動物には野生動物なりの苦労があったのだ。

 現状を打破しようと僕の頭は高速回転を始めるが、こんなときに限って余計なことばかり考えてしまう。

 落下の恐怖と混乱でろくな打開策が浮かばない。

 風魔法で飛ぼうと頑張ったり土魔法で崖から足場を伸ばそうとしたりいろいろ試してみたが今の僕の魔力ではまともに魔法は使えない。
 
 そうこうしているうちに地面が近づいてきた。せめて谷の底に川でも流れていればよかったのに谷の底は固そうな地面だ。

 あばばば!死んじゃう!!どうしようどうすれば何で僕には翼が生えてないんだ。

 地面が迫ってきて死の恐怖に身体が強張る。

 何度経験しても慣れないものだと半ば諦めかけた僕の視界に、天高くそびえたつ世界樹が見えた気がした。

 諦めかけた僕の胸の中にほんの少しだけ生への執着心が灯る。
 
 僕はありったけの魔力を込めた風の砲弾を地面に向かって撃ちまくった。

 1発1発は微々たる威力でも10発20発と連発すると少しだけ落下スピードが落ちた気がした。
 
 そして落下の瞬間、魔法障壁を5重に張った。

 魔法障壁が割れて地面に叩きつけられる瞬間、身体を丸めて地面を転がった。
 
 痛みで一瞬息ができなくなったが、どうやら生きているらしい。

 体中ぺたぺた触ってどこもちぎれてないか確認したが、どうやら五体満足のまま生き残れたらしい。
 
 あちこち痛い所に治癒魔法をかけていく。

 軽い擦り傷切り傷くらいしか治らないまだまだ弱い魔法だが、少し痛みが引いたのでようやく人心地つけた。
 
 心に余裕のできた僕は、辺りを見回してみると、どうやったのか兄弟たちはみんな僕より軽傷だった。
 
 こんなに小さくてもやはり魔獣ということか。

 身体能力だけでこの自由落下をしのぎきったのだとしたら末恐ろしい兄弟たちだ。
 
 ライオンは谷から登ってきた生命力の強い子供を育てるらしいが、崖の上を見たら母虎はもういなくなっていた。

 ということはこれは巣立ちの儀式みたいなものなのだろう。

 親離れには少し早い気がするが、魔獣たるもの歯が生えそろったら独り立ちしろということか。

 僕達を落とす前、悲しげな声で鳴いていた母虎が頭をよぎった。

 短い間だったけど今まで育ててくれてありがとうマイマザー。
 
 兄弟たちともこれでお別れということだ。

 僕達は別れを惜しむように鼻先を擦りつけあった。

 僕は別れの挨拶代わりに治癒魔法で兄弟たちの傷を癒す。
 
 いつまでもこうしてはいられないと、後ろ髪を引かれながらも僕達は谷底から森へ、別々の道を一歩一歩歩いていった。

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