虎はお好きですか?

兎屋亀吉

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014話 辺境伯家のお家騒動

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 何事もなく、乗り合い馬車でバルトフェルトに着いた僕とフィリーネは、すぐにバルマー辺境伯の屋敷に向かった。

 バルマー辺境伯の息子が、結構な大怪我で今にも死にそうらしく、フィリーネの見立てでは今日いっぱいぐらいは大丈夫だと思うのだけれど、確実ではないのでなるべく急ぎたいらしい。

 これまでの道程でも、もう少し急いだほうがよかったのではないだろうか。

「たぶん大丈夫ですよ。私の上級ポーションをちゃんと投与していればまだ死んでないと思います」

 そこまで自信満々に言うならおそらく本当にまだ死んでないのだろう。僕はおとなしくついていく。

 街の中心辺りにある大きな屋敷に着くと、フィリーネの顔を見た門番は、すごい勢いで走って屋敷の方へ入っていった。

 そして、30代前半くらいのあごひげのおっさんと、同じく30代前半くらいのイケメンがドタバタと急いで屋敷の中から出てきた。

 あごひげの方が口を開く。

「フィリーネ殿、無事でなによりだ。この度はこちらの不手際で申し訳ないことをした」

「いいえ、少し危ないところでしたが、この魔物に助けてもらいましたから。私はそこまで気にしていません」

「え?魔物に助けてもらった?…おっと、その話はまた後で。それで、最上級ポーションの方は…」

「はい、ここに」

 そう言ってフィリーネは赤紫色の液体の入ったガラス容器を魔法の袋から出す。

「おお、これが…。ベルトルト、ギルドに出す確認書類を。早速アドルフに投与する」

「いえ、書類へのサインはアドルフ様が完治したのを確認してからいただきます。私にも私なりの美学がありますので」

「わかった。そちらがそれでいいならかまわない。ではこちらへ」

 僕たちはそのアドルフという息子のいる部屋へと通される。

 僕はアドルフの傷を見て眉をひそめる。うわーぐちゃぐちゃだよ。

「ではこれを」

「ありがたく」

 バルマー辺境伯は、フィリーネに手渡された最上級ポーションを専属の医師のような人に渡した。医師はガラス瓶から管が伸びた点滴のようなものに、最上級ポーションを入れてアドルフに投与する。

 医療技術はある程度の水準に達しているようだ。僕の生きていた時代から1000年も経っているのだ。点滴くらいできるよな。

 最上級ポーションを投与されたアドルフを、バルマー辺境伯は固唾を飲んで見守っている。

 ぽたり、ぽたりと点滴の落ちる音だけが空間を支配する。

 やがて、点滴の中身が残り少なくなってきた頃、変化は起きた。アドルフの身体から、湯気のようなものが出始めたのだ。

 それは、湯気のように見えても湯気のように上にはのぼっていかず、ふわふわとアドルフの身体を包んでいる。

 まず最初に、ぐちゃぐちゃに潰れた手足がもげた。

 血が通っておらず、完全に壊死して、すでに腐っている部分が根元から千切れ落ちたのだ。

「お、おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫です。再生が始まりますよ」

 バルマー辺境伯は、アドルフの手足が完全に千切れ落ちたことに動揺しているが、フィリーネに大丈夫だと言われたのでしぶしぶ口を閉じる。

 フィリーネが言ったとおりに再生が始まった。メキメキという音を立てながら骨と肉、神経や皮膚が再生していく。

 正直グロくて見ていたくない。僕はアドルフのベッドから少し離れて一息つく。獲物の解体とはわけがちがうね。

 ふと人間たちの方を見上げたとき、使用人の配置が気になった。こんな感じだったっけ?

 なんか心なしか包囲されているような圧迫感を感じる。いや病人を囲んでいるのは当然なのかな。当然なんだよね?いやでも、そもそもこんなにたくさんの使用人、この部屋に居たっけ?

 僕の感じた圧迫感は正解だったみたいで、使用人が一斉に刃物を出した。

 ひげもイケメンも医師も超再生中のアドルフに夢中で気づいてない。フィリーネだけが後ろを振り返って危険を察知したようだった。

 僕は念話でフィリーネに呼びかける。

『フィリーネ、打ち漏らしを頼む』

「わかりました!」

 僕は死んでしまわないように加減した雷撃を使用人に放つ。しかし、弱くしすぎたみたいで、4人ほど気絶せずに向かってきた。

 僕は一人にもう少しだけ強くした雷撃を放ちながらジャンプして尻尾で二人なぎ倒す。一人打ち漏らしたけれど、フィリーネが何か投げつけたら急に苦しみだして泡を吹いて倒れた。なにそれ怖い。

「全部片付きましたね」

「すまない、助かった。まさか本当に魔物に助けられるとはな。貴殿もこうして森で助けられたというわけか。美しい毛並みが神の使いに見えてくるな」

「ふふふ、とても綺麗な毛並みですよね」

 なんかバルマー辺境伯の目がぎらぎらして怖いんだけど。この人危ない宗教とかやってないよね?

「それよりこの人たちはなんで襲ってきたんでしょうか」

「こいつらの狙いはおそらく俺だ。巻き込んですまないな」

 バルマー辺境伯によれば、アドルフが遭った事故は何者かに故意に引き起こされたもので、おそらくアドルフの兄弟、つまりバルマー辺境伯の息子のうちの誰かが犯人らしい。

 バルマー辺境伯は、4人いる自分の子供の中でアドルフばかりを可愛がりすぎて、他の兄弟たちには不満が溜まっていたらしい。

 自分では平等に愛情を注いできたつもりらしいが、長男であり跡継ぎでもあるアドルフを無意識のうちに贔屓してしまっていたらしい。

 そこに、アドルフを跡継ぎにするのに反対している家臣が集まって、家族に対する不満程度の感情を煽りに煽って憎しみまで昇華させ、担ぎ上げたらしい。

 今まさに、バルマー辺境伯家はお家騒動の真っ最中なのだ。

『わお、どろどろのお家騒動に巻き込まれちゃったね。さっさとお暇しようか』

 僕の念話はフィリーネにしか聞こえていないので言いたい放題だ。フィリーネも無言で軽く頷く。

「バルマー辺境伯、お忙しいようでしたら私たちはお暇させていただきますが」

「見送りもできなくてすまない。この度は本当になんと礼を言っていいかわからないほど助けられた。些細だが追加報酬を出させていただくのでギルドで受け取ってくれ」

「ありがとうございます。では失礼します」

 バルマー辺境伯と側近のイケメンは、倒れている使用人の尋問や関わった者の処分などの事後処理に忙しそうなので、僕たちは書類にサインだけもらって、イケメンの部下だというなんだか冴えない若者に案内されて屋敷を出たのだった。





 

 俺は、フィリーネ殿とあの魔物が屋敷から出て行くのを窓から見届けてから、肩の力を抜いて深い息を吐いた。

「ふう、行ったか」

「なんなんだろうな、あの魔物は」

 ベルトルトも、めずらしく額に冷や汗を浮かべて言葉遣いを崩している。

 ここは辺境だ。俺もベルトルトも、時には兵を率いてあの森の強力な魔物を狩らなくてはならない。

 そのため、ある程度の武力がいる。冒険者でいえば、Bランクくらいの強さはあると思っている。

 だから分かった。

 あの魔物の異常な強さが。

 フィリーネ殿はAランク冒険者だ。強いのはわかる。だがあの魔物はそんな程度の強さではなかった。

 最初見たときはその辺を歩いている野良猫くらいの存在感しか感じなかった。

 しかし、いざ戦闘に入ったときのあの威圧感はなんだ?

 俺はおもむろに倒れている使用人に近づいて息をしているか確かめた。

「息はあるか。こいつ雷撃を2回食らったみたいだが生きてるな」

 この一人は1回目の雷撃で倒れず、2回目の雷撃で倒れたのだ。

 1発目と2発目の威力が違っていた。おそらく本気で雷撃を放ったらこんなものではないのだろう。1回目は手加減しすぎて全員の意識を奪えなかったといったところか。

 気絶した使用人を見下ろして考え込んでいる俺に向かってベルトルトが話しかけてくる。

「見てみろダリエル、あの魔物になぎ倒されたこの二人、骨があちこち折れてる。あの小さな身体でどれだけの膂力をしているんだ?」

 ベルトルトが倒れている使用人の腕を持ち上げるが、その腕はあらぬ方向に曲がっている。あのふわふわでやわらかそうな尻尾で殴られてそうなったのだとしたら、いったいどれだけの力であの尻尾は振るわれたというのか。

 実際、あのとき尻尾の先は速すぎて目で捉えることはできなかった。

 あの小さな身体に強大な力を秘めた、人を助ける魔物。なんだか本当に神が遣わした存在な気がしてきた。

「もうひとつ気になるんだが、フィリーネ殿は時々あの魔物と話しているように見えなかったか?」

「話す?魔物とか?ペットに話しかけるような感覚じゃないのか?」

 俺は気づかなかったが、ベルトルトはフィリーネ殿があの魔物と意思疎通ができていたように見えたという。しかしそんなことがあるのか?魔物と話せるなど。

「いや、あれは明らかに魔物のほうが何か意思を発して、それにフィリーネ殿が答えているような感じだった。エルフの秘術か、あの魔物の能力か、方法は分からんがあの魔物は相当高度な知能を持っているのは確かだ」

 なんだそれは。強大な力を持ち、人と話せる。まさしくおとぎ話に出てくるドラゴンのような存在ではないか。

「なんだか俺はあれが神の使い、いや神そのものに見えてきたぜ。間接的にだが、息子を助けてもらって、しまいには自分の命も助けてもらっちまった。信仰しようかな」

 エグラントの森で、フィリーネ殿が死ぬか、捕まるかしていたら今頃はアドルフは死んでいただろう。

「俺も信仰するかな」

 今回の暗殺の標的には俺の側近中の側近であるベルトルトも当然含まれているだろう。俺と一緒にアドルフの再生に夢中になっていたベルトルトは、フィリーネ殿とあの魔物がいなかったら俺共々死んでいただろう。

 一歩間違えば死んでいたというその事実が、ベルトルトにはかなり堪えたらしい。らしくもないことを言いだした。

 冗談のつもりで言ったのだけれど、ベルトルトは結構本気みたいだ。今更冗談だとも言いだしにくい。

 こうしてラビの知らぬところで、本気信者1名とファッション信者1名が誕生したのだった。




 
『おっと寒気が。風邪かな?風邪?魔物って風邪引くのかな』

「大丈夫ですか?薬いりますか?」

『一応飲んでおこうかな』

 僕はフィリーネに抱き上げられてガラス瓶に入った深緑色の液体を飲ませてもらう。苦い。良薬口に苦しだね。

 フィリーネは僕を抱っこしたまま、ギルドへの道を歩いていく。今回の仕事で、すごい額の報酬がもらえるそうだ。人間の国ではお金がないと生活していくのが難しいからね。

 ギルドは冒険者たちが情報交換する酒場も兼ねている。今は昼過ぎなのだけれど、僕とフィリーネがギルドに入ると、昼間から酒を飲んでいるろくでなし共が結構な数いた。

 フィリーネはこの辺りでは有名人らしく、混雑していたギルド内にフィリーネが歩くための道が開く。

 強い冒険者の多いこの辺境伯領の中でも、Aランク冒険者は数えるほどしかいない。Sランク冒険者などは、ドラゴンでも倒さないとなれるものではないので、普通の冒険者が目指すのはAランク冒険者だ。

 フィリーネはそんなAランク冒険者だ。

 人間の国にエルフがいれば、自然と目立つ。この街周辺を拠点とする冒険者は皆、フィリーネがAランク冒険者だということを知っているのだ。

 そしてAランク冒険者だと知っているのに、エルフだからといってうかつに捕まえようとしたり、難癖つけて絡んでくる馬鹿は少ない。

 しかし、少ないというだけで、いないわけではない。

 ごついスキンヘッドの強面男が、フィリーネに話しかけてくる。

「お前がフィリーネか。へぇ、噂どおりの巨乳美人だな。へへへ、一晩相手してくれよ」

 こいつは重症だ。頭にゴキブリが湧いてそうだ。

 フィリーネは無視してカウンターに向かうが、男はしつこくフィリーネに絡んでくる。

「なあ、いいだろ?お前も女ひとりで溜まってんだろ?一晩でいいんだよ」

 お前は娼館にでも行け。ナンパするにも言い方ってものがあるだろ。こいつナンパ成功した事ないな。顔が悪いんだから言葉を尽くせよ。

 フィリーネが無視するので焦った男は、フィリーネの肩を掴んで引きとめようとするが、こいつの汚い手でフィリーネに触れて欲しくない僕は尻尾で男の手を弾く。

「いてっ、何しやがる!なんだこのちんちくりんは、魔物か?」

 男はそう言って僕の尻尾を掴んで、片手で僕をぶら下げる。

 逆さまになって宙ぶらりんになっている僕は男を思い切り睨みつける。お前は文字通り虎の尾を踏んだよ。いや踏まれてはないけどね。

 僕はくるんと回って男の腕にしがみついた。

「なんだ?こいつ結構可愛いじゃねえか」

 今更おだてたって遅いんだからな。

 僕は身体全体と尻尾を器用に使って、男に腕ひしぎ十字固めを極める。僕の怖さを身体に刻み込んでやるよ。

「ぎゃぁぁぁ!痛てぇぇ、い、いっ痛ってぇぇぇ、あ、あぁぁぁあ、あっ……………」

 男はあまりの痛みに地面に倒れて散々喚き散らした後、痛みに耐え切れずに気絶した。

「ラビさん、あまりオイタしたらダメですよ」

『分かってるよ。だから怪我もさせてない』

 さっさと行こうとばかりに気絶した男を放置して、僕とフィリーネはカウンターに向かった。

「従魔の登録と依頼完了の報告に来ました」

 ランツの町の門で従魔登録はしたのだが、それは町に入れるようになる首輪がもらえるだけであって、僕が誰の従魔であるかはわからない。

 身分証明証であるギルドカードに記載されることで初めて、僕がフィリーネの従魔であるということを証明することができるのだ。

「あ、はい、少々お待ちください」

 きっとこれからまた門でされたようにもみくちゃにされるのだろう。門の衛兵はむさい男だったが、幸いにもこのギルド職員は女性だ。べたべた触られるのも悪くない。むしろ良い。

 そう思って待っていたのだが、ギルド職員はおどおどしていて全然触ってこない。

「あ、あの、触っても大丈夫なんでしょうか。その、さっきの冒険者の方みたいに……」

 どうやら僕がさっきごつい大男を失神させたので、怖がらせてしまったようだ。

「心配ないですよ、この子はとても賢いので。さっきもただ私を守ってくれただけです。あの冒険者の方も気絶しているだけで無傷ですよ」

「そうなんですか。わかりました。では遠慮なく」

 そう言ってギルド職員のお姉さんは僕を撫で回す。やっぱり撫でられるならむさい男じゃなくて女の子がいいね。

 これで晴れて僕も正式にフィリーネの従魔になれた。

 その後は報酬を受けとって、僕たちはギルドを後にした。報酬の額が額なので、受け取ったのは別室で、僕たちは裏口から出た。

 そして僕たちが今日泊まる予定の宿に向かっている途中、そいつは突然現れた。

 ド派手な格好をしていやらしい笑みを浮かべる12、3歳くらいの子供が、とりまきを大勢引き連れて僕たちの前に立ちふさがって厚顔不遜に言い放つ。

「おいそこのエルフ、僕が買ってやる。僕の奴隷になれ」

 
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