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015話 情報を漏らしたギルド職員
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「おいそこのエルフ、僕が買ってやる。僕の奴隷になれ」
なんなんだろうか、このバカは。
奴隷?そういえばそんなものが人間の国にはあるんだったな。ほんとうにこういう腐った匂いのする人間は………殺したくなるな。
「おい、聞いているのか!お前だろう、父に雇われて兄を治した薬師というのは。さすがエルフだけあって綺麗な顔をしているな。それに胸もでかい。お前に僕の奴隷になる権利をやろう」
フィリーネの全身を舐めるように見ているこのバカはアドルフの弟らしい。これは教育失敗しちゃってるな。あのあごひげ、自分では平等に愛情を注いだつもりとか言ってたけどな。
あごひげの話では黒幕は家臣の誰かで息子は扇動されてるだけらしいけど、それにしてもこれはないな。
うっとおしいから少し脅しておくか。あのあごひげやらイケメンやらは人間なのにエルフのフィリーネに対しても敬意をもって接してくれた。ここでお家騒動解決を少し手伝っておくのも悪くない。
『フィリーネ、このバカを路地裏に誘導するように歩いて』
フィリーネは僕にだけ分かるように軽く頷いてから、路地裏に向かって歩き始めた。
「あっ、おい待て!エルフごときが僕のことを無視して許されると思ってるのか!?」
どうやって育てばあのあごひげの子供がこんなにクズになれるんだ?
フィリーネはあのバカぼっちゃんを無視したまま、人気のない路地裏へと歩いていく。
ついには黙っていられなくなったのか、とりまき達までもが、フィリーネに罵詈雑言を浴びせ始める。
「こら貴様!薄汚いエルフの分際で坊ちゃんを無視するとは無礼だぞ!!」
「そうだ!!エルフなどという人間の愛玩動物でしかない分際で!!」
僕はついに耐え切れなくなって、変化を解いて念話でクズ共に話しかける。
『少し黙れ。今にも貴様らを殺してしまいそうだ』
僕は牙をむき出しにして、威嚇しながらなるべく抑揚を抑えて話す。
突然巨大化した僕を見てバカ共は、恐怖で足をがくがく震わせてぎゃあぎゃあと騒ぎながら逃げようとするが、今更逃げるなんて僕が許さない。
逃げようとした者たちの進む先には帯電した僕の長い尻尾が回りこむ。バチバチと雷の迸る僕の尻尾に触れればどうなるのかぐらいは、頭の悪いこいつらにもわかるだろう。
「ぇえ、あ、う、な、なんだ、き、貴様は!」
『黙れと言ったのが聞こえなかったのか?』
僕の言葉に、その場にいる誰も声を発することすらできなくなる。
バカ息子とそのとりまきは顔面蒼白で、股間から液体を垂れ流している者もいる。鋭い僕の嗅覚にはその微かなアンモニア臭も不快だ。
『貴様らさっきっから僕の主に何と言った?僕の主が薄汚いとか人間の愛玩動物だとか言ってなかったか?あげくそこのバカは奴隷にしてやるとかなんとか』
バカとその他は首をぶんぶん横に振って否定する。なんだか飽きてきた。僕は適当に前足を振り上げてバカ息子の隣の地面に爪を突き立てる。ドシンと地面が揺れて路地沿いの廃墟の壁が崩れて落ちる。
バカ共はひっと息を呑んで、ガタガタと震えて挙句の果てに許しを請い始めた。
『これくらいでびびるくらいなら最初からAランク冒険者になんか手を出すんじゃねぇよ。言っとくが僕達は、お前達とバルマー辺境伯の両方から助力を依頼されたとしたら迷いなくバルマー辺境伯に付く。せいぜいこの爪に引き裂かれないように慎重に行動するんだな』
これだけ脅しておけばあごひげやイケメンはやりやすいだろう。親切はここまでだ。後はあごひげたちがなんとかするだろう。
バカはしばらく僕の爪を見つめて震えていた。僕はさっさと変化してフィリーネに抱き上げられてその場を去った。
早々に宿を決めた僕達は今、お風呂に入っている。
すごい額の報酬をもらったフィリーネは、少しグレードの高めの宿を選んだので、この宿には部屋ごとにお風呂が付いているのだ。
豪商や高ランク冒険者御用達の宿だけあって、部屋に付いているお風呂も結構広い。大の男が3、4人入っても余裕がありそうな広さだ。
そのお風呂に、フィリーネはいつものように獣人形態の僕を抱きかかえるようにして入っている。
お湯に毛が入るから本当は人間に変化したほうがいいのかもしれないけれど、人間の姿に変化するとすごく弱くなる。
本当は獣の姿でいたいくらいだけれど、フィリーネとお風呂に入ったり同じテーブルでご飯を食べたりするためにしかたなく獣人の姿に変化しているのだ。
僕が人間に変化しない理由はそれだけだ。もう人間は怖くない。
人間の国に来て、人間たちの中で過ごしてみて、森に引きこもっていたときのような人間への恐怖は段々薄れていき、今ではもう人間へのトラウマはない。
結局最初の一歩を踏み出す勇気が出なかっただけなのかもしれない。
人間という生き物が、僕の想像の中でどんどん強く凶悪になっていっただけで、実際に遭ってみたら大したことなかったというだけのことなのだろう。
あれ?でも昔の人間はもっと強かったような気がするんだけどな。僕の記憶が美化されているだけだろうか。
僕が何も言わずにお湯に浸かりながら考え事をしているのが気になったのか、フィリーネが僕を少し強めに抱き寄せる。
後頭部にあたる柔らかな感触にすべての思考が持っていかれた。
「ラビさんの家の温泉には劣りますけど、このお風呂も結構気持ちいいですね」
「そ、そうだね。とってもキモチイイよ。人間もなかなかのお風呂を作るね」
「お風呂の文化や技術は人間が異世界から召喚した勇者がもたらしたそうですよ。案外ラビさんの知ってる世界から召喚されたのかもしれませんね」
「へー、勇者か。そんなのいるんだね今のこの世界は」
フィリーネの話によれば、人間の国は500年ほど前に異世界召喚という儀式魔法を開発したらしく、それ以来、特に魔王がいるわけでもないのに10年に1度、異世界から勇者を召喚しているらしい。勇者だらけだな。
しかも召喚はできても送還はできないというのだから、なんとも迷惑な話だ。
勇者は総じて魔力が高く、その魔力で独特な魔法を使ったり、肉体を強化して戦ったりと、この世界の人間とは比べ物にならないほど強いそうだ。
勇者が与える軍事的な影響や、もたらされる知識による経済的な影響は大きく、人間の国は勇者や勇者を召還する権利を巡って、泥沼の権力闘争や、時には武力闘争を頻発させているらしい。
なるほど、人間の国の文明水準が思っていたよりも高いのは勇者の知識の恩恵というわけか。
しかし、世界を救ったりしそうなイメージの勇者が原因で争ってるなんて本末転倒な気がするけどな。
まあ勇者のおかげでこんなに生活が豊かになるのなら取り合っちゃっても仕方がないのかな。
「それで、これからどうするの?」
「ラビさんは世界樹に行きたいんですよね?」
「うん。でも急ぎじゃないよ。どうせフィリーネに出会わなかったらまだ森に引きこもっていたと思うし」
「そうですねー、では世界樹方面に向かうということでこの国を出た後はランドルフ神聖国に行きましょうか」
ランドルフ神聖国。やばそうな国名だな。宗教国家か?
「ランドルフ神聖国は最近勇者を召還したそうですよ」
勇者か。宗教と勇者。危ない匂いしかしないな。
「勇者って10年に1度しか召還できないんでしょ?今がちょうどそのタイミングなの?」
「いえ、3年前がそのタイミングで、そのときは別の国が勇者を召還したそうです。ランドルフ神聖国は周辺諸国との条約を破って勝手に勇者を召還して、周辺諸国とはピリピリした雰囲気になっているようですね」
「大丈夫なの?その国」
「近づいてみてダメそうだったら違う道にしましょう」
「上空を飛び越えてもいいしね」
「ふふふ、旅は苦労するから楽しいんですよ?」
僕はすぐに楽をしようとするのが癖になってしまっているようだ。確かに僕が空を駆けて行けば世界樹までなんてすぐ着いてしまうだろう。
千里眼の範囲内なら僕は転移できるので、それを応用して転移を繰り返していけばさらに早く着けるだろう。
僕の力なら楽をしようと思ったらいくらでもできてしまうのだ。
だが、それでは旅の風情もなにもあったものではない。
急ぐ旅ではないのだ、遠回りも悪くない。
「ごめんね。僕は怠け者だからフィリーネに引っぱってもらわないとすぐに楽をしようとしちゃうみたいだ」
「私も別に働き者ではないですよ。エルフは長命なので皆基本的にのんびり屋なんですよ。ゆっくりいろんなものを見ながら旅をしましょう」
そう言ってフィリーネは僕をぎゅっと抱きしめた。
僕は黙ってしばらく後頭部の感覚を楽しんだ。
ちょっとのぼせた。
ガタゴトと馬車が揺れている。
僕達は今、フィリーネがお世話になったエルザというギルド職員にリーンハルト王国を出る前の挨拶に向かうために隣町であるルゼールに向かっている。
バルトフェルトを出てから、フィリーネはずっと浮かない顔をしている。
他にお客もいないので僕は膝の上からフィリーネに声をかけてみる。
『元気がないようだけど、どうしたの?』
「心配させてしまいましたか。実は今回の件、私の情報を漏らしたのはギルド職員らしいんですよ」
フィリーネの話によれば、フィリーネが最上級ポーションを調合できるという情報を冒険者達に売ったのは、ギルド職員だということをバルマー辺境伯から聞いたそうだ。
エルザというギルド職員以外にもフィリーネのことを知っていたギルド職員はいたそうなのだが、情報を漏らしたギルド職員の名前を聞く勇気が出せなかったらしい。
「私はエルザさんはそんなことをするはずがないと信じているのですが、どうしてももしかしたらと思ってしまって。少し自己嫌悪してしまいますね」
フィリーネはどこか諦めたような苦笑を浮かべる。
エルフの中では若年のフィリーネも、人間でいえば中年にさしかかるぐらいの年月を生きている。
思い悩んで自分の感情に振り回されるほど子供ではないが、それでも苦い感情を飲み込みきれないといった心境なのだろう。
僕は何も言わずフィリーネの手に前足を乗せて、尻尾でぽんぽんと頭を撫でた。
フィリーネも僕の頭を撫でてにっこりと笑った。
ギルドの入り口をくぐると、バルトフェルトのギルドでもそうだったように人ごみが割れてフィリーネの前に道ができる。
僕を抱きかかえたフィリーネは受付の前に向かってエルザさんを探すが、どうやらいないみたいだ。
フィリーネの顔が不安に曇っていく。
「あの、エルザさんはいらっしゃいますでしょうか?」
「はい、少々お待ちください」
受付のお姉さんは何かを確認しに行ったのか奥に引っ込んでいき、少ししたら出てきて、僕達も奥へと通された。
僕達が通されたのは会議室みたいな部屋だ。そこに30代くらいのカイゼル髭を生やしたダンディなおっさんと20代半ばくらいの真面目そうな女の人が申し訳なさそうな顔をして立っていた。
その女の人を見たフィリーネは安心したような顔をした。たぶんあの人がエルザさんなのだろう。
そして処分されていないということは情報を漏らしたのは違う人だったらしい。
「初めまして。私がルゼールの冒険者ギルド、ギルドマスターのマルクです。この度うちのギルド職員がしでかしたことに関しまして、言い訳のしようもありません。冒険者を守る立場のギルド職員が冒険者を危険にさらすなどというのは冒険者ギルドの存在意義に反する行為。情報を漏らした副ギルドマスターに関しましては厳重に処分いたしました。また、今回はバルマー辺境伯も無関係ではありませんので、懲戒免職の後にバルマー辺境伯に引き渡しました。そちらでも刑罰を受けるはずです。補償に関しましても、ご納得いただけるかは分かりませんが、金銭、素材、魔道具など、できる限り力を尽くす所存にございます。改めましてこの度の不祥事、深く謝罪いたします」
そう言ってカイゼル髭は深々と頭を下げた。
ていうかフィリーネの情報漏らしたの副ギルドマスターだったんだ。
フィリーネは根に持っているわけでもないので、あっさりと謝罪を受け入れて補償の話をしている。いくつかの素材と金銭で受け取るようだ。まあ魔道具は僕がいくらでも作れるからね。
補償の話がまとまった後はエルザさんがフィリーネと話し始めた。
「フィリーネさん、依頼を説明するとき私は、情報を漏らすようなギルド職員はいないと言いましたが、その言葉を覆すようなことになってしまって本当に申し訳なく思います。すみませんでした」
フィリーネは軽く微笑んでエルザさんに答える。
「エルザさんが謝ることではありませんよ」
「でも、私は……」
エルザさんはこぶしを握り締めて泣きそうな顔になる。
なるほど。エルザさんは本当に冒険者の情報を売るギルド職員なんていないと思っていたんだな。
フィリーネが抱きしめて背中をぽんぽんと軽く叩くと、エルザさんは泣き出してしまった。
「大丈夫ですよ、エルザさん。大丈夫です。私は怪我ひとつ負っていませんよ」
実際には麻痺毒を受けて殺されかけていたので嘘なのだが、フィリーネがそう言ったら少し肩の力が抜けたのかエルザさんは声を上げて泣いた。
しばらくして落ち着いてきたエルザさんが顔を上げた。少し恥ずかしそうに顔を赤めている。目が腫れてしまっているので僕は尻尾で軽く触れて治癒魔法をかけてあげた。
エルザさんは少しびっくりしたようで目を見開いた。
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまって。それで、その、こちらの魔物はいったい……」
「私も気になっておりました。その魔物はエンペラータイガーではありませんか?」
注目を浴びてしまった。少し照れる。
カイゼル髭は僕の種族を知っているようだ。あごひげは知らなかったけどな。冒険者ギルドのギルドマスターだし魔物には詳しいということか。
「エグラントの森で出会ったラビさんです。今回の件も私には悪いことばかりではなかったんですよ」
それからフィリーネは、森で僕に助けられたことや、ちゃんと言葉が分かっていることなど僕に関することを少しぼかしながら話した。
さすがに森の中に超快適な家があるとか僕の前世とかは荒唐無稽なので話さなかった。
要するに僕はとても強くて頭のいい魔物なので従魔として一緒に旅をするというような感じだ。
カイゼル髭はいぶかしげな顔をして口を開く。
「不思議な出会いもあるものですな。もっとも冒険者の噂のなかには、魔物に関する不思議な話もたくさんありますから、ありえない話ではないと思いますが…」
「寂しい旅に仲間ができたので今回の依頼は私にとってはとても有意義でした」
「そう言っていただけると少しだけ肩の荷が下ります」
カイゼル髭のギルドマスター、マルクはそう言うと苦笑を浮かべて肩をすくめた。
それから出国の挨拶をして僕達はギルドを後にした。
別れ際、エルザさんとカイゼル髭はとても忙しそうにしていた。副ギルドマスターがいなくなったのでエルザさんが次の副ギルドマスターになるらしい。一気に出世しちゃったね。大変そうだ。
さあ、これでやっと出国だ。
これから始まる本格的な旅に、少しだけ胸が高鳴る。
なんなんだろうか、このバカは。
奴隷?そういえばそんなものが人間の国にはあるんだったな。ほんとうにこういう腐った匂いのする人間は………殺したくなるな。
「おい、聞いているのか!お前だろう、父に雇われて兄を治した薬師というのは。さすがエルフだけあって綺麗な顔をしているな。それに胸もでかい。お前に僕の奴隷になる権利をやろう」
フィリーネの全身を舐めるように見ているこのバカはアドルフの弟らしい。これは教育失敗しちゃってるな。あのあごひげ、自分では平等に愛情を注いだつもりとか言ってたけどな。
あごひげの話では黒幕は家臣の誰かで息子は扇動されてるだけらしいけど、それにしてもこれはないな。
うっとおしいから少し脅しておくか。あのあごひげやらイケメンやらは人間なのにエルフのフィリーネに対しても敬意をもって接してくれた。ここでお家騒動解決を少し手伝っておくのも悪くない。
『フィリーネ、このバカを路地裏に誘導するように歩いて』
フィリーネは僕にだけ分かるように軽く頷いてから、路地裏に向かって歩き始めた。
「あっ、おい待て!エルフごときが僕のことを無視して許されると思ってるのか!?」
どうやって育てばあのあごひげの子供がこんなにクズになれるんだ?
フィリーネはあのバカぼっちゃんを無視したまま、人気のない路地裏へと歩いていく。
ついには黙っていられなくなったのか、とりまき達までもが、フィリーネに罵詈雑言を浴びせ始める。
「こら貴様!薄汚いエルフの分際で坊ちゃんを無視するとは無礼だぞ!!」
「そうだ!!エルフなどという人間の愛玩動物でしかない分際で!!」
僕はついに耐え切れなくなって、変化を解いて念話でクズ共に話しかける。
『少し黙れ。今にも貴様らを殺してしまいそうだ』
僕は牙をむき出しにして、威嚇しながらなるべく抑揚を抑えて話す。
突然巨大化した僕を見てバカ共は、恐怖で足をがくがく震わせてぎゃあぎゃあと騒ぎながら逃げようとするが、今更逃げるなんて僕が許さない。
逃げようとした者たちの進む先には帯電した僕の長い尻尾が回りこむ。バチバチと雷の迸る僕の尻尾に触れればどうなるのかぐらいは、頭の悪いこいつらにもわかるだろう。
「ぇえ、あ、う、な、なんだ、き、貴様は!」
『黙れと言ったのが聞こえなかったのか?』
僕の言葉に、その場にいる誰も声を発することすらできなくなる。
バカ息子とそのとりまきは顔面蒼白で、股間から液体を垂れ流している者もいる。鋭い僕の嗅覚にはその微かなアンモニア臭も不快だ。
『貴様らさっきっから僕の主に何と言った?僕の主が薄汚いとか人間の愛玩動物だとか言ってなかったか?あげくそこのバカは奴隷にしてやるとかなんとか』
バカとその他は首をぶんぶん横に振って否定する。なんだか飽きてきた。僕は適当に前足を振り上げてバカ息子の隣の地面に爪を突き立てる。ドシンと地面が揺れて路地沿いの廃墟の壁が崩れて落ちる。
バカ共はひっと息を呑んで、ガタガタと震えて挙句の果てに許しを請い始めた。
『これくらいでびびるくらいなら最初からAランク冒険者になんか手を出すんじゃねぇよ。言っとくが僕達は、お前達とバルマー辺境伯の両方から助力を依頼されたとしたら迷いなくバルマー辺境伯に付く。せいぜいこの爪に引き裂かれないように慎重に行動するんだな』
これだけ脅しておけばあごひげやイケメンはやりやすいだろう。親切はここまでだ。後はあごひげたちがなんとかするだろう。
バカはしばらく僕の爪を見つめて震えていた。僕はさっさと変化してフィリーネに抱き上げられてその場を去った。
早々に宿を決めた僕達は今、お風呂に入っている。
すごい額の報酬をもらったフィリーネは、少しグレードの高めの宿を選んだので、この宿には部屋ごとにお風呂が付いているのだ。
豪商や高ランク冒険者御用達の宿だけあって、部屋に付いているお風呂も結構広い。大の男が3、4人入っても余裕がありそうな広さだ。
そのお風呂に、フィリーネはいつものように獣人形態の僕を抱きかかえるようにして入っている。
お湯に毛が入るから本当は人間に変化したほうがいいのかもしれないけれど、人間の姿に変化するとすごく弱くなる。
本当は獣の姿でいたいくらいだけれど、フィリーネとお風呂に入ったり同じテーブルでご飯を食べたりするためにしかたなく獣人の姿に変化しているのだ。
僕が人間に変化しない理由はそれだけだ。もう人間は怖くない。
人間の国に来て、人間たちの中で過ごしてみて、森に引きこもっていたときのような人間への恐怖は段々薄れていき、今ではもう人間へのトラウマはない。
結局最初の一歩を踏み出す勇気が出なかっただけなのかもしれない。
人間という生き物が、僕の想像の中でどんどん強く凶悪になっていっただけで、実際に遭ってみたら大したことなかったというだけのことなのだろう。
あれ?でも昔の人間はもっと強かったような気がするんだけどな。僕の記憶が美化されているだけだろうか。
僕が何も言わずにお湯に浸かりながら考え事をしているのが気になったのか、フィリーネが僕を少し強めに抱き寄せる。
後頭部にあたる柔らかな感触にすべての思考が持っていかれた。
「ラビさんの家の温泉には劣りますけど、このお風呂も結構気持ちいいですね」
「そ、そうだね。とってもキモチイイよ。人間もなかなかのお風呂を作るね」
「お風呂の文化や技術は人間が異世界から召喚した勇者がもたらしたそうですよ。案外ラビさんの知ってる世界から召喚されたのかもしれませんね」
「へー、勇者か。そんなのいるんだね今のこの世界は」
フィリーネの話によれば、人間の国は500年ほど前に異世界召喚という儀式魔法を開発したらしく、それ以来、特に魔王がいるわけでもないのに10年に1度、異世界から勇者を召喚しているらしい。勇者だらけだな。
しかも召喚はできても送還はできないというのだから、なんとも迷惑な話だ。
勇者は総じて魔力が高く、その魔力で独特な魔法を使ったり、肉体を強化して戦ったりと、この世界の人間とは比べ物にならないほど強いそうだ。
勇者が与える軍事的な影響や、もたらされる知識による経済的な影響は大きく、人間の国は勇者や勇者を召還する権利を巡って、泥沼の権力闘争や、時には武力闘争を頻発させているらしい。
なるほど、人間の国の文明水準が思っていたよりも高いのは勇者の知識の恩恵というわけか。
しかし、世界を救ったりしそうなイメージの勇者が原因で争ってるなんて本末転倒な気がするけどな。
まあ勇者のおかげでこんなに生活が豊かになるのなら取り合っちゃっても仕方がないのかな。
「それで、これからどうするの?」
「ラビさんは世界樹に行きたいんですよね?」
「うん。でも急ぎじゃないよ。どうせフィリーネに出会わなかったらまだ森に引きこもっていたと思うし」
「そうですねー、では世界樹方面に向かうということでこの国を出た後はランドルフ神聖国に行きましょうか」
ランドルフ神聖国。やばそうな国名だな。宗教国家か?
「ランドルフ神聖国は最近勇者を召還したそうですよ」
勇者か。宗教と勇者。危ない匂いしかしないな。
「勇者って10年に1度しか召還できないんでしょ?今がちょうどそのタイミングなの?」
「いえ、3年前がそのタイミングで、そのときは別の国が勇者を召還したそうです。ランドルフ神聖国は周辺諸国との条約を破って勝手に勇者を召還して、周辺諸国とはピリピリした雰囲気になっているようですね」
「大丈夫なの?その国」
「近づいてみてダメそうだったら違う道にしましょう」
「上空を飛び越えてもいいしね」
「ふふふ、旅は苦労するから楽しいんですよ?」
僕はすぐに楽をしようとするのが癖になってしまっているようだ。確かに僕が空を駆けて行けば世界樹までなんてすぐ着いてしまうだろう。
千里眼の範囲内なら僕は転移できるので、それを応用して転移を繰り返していけばさらに早く着けるだろう。
僕の力なら楽をしようと思ったらいくらでもできてしまうのだ。
だが、それでは旅の風情もなにもあったものではない。
急ぐ旅ではないのだ、遠回りも悪くない。
「ごめんね。僕は怠け者だからフィリーネに引っぱってもらわないとすぐに楽をしようとしちゃうみたいだ」
「私も別に働き者ではないですよ。エルフは長命なので皆基本的にのんびり屋なんですよ。ゆっくりいろんなものを見ながら旅をしましょう」
そう言ってフィリーネは僕をぎゅっと抱きしめた。
僕は黙ってしばらく後頭部の感覚を楽しんだ。
ちょっとのぼせた。
ガタゴトと馬車が揺れている。
僕達は今、フィリーネがお世話になったエルザというギルド職員にリーンハルト王国を出る前の挨拶に向かうために隣町であるルゼールに向かっている。
バルトフェルトを出てから、フィリーネはずっと浮かない顔をしている。
他にお客もいないので僕は膝の上からフィリーネに声をかけてみる。
『元気がないようだけど、どうしたの?』
「心配させてしまいましたか。実は今回の件、私の情報を漏らしたのはギルド職員らしいんですよ」
フィリーネの話によれば、フィリーネが最上級ポーションを調合できるという情報を冒険者達に売ったのは、ギルド職員だということをバルマー辺境伯から聞いたそうだ。
エルザというギルド職員以外にもフィリーネのことを知っていたギルド職員はいたそうなのだが、情報を漏らしたギルド職員の名前を聞く勇気が出せなかったらしい。
「私はエルザさんはそんなことをするはずがないと信じているのですが、どうしてももしかしたらと思ってしまって。少し自己嫌悪してしまいますね」
フィリーネはどこか諦めたような苦笑を浮かべる。
エルフの中では若年のフィリーネも、人間でいえば中年にさしかかるぐらいの年月を生きている。
思い悩んで自分の感情に振り回されるほど子供ではないが、それでも苦い感情を飲み込みきれないといった心境なのだろう。
僕は何も言わずフィリーネの手に前足を乗せて、尻尾でぽんぽんと頭を撫でた。
フィリーネも僕の頭を撫でてにっこりと笑った。
ギルドの入り口をくぐると、バルトフェルトのギルドでもそうだったように人ごみが割れてフィリーネの前に道ができる。
僕を抱きかかえたフィリーネは受付の前に向かってエルザさんを探すが、どうやらいないみたいだ。
フィリーネの顔が不安に曇っていく。
「あの、エルザさんはいらっしゃいますでしょうか?」
「はい、少々お待ちください」
受付のお姉さんは何かを確認しに行ったのか奥に引っ込んでいき、少ししたら出てきて、僕達も奥へと通された。
僕達が通されたのは会議室みたいな部屋だ。そこに30代くらいのカイゼル髭を生やしたダンディなおっさんと20代半ばくらいの真面目そうな女の人が申し訳なさそうな顔をして立っていた。
その女の人を見たフィリーネは安心したような顔をした。たぶんあの人がエルザさんなのだろう。
そして処分されていないということは情報を漏らしたのは違う人だったらしい。
「初めまして。私がルゼールの冒険者ギルド、ギルドマスターのマルクです。この度うちのギルド職員がしでかしたことに関しまして、言い訳のしようもありません。冒険者を守る立場のギルド職員が冒険者を危険にさらすなどというのは冒険者ギルドの存在意義に反する行為。情報を漏らした副ギルドマスターに関しましては厳重に処分いたしました。また、今回はバルマー辺境伯も無関係ではありませんので、懲戒免職の後にバルマー辺境伯に引き渡しました。そちらでも刑罰を受けるはずです。補償に関しましても、ご納得いただけるかは分かりませんが、金銭、素材、魔道具など、できる限り力を尽くす所存にございます。改めましてこの度の不祥事、深く謝罪いたします」
そう言ってカイゼル髭は深々と頭を下げた。
ていうかフィリーネの情報漏らしたの副ギルドマスターだったんだ。
フィリーネは根に持っているわけでもないので、あっさりと謝罪を受け入れて補償の話をしている。いくつかの素材と金銭で受け取るようだ。まあ魔道具は僕がいくらでも作れるからね。
補償の話がまとまった後はエルザさんがフィリーネと話し始めた。
「フィリーネさん、依頼を説明するとき私は、情報を漏らすようなギルド職員はいないと言いましたが、その言葉を覆すようなことになってしまって本当に申し訳なく思います。すみませんでした」
フィリーネは軽く微笑んでエルザさんに答える。
「エルザさんが謝ることではありませんよ」
「でも、私は……」
エルザさんはこぶしを握り締めて泣きそうな顔になる。
なるほど。エルザさんは本当に冒険者の情報を売るギルド職員なんていないと思っていたんだな。
フィリーネが抱きしめて背中をぽんぽんと軽く叩くと、エルザさんは泣き出してしまった。
「大丈夫ですよ、エルザさん。大丈夫です。私は怪我ひとつ負っていませんよ」
実際には麻痺毒を受けて殺されかけていたので嘘なのだが、フィリーネがそう言ったら少し肩の力が抜けたのかエルザさんは声を上げて泣いた。
しばらくして落ち着いてきたエルザさんが顔を上げた。少し恥ずかしそうに顔を赤めている。目が腫れてしまっているので僕は尻尾で軽く触れて治癒魔法をかけてあげた。
エルザさんは少しびっくりしたようで目を見開いた。
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまって。それで、その、こちらの魔物はいったい……」
「私も気になっておりました。その魔物はエンペラータイガーではありませんか?」
注目を浴びてしまった。少し照れる。
カイゼル髭は僕の種族を知っているようだ。あごひげは知らなかったけどな。冒険者ギルドのギルドマスターだし魔物には詳しいということか。
「エグラントの森で出会ったラビさんです。今回の件も私には悪いことばかりではなかったんですよ」
それからフィリーネは、森で僕に助けられたことや、ちゃんと言葉が分かっていることなど僕に関することを少しぼかしながら話した。
さすがに森の中に超快適な家があるとか僕の前世とかは荒唐無稽なので話さなかった。
要するに僕はとても強くて頭のいい魔物なので従魔として一緒に旅をするというような感じだ。
カイゼル髭はいぶかしげな顔をして口を開く。
「不思議な出会いもあるものですな。もっとも冒険者の噂のなかには、魔物に関する不思議な話もたくさんありますから、ありえない話ではないと思いますが…」
「寂しい旅に仲間ができたので今回の依頼は私にとってはとても有意義でした」
「そう言っていただけると少しだけ肩の荷が下ります」
カイゼル髭のギルドマスター、マルクはそう言うと苦笑を浮かべて肩をすくめた。
それから出国の挨拶をして僕達はギルドを後にした。
別れ際、エルザさんとカイゼル髭はとても忙しそうにしていた。副ギルドマスターがいなくなったのでエルザさんが次の副ギルドマスターになるらしい。一気に出世しちゃったね。大変そうだ。
さあ、これでやっと出国だ。
これから始まる本格的な旅に、少しだけ胸が高鳴る。
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※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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※全11話 2万字程度の話です。
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