魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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逸文 比翼連理 六

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「家来こそが主君を選ぶ。」
「……。」
「蠣崎新三郎慶廣殿、我ら伊勢の者は、ゆくゆくは、あなたさまを主君に仰ぎたいと存ずる。」
 「それが、おれを呼びつけた用件か。……いや、こう大勢で屋敷に来られても困る。おれのほうから来たのは構わぬが……驚いたな。」
 「なにに、でござる?」
 新三郎はその問いの含みに、瞬時黙り込む。
 「……うむ、驚いたのはな、……」
(北畠さまを、こやつらが見限っているのには、おれは少しも驚いていない……。)
 そこに苦い思いがある。はっきりとは言わなかったが、大御所こそが謀反人であるのを匂わされても、もう、さほどに仰天もできない。やはり、という抑えた憤りと、そして悲しみだけである。
(姫さまは、どれほどお辛かっただろう? 御所様……あまりにも、……ご無念でございましたな!)
 新三郎にしたところで、下克上は世の常とこの先も割り切って、謀反人の大御所を主に仰いで励む気になれるかどうか、自分でもわからないのである。
(……いや、なれぬな。もとより、それはわかっておった。姫さま亡き浪岡に、命がけでは仕えられぬ。おれも、こやつらと同じではないか……。)
「蠣崎殿?」「若旦那?」
 沈黙がやや長引いた新三郎に、影とりくとが同時に声をかけた。
 気づいた新三郎は、ふっと笑って、
「驚いたのは、このおれを仰ぎたいとのことよ。おれは、ただの新三郎でしかない。主じゃなどというても、とてもおぬしらを食わせてやれぬぜ?」
 馬廻りに引き上げられ、現場の指揮官を勤めることになっていたが、たいして禄も増えていない。津軽蠣崎家の蝦夷足軽以外には、ほとんど郎党らしいものを持てないままだ。命が下れば他所の家の兵を率いて出陣する。現代式にいえば、部下なしの部課長待遇というようなもの。いまの逼塞しかけた浪岡北畠氏では位階が上がったところで領地の加増をしてもらえないから、仕事が重くなっただけだともいえる。
「ゆくゆくは、と申し上げた。……左様、あなたさまは蝦夷代官のいまや長子。いずれは跡を継がれよう。」
「おぬしら、松前に来るつもりか?」
「左様なりましょうな。蠣崎慶廣さまが蝦夷代官を継がれた暁には、しかるべくお役とお扶持を頂戴しましょう。それまでは、とくに禄を賜るに及ばず。」
「……。」
「如何か。伊勢の者がいかほどにお役にたつか、まだ御量りいただく機会がないが、それはいずれ……。」
「いや、このおふくと松蔵にまんまと潜り込まれ、おれはなにも気づかなかったことでもう推し量れはする。急にこやつらが消えたときも、さだめし、姫さまのために何かしてくれていたか? いや、それまでにも、松前のおれの家のことを調べてくれたのも、あれも、お前だったか、ふく?」
 ふくは黙って低頭した。
 新三郎にとっては、つらい思い出のはずだ。兄たちを姉が殺したとされる、謎に満ちた血みどろの内紛劇の真相らしきものを、知らされなければならなかったのだ。
 そのときの衝撃と絶望が蘇ってしまったのか、新三郎はしばらく黙っていたが、
「……だがな、おぬしらはそれでいいのか? おれが蝦夷代官を継ぐまでは、ただ働きしてくれようというのか?」
「ただ働きにはなりますまい。……いずれは、仕事に相応しき恩賞を賜る。それまでは、我らとて食いつなぐはできまする。」
 現に、安岡がこうして何食わぬ顔で城勤めを続けているし、他の者も細い生計の道をもってはいるのだろう。
「なるほど、……松蔵やりくのように、か。堺の店は、たいそう儲けているそうな。」
「さほどでは!」
 りくは慌てたが、新三郎にからかわれたと知って、赤面する。
「安岡殿……でよいのだな。つまり安岡殿は、先納(年貢や役務をあらかじめ納めておき、その見返りを得ること)をしようというのじゃな?」
「然り。」
「おれが家督を継げれば、の話ではあるが? ただ働きになってしまわないか?」
「蝦夷代官職を継がれるは、わたくしどもがお助けする。そこで、お仕えしたなりの見返りくらいはありましょう。そこから、蝦夷島の国主にまで登られれば、これはさらに甲斐があったということになる。」
 新三郎は小さく息を呑んだ。自分の大望を読まれている。
「それで、おれか。蝦夷代官に甘んじず、名実ともに蝦夷島の主そのものになるかもしれぬから、か。……ふふ、どうも先納というは当たらぬな。」
「と申されますと?」
「どうもおれは、おぬしらに買われたらしい。先買いじゃな。」
 現代の言葉でならば、先行投資というのが近い。
(ほう、いかにも面白いな、蠣崎新三郎は。やはり蝦夷島生まれ育ちらしい。)
 貿易でしか成り立ちえない松前という湊町に住む蠣崎家の武士たちは、商人的感覚に富んでいる。純情な武辺者の顔も持つ新三郎も、やはり松前の侍らしかった。
 新三郎は新三郎で、この得体の知れない伊勢の者という連中に、感じるところがある。
(……見返りというが、こやつらは仕事がしたのじゃ。)
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