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『シンクタンク・ユグドラシル』本部は、森林に抱かれた玲瓏で堅牢な巨大な建物である。城のような体裁を保ちながら、何度も改修と増築を繰り返し、研究所として機能している。幾つもの棟を有し、その中には研究者たちの居住区はもちろん、小さいながら礼拝堂さえも有している。
礼拝堂は小さくささやかなれど、外観に見劣りすることなく壮麗で荘厳な場所である。ただ、膨大な知識を詰め込んだ図書館の隣にある故か、学者たちがそこで足を止める回数は少ない。時折図書館から借りた本を読む人もいるようだが、やはり数は多くない。数多の学者が自身の研究に邁進する中、人気のない場所を探すならこの礼拝堂はまさにうってつけだった。
桂樹がその扉を押し開いたのは、そんな理由によるものかもしれなかった。月橘と連れ立って研究棟まで戻って来たのはいいが、総帥に会えるわけではない。昨日の今日だ。桂樹が乗り込んで行っても、一蹴されるだけだろう。月橘の言う通り、緋桐をどうしたいのか、桂樹自身に答えが出なければ動きようがなかった。
身廊を通り、祭壇の前に立つ。頭上には空の神と大地の神、その間に根を張り枝葉を広げる『世界樹』を模したステンドグラスが広がる。『世界樹』の傍には『鳥』。空の神と大地の神が引き離されて出来た大気を自由に渡る、翼を広げる『鳥』がいる。ごく当たり前のモチーフだ。『世界樹』のそばには『鳥』の飛ぶ姿が添えられる。だから人は疑ったことがない。
『鳥』が人と同じ形体をしているかもしれないことに。
『鳥籠』の中にいる『鳥』たちが、何故隠し守られるように保護されているのか。
緋桐が『鳥』かもしれない。その可能性を持って考えてみても、桂樹にはわからなかった。彼を、人ではないと知った上で同道していたのは事実だろう。連れて行かなければいけないと思ったのも、そのためだ。
だが、それが何だろうか。人であることが、重要だろうか。世界には極僅かだが、高度な文明を持つ人ではない種族も存在すると言う。『鳥』と言う特別な生き物であったとしても、彼は彼だ。意志を持ち、感情を持つ確立された一個の我だ。
あの光を放つ鮮やかな緋色が、彼を物語るものだ。彼の存在を主張するものだ。彼は彼として存在し、それ以外の何者でもない。
―――お前緋桐をどうするつもりだ?
鋭利な刃物のように、男の声が脳裏に蘇る。
問われて思い浮かぶもの。
月光のように煌めく銀糸に彩られた、鮮やかな緋色が屈託なく桂樹に笑いかけていた。
初めて名前を呼んだその声は少年特有の幼さと高さを有しており、桂樹の耳朶に甘く届いた。
―――桂樹
胸の奥の奥に、痺れるように響くまろい声。
抱きしめたい。
その薄い肩をかき抱き、何者にも怯えることがないように。その声で名前を―――。
「桂樹!!」
思考は突然静寂に響いた声に打ち破られた。礼拝堂を満たすほどの大声に、はっと振り返ると同時、胸に強い衝撃を受けて桂樹はたたらを踏んだ。
「……緋桐……?」
全身でぶつかってきた銀色が、しがみつくように桂樹の体を抱きしめる。きっと射るように睨む緋色にはうっすらと涙の膜が張り、喘ぐように薄紅色の唇が動く。
「その名で呼ぶのに、お前が俺を捨てるのか!?」
激情に任せ大声で怒鳴った緋桐の大きな瞳から、ぼろりと涙の粒が溢れ落ちた。
吸い込まれそうなほど鮮やかな緋色から零れ落ちる涙は、礼拝堂のステンドグラスの光に煌めいて、桂樹はそれを瞬きもせず凝視していた。
「ずっと、俺のそばにいて……」
か細く絞り出すような弱々しい声に、桂樹の手は無意識に彼を抱き寄せていた。
腕の中に驚くほどしっくりと収まる薄い体が、縋るように身を寄せて背中に回した手に力がこもる。
離そうなどと、桂樹は思ってもいなかったのだ。短い間同道しただけの相手だったのに、緋桐はいつの間にか桂樹の内側にするりと入り込み、動かせない位置にいた。いや、あるいは、初めから囚われていたのかもしれない。透き通る鮮やかな緋色の瞳を見た時から。一目で魂をもぎ取られたのだ。
「聞かせてくれないか、何故『森』にいたのか……」
今までずっと一緒にいて、一度たりとも口にしなかった問いかけ。
疑問は深く胸の奥に沈んでおり、桂樹の意識は考えることをやめたのだ。
彼が人ではない何かだと知っていたから。
耳元で静かに問いかけると、緋桐は腕の中でびくりと背を震わせた。抱きしめる腕から、戸惑いと緊張、そして怯えを感じる。安心させるように抱く腕に力を入れるも、彼の緊張が解かれることはなかった。
どれだけ経ったのか、長く感じた沈黙の後、緋桐は小さく頭を振った。
「……何も、知らない……気が付いたらあそこにいた……」
ぼんやりと、水の中から世界を見ているようだったと緋桐は言う。
薄くも分厚い膜に守られ、色々なことが頭を巡っていたように思う。巡る記憶と繰り返される情景と、何がどうなっているのかわからなくて、ごちゃごちゃになっていた。それが一つずつ整理されていったのがいつの頃だったのか。その時になって、ようやく意識と呼ぶようなものが働き始め、初めて外へと関心が向いた。
そうして急速に、霧が晴れるように意識が戻った。
『森』にいた理由はおろか、どうやってそこに行ったのか、それさえもわからない。
でも。
緋桐は小さく言葉を繋ぎ、何かを決意するように桂樹の腕の中で固く両手を握りしめる。
絞り出すような声は、絶望を見るように悄然としていた。
「俺はたぶん、この世界の人間じゃないんだ……」
礼拝堂は小さくささやかなれど、外観に見劣りすることなく壮麗で荘厳な場所である。ただ、膨大な知識を詰め込んだ図書館の隣にある故か、学者たちがそこで足を止める回数は少ない。時折図書館から借りた本を読む人もいるようだが、やはり数は多くない。数多の学者が自身の研究に邁進する中、人気のない場所を探すならこの礼拝堂はまさにうってつけだった。
桂樹がその扉を押し開いたのは、そんな理由によるものかもしれなかった。月橘と連れ立って研究棟まで戻って来たのはいいが、総帥に会えるわけではない。昨日の今日だ。桂樹が乗り込んで行っても、一蹴されるだけだろう。月橘の言う通り、緋桐をどうしたいのか、桂樹自身に答えが出なければ動きようがなかった。
身廊を通り、祭壇の前に立つ。頭上には空の神と大地の神、その間に根を張り枝葉を広げる『世界樹』を模したステンドグラスが広がる。『世界樹』の傍には『鳥』。空の神と大地の神が引き離されて出来た大気を自由に渡る、翼を広げる『鳥』がいる。ごく当たり前のモチーフだ。『世界樹』のそばには『鳥』の飛ぶ姿が添えられる。だから人は疑ったことがない。
『鳥』が人と同じ形体をしているかもしれないことに。
『鳥籠』の中にいる『鳥』たちが、何故隠し守られるように保護されているのか。
緋桐が『鳥』かもしれない。その可能性を持って考えてみても、桂樹にはわからなかった。彼を、人ではないと知った上で同道していたのは事実だろう。連れて行かなければいけないと思ったのも、そのためだ。
だが、それが何だろうか。人であることが、重要だろうか。世界には極僅かだが、高度な文明を持つ人ではない種族も存在すると言う。『鳥』と言う特別な生き物であったとしても、彼は彼だ。意志を持ち、感情を持つ確立された一個の我だ。
あの光を放つ鮮やかな緋色が、彼を物語るものだ。彼の存在を主張するものだ。彼は彼として存在し、それ以外の何者でもない。
―――お前緋桐をどうするつもりだ?
鋭利な刃物のように、男の声が脳裏に蘇る。
問われて思い浮かぶもの。
月光のように煌めく銀糸に彩られた、鮮やかな緋色が屈託なく桂樹に笑いかけていた。
初めて名前を呼んだその声は少年特有の幼さと高さを有しており、桂樹の耳朶に甘く届いた。
―――桂樹
胸の奥の奥に、痺れるように響くまろい声。
抱きしめたい。
その薄い肩をかき抱き、何者にも怯えることがないように。その声で名前を―――。
「桂樹!!」
思考は突然静寂に響いた声に打ち破られた。礼拝堂を満たすほどの大声に、はっと振り返ると同時、胸に強い衝撃を受けて桂樹はたたらを踏んだ。
「……緋桐……?」
全身でぶつかってきた銀色が、しがみつくように桂樹の体を抱きしめる。きっと射るように睨む緋色にはうっすらと涙の膜が張り、喘ぐように薄紅色の唇が動く。
「その名で呼ぶのに、お前が俺を捨てるのか!?」
激情に任せ大声で怒鳴った緋桐の大きな瞳から、ぼろりと涙の粒が溢れ落ちた。
吸い込まれそうなほど鮮やかな緋色から零れ落ちる涙は、礼拝堂のステンドグラスの光に煌めいて、桂樹はそれを瞬きもせず凝視していた。
「ずっと、俺のそばにいて……」
か細く絞り出すような弱々しい声に、桂樹の手は無意識に彼を抱き寄せていた。
腕の中に驚くほどしっくりと収まる薄い体が、縋るように身を寄せて背中に回した手に力がこもる。
離そうなどと、桂樹は思ってもいなかったのだ。短い間同道しただけの相手だったのに、緋桐はいつの間にか桂樹の内側にするりと入り込み、動かせない位置にいた。いや、あるいは、初めから囚われていたのかもしれない。透き通る鮮やかな緋色の瞳を見た時から。一目で魂をもぎ取られたのだ。
「聞かせてくれないか、何故『森』にいたのか……」
今までずっと一緒にいて、一度たりとも口にしなかった問いかけ。
疑問は深く胸の奥に沈んでおり、桂樹の意識は考えることをやめたのだ。
彼が人ではない何かだと知っていたから。
耳元で静かに問いかけると、緋桐は腕の中でびくりと背を震わせた。抱きしめる腕から、戸惑いと緊張、そして怯えを感じる。安心させるように抱く腕に力を入れるも、彼の緊張が解かれることはなかった。
どれだけ経ったのか、長く感じた沈黙の後、緋桐は小さく頭を振った。
「……何も、知らない……気が付いたらあそこにいた……」
ぼんやりと、水の中から世界を見ているようだったと緋桐は言う。
薄くも分厚い膜に守られ、色々なことが頭を巡っていたように思う。巡る記憶と繰り返される情景と、何がどうなっているのかわからなくて、ごちゃごちゃになっていた。それが一つずつ整理されていったのがいつの頃だったのか。その時になって、ようやく意識と呼ぶようなものが働き始め、初めて外へと関心が向いた。
そうして急速に、霧が晴れるように意識が戻った。
『森』にいた理由はおろか、どうやってそこに行ったのか、それさえもわからない。
でも。
緋桐は小さく言葉を繋ぎ、何かを決意するように桂樹の腕の中で固く両手を握りしめる。
絞り出すような声は、絶望を見るように悄然としていた。
「俺はたぶん、この世界の人間じゃないんだ……」
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