さやけき鳥の鳴き声は

siduki_sorairo

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 柊理斗はどこにでもいる普通の子供だった。ただ、彼は幸福ではなかった。古くからのしきたりを守る家系に産まれるも、彼の母親は所謂妾であり、どこにあっても肩身が狭かった。

 世間体と屋敷の主人の意向があり、母子は広大な屋敷の片隅に部屋を与えられていた。しかし扱いは厳しく、使用人であってさえ彼ら母子と関わるのを厭うた。

 主人には本妻に彼と同い年の息子がおり、その息子もまた彼に冷たく接した。年を経るごとに嫡子の、彼に対する扱いはひどくなった。

 中学を上がる頃にはそれは身体的暴行から、度を過ぎた性的暴行にまで及んだ。高校へ上がる頃、唯一の心の拠り所であった母親が死んだ。自殺であった。彼を守ると優しく抱いてくれた母親の手は、いつの間にか彼を手放して一人旅立って行ったのだ。

 それからの周囲の彼への当たりは酷さを増し、彼の毎日はさながら地獄のようだった。自由に家から出ることも許されず、学校では奴隷のように扱われ、家では玩具のように弄ばれた。

 心身ともに疲弊しきっていた彼は、ある日通学途中にふらりと線路に入り込み命を落とした。

 気が付いたら、意識は水底から外を見ていた。澄んだ水は繭のように彼を包み、外界の音は遮断され、光だけが彼を明るく照らしていた。優しく抱かれながら、彼は幾つもの記憶と記録が意識を巡っていくのを感じていた。今までの決して幸福ではなかった記憶と、これから知るべき事象の記録とが、折り重なって自身に降り積もっていった。

 長く長く、その折り重なりに身を委ねていたと思う。

 それが唐突に、まるで断ち切られるように途絶えたのが何故なのか、彼にはわからない。

 ただ途絶えて意識が『緋桐』として浮き上がる時には、桂樹は常に側にいた。

 桂樹に名を与えられ、彼は『緋桐』として安定したのだ。今の緋桐があるのは、桂樹が呼んだからだ。

「なのに、今更お前は俺を捨てるのか……!」

 ぼろぼろと零れ落ちた涙を拭うこともせず、語り終えた緋桐が叫ぶ。その声は悲痛な叫びとなって桂樹に届き、彼の胸を激しく焼いた。

 語られた衝撃的な内容よりも、目の前のその姿に胸が痛んだ。

「すまない……!」

 大きな傷を持ったままの彼を、一人置いて出てしまったこと。ぎゅっと抱きしめ、痛みに耐えるように謝罪する。

 だが絞り出すような鎮痛な声の響きは、緋桐にとっては拒絶の言葉に他ならなかった。

 どこから来たのかも知れない者に、そばにいろと懇願されても困るだけだ。それでも突き放さず抱きしめて謝罪をくれるのは、彼が優しいからだ。雛菊の言う通り、彼は緋桐をここまで連れてくるのが任務だったのだ。

 この腕は、緋桐のもにはならない。
 いつまでも、この中にいられない。

 謝罪にびくりと震えた体が、桂樹の腕の中から逃れようと暴れ出す。

「緋桐!?」

 突然暴れ出した緋桐を理解出来ず、桂樹は慌てる。ただ逃すまいと力を入れたのは、無意識によるものだった。このまま腕を離してはならないと、桂樹の本能が動かせた。だが緋桐は逃れようと力の限り暴れ続けた。

「やだ、はなせ……! なんで……俺が……! 俺の、俺の記憶がないからか!? 俺がこの世界の人間じゃないからか!? 俺があそこにいたからか……!」

 ぼろぼろと零れ落ちる涙をそのままに、容赦なく暴れる緋桐の語気は荒く、嗚咽に混じって叫ぶ声は痛々しい。やがて力尽きたように動きを止めた緋桐のしゃくり上げる唇から、弱々しく言葉が漏れる。

「俺が……男に犯されてたか……っん……ふっ……んぁ……」

 最後まで言葉を紡ぐことを許さず、桂樹はその赤い唇に吸い付いた。

 呼気荒く上気した頬を包み、薄く開いた口から舌を入れ深く絡める。宥めるように丁寧に、それでも大きな熱量をもって口内を嬲る。

「はっ……ん……ふぁ……ん…」

 抵抗する術も暴れる力も奪った頃、名残しげに唇を離すと、赤く赤く色付いた唇と涙に濡れた、ぼんやりする緋色があった。さらさらと流れる触り心地の良い銀糸に手を差し入れ、小さな頭を両手で抱える。

 吐息が絡むほど近くで視線を合わせると、鮮やかな緋色から溜まった涙が零れ落ちる。滑らかな肌を滑り落ちる涙さえ美しい。上気する頬を滑るそれに唇を寄せて吸い取る。

「アルベで君を一人にして悪かったと反省したばかりなんだがな……」

 自嘲するように独りごちて、桂樹は今一度色付く唇に触れるだけの口付けを送った。

「ここに誓おう、緋桐。何があっても君を一人にすることはないと。離れずに、ずっとそばにいよう」

 真摯に紡がれる低く心地の良い声に、緋桐の瞳に再び涙の膜が盛り上がる。

「俺も……、桂樹……ちかう……ずっと、一緒にいるって……」

 両手を繋ぎ、ぎゅっと力を入れる。この手が離れないように、願いを込めて。

 空の神と大地の神と、『世界樹』が見守るこの場で、二人は違うことのない誓約をしたのだ。
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