Kが意識不明の重体らしい

君影想

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黒髪のヴィナス

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 彼女が何か所目かのアルバイトを辞めて、さらになんのアルバイトも始めないまま一月以上たった。

 それらのアルバイトに関して、僕はなんのご挨拶にも行っていなかった。どれも数日で勝手に彼女が自分で辞めた。彼女によると、「私には向いていなかった」ということらしい。また、彼女は前回のものを最後にもう新たなアルバイトを始めるつもりはないと言う。「向いていない」という話は本当にその通りだと思うし、新たなアルバイトを始めないのも賢明な判断だと思う。しかしそれにしても、以前の彼女と比べるとあまりにも心が折れるまでのスピ―ドが早すぎる。
 それにここのところ、僕といる瞬間ですら震えているのを見かける。僕からの視線に気づくと、ぎゅっと手を握りしめたり足に力を入れて誤魔化しているが、ふとした瞬間にガタガタとその身体が震えだす。まるで、身体の奥底で今にも沸騰しようとする恐怖と狂気の釜を抑える蓋のように。

 __まぁ、だからなんだという話だが。

 このままだと近いうちに彼女は壊れるだろう。しかし、それがなんなのか。
 これで彼女が自発的に「助けてくださいお願いします」と僕に頭を下げに来たのならば、なにか考えてやってもいいかもしれない。しかし、彼女からは助けてどころか現状の相談すらないのだ。そんな状態で、なぜ僕がわざわざ先回りするようなことをしなければならないのかという話だ。

 …とはいえ、これに関してはもはや僕が何をどうしたところで恐らく無意味だろうが__と、廊下に貼り出された人名と数字ばかりが並ぶ紙たちを無感情に眺める。

 中級召喚術学、一番上"Louis Coupeau"。一番下"Kayoko Kagami"。視線を右上に滑らせる。
 中級召喚術実習、一番上から…ないないないない…ないない…あった"Louis Coupeau"。真ん中よりも少しだけ上の方…いつも通りの定位置。一番下"l'exception(例外) / Kayoko Kagami"。視線を右上へスライド。
 錬金術学、一番上"Louis Coupeau"。一番下"Kayoko Kagami"。視線を移動。
 錬金術実習、一番上から…ないない…ないないないない…あった"Louis Coupeau"。真ん中よりも少しだけ上の方。一番下"l'exception(例外) / Kayoko Kagami"。視線を右上へ…

 どんなに視線を右に流そうと変わらない。全部同じ。
 …無意味。無意味なのだ。権力があろうが、努力しようが、なにをしようが。

 __僕は彼女に「カヨコに攻撃を仕掛けた者に魔術的な攻撃が行われる魔法」を仕込んでいる。なのに、僕の魔術は発動しない。それどころか、なんの反応もしない。彼女への嫌がらせの中には「攻撃」とカウントされるはずのものも多く含まれているはずなのに。

 そこからわかる答えは一つ。
 彼女への嫌がらせを仕掛け扇動している人間Xは、おそらく僕よりも…いくらか…いや、数段階…魔術師として……
 
「…クーポ……いつ、また筆記全科目が…ねんトップだ」
「…で…、実技の成績がああじ…な…」
「…知識ばっかりあっても魔力が…り…い…」

 廊下のどこからか聞こえる忍び笑い。
 それ以外にも間違いなくこちらに向けられたいくつかの視線を感じる。 
 …不快、不快、不快だ。ゴミ以下どもが僕を視界に入れるな。どいつもこいつもどうせ実技でも大した成績はとれていない癖に。吐き気を催すほど矮小で無様な存在だ。

 __でも、もしかしたら僕も…

 この世界で"悪役"が権力を握っているのも、彼らの多くが"魔力"もしくは"暴力"という"力"の中でも最も純粋化された"力"を持っているからだ。権力も結局、暴力や魔力といった実質的な"力"に裏打ちされなければ結局無力だ。
 でも、僕の力は…そもそも、僕の特権も権力も母の威を借りてるばかりのもので、僕自身にはなんの"力"もない。全てにおいて実力が足りないのだ。Xのような強い魔力の持ち主__すなわち真の実力者とも言えるような人間と相対すれば、そんな僕の薄っぺらな権力も、努力も、全て無に帰す。
 …まずそもそも、僕にそんなことをしてやるつもりはさらさらないという前提は置いておくとして。Xの実力があれば、彼女への嫌がらせについて学校側に圧力をかけた人間を特定することなんて簡単なことだろう。さらに、その人間__すなわち僕の記憶か精神を弄るかなんかして全てを有耶無耶にすることだって普通にできるはずだしありえる。

 ああ__このままじゃ、

「…全然だめだ」

 ふと、後ろからそんな言葉を耳が拾い上げて一瞬身体が硬直する。
 振り返ってみると僕から少し離れた場所で、この場における最上級の馬鹿がまるでそれらに魂を吸い取られてしまったかのように、ただじぃっと紙ぺらたちを見つめていた。

「…なんで、私…」

 浅い息から吐きだされた小さな彼女の言葉は小刻みに揺れていて、彼女の身体がまるで吹雪の中にいる人間のように震えていることに気づく。

「…あっ、ルイゼ…すごい…また…」

 思わずその腕を掴もうとした時に、自分の名前が聞こえて中途半端な恰好で固まる。
 別に僕を視認したわけではないらしく、まだその視線は紙に縫い付けられている。

「…すごいなぁ。いいなぁ…」

 そんな言葉を吐きだしながら目を伏せるカヨコの身体は、相も変わらずガタガタと震えていて、もはや壊れた玩具のようであった。

 …別に、コイツに褒められようと羨ましがられようとなにも嬉しくない。
 僕に必要なのは実力であって、コイツからの誉め言葉などでは断じてない。コイツは僕の進む道にたかるただ無力で煩わしい…蠅みたいなものだ。そんなヤツからの誉め言葉など空気と変わらないし、僕を羨ましがる暇があるのなら、勉強して少しはその残念な頭をどうにかして欲しい。

「…おい」

 今度こそ本当に彼女の腕を掴む。
 淡いチューベローズの香りとともに彼女ははっと目線をこちらに向ける。そして、しばらく「あー」とか「うー」とか言った後に不細工な顔でへにょりと笑う。

「あの…ごめん。せっかく勉強教えてもらったのに、また…だめだったみたいで…」
「…別にどうでもいいけど」
「えっ?あっ…ああ。…その、ルイゼはさすがって感じだよ。また一位連発でさ、うん。いつもすごく頑張ってるもんね。やっぱり、」

 おどおどと不格好な動きで紙を指さす左腕にも、僕に捕まれた右腕にももう震えはない。
 そのことに気づいてなぜか安心している僕がいて、その事実に若干腹立ちつつも「早く行くよ」と腕を引っ張る。

 別に行きたいところなんてなかったけれど、彼女とだったらどこに行ってもいいような…気がしていた。



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