東洋の人魚姫は恋を知らない

蝶野ともえ

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12話「人魚姫の葛藤」

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      12話「人魚姫の葛藤」


 七星が呆然としている間も練習試合は続いた。
 短距離からスタートしていようで、夕影の出番は最後に近いのだろうと予想できた。

 先ほど七星を案内してくれたマネージャーは、テキパキとプールサイドを動き回っている。タイムの記録を残したり、動画録画のためにカメラを確認したり、水分補給の準備をしたりと、自分の大学の部員だけではなく、他校の生徒にも配慮してまわっている。そんな献身的な彼女を周りの学生達はほんわかとした視線で見守っていた。競泳部にとっては大切なマネージャーなのだろう。練習試合が終わった学生達は監督だけではなく彼女にも何か声をかけているようだった。

 そんな出来るマネージャーが言った「よかった」という言葉。
 恋人ではないと質問に答えた後に出た言葉だ。それは、誰が聞いても彼女が夕影の事を良く思っている、はっきりと言ってしまえば、日和という女性は夕影に気があるのだろう。そうでなければ、あんな言葉は出てこないはずだ。
 日和も、夕影が好きなのだろうか……。
 あんなに可愛くてマネージャーの仕事も一生懸命な女の子が、夕影の事が好きだとしたら敵わない。 ただでさえ、年上であり、七星はあまり彼に会うことが出来ない。けれど、きっと日和は部活で毎日のように顔を合わせているだろう。毎日言葉を交わしているはずだ。羨ましいと思う。
 それに彼女はとても可愛らしく、先ほどから他校の学生達にも声を掛けられている。誰からみてもモテるタイプの女の子だ。そんな女の子にもし夕影が告白などされたら、そう考えるだけで胸が苦しくなりそうだった。

「次!100メートル自由形。泳ぐ者はすぐに準備するように」


 どこかの監督だろう男性が声を上げる。夕影が出場する種目だ。
 七星はハッとして夕影の方へと視線を向ける。移動する前に、夕影は七星へ視線を向けてニッコリと微笑んだ。だが、七星は遠くからでも彼の異変に気がついた。夕影の表情が硬くなっているのだ。そして、どことなく歩き方もギクシャクしているのがわかった。

「………夕影くん」

 

 どうやら、本番の試合と同じ空気感に、大分緊張感しているようだ。
 ジャージを脱いで飛び込み台に上がる夕影の手が小刻みに震えており、ゴーグルをつける前の目を何度も強く閉じたり開けたりしている。全ての準備が終わった後、大きく息を吸い込んで、夕影はスタートの体型になる。
 七星は自然に手を合わせて、祈る。頑張れ、自分に負けないで。こんなに近くにいるのに、試合直前は応援するしかない。歯痒い。
 号令とホイッスル音がプール場内に響き渡る。同時に一斉に台を蹴ってプールへと落ちていく。
 その瞬間、七星は夕影が一歩出遅れた事に気がついた。周りの学生達もすぐに気づき、同じ大学の部員達はため息をついている。「やっぱりな」「かわってないじゃないか」という声も聞こえてくる。どうやら、最近入った夕影の実力をこの練習試合で見るために、部員たちもかなり注目して見ていたようだ。文句を言い合っていた部員に、七星は若干の苛立ちを感じながらも、視線は夕影に向けたまま「頑張ってる」「まだ試合は始まったばかりだよ」と、心の中で応援をし続けていた。


 すると、レースの動きが変わった。
 先ほどの失敗を取り戻すかのように、夕影がスタートダッシュを始めたのだ。あっという間にミスを取り戻し、トップに躍り出る。けれど、競泳はそんなに甘くない。100mにはかなりの物語がある。
そして、思ったよりも長いのだ。ペースを上げすぎた夕影を、周りの選手たちは少しずつ追いついていく。そして、あっという間に集団に飲み込まれそうになる。


「夕影くん。後少し、頑張って!!」


 練習試合なので勝っても負けても、結果が記録に残るわけではない。けれど、記憶には残る。そして勝てば自信にも繋がらる。練習試合はそういった意味でも重要な試合でもあるのだ。競泳から少しの間離れていた夕影には勝って自信をつけて欲しい。あなたはまだまだ戦えるのだと体で実感して欲しい。

 七星は思わず、七星の名前を呼んで応援してしまっていた。周りはギョッとした顔をしていたが、そんな事は関係ない。彼のために、自分も出来る限りの応援をしたいのだ。
 すると、七星の声援が、応援が届いたのか夕影が集団から頭1つ飛び出した。そして、そのままゴールし、夕影は大きく息を吐きながらゴールをした。

「2位だ」
「雲梯の奴、やったぞ」
「本番に弱いジンクスを打ち消したか?」
「たかが練習試合だろ?てか、さっき大声で応援してた人って誰?夕影の関係者」
「もしかして恋人とか?」
「まじ?どの人だ」

 夕影の結果よりも、何故か七星の声援の方に注目が集まってしまった。
 そんな噂話が盛り上がる前に、と七星は隠れるようにプールサイドからゆっくりと後にしたのだった。


 プールの入った施設を後も、先ほどの練習試合の余韻に浸るように大学構内を歩き回った。
 スタートや前半のペース配分こそ間違ってしまったかもしれないが、最後まで食らいつき、2位に入ることができた。これは一定期間競泳から離れていた夕影にとっては快挙だろう。誰もが驚いていたようで、タイムと順位を伝えられると、とびきりの笑顔を見せていた。
 ………よかった。
 自分で競泳から離れたはずの夕影をまた競泳の世界に戻してしまったのは七星のせいだった。
 彼は快く戻ってくれたが、辛い思いをさせてしまうのではないかと、とても心配だったのだ。だからこそ、彼が頑張って結果を出し、笑ってくれたのが何よりも嬉しかった。
 競泳に戻ってよかったと思ってくれるのが、何よりも嬉しいのだ。

 その一歩を踏み出したのではないか。そんな事を思えて、七星は一人で笑みを浮かべていた。

 けれど、それと同時に罪悪感も感じていた。
 スタート前の彼の不安そうな表情や震えた手。それを見ていると、無理をして彼に競泳をやらせてしまったのではないかとも思ってしまうのだ。そう思うと、先ほどの笑みも一瞬で消えてしまった。


「七星さんっ!」
「…………夕影くん」

 大学構内で七星の名前を知っている人は、競泳部のマネージャーと彼しかいないはずだ。七星は彼の声を聞き、驚いて振り向いた。すると、髪が濡れたままでジャージを着た彼の姿があった。急いで走ってきたのか、上のジャージは羽織っていただけで、走るたびに鍛えられた腹筋が見え隠れしている。
周りの人はびっくりしているだろうと思ったが、ぼーっと歩いていた七星は、どうやら人気ない施設の裏庭に来てしまったようで、人の気配は全くなかった。

「こんな所に居たんですね。探したんですよ」
「………ごめんね。試合すごかったなーって思って歩いてたらこんなところまで来ちゃって」
「見に来てくれてありがとうございました。応援してくれたのも嬉しかったです」
「2位入賞おめでとう。すごいね、かっこよかったよ」
「ありがとうございます。練習試合だけど、やっぱり嬉しいです。でも、悔しい」
「1位になりたかったよね」
「1位になって七星さんにかっこいいところ見せたかったです」
「かっこよかったよ?」
「まだまだです」


 そう言って悔しそうな表情を見せる夕影。
 しっかり髪を拭いてくる暇もなく自分を探してくれたのだろうか、髪からポタポタが水滴が落ちてくる。その髪をかき上げる手。今はもう震えてはいない。
 勝負事は苦手だと言っていた彼に、試合をさせてしまった。勝てたからいいものの、またプレッシャーに負けてしまったっていたら、彼を傷つけてしまう事になっていたかもしれないのだ。

「ごめんね。………私のために辛い事をさせちゃって」
「七星さん?」
「夕影くん、震えてた」
「……見られちゃいましたか」
「本当に競泳をまた始めてよかったとおもってる?無理してない?私の我儘のせいで、辛い事させてるんじゃないかな?始めたばっかりだけど、無理しないでやめてもいいんだよ。ごめんなさい。私のせいで」
「七星さん、俺の話聞いて」
「………え」

 温かい体と、冷えた髪がぴったりと七星の体にくっついている。
 夕影は七星を後ろから抱きしめ、囁くようにそう言ったのだ。
 あまりの出来事に七星は、体を硬直させてしまう。

「夕影くん?ど、どうしたの……?」
「心配したがりの七星さんを安心させようと思って。これで、もう心配しなくていいですよね。俺は怒ってもいないし、後悔もしていなんですよ。だから、俺の言葉をしっかり聞いてください」
「はい」

 今度は七星が緊張した震える番で、安心する前にドキドキで倒れてしまいそうだな、と思いつつも年下の彼に抗えないまま彼の体のぬくもりを感じていた。

    

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