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23話「人魚姫の危機」
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今日は待ちに待った、人魚の餌やりの日。
あれから2回は人魚に変身したのだが、夕影とは予定が合わずに見せれていなかった。早く伝えたかった七星は、夜中に夕影から電話があった時につい話しそうになってしまったが、何とか我慢することが出来た。
数分の晴れ舞台だけれど、直接見て欲しかったので、言葉を飲み込む事が出来たのだった。
七星は昼休みの時間に、夕影に連絡をしていた。
今日はバイトがない夕影は早めに水族館に来てくれることになっていた。そのため、夕方のイベントの時間に間に合うのだ。本日餌やりが行われる水槽の前で待ち合わせをしたいとメッセージを送ったのだ。返事はすぐに来て『わかりました!久しぶりの水族館デートですか?楽しみにしてます』と返ってきた。どうやら怪しんではいないようだったので、七星はひとまず安心した。あとは、イベントを成功させるだけ。もう2回ほど経験したので、要領をつかめるようになってきた。息継ぎのタイミングや、お客さんに魚をよく見てもらえる場所で餌をあげるなどまで計算してできるようになってきた。手を振るだけではなく、水槽のガラスに手をつけて手合わせをしたり、恥ずかしいが投げキッスをしたりするようにもなった。それは他のスタッフからのアドバイスなのだが、おかげで人魚の餌やりはかなりの人気になったいるようで、館長さんも喜んでくれていた。代役として、人気を引き継げたことに安心する。
そして、今日はついに彼にサプライズを決行する。
夕影は喜んでくれるに決まっている。だが、どうせなら完璧な人魚になれるよう、失敗はしたくない。
昼休みや客足が少ない時に、七星は頭の中でデモンストレーションを繰り返した。
「では、イベントに行って来ます」
「いってらっしゃい。お客さん少なかったら見にいくからね」
売店の仲間に見送られ、七星は水族館の裏口へと進み、スタッフルームで着替えをする。こっそり今日の水槽を見たが、まだ夕影は来ていないようだった。約束の30分前だから当たり前だ。水槽に入ってしまうと、お客さんの顔がよく見えないので、今の内に彼を見ておきたかったが仕方がない。七星は急いで着替えに取り掛かった。
いつもよりしっかりとメイクの確認をする。このイベントをする時のために、水に強いメイク用品を購入した。今休職しているスタッフはかなり濃いめのメイクをしていたと聞いたので、七星も同じように濃いメイクをしていた。確かに水の中では表情は見にくいので、丁度いいのかもしれない。
そして、今日は今までとは違う水槽でのイベントになるので、スタッフといつも以上の深い打ち合わせをする。魚達の性質や、餌をあげる場所や量など、詳しく話していく。
そんな事をしているうちにあっという間に時間になる。
「七星さん、本日もよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします。何か不備があったら、息継ぎの時に大きな声で教えてください」
「七星さんななら大丈夫ですよ。もう何も教える事はないぐらいに完璧です」
「それならよかったです。じゃあ、いってきます」
七星は外から聞こえる男性の合図を聞いて、他のスタッフに手を振って、いつものように水槽に体を沈めた。
「っ!!?」
だが、すぐにいつもと違う事に気付いた。
全身に刺さるような冷たい水が、七星の体を包んだのだ。思わず声を上げそうになり、必死に堪える。
いつもは熱帯魚がいる水槽であったが、今日は違う水槽。いつもと水温が違うのだ。
七星は水温を確認していなかった事に今更ながら後悔したが、もう遅い。もうイベントは始まっている。人魚の登場に、待っていた観客が拍手している姿が見える。そして、きっとこの中には夕影も見ていてくれる。
今のところ右足に違和感はない。いつものプールの水よりも温度が低い冷水のように感じられるが、大丈夫だろう。
七星はいつものように笑顔を浮かべて、水槽の中を泳いでいく。すると、餌がもらえるとわかったのだろう。七星の周りに魚達が集まり始めた。
人慣れしているせいなのか、魚達は人間が近づいても逃げない、攻撃性の少ないものばかりだと聞いている。いつもと同じように短い時間、餌やりをしながら人魚になりきって泳げばいいだけなのだ。少しだけ水が冷たいだけ。ただ、それだけなのだ。体も足も鍛えてきたのだから、不安に思わなくていい。
七星は自分自身に言い聞かせて、思い切り足を蹴った。
いつもはバタ足で泳ぐが人魚になっている時は両足を合わせてキックしなければいけない。そうなると、あまり自由に泳げない。だが、布で隠れている部分なので、多少はバタ足を使ってもバレないとわかり、少しずつコツをつかんできた七星は小回りをきかせながら、水槽の中を自由に泳ぎ回った。
しばらく泳いでも右足には変化がなく、餌やりも半分以上終わった頃。ようやく、七星も安心して泳げるようになってきていた。大丈夫。もう少しで終わる。そして、自分は冷たい水の中でも泳げるようになったんだ、と思い嬉しくなった。
その時だった。
「……うっ!!」
ピキッという普段なら体から発せられないような音が七星の体を巡った。
先ほどまで自由に動いていた右足に突如鋭い痛みが走ったのだ。あまりの激痛に七星は口を開けてしまい、ゴホゴホと息を全て吐いてしまった。
そこからは、パニックになって七星はただもがくだけであった。
右足が動かない。
息が苦しい。
衣装のせいで自由に泳げない。辛い。痛い。苦しい。誰か、助けて。
七星な声も上げられず、色とりどりの魚達が泳ぐ水槽の中でただ体を動かして、もがき苦しんだ。
もう息が続かない。
こんなところで倒れてしまうなんて。
七星は恐怖と苦しさから逃れるように意識を飛ばした。
遠くから聞こえるはずの自分の名前を呼ぶ声など、水の中では届くはずもなかった。
ーーー
「やっぱり本物の人魚姫だったんだ」
待ち合わせ場所に現れた愛しの彼女である七星は、この世のものとは思えぬほど綺麗な人魚姫に姿を変えて現れたのだ。水の中とは思えないぐらいに自由に泳ぎわり、様々な色や形を引き連れて、人魚姫は笑顔で踊ろるように舞っている。
時々、観客に向けて手を振ったり、投げキッスをすると子どもたち完成を上げ、女性はうっとりとした表情で手を振り返し、男性にいたっても茫然としながら七星の姿に見惚れているものばかりだった。すでに七星のファンになっている人物もいるのか、高級そうなカメラを七星に向けて、連写している。そんな姿を見ると、今すぐにでも止めさせたくなる。
けれど、夕影もまだ人魚姫の姿の彼女を見続けていたかったので、葛藤してしまう。
そして、子供の頃に彼女の泳ぎを見て、人魚姫のように華やか泳ぎをしている彼女に視線が釘付けになったのを思い出した。世間で人魚姫と言われているのも間違っていないなと思うほど、彼女の泳ぎは華麗でいてスピーディーで力強いものだったのだ。
そして、今は衣装だとわかっていても、本物の人魚姫が泳いでいると思うほどに似合っていた。
ずっとずっと人魚姫の姿をした彼女を見ていたい。
そんな風に見惚れていた時だった。
「七星さんっ!」
突然、彼女の体がビクッ大きく動いたのだ。そしてその瞬間、大きな泡を口から吐き出し、苦しそうにもがき始めたのだ。顔は苦しそうに歪み、手をバタバタつかせている。持っていた餌の袋も手から話して、ばたつくため、水槽は泡で覆われ始めた。穏やかそうに泳いでいた魚たちも驚き、水槽の隅や岩陰に隠れてしまった。
見ていた観客たちも異変に気付き、どよめきが起こったり悲鳴をあげる人たちもいた。
夕影はただことではない事をすぐに理解し、咄嗟に駆け出した。
イベントをしていたスタッフが、すぐにスタッフルームに駆け込んだのを見て、そこに共に入ったのだ。
「ちょっと!ここは関係者以外立ち入り禁止ですよっ!!」
「俺は人魚姫、七星さんの知り合いです。そして、競泳のスタッフとして学んでますので助けられます」
「ま、待ってくださいっ!」
男性スタッフが止めるのも聞かずに、夕影は走りながらカバンを投げ捨て、着ていたTシャツを脱ぎながら走り、七星がいる水槽へと向かった。七星がいるであろう場所はすぐにわかった。スタッフ達が悲鳴を上げており、水がバシャバシャと激しく鳴ってきこえたからだ。
心配そうにしながら、何人かのスタッフが水の中に入ろうとしていた。それにかまわず、夕影は大きく息を吸い込んだあと、頭から水槽へと飛び込んだ。
(七星さんッ!!)
その瞬間にプールの水よりも幾分も冷たい水が夕影の体を包んだ。こんな水の中で彼女は泳いでいたのかと思うと、夕影は焦りを感じ、大きく体をくねらせ、バタ足をして必死に水槽への下部で苦しむ七星の体へ手を伸ばした。その時間はとても長く感じられた。早く、早く彼女を助けなければ、大変な事になる。
夕影は、両手で彼女の体をしっかりと抱きかかえると、大きく足を動かしてそのまま上へ上へと登っていく。
「ッ!体を引き上げるのを手伝ってください」
「お、おう」
七星は意識を失っている。そうなると、人の体は重くなってしまう。水面から彼女だけを先に上げた後、スタッフからタオルを貰い、冷えきった彼女の体にかける。
そして、彼女の体の状態を確認する。
「七星さん!七星さん!夕影です、聞こえますか?」
「………」
反応はない。
次にとった行動は、彼女の口元に耳を当て、視線は胸元に向ける。呼吸が浅く、心拍も弱く感じる。
思い出せ。
授業で教わった、心肺蘇生法を。夕影は大きく息を吐いた後、七星の顔に近づき、鼻をつまみ、指で顎先を押して上へを向かせて軌道を作ったあと、大きく息を吸って、七星の口に自分の息を吐き出した。人工呼吸。七星が水を吐き出す気配がないので、そのまま胸を一定のリズムで押していく。やや強めに押していているのに、彼女の体は反応してくれない。
嘘だろう。こんなところで、彼女を失ってしまうのか。そんなのは嫌だ。絶対絶対助ける。
「救急車を呼んでください。AIDもあったら探してきてください」
突然の出来事におろおろとしたり、夕影の行動に唖然としているスタッフに指示をすると、焦りながらも動き出してくれる。水族館で働いているスタッフだ。救命救急の講習などは受けているに、トラブルがあったときのマニュアルや訓練もあるはずだ。夕影は、彼女が意識を取り戻すことを最優先に考え、蘇生法を続ける。
「お願いだ。七星さん、目を覚ましてくれ……!!」
2回目の人工呼吸をしたときだった、彼女の体が微かに動いたのに気づいた。胸が動き、「かはッ」と水を吐いたのだ。夕影は、咄嗟に彼女の顔を横向きにして水を吐かせる。苦しそうな表情だったが、夕影は喜びから思わず彼女の名前を呼んだ。呼吸が戻り、七星の瞼が動いたからだ。
「七星さん!」
「ん。あ、れ………?夕影くん。……わたし、どうしてこんなところに………」
「よかった。本当によかった」
夕影は七星の体を強く抱きしめた。冷たくなった彼女を、自分の体で温めてあげたい。そして、彼女の鼓動を感じたいのだ。無事に生きているのを確認したかった。
「ゆ、夕影くん!?どうしたの?」
「ダメです。今は、何も言わずにこうされていてください」
「私、また夕影くんに迷惑かけちゃった、よね………」
「七星さんが無事ならいいんです。こうやって話せればいいんです。無事で本当によかったです」
混乱している七星だったが、少しずつ状況が理解してきたのだろう。
大人しく夕影に抱きしめたられながら、「ごめんなさい。本当に、ごめんね」と何度も謝ってきた。
違う。今、聞きたいのはそんな言葉じゃないんだよ。
けれど、そんな事を伝えられる余裕はなかった。
安堵からか、夕影の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
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