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16話「甘えたい温かさ」
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花の父が行った事。
それの罪は自分にも降りかかってくる。それは覚悟していたはずだ。
それなのに、いざ本当に冷たい言葉を浴びると、花は想像以上に傷ついてしまった。
父親の罪は許したはずだった、それでも父を許していない人間は数多くいるはずだ。その罪を花が受け入れていかないといけない。そう思っていたはずなのに、どうしてこんなにも悔しいのだろうか。
我慢してもこぼれてしまう涙を必死に拭きながら、街を歩いた。
社会に認められるために頑張ると決めたのに、それすら出来ずに追い出されてしまうのか。
それが悔しくて仕方がない。
それでも、父親の事を憎みたくはない。それなのに、その気持ちすら揺らぎそうになる自分にも苛立つ。
「こんな事で弱ってはダメなのにな……」
雑踏の中、そう呟くがその言葉に気付く人も足を止める人もいない。
辛い事があっても、この問題は一人で解決していくしかない。そういう事なのだろうと思い知らされる。
しばらく無心のまま歩いていたが、気づくと花の自宅ではなく新しい葉を少しずつ身に纏い始めた桜の木が並ぶ川岸を歩いていた。そこには、もうピンク色の花筏も花の絨毯もない。あるのは、木洩れ日で光る川や道路があるだけだった。
そこは、花浜匙がある町だ。
無意識に彼らが住む場所に来てしまった自分の甘さに苦笑しながら、そこには向かわずに引き返そうと1度だけ足を止める。店の姿だけを見ていこう。そんな風に思い、花は凛とずぶ濡れなったまま歩いた道をゆっくりと歩いた。
穏やかな平日の昼前。歩いている人もまばらで、静かな時間だった。
そこに佇む小さな店。その場所が花にとってこれほどまでに大切な存在になっていたのかと、改めて気づかされる。悲しみに暮れる時に無意識に足が向くほどの場所なのだ。
甘えてしまいたい気持ちはあるが、花は堪えて店を通り過ぎようとした。
「おいッ!」
聞き覚えのある声が静かな町に響いた。
声がした方向は花浜匙の正面からで、花はそちらに視線を向けた。店の玄関の扉が少し開いている。ぱっと見は誰もいない。けれど、視線を地面の方へと向けると、そこには小さなクマ様が顔だけを出してこちらを見ている。
「クマ様……」
「お前何やってるんだ?仕事、さぼったのか?」
「それは………」
「………いいから、早くこっちにこい、俺がつぶれる」
クマ様の声が切羽つまっている。どうやら、テディベアの力ではドアは重いようだ。花は急いで駆け寄り、扉を開く。すると、「今、凛は買い出しに行ってるぞ」と言い、店に入れてくれる。
花は入っていいのか迷う。今日は店を見るだけで帰るつもりだったのだ。
2人に甘えたくはなかった。
今まで十分に甘えてきた。だから、1人で頑張ろうと決めた。
「早く入れ。凛が作り置きしてるアイスティーがあるから飲むだろ?」
「で、でも………」
「そんな顔で何もなかったなんて言うなよ。話ぐらい聞いてやる」
「………」
有無を言わせない、という声音でクマ様はさっさと住居スペースの方へとトコトコと歩いていく。
花は店内に取り残される。仕方がないので、いつものようにソファに座る。
静かな店内。テディベア達が優しく歓迎してくれているようで、花の心が少しだけ落ち着く。
けれど、その静寂もあっという間に終わった。
ドンッ ガシャンッ バンッ
物が倒れ落ち、割れる音が店の中に広がった。
「え、クマ様ッ!?」
花は慌てて立ち上がり、音が聞こえた方へと向かう。すると、物音はキッチンから聞こえたようだ。
急いでその場へ向かうと、床にはガラスが落ち割れており、小さな梯子も倒れていた。
「クマ様、どうしたの?大丈夫?」
「あ、あぁ………。紅茶を入れようと思ったんだが、上手くつかめなくてな。落とした。クマの手だと滑るな」
そう言って割れたガラスを拾おうとするクマ様を花は止めた。
「危ないから私がやるよ。アイスティーをいれるのも手伝わせて」
「危ないのはお前の方だろう。俺が破片の触っても怪我なんかしないからだだ」
「そういうのはいいから。クマ様は黙って待ってて」
勝手に動かないように、梯子でも届かないシンクの上にクマ様を移動させる。すると、「おい、卑怯だぞ!」と文句を言っていたが、テキパキと掃除をすませ、アイスティーを作り終える頃には、静かになっていた。
「…………おまえ、何かあったな?」
「………」
「父親絡みの事か?」
アイスティーをグラスに注いでいると、横から心配そうな声でそう問いかけてくる。
花はクマ様の方を向けないまま、琥珀色のアイスティーを見つめる。シンクにうつる影までも綺麗な色をしている。その茶色の影がユラユラと揺れている。
「…………犯罪者の子どもは、働いちゃいけないんだって。品位を下げるって事みたい」
「誰に言われた。まさか、スタッフか」
「違うよ。お客様。お得意様みたいで大切な顧客なんだって。だから、そんな人がイヤがる存在は、必要ないみたい」
こんな愚痴など言いたくない。
自分が弱っている姿をこれ以上見せるべきではない。
1人の人間に言われた事でクヨクヨしている女に見られたくない。
お父様を見送った時に強く生きると決めたのに。
クマ様もそれを応援してくれていたのに。
泣きたくない。
「笑うな」
「…………クマ様?」
「今は笑う必要がないだろ」
「…………だって笑うしかないじゃない!辛くても、頑張りたかったのに、頑張る場所さえもなくなるかもしれない!せっかく許される場所をもらったのに、またなくなっちゃうかもしれない。辛いときに笑わないと頑張れないじゃないッ!」
「もう泣いてるだろ…………」
「……………え」
花は咄嗟に目の下に手を置いた。が、そこには必死に堪えていたために涙は流れていない。
不思議に思い、クマ様を見つめる。
クマ様も花をじっと見つめている。そして、ゆっくりと言葉を続けた。
それは、いつものように強気で意地悪な声音ではない。優しいものだった。
「涙を流してるから泣いてるんじゃないだろ。もう表情が泣いてるんだよ。お前の心も」
「…………ッ」
「それに、許される場所じゃないだろ。おまえは、何もしてないんだからな。おまえが働きたい場所、のはずだ」
「けど、それもなくなっちゃうかもしれない」
「その客も見る目ないな。そんな奴が1人いなくなるぐらいでダメになる店なんて、潰れちまえばいいんだ」
「……クマ様」
あっという間に口が悪いテディベアに戻ってしまったが、それがとても彼らしく、そして温かく感じる。
いつも通りにクマ様。
それにホッとしたのだろう。
花の瞳は一気に潤み、溢れて零れ落ちる。
たまりすぎた涙は、止まる事もなく流れ続ける。それは、気持ちもそうだった。押し殺していた本心が、先程のクマ様とのやり取りのせいで口から流れる。
「どうして、私を見てくれないの?初めて会って、少し話をしただけなのに私の事じゃない、後ろを見てる。言葉も表情も行動も届ける前に、すべて見えない壁に遮られて届けられないの。そして、向けられるのは罵倒と鋭い視線だけ。そして、おまえも悪い事をするんだろう、っていう疑いの瞳。それが怖くなった。守ってくれる人だっているのに逃げてきちゃった。弱い自分も嫌い。お父様の事を、これで恨みそうになる自分は、………もっと大っ嫌いッ」
大好きなアイスティーが入ったグラスを両手で包み、花はポタポタとシンクに涙の溜まりを作りながら泣き続ける。
悔しさと弱さと悲しさ。その叫びをクマ様にぶつけた。
それを、クマ様は何も言わずに聞いてくれる。
そして、足音もなく近づくと花の手に触れてくれる。ぬいぐるみのはずなのに、温かい不思議な手で。
どうしてだろうか。
クマ様の言葉を聞くと甘えたくなるのは。
クマ様が近くに居てくれるとぬくもりを感じながら、そんな事を考える。
そんな事はすぐに答えが出る。
彼の言葉はいつもまっすぐで正直。
そんなクマ様の言葉だからこそ、彼の言葉はすっと体に入ってくる。
優しくもまっすぐな朝日のように温かい言葉が。
その温かさに甘えたくなるのだ。
それは休みの日の朝日。そんな雰囲気に似ている。
甘えるはずではなかったのに、それをクマ様は許してくれているようで、花はその甘えを許してもらう事にした。
今だけは、と。
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