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影に咲いた毒花
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かつて、最も信頼していた侍女がいた。
名はマリア。 朝の支度部屋、柔らかな陽光の中で、彼女は微笑みながら言った。
「お嬢様、今日の髪型はどうなさいますか? 少し巻いてみましょうか」
「お手紙、王都から届いております……」
その指先が、わずかに震えていたことに、私は気づかなかった。
――あの時、異変に気づいていれば。 あの震えは、忠誠が揺らいだ証だった。
私は、彼女を信じていた。 幼い頃から髪を編み、涙を拭い、私の秘密を守ってくれた人。
「マリアは、家族のようなものよ」
そう言った私の言葉を、彼女はどう受け止めていたのだろう。
だが、マリアの心には、静かに“隔たり”が生まれていた。
エリスの知性、品位、社交界での輝き――
それらは、領地を持たぬ男爵家の娘である彼女には、一生届かぬものだった。
(持参金も用意できず、婚約も調わない。 お姉さまは王族に嫁ぎ、エリス様が伯爵家を継ぐ。 私は、彼女の“影”なのかもしれない。どれだけ尽くしても、彼女の世界には入れない。)
そんな心の隙間に、リリアナが囁いた。
「あなたは、ただの侍女で終わるつもり? 彼女が失脚すれば、あなたは“証人”として、私が皇太子妃になったら、いいようにしてあげるわ。 給金も上がるわよ。結婚だって夢じゃない。これを機に、あなた自身の人生を変えてみない?」
マリアは迷った。忠誠か、自分の幸せか。
(彼女は、私を“家族”だと言った。でも、本当にそうだった? 私は、ただの侍女でしかなかったのでは……? この屋敷に来てから、一度もドレスを着たこともない。誰かに髪をすいてもらったこともない。)
その思いが、裏切りの一言を生んだ。
「お嬢様が地下室の書庫へ、おひとりで通っていたのを、何度も目にいたしました」
――裁判で響いたその言葉が、私を地獄へと突き落とした。
* **
三年後――マリアは、かつて私を陥れたにもかかわらず、姉の手引きで格上の公爵家の侍女として働いていた。
表向きはリリアナの計らいによるもの。だが実情は、公爵家を見張る“スパイ”だった。
私は、“ロゼ”としてその屋敷に潜入した。
目的はただ一つ。かつて私を裏切った侍女――マリアに罠を張ること。
同僚たちと、何気ない会話を交わしながら、彼女の動きを観察した。
面白いほど、彼女の行動や思考は、私には手に取るように分かる。
それは、長年の信頼と裏切りの記憶が、私の中に刻まれているからだ。
だからこそ、私は先回りした。 彼女が通るであろう道に、少しずつ毒を――罠を仕込んでいった。
だが、それはあくまで“気づかれないように”という前提の上に成り立っていた。
私は目立たぬように動いた。 調合室の棚を整えるときも、廊下を通るときも、誰かの視線を避けるように。
マリアの視界に入らぬよう、彼女が背を向けた瞬間だけを狙って動いた。
* **
それでも、ある日―― ふとした瞬間に、マリアが私をじっと見つめているのに気づいた。
言葉もなく、ただ静かに、目だけが私を追っていた。
その視線に、私は息を呑んだ。 彼女は、何かに気づいたのかもしれない。
時間がない――そう感じた。
この計画は、長くは保てない。
罠は、完成させなければ意味がない。
その日から、私は動きを早めた。
証拠を揃えるために。
彼女の足元を崩すために。
そして、彼女の目が再び私を捉える前に、すべてを終わらせるために。
* **
ある日、公爵夫人が突然倒れた。
原因不明の高熱と痙攣。医師を呼ぶにも時間がかかる。
屋敷内は騒然とし、誰もが慌てていた。
私は、偶然を装って夫人の異変に気づいた。
冷静に症状を観察し、声を落として告げる。
「これは、病ではありません。毒草〈アーリスの根〉による中毒症状のようです」
「でも……まさか、あの根を……なぜ?」
そう呟きながら、私はすぐに夫人に解毒処置を施した。
煎じた薬草を夫人に飲ませ、彼女の命をつなぎ止めた。
「夫人は…… 命は、助かります」
私はそう告げたあと、少し間を置いて言葉を継いだ。
「ですが、これは事故ではありません。……この屋敷に、違法薬物があるなんて」
声は低く、しかし確かに響いた。 誰もが息を呑み、視線を交わす。
その場に漂う空気が、目に見えぬ毒のように重くなっていくのを感じた。
* **
私は毒の出所を調べることにした。
調合室の棚には、わずかに欠けた薬品の瓶の蓋が残されていた。
なぜかそこには、薬品瓶の本体は見当たらず、私は、屋敷内を隅々まで確認した。
そして、あるはずのない場所――マリアの私室から、〈アーリスの根〉の乾燥片が入った瓶が見つかった。
そして、その証拠が決定的だったのは、マリアが調合室に入った記録。
私が“念のため”仕込んでおいた印付きの鍵が、彼女の持ち物から発見されたのだ。
それは、偶然だったのか。
それとも、必然だったのか。
誰もが「証拠が揃っている」と言った。
だが、その証拠が“誰の手によって揃えられたのか”を問う者は、いなかった。
「マリアさん……、あなたが夫人に毒を飲ませたのですね?」
私の声は、氷のように冷たく、鋭く、皆の前でマリアを断罪した。
「違う!仕組まれたの! 私は毒なんて――!」
かつての私と同じ言葉。 だが、誰も耳を貸さなかった。
そして私は、何も言わずにその場を離れた。
背中に感じる視線の中に、かつての自分がいた。
マリアは、騎士たちに囲まれ、叫び続けながら屋敷を後にした。
公爵家の廊下に響いた足音は、彼女の人生が音を立てて崩れていく音にも聞こえた。
* **
その後の取り調べで、マリアが夫人に毒を仕込んだとされる証拠が次々と見つかった。
瓶の欠片、鍵の印、調合室の記録――どれもが、彼女の罪を裏付けるものだった。
誰もが「間違いない」と言った。
誰もが「仕組まれたのでは?」とは言わなかった。
幸いにも、公爵夫人は命を取り留めた。
麻痺は残ったが、殺人ではなく毒殺未遂とされたことで、マリアは処刑を免れた。
だが、彼女の名は貴族社会から完全に抹消された。
行き場を失った元侍女に残されたのは、冷たい鉄格子と、誰にも顧みられぬ日々。
持参金も、華やかなドレスも、夢も希望も――すべて不要な生活に戻っただけだった。
その瞬間、私は背を向け、誰にも聞こえぬように呟いた。
「地獄は、ここからよ――マリア」
――《復讐計画:対象① 完了》
名はマリア。 朝の支度部屋、柔らかな陽光の中で、彼女は微笑みながら言った。
「お嬢様、今日の髪型はどうなさいますか? 少し巻いてみましょうか」
「お手紙、王都から届いております……」
その指先が、わずかに震えていたことに、私は気づかなかった。
――あの時、異変に気づいていれば。 あの震えは、忠誠が揺らいだ証だった。
私は、彼女を信じていた。 幼い頃から髪を編み、涙を拭い、私の秘密を守ってくれた人。
「マリアは、家族のようなものよ」
そう言った私の言葉を、彼女はどう受け止めていたのだろう。
だが、マリアの心には、静かに“隔たり”が生まれていた。
エリスの知性、品位、社交界での輝き――
それらは、領地を持たぬ男爵家の娘である彼女には、一生届かぬものだった。
(持参金も用意できず、婚約も調わない。 お姉さまは王族に嫁ぎ、エリス様が伯爵家を継ぐ。 私は、彼女の“影”なのかもしれない。どれだけ尽くしても、彼女の世界には入れない。)
そんな心の隙間に、リリアナが囁いた。
「あなたは、ただの侍女で終わるつもり? 彼女が失脚すれば、あなたは“証人”として、私が皇太子妃になったら、いいようにしてあげるわ。 給金も上がるわよ。結婚だって夢じゃない。これを機に、あなた自身の人生を変えてみない?」
マリアは迷った。忠誠か、自分の幸せか。
(彼女は、私を“家族”だと言った。でも、本当にそうだった? 私は、ただの侍女でしかなかったのでは……? この屋敷に来てから、一度もドレスを着たこともない。誰かに髪をすいてもらったこともない。)
その思いが、裏切りの一言を生んだ。
「お嬢様が地下室の書庫へ、おひとりで通っていたのを、何度も目にいたしました」
――裁判で響いたその言葉が、私を地獄へと突き落とした。
* **
三年後――マリアは、かつて私を陥れたにもかかわらず、姉の手引きで格上の公爵家の侍女として働いていた。
表向きはリリアナの計らいによるもの。だが実情は、公爵家を見張る“スパイ”だった。
私は、“ロゼ”としてその屋敷に潜入した。
目的はただ一つ。かつて私を裏切った侍女――マリアに罠を張ること。
同僚たちと、何気ない会話を交わしながら、彼女の動きを観察した。
面白いほど、彼女の行動や思考は、私には手に取るように分かる。
それは、長年の信頼と裏切りの記憶が、私の中に刻まれているからだ。
だからこそ、私は先回りした。 彼女が通るであろう道に、少しずつ毒を――罠を仕込んでいった。
だが、それはあくまで“気づかれないように”という前提の上に成り立っていた。
私は目立たぬように動いた。 調合室の棚を整えるときも、廊下を通るときも、誰かの視線を避けるように。
マリアの視界に入らぬよう、彼女が背を向けた瞬間だけを狙って動いた。
* **
それでも、ある日―― ふとした瞬間に、マリアが私をじっと見つめているのに気づいた。
言葉もなく、ただ静かに、目だけが私を追っていた。
その視線に、私は息を呑んだ。 彼女は、何かに気づいたのかもしれない。
時間がない――そう感じた。
この計画は、長くは保てない。
罠は、完成させなければ意味がない。
その日から、私は動きを早めた。
証拠を揃えるために。
彼女の足元を崩すために。
そして、彼女の目が再び私を捉える前に、すべてを終わらせるために。
* **
ある日、公爵夫人が突然倒れた。
原因不明の高熱と痙攣。医師を呼ぶにも時間がかかる。
屋敷内は騒然とし、誰もが慌てていた。
私は、偶然を装って夫人の異変に気づいた。
冷静に症状を観察し、声を落として告げる。
「これは、病ではありません。毒草〈アーリスの根〉による中毒症状のようです」
「でも……まさか、あの根を……なぜ?」
そう呟きながら、私はすぐに夫人に解毒処置を施した。
煎じた薬草を夫人に飲ませ、彼女の命をつなぎ止めた。
「夫人は…… 命は、助かります」
私はそう告げたあと、少し間を置いて言葉を継いだ。
「ですが、これは事故ではありません。……この屋敷に、違法薬物があるなんて」
声は低く、しかし確かに響いた。 誰もが息を呑み、視線を交わす。
その場に漂う空気が、目に見えぬ毒のように重くなっていくのを感じた。
* **
私は毒の出所を調べることにした。
調合室の棚には、わずかに欠けた薬品の瓶の蓋が残されていた。
なぜかそこには、薬品瓶の本体は見当たらず、私は、屋敷内を隅々まで確認した。
そして、あるはずのない場所――マリアの私室から、〈アーリスの根〉の乾燥片が入った瓶が見つかった。
そして、その証拠が決定的だったのは、マリアが調合室に入った記録。
私が“念のため”仕込んでおいた印付きの鍵が、彼女の持ち物から発見されたのだ。
それは、偶然だったのか。
それとも、必然だったのか。
誰もが「証拠が揃っている」と言った。
だが、その証拠が“誰の手によって揃えられたのか”を問う者は、いなかった。
「マリアさん……、あなたが夫人に毒を飲ませたのですね?」
私の声は、氷のように冷たく、鋭く、皆の前でマリアを断罪した。
「違う!仕組まれたの! 私は毒なんて――!」
かつての私と同じ言葉。 だが、誰も耳を貸さなかった。
そして私は、何も言わずにその場を離れた。
背中に感じる視線の中に、かつての自分がいた。
マリアは、騎士たちに囲まれ、叫び続けながら屋敷を後にした。
公爵家の廊下に響いた足音は、彼女の人生が音を立てて崩れていく音にも聞こえた。
* **
その後の取り調べで、マリアが夫人に毒を仕込んだとされる証拠が次々と見つかった。
瓶の欠片、鍵の印、調合室の記録――どれもが、彼女の罪を裏付けるものだった。
誰もが「間違いない」と言った。
誰もが「仕組まれたのでは?」とは言わなかった。
幸いにも、公爵夫人は命を取り留めた。
麻痺は残ったが、殺人ではなく毒殺未遂とされたことで、マリアは処刑を免れた。
だが、彼女の名は貴族社会から完全に抹消された。
行き場を失った元侍女に残されたのは、冷たい鉄格子と、誰にも顧みられぬ日々。
持参金も、華やかなドレスも、夢も希望も――すべて不要な生活に戻っただけだった。
その瞬間、私は背を向け、誰にも聞こえぬように呟いた。
「地獄は、ここからよ――マリア」
――《復讐計画:対象① 完了》
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