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10 友達
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窓から見上げた空は、綺麗な青を見せていた。けれど、白い雲の後ろに薄い黒が見える。雨が降るのかもしれないなとサーシャは思った。
『やっちゃった…』
何かを倒した音とともに、そんな声が聞こえた。窓の外に向けていた視線を声の方に移す。オースとライが気まずそうな顔をしてサーシャを見た。見れば皿に入ったライの飲み水が零れている。オースまで申し訳なさそうにしているところから、2匹でじゃれ合い、零してしまったというところだろうか。
『ごめん、サーシャ。ライと遊んでたら、ライの前脚が当たってこぼしちゃった…』
『ごねんね、サーシャ』
素直に反省する様子にサーシャは数回頷くことで答える。
「次から気を付けること、いいね?」
『うん』
『はい』
2匹の声がそろう。サーシャは雑巾を手に持ち、零れた水を拭いた。拭き終えるころには雑巾はびしょびしょになっていた。そう言えば、ゴミもたまっていたな、と思い出す。左手に濡れた雑巾と、右手にゴミ袋を持ち、サーシャは部屋を出ようとした。
『サーシャ、どこに行くの?』
「どこって、ごみ捨てだよ。雑巾も濡れたから絞ってこないと」
『僕も行こうか?』
オースの申し出にサーシャは首を傾げた。
「すぐそこまで行くだけじゃない。どうしたの、オース?」
『だって、王子もハリオもサーシャを一人にしないようにすごく注意してるからさ。サーシャを一人にしちゃいけない気がして』
ユリウスとの交渉が成立した次の瞬間から、ユリウスは一言で言えば過保護となった。メイドの仕事をするならば、一人で出歩かないということは無理がある。食事の用意をしなければならない。掃除もする必要がある。掃除道具を部屋の中に入れておくことはできても、ゴミや不要物は捨てなくてはならない。その度にハリオを呼ぶこともできない。まして、ユリウスについてきてもらうことなどできるはずはない。それでもハリオに無理を言い、時には自分自身でも無理をしながらユリウスはサーシャを一人にしないようにしていた。
ここ数日のユリウスの行動を思い出し、サーシャは眉をしかめる。
「オースまで王子みたいなこと言わないで。どうせちょっと嫌味言われるくらいなんだから」
『でもさ…』
「すぐそこだから大丈夫だって。じゃあ、行ってくるね」
心配そうなオースに背を向けて、サーシャはライの部屋を出た。
ユリウスの心配もわかる。サーシャは冷たいと噂の第二王子の想い人だと思われているのだ。ユリウスへの恨みをぶつけられることもあるかもしれない。政治的思惑に巻き込まれることもあるかもしれない。そのことは理解しているつもりだ。それでも、何もせずに暮らすことはしたくなかった。
廊下に出ると、すれ違う初老の執事がこちらを見てきた。どこか距離を取られている反応。それは共通した反応だった。メイドの人たちとは少しだけれど、一緒に仕事をしていた。それなのに、すれ違っても遠目で見られるか、やけに丁寧な反応をされるかのどちらかだ。
サーシャは周りの反応を気にすることを止めた。前を向き、歩みを進める。水場はライの部屋から10mほど離れた場所にあった。
濡れたままの雑巾を水で濡らし、簡単にすすいでから力いっぱい絞る。ゴミは大きなゴミ箱へ。たまったら順次、焼却炉に持っていくことになっているが、サーシャはまだ一度も焼却炉まで持って行ったことはない。
「あれ?何かこぼしたんですか?」
聞きなれない声だった。細くかわいい声に振り向けば一人のメイドが立っていた。
「マルカさん」
「あれ?名前知っててくれたんですね」
嬉しそうに笑うマルカにサーシャも自然と笑みが浮かんだ。こんな風に気軽に話しかけれたのは、この宮殿に来てから初めてのことだ。
「もちろん。メイド長が優秀だとおっしゃっていましたから」
「そんなことないですよ。ところで、最近どうですか?」
「え?」
「ほら、サーシャさんって、ユリウス王子の専属メイドみたいになっていますから。どうなのかなって?」
「えっと…。最近は、まあまあ、って感じですかね」
苦笑を浮かべて言う。そんなサーシャにマルカもつられるように苦笑を浮かべた。
「王子気難しい方だから、慣れないと大変ですよね」
「え?」
「ねぇ、サーシャさんって何歳?」
「え?ああ、…17歳です」
突然の砕けた言い方に一瞬反応が遅れた。
「そうなんだ。私も!ねぇ、じゃあ、敬語やめない?同い年だし」
「え?」
「ね、そうしよう!」
笑いかけてくるその顔が可愛くて、なんだかうれしくなる。サーシャもマルカに笑みを向ける。
「マルカさんって、優しいんだね」
「どうして?」
「だって、みんな、私に会っても声なんかかけてくれないし、逃げるようにどこか行っちゃうから」
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。そんな愚痴みたいな言葉がすらすらと口から出た。
「それはそうだよ。だって、…正直どうしたらいいのかわからないもの。ユリウス王子が誰かと親しくしているところなんて、みんな見たことなかったから」
「そうなんだ…」
「それもこんな可愛い女の人でしょ?みんなびっくりしてるんだよ。この人がユリウス王子の想い人かぁ、って」
「私は、ただのメイドだよ。それに、私は別に、可愛くなんて…」
「だ~め」
サーシャの言葉を遮ってマルカが言った。人差し指を左右に動かす。
「ダメだよ。本当に可愛い人の謙遜はただの嫌味になっちゃう」
「え?」
「サーシャさんは可愛いわ。顔が小さくて、目が大きくて、髪だってサラサラだもん。スタイルだっていいし。だから否定しちゃダメだよ」
「でも、それを言うならマルカさんの方が可愛いよ」
サーシャはマルカを見た。肩まである茶色い髪はくるくるとカールし、人懐こいマルカによく似合っていた。顔は小さく、瞳は黒い。身長は女性の平均身長よりも小さめで、可愛らしい印象を与える。
「うん、そうだよ。私は可愛い」
「え?」
「なんて、ね」
小さく舌を出してマルカが笑った。それにつられるようにサーシャも小さく笑う。
「あ、笑った!」
「だって、面白いんだもん」
2人の笑い声は大きくなる。こんな風に同年代の人と、しかも女性と笑い合ったのは初めてだった。
「私ね、今までユリウス王子の身の回りのお世話をさせてもらってたの」
「そうなの?」
「うん。だからね、ユリウス王子のお世話をすることになったサーシャさんってどんな人なんだろうなって、ずっと気になってたの。王子って少し、難しいところあるから、大丈夫かな、って」
「難しいところ?…まあ、確かに」
サーシャの脳裏に、口うるさく行動を制限するユリウスの姿が浮かんだ。
「…まあ、何とかはなってる…かな。たぶん」
乾いた笑いが口から出る。
「あ、でも、ライのお世話は楽しいよ!」
「ライ?」
「王子のペットのホワイトライオン。ライって呼んでるの」
「…そうなんだ。私はやっぱりちょっと怖かったから、ホワイトライオンの世話をサーシャさんがやってくれて助かってるよ」
「本当?そう言ってもらえると嬉しいな」
「サーシャさん、私たち友達になろうよ」
「友達?」
「うん。友達。…ダメかな?」
伺うようなマルカにサーシャは一瞬言葉を忘れ、けれどすぐに首を横に振った。乗り出すようにマルカを見る。
「ダ、ダメじゃないよ!」
「本当に?嬉しいな。私、ユリウス王子のことは詳しいからさ、何かわからないことがあったら聞いてね」
「ありがとう」
友達、というフレーズが嬉しかった。ダリムのところにも娘がいたが、年齢が離れており、「友達」というより「お姉さん」という感じだった。思わず笑みが浮かぶ。
「あ、私、そろそろ行かないと。またね、サーシャさん」
「うん。またね、マルカさん」
手を振って別れた。小さなマルカの背を見送る。
「友達か…」
思わずそんな言葉が口から出た。サーシャは、動物と触れ合うことは多くても、人間のそれも同年代の女の子と話すことは少ない。嬉しさに鼻歌を自然と口ずさんでいた。
「ただいま~」
ライの部屋を扉を開けた。笑顔のサーシャの目に一番初めに飛び込んできたのは、不機嫌そうに腕を組むユリウスの姿。
「王子、どうしてここに…」
「お前、俺の話聞いてなかったのか?」
サーシャの言葉にかぶせてユリウスが言う。ワントーン低い声はなぜかよく響く。
『サーシャのこと心配してたよ?』
「え?」
『どこ行ったんだって。怒ってたけど、たぶん、心配してた』
「…そう」
「おい、聞いてるのか?俺もハリオもライオンも連れて行かないなら、せめてそのスチャだけでも連れていけ。いるだけましだ」
『…まあ、だいぶ、失礼だけどね』
怒りの中の心配を感じ、サーシャは素直に頭を下げる。
「すみませんでした。ちょっと水場に行っていました。近いから大丈夫かな、と」
「水場?」
「ライが水をこぼしちゃって。雑巾を絞ってきたんです。それから、新しい水も」
サーシャは別の入れ物に水を入れてきた。ユリウスに見えるように持ち上げる。そのまま、皿に新しい水を注いだ。ライは「ありがとう」と伝えると、舌を出し、おいしそうに水を飲む。そんな様子にサーシャは笑みを浮かべた。
「お前、自分の状況を分かっているのか?」
「すみませんでした。でも、あの…やっぱり、いつも誰かについてきてもらうって言うのは現実的に難しいと思うんですよね」
「あ?」
青筋を立てるユリウスに、サーシャは背を丸くする。けれど、言葉を続ける。
「いや、でも…メイドの仕事で食事を取りに行ったり、シーツの替えを持ってきたりしますし。もし、メイドの仕事をしないとしても、私だって、お手洗いには行きます。一人にならないというのは、無理だと思うんです。だから、その、もう少し、許容の範囲を広げてもらえると助かるんですが…」
おそるおそる告げたサーシャの言葉に、ユリウスは腕を組んだ。何か考え込むように小声でぶつぶつと呟く。
「確かに、言われてみればそうか。トイレか…。それは考えてなかった」
「王子?」
「お前が俺の婚約者にでもなれば、護衛が付けられるんだがな」
「こ、こ、婚約者?」
「なれば、の話だ」
「な、なりませんよ、そんなもの!」
慌てて目の前で手を振る。そんなサーシャの様子に、ユリウスは呆れた様な表情を浮かべた。
「本気でなるわけないだろう。なったとしても、名前だけだ」
バカにしたような言い方に、どうしてこんな言い方しかできないんだろう、とサーシャはユリウスを睨むように見た。けれど、ユリウスは気にすることなく、再び考えに集中する。
『やっぱ、失礼だね、この王子』
「本当ね」
オースの声が聞こえるわけもないが、無意識に小声になった。
「おい、お前」
「はい」
「行くぞ」
「あの…どこに?」
「外に、だ」
「……はい?」
サーシャの反応を他所に、ユリウスはどんどん歩き出す。その背に「ついてこい」という文字が見えた気がして、サーシャは諦めて一つ、息を吐いた。
『やっちゃった…』
何かを倒した音とともに、そんな声が聞こえた。窓の外に向けていた視線を声の方に移す。オースとライが気まずそうな顔をしてサーシャを見た。見れば皿に入ったライの飲み水が零れている。オースまで申し訳なさそうにしているところから、2匹でじゃれ合い、零してしまったというところだろうか。
『ごめん、サーシャ。ライと遊んでたら、ライの前脚が当たってこぼしちゃった…』
『ごねんね、サーシャ』
素直に反省する様子にサーシャは数回頷くことで答える。
「次から気を付けること、いいね?」
『うん』
『はい』
2匹の声がそろう。サーシャは雑巾を手に持ち、零れた水を拭いた。拭き終えるころには雑巾はびしょびしょになっていた。そう言えば、ゴミもたまっていたな、と思い出す。左手に濡れた雑巾と、右手にゴミ袋を持ち、サーシャは部屋を出ようとした。
『サーシャ、どこに行くの?』
「どこって、ごみ捨てだよ。雑巾も濡れたから絞ってこないと」
『僕も行こうか?』
オースの申し出にサーシャは首を傾げた。
「すぐそこまで行くだけじゃない。どうしたの、オース?」
『だって、王子もハリオもサーシャを一人にしないようにすごく注意してるからさ。サーシャを一人にしちゃいけない気がして』
ユリウスとの交渉が成立した次の瞬間から、ユリウスは一言で言えば過保護となった。メイドの仕事をするならば、一人で出歩かないということは無理がある。食事の用意をしなければならない。掃除もする必要がある。掃除道具を部屋の中に入れておくことはできても、ゴミや不要物は捨てなくてはならない。その度にハリオを呼ぶこともできない。まして、ユリウスについてきてもらうことなどできるはずはない。それでもハリオに無理を言い、時には自分自身でも無理をしながらユリウスはサーシャを一人にしないようにしていた。
ここ数日のユリウスの行動を思い出し、サーシャは眉をしかめる。
「オースまで王子みたいなこと言わないで。どうせちょっと嫌味言われるくらいなんだから」
『でもさ…』
「すぐそこだから大丈夫だって。じゃあ、行ってくるね」
心配そうなオースに背を向けて、サーシャはライの部屋を出た。
ユリウスの心配もわかる。サーシャは冷たいと噂の第二王子の想い人だと思われているのだ。ユリウスへの恨みをぶつけられることもあるかもしれない。政治的思惑に巻き込まれることもあるかもしれない。そのことは理解しているつもりだ。それでも、何もせずに暮らすことはしたくなかった。
廊下に出ると、すれ違う初老の執事がこちらを見てきた。どこか距離を取られている反応。それは共通した反応だった。メイドの人たちとは少しだけれど、一緒に仕事をしていた。それなのに、すれ違っても遠目で見られるか、やけに丁寧な反応をされるかのどちらかだ。
サーシャは周りの反応を気にすることを止めた。前を向き、歩みを進める。水場はライの部屋から10mほど離れた場所にあった。
濡れたままの雑巾を水で濡らし、簡単にすすいでから力いっぱい絞る。ゴミは大きなゴミ箱へ。たまったら順次、焼却炉に持っていくことになっているが、サーシャはまだ一度も焼却炉まで持って行ったことはない。
「あれ?何かこぼしたんですか?」
聞きなれない声だった。細くかわいい声に振り向けば一人のメイドが立っていた。
「マルカさん」
「あれ?名前知っててくれたんですね」
嬉しそうに笑うマルカにサーシャも自然と笑みが浮かんだ。こんな風に気軽に話しかけれたのは、この宮殿に来てから初めてのことだ。
「もちろん。メイド長が優秀だとおっしゃっていましたから」
「そんなことないですよ。ところで、最近どうですか?」
「え?」
「ほら、サーシャさんって、ユリウス王子の専属メイドみたいになっていますから。どうなのかなって?」
「えっと…。最近は、まあまあ、って感じですかね」
苦笑を浮かべて言う。そんなサーシャにマルカもつられるように苦笑を浮かべた。
「王子気難しい方だから、慣れないと大変ですよね」
「え?」
「ねぇ、サーシャさんって何歳?」
「え?ああ、…17歳です」
突然の砕けた言い方に一瞬反応が遅れた。
「そうなんだ。私も!ねぇ、じゃあ、敬語やめない?同い年だし」
「え?」
「ね、そうしよう!」
笑いかけてくるその顔が可愛くて、なんだかうれしくなる。サーシャもマルカに笑みを向ける。
「マルカさんって、優しいんだね」
「どうして?」
「だって、みんな、私に会っても声なんかかけてくれないし、逃げるようにどこか行っちゃうから」
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。そんな愚痴みたいな言葉がすらすらと口から出た。
「それはそうだよ。だって、…正直どうしたらいいのかわからないもの。ユリウス王子が誰かと親しくしているところなんて、みんな見たことなかったから」
「そうなんだ…」
「それもこんな可愛い女の人でしょ?みんなびっくりしてるんだよ。この人がユリウス王子の想い人かぁ、って」
「私は、ただのメイドだよ。それに、私は別に、可愛くなんて…」
「だ~め」
サーシャの言葉を遮ってマルカが言った。人差し指を左右に動かす。
「ダメだよ。本当に可愛い人の謙遜はただの嫌味になっちゃう」
「え?」
「サーシャさんは可愛いわ。顔が小さくて、目が大きくて、髪だってサラサラだもん。スタイルだっていいし。だから否定しちゃダメだよ」
「でも、それを言うならマルカさんの方が可愛いよ」
サーシャはマルカを見た。肩まである茶色い髪はくるくるとカールし、人懐こいマルカによく似合っていた。顔は小さく、瞳は黒い。身長は女性の平均身長よりも小さめで、可愛らしい印象を与える。
「うん、そうだよ。私は可愛い」
「え?」
「なんて、ね」
小さく舌を出してマルカが笑った。それにつられるようにサーシャも小さく笑う。
「あ、笑った!」
「だって、面白いんだもん」
2人の笑い声は大きくなる。こんな風に同年代の人と、しかも女性と笑い合ったのは初めてだった。
「私ね、今までユリウス王子の身の回りのお世話をさせてもらってたの」
「そうなの?」
「うん。だからね、ユリウス王子のお世話をすることになったサーシャさんってどんな人なんだろうなって、ずっと気になってたの。王子って少し、難しいところあるから、大丈夫かな、って」
「難しいところ?…まあ、確かに」
サーシャの脳裏に、口うるさく行動を制限するユリウスの姿が浮かんだ。
「…まあ、何とかはなってる…かな。たぶん」
乾いた笑いが口から出る。
「あ、でも、ライのお世話は楽しいよ!」
「ライ?」
「王子のペットのホワイトライオン。ライって呼んでるの」
「…そうなんだ。私はやっぱりちょっと怖かったから、ホワイトライオンの世話をサーシャさんがやってくれて助かってるよ」
「本当?そう言ってもらえると嬉しいな」
「サーシャさん、私たち友達になろうよ」
「友達?」
「うん。友達。…ダメかな?」
伺うようなマルカにサーシャは一瞬言葉を忘れ、けれどすぐに首を横に振った。乗り出すようにマルカを見る。
「ダ、ダメじゃないよ!」
「本当に?嬉しいな。私、ユリウス王子のことは詳しいからさ、何かわからないことがあったら聞いてね」
「ありがとう」
友達、というフレーズが嬉しかった。ダリムのところにも娘がいたが、年齢が離れており、「友達」というより「お姉さん」という感じだった。思わず笑みが浮かぶ。
「あ、私、そろそろ行かないと。またね、サーシャさん」
「うん。またね、マルカさん」
手を振って別れた。小さなマルカの背を見送る。
「友達か…」
思わずそんな言葉が口から出た。サーシャは、動物と触れ合うことは多くても、人間のそれも同年代の女の子と話すことは少ない。嬉しさに鼻歌を自然と口ずさんでいた。
「ただいま~」
ライの部屋を扉を開けた。笑顔のサーシャの目に一番初めに飛び込んできたのは、不機嫌そうに腕を組むユリウスの姿。
「王子、どうしてここに…」
「お前、俺の話聞いてなかったのか?」
サーシャの言葉にかぶせてユリウスが言う。ワントーン低い声はなぜかよく響く。
『サーシャのこと心配してたよ?』
「え?」
『どこ行ったんだって。怒ってたけど、たぶん、心配してた』
「…そう」
「おい、聞いてるのか?俺もハリオもライオンも連れて行かないなら、せめてそのスチャだけでも連れていけ。いるだけましだ」
『…まあ、だいぶ、失礼だけどね』
怒りの中の心配を感じ、サーシャは素直に頭を下げる。
「すみませんでした。ちょっと水場に行っていました。近いから大丈夫かな、と」
「水場?」
「ライが水をこぼしちゃって。雑巾を絞ってきたんです。それから、新しい水も」
サーシャは別の入れ物に水を入れてきた。ユリウスに見えるように持ち上げる。そのまま、皿に新しい水を注いだ。ライは「ありがとう」と伝えると、舌を出し、おいしそうに水を飲む。そんな様子にサーシャは笑みを浮かべた。
「お前、自分の状況を分かっているのか?」
「すみませんでした。でも、あの…やっぱり、いつも誰かについてきてもらうって言うのは現実的に難しいと思うんですよね」
「あ?」
青筋を立てるユリウスに、サーシャは背を丸くする。けれど、言葉を続ける。
「いや、でも…メイドの仕事で食事を取りに行ったり、シーツの替えを持ってきたりしますし。もし、メイドの仕事をしないとしても、私だって、お手洗いには行きます。一人にならないというのは、無理だと思うんです。だから、その、もう少し、許容の範囲を広げてもらえると助かるんですが…」
おそるおそる告げたサーシャの言葉に、ユリウスは腕を組んだ。何か考え込むように小声でぶつぶつと呟く。
「確かに、言われてみればそうか。トイレか…。それは考えてなかった」
「王子?」
「お前が俺の婚約者にでもなれば、護衛が付けられるんだがな」
「こ、こ、婚約者?」
「なれば、の話だ」
「な、なりませんよ、そんなもの!」
慌てて目の前で手を振る。そんなサーシャの様子に、ユリウスは呆れた様な表情を浮かべた。
「本気でなるわけないだろう。なったとしても、名前だけだ」
バカにしたような言い方に、どうしてこんな言い方しかできないんだろう、とサーシャはユリウスを睨むように見た。けれど、ユリウスは気にすることなく、再び考えに集中する。
『やっぱ、失礼だね、この王子』
「本当ね」
オースの声が聞こえるわけもないが、無意識に小声になった。
「おい、お前」
「はい」
「行くぞ」
「あの…どこに?」
「外に、だ」
「……はい?」
サーシャの反応を他所に、ユリウスはどんどん歩き出す。その背に「ついてこい」という文字が見えた気がして、サーシャは諦めて一つ、息を吐いた。
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