声を聞かせて

はるきりょう

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15 冷静に

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 雲一つない空は青く、穏やかな風が髪を靡かせた。薔薇の香りが鼻孔をくすぐる。そんな中で、サーシャはユリウスに右手を掴まれていた。
「突然腕を掴まれるときは、わいせつ目的か、連れ去り目的が考えられる」
「…はい」
「引っ張られた時、どうしたらいいと思う?」
「腕を振り払う…?」
「やってみろ」
 ユリウスの言葉にサーシャは右手を横に振った。けれど、ユリウスの手は離れない。今度は自分に引き寄せたが、同様だった。思わずユリウスの顔を見る。
「手を振り払えるのは、相手が想定してないときくらいだ。無理に力を入れても、お前では力負けする。じゃあ、どうすればいいか」
「…叩く?」
「片手の力で叩いても、ダメージなんて高が知れてる」
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
「引っ張られろ」
「え?」
「力が拮抗するから振りほどけないんだ。だから、相手の動きに合わせて、引っ張られろ。その力に乗れば、振りほどきやすい状況を作れる」
 そう言いながらユリウスがサーシャの腕を引いた。反射的に自分の方向に引いてしまう。びくともしなかった。
「いつでも冷静でいろ。まずは流れに任せるんだ」
 そう言ってもう一度サーシャの腕を引いた。ユリウスの右手がサーシャの右手を引く。引っ張られるままに身体を任せれば、身体がユリウスの方に傾いた。ユリウスの腕が曲がり、逆に自分の腕はピンと張っている。その状態で一気に腕を引いた。
「ほら、外れた」
 ユリウスがそう言って笑う。端正な顔立ちに浮かぶ笑みに、サーシャの胸は一つ音を立てた。なるほど、こういう顔を見せたから、マルカはこの人を好きになったのだな、と感心する。
「わかったか?」
「はい。なんとなく」
「じゃあ、もう一回やるぞ。無意識に力が入らないように身体に覚えさせる」
「わかりました」
 再びユリウスがサーシャの腕を取った。意識してしまったからだろうか、触れられる腕が熱を帯びる気がした。けれど、目の前のユリウスはサーシャに護身術を教えるのに必死でサーシャの反応に気づいてすらない。
 サーシャは慌てて首を横に振る。
「どうかしたか?」
「いえ、何も」
「ならいい。ほらいくぞ」
 もう一度、腕が強い力で引かれた。先ほどの動きを繰り返す。腕が離れると、ユリウスは笑みを浮かべた。
「ほら、できた。お前、覚えが早いな」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、あと一つ覚えろ」
 ユリウスがサーシャの背に回る。突然のことに反応できず、サーシャは固まったままだ。そんなサーシャのお腹に、ユリウスの腕が回される。
「お、王子?」
「連れ去ることが目的の場合、後ろに周り、腕が回される。そのまま引きずったり、抱き上げたり、連れ去ろうとするんだ」
「…はい」
「そんなときは、まず、相手の手を押さえろ」
 サーシャの手を掴み、自分の手に重ねさせた。
「右手で俺の手を押さえて固定させろ」
「はい」
 動揺している場合ではないと、邪念を振り払い、サーシャは言われたとおり、右手でユリウスの腕を押さえた。
「そうだ。そしたら、左手で俺の人差し指をもって、捻ろ。力の入れようによっては、骨が折れることもある」
「え?」
「さすがに折られるのは困るから、今は軽く力を入れるだけにしてくれ」
 サーシャは小さく頷くと、左手でユリウスの右手の人差し指を持った。ユリウスの手を固定する。そして、軽く後ろに捻った。
「…っ!」
「王子?」
「結構痛いな、これ」
「え、あ、…すみません」
 サーシャは慌てて両手を離した。そんな様子にユリウスから小さく笑いが漏れる。
「謝るほどは痛くない。気にするな」
「…はい」
「これはスピードが大事だ。時間をかけたら無効だ。気をつけろ」
「わかりました」
「じゃあ、もう一回」
「はい」
「ユリウス王子」
 サーシャが頷くのと同時に、男の声がユリウスの名を呼んだ。背後からの声に、サーシャは驚いて肩を持ち上げる。足音も気配すらもしなかった。
「鴉、お前か」
 けれど、ユリウスは平然と反応する。サーシャには気づかなかった気配に気づいたのか、この事態に慣れているのか。
「クレール王子がお呼びです」
「兄上が?」
「はい」
「…鴉、お前なら俺の事情を分かっているだろう。俺は、こいつと一緒にいる事で仕事が手につかないことになっているはずだ。兄上には申し訳ないが、俺は当分表立った仕事はしない」
「ええ、もちろん、わかっております。けれど、緊急です。もちろん、表には出しません」
「…」
「隣国の動きに関しての事です」
「…」
「ユリウス王子の意見が聞きたいと、クレール王子がお呼びです」
 鴉と呼ばれた男の口から出た言葉に、ユリウスは一つため息をついた。サーシャに回っていた腕を外す。
「兄上も俺の置かれている状況をご存知なはずだ」
「ええ。それでも、何が何でも連れて来い、と仰せです」
 そう言い切った鴉に、ユリウスは視線を向けた。少しの間2人は向き合う。ユリウスは髪に手を入れ、頭をかいた。もう一度大きなため息を吐く。
「しょうがない。すぐに行く。その代り、お前が、こいつを部屋まで送り届けろ」
「いいえ。致しかねます」
 そう言い切った鴉をユリウスは睨むように見た。鋭い視線に、けれど鴉は態度を変えることはない。
「俺に早く行ってほしいんだろう?」
「ええ、もちろん。けれど、私は王子の護衛です。王子の想い人の護衛でもなければ、ましてや王子がただ保護をしているだけの女性の護衛でもない」
 感情の伴わないその声はただ事実だけを述べているようだった。
「……わかった。もういい。俺が部屋まで送る。兄上のところに行くのは、それからだ」
「それでは困ります。至急と申し上げたはずです」
「こいつをここに一人、残しておくことはできない」
 そう言い切るユリウスに今度は鴉がため息をついた。
「…そういうと思いました。すでに、ハリオ様にこちらに来てもらえるよう他の者が伝えてあります」
「…」
「ユリウス王子は至急、クレール王子のところへ向かってください」
 小さく口を開いたユリウスの向こうに小さくハリオの姿が見えた。流れる悪い雰囲気にサーシャは慌てて割って入る。
「お、王子。ハリオ様が来られました。だから、行ってください」
「…」
「私なら大丈夫です。オースだっていますから。緊急事態なんですよね?」
 鴉に確認するが、反応は返ってこなかった。まるでサーシャの存在を認識していないような態度。サーシャは苦笑いを浮かべながら、ユリウスの背を押した。
「ハリオが来るまでここにいる」
「何言ってるんですか。すぐそこにいますよ。…至急なんですよね?」
「…」
「ほら、早く行って下さい。心配しないで。いざとなったら、護身術、ちゃんと使いますから!」
「……ハリオが来るまで絶対にここを動くな」
「はい」
「絶対に、だぞ」
「わかってます」
 念押しするユリウスが安心するように首を大きく縦に振った。そんなサーシャの様子にユリウスも頷き返すと、背を向ける。
「鴉、行くぞ」
「はっ!」
 鴉は頷くと、すぐに気配を消した。ユリウス一人の背中だけが離れていく。
『隠密、みたいなものかな?』
 空から光景を見ていたオースが降りてきて、そう言った。
「難しい言葉知ってるのね、オース」
『まあね』
「…とりあえず、私には知らなくていい世界の事よ」
「本当にそうだな、お嬢さん」
 突然の声にサーシャは勢いよく振り返った。見知らぬ男性がそこに立っていた。オースが威嚇するように翼を広げる。けれど、そんな反応を気にすることなく男性は笑みを浮かべた。
「君はお嬢さんのナイトかな?大丈夫。私は、お嬢さんに危害を与えない。だから、そんなに警戒する必要はないよ」
 そう言って笑みを浮かべた。どこか作ったような笑みに、サーシャは一歩だけ後ろに足をずらした。
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