私たちと愛

はるきりょう

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貴方と恋

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 たとえばもし、「私とあの子、どっちを選ぶの」と聞けば、彼は迷わずあの子と答えるだろう。たとえ彼の彼女が私だとしても、たった数日の付き合いでは何年も一緒にいたあの子に勝てるわけがない。

「彼女」というだけで、あの子に勝てるはずなどないのだ。それでも、嘘でいいから、私を選ぶと言ってほしい。

私と恋をしてほしい。 



「恋で人って変わるもんだね」

 移動教室のため、廊下を歩いていた柚子は、一つの教室を覗き込み、そう言った。

柚子に合わせて優子も教室の中を見る。

柚子の言葉は、この学年の多くが思っていることだ。

「人」とは、黒い髪を長く伸ばし、長いスカートで足を隠している高橋真由美のこと。

彼女のイメージと言えば、真面目、地味、読書。その程度だ。けれど、それは以前の話。

そのイメージは、2か月前の出来事によって一転する。

以前は、彼女の笑顔など見たことはなかった。俯き、本を読んでいるだけだったから。

けれど、彼女は彼と出会って変わった。

下を向きながら読書を読む姿は見なくなり、金色の髪を靡かせた佐藤純平と一緒に笑い合う姿をよく見るようになった。

地味な真由美と派手な純平。2人はあまりに不釣合いで、けれど、とてもお似合いだった。最近の彼女には笑顔がよく似合う。

「でも、いいじゃん。優子だって、あの土屋涼介君と付き合ってるんだし。もうすぐ、付き合って2週間くらい?」

「あ…うん。そのくらいかな?」

「…」

「何?」

「いや、なんか、嬉しそうじゃないなって。涼介君の彼女なのに。それも、涼介君から告白されたのに」

「……まだ、実感わかないだけだよ」

「ふ~ん。そういうもんなんだ。ま、そうだよね、優子、一年の時からずっと見てたもんね。その涼介君に告白されたら夢みたいとか思うよね。おまけに、今年から一緒のクラスだし、よかったね」 

 笑う柚子に、優子も笑みを浮かべた。

 優子は涼介のことをずっと好きだった。栗色の髪を見つけると、胸がなった。

優子と涼介が出会ったのは、一年の時の合同授業の時だ。優子たちの高校では、音楽と美術の授業は選択制であり、それぞれを選択した別の2クラスの生徒と授業を受けるようになっている。

 優子は小さいころからピアノを習っているため、音楽を選択した。そして、その授業で初めて涼介に会った。

 もちろん、涼介の存在は知っていた。背が高く、端正な顔立ちをしている涼介は、純平と同じくらい女子の注目の的になっていたから。格好いい人がいる。隣のクラスの前を通るたびにそう思っていた。

 授業で優子は伴奏者となり、涼介は指揮者となった。それをきっかけに、少しずつ話すようになった。

話すたび優しい人だと思った。優しい笑みが向けられるのが嬉しかった。

気づけば好きになっていた。

 けれど、涼介を好きになってすぐに気づいた。彼が誰を見ているのか。

音楽の授業中、彼はよく、窓の外を見ていた。視線の先を追うと、グラウンドで別のクラスが体育の授業をしていた。

 彼は、いつだって幼馴染の真由美のことを考えている。

涼介の笑顔はいつも優しかった。けれど優子は知っていた。自分や他の人に向けられる笑顔と真由美に向けられる笑顔が違うことを。

「幸せだ」という表現が似合うあの笑いを向けられるのは、真由美だけだった。

 隣に並びたいと思った。だけど、その笑顔を見るたび、無理だと感じた。

だからわからなかった。数日前に涼介に言われた「付き合ってほしい」と言う言葉の意味が。

真由美のことを忘れるためなのか、彼女を安心させるためなのか。

けれど、そのどちらでもいいと思った。最終的に彼に選ばれるのは自分じゃないとしても、隣に並べるならそれでよかった。

 毎日一緒に下校し、休みの日には、一緒に遊びに行った。

少しずつ肌寒くなってきた季節。それにもかかわらず薄着で出かけた優子に涼介は上着を貸してくれた。付き合わなければ、彼のそんな優しさに出会うことはなかっただろう。

隣を見れば、彼がいる。それが嬉しくて、けれど、向けられる笑みは、あの笑みではなかった。

わかっていた筈なのに、それが苦しくてたまらない。

「優子?」

「ううん。なんでもないよ」

 柚子は、急に黙った優子を心配そうに見つめた。そんな柚子に優子は首を振る。

 教室の扉を開ければ、もうすでに、クラスメイトたちが集まっていた。

「優子」

 声のした方を向く。涼介がいた。

付き合ってから、涼介は、教室で優子に声をかける回数は少なくなった。周りにからかわれたり、他の女子に何かされたりするのを防ぐためだ。

けれど、決して避けているわけではない。適度な距離感。それは、今までの彼女との経験で学んだことなのだろう。その距離感に、経験の多さを実感させられ、しかし、それでも、そんな一つの気遣いが優子には嬉しかった。

「何?」

「今日、一緒に帰れないんだ」

 涼介は大きな手を優子の頭に乗せる。優子は目を伏せるようにして頷いた。

「そっか。了解」

 優子は微笑む。

ずるいと思った。そうやって触れられれば、頷くことしかできないとわかっているくせに。

「ごめんね」

 涼介に優子は首を振った。それを見た涼介は安心したように笑い、友人の輪に戻っていった。

「いいの?」

 涼介が離れたのを見計らって柚子が優子に尋ねる。

「え?」

「いや、『なんで?』とか聞かなくていいのかな?って」

「…今週ね、純平君の誕生日なんだって。それで、真由美ちゃんに相談されてるみたいなんだ。だから、たぶん、真由美ちゃんと純平君の誕生日プレゼントを買いに行くんだと思う」

「…」

「…何?」

「いや、心配になんないのかなって。だって、幼馴染って言っても、この前まで噂があったわけでしょ?」

「…」

「そりゃ、真由美ちゃんは、純平君と付き合ってるし、涼介君は優子が好きなわけだけどさ、私なら、心配になるかなって」

「…」

「ごめん。余計なこと言った?」

 心配そうな表情を浮かべる柚子に優子は笑って首を振る。

「ううん。大丈夫。わかってることだから」

「え?」

「……真由美ちゃんは、土屋君の大切な人だから。どうしても優しくしちゃうんだよ。そういう優しいところが好きだからさ」

「いいね」

「え?」

「なんか、熟年夫婦みたい」

「は?」

「言葉にしなくてもわかってますって感じ。羨ましいよ」

 柚子はそう言って、優子の肩に触れた。

「でもさ、なんかあったら言ってよ?友達なんだからさ」

 軽くウィンクをする柚子のしぐさに優子は笑った。

「失礼な」と柚子は頬を膨らます。

「あれ?…優子って前までは、涼介君のこと『涼介君』って読んでなかった?なんで付き合ってから『土屋君』なの?」

 首を傾げる柚子に、優子は笑うだけで答えなかった。

 大丈夫だと思えた。自分の立ち位置を間違えることはしない。



 空が暗くなるのが、早くなった。優子は窓の外を見て思った。

上を見れば、オレンジに染まる空。下を見れば、並んで歩く涼介と真由美の姿。

笑い合って帰る2人の姿は、優子にとって見慣れたものである。

「…あ、涼介の」

 後ろの方で、声がした。

振り向くとそこには鮮やかな金色。

「純平君」

「せ~かい」

 そう笑いながら近づいてくる純平の姿になんだか、ほっとした。純平の笑顔には、そういう力がある気がする。

「っていうか、一年の時、クラス一緒だったのに、名前忘れたの?」

「憶えてるよ。岡野優子でしょ?最近できた涼介の彼女」

「…土屋君が言ったの?」

「うん。俺と真由美ちゃんに教えてくれたよ。涼介から告白したんでしょ?っていうかさ、何見てんの?」

 そう言いながら、純平は、優子と同じように窓枠に手をかけようとする。

それの手を優子は思わず掴んだ。窓と純平との間に身体をすべり込ませ、外を見せないようにする。

「何にも見てないよ?」

「気にしなくていいのに」

「え?」

「今更あれ見ても、驚かないから」

 笑いながら、指さした先には、涼介と真由美の後ろ姿。

「…」

「そんな顔しなくてもいいのに」

「え?」

「どうせ、俺の誕生日プレゼントでも買いに行くんだと思うよ?この前から、自然を装って、欲しいものを聞いてきたからね、真由美ちゃん。バレバレだったけど。で、結局思いつかなくて、前日に涼介に助けを求めてるってところでしょ?」

「なんだ、わかってるんだ」

「真由美ちゃんは、わかりやすいし、涼介のこと信用してるからね」

「そっか」

「ま、俺の誕生日プレゼント選ぶためだとしても、あれが他の男なら、やきもち焼きまくるけどさ」

 少しだけ頬を赤くして、純平は笑った。その笑顔から、真由美のことをどれほど好きなのか読み取れる。

「そう言えば、岡野は何にするんだ?」

「何が?」

「涼介の誕生日プレゼント」

「え?」

「明々後日だろ?俺の2日後」

「…」

「俺は真由美ちゃんと連名でCDあげたぜ。この前の休みに真由美ちゃんと涼介が好きなバンドのアルバム探しに行ってさ。あいつマイナーなのが好きだから、なかなかなくて」

「もしかして、それ惚気たいだけ?」

「ばれた?」

 はにかむように笑う純平に合わせて、優子も笑った。

「……そうだ。純平君、一緒に選んでくれない?」

「え?」

「ほら。今日、真由美ちゃんに土屋君貸したわけだし、その代わりに、ね?…男の人が欲しいものってあんまりわかんないからさ。…だめ?」

「別に何でもいいのに」

「え?」

「真由美ちゃんもそうだけど、好きな人にもらえるなら、なんでも嬉しいでしょ?」

「…そうかもしれないけどさ、やっぱり、喜んでもらいたいじゃん。真由美ちゃんもそうだと思うよ。だから、純平君が欲しいものをあげたくて、土屋君にも協力してもらってるんでしょう?…ずっと、大切にしてほしいから」

「ふ~ん、そういうもん?」

「そういうもんです」

「ま、そういうことなら協力するよ」

「じゃあさ、明後日付き合って。…予定は大丈夫?」

「大丈夫」

「明日、真由美ちゃんに許可もらわないとな」

「許可?」

「そう。彼氏様借りるわけだし。彼氏が女の子と2人でいるのは嫌でしょう?」

「別にいいと思うよ?俺、真由美ちゃん以外見るつもりないし」

「それ何気に私に失礼」

「そうか?」

「惚気ちゃって」

「悪いね」

 悪いとも思ってない口調でそう言う純平に、優子は呆れたようにため息をつく。

「本当に真由美ちゃんしか見えてないんだね」

「当たり前だろ?」

 両頬を上げるしぐさに、優子はもう一度小さく息を吐いた。

「たとえそうだとしても、ちゃんと言うよ。大丈夫って信じていても、不安になっちゃうものだから」

「…」

 急に黙った純平に、優子は首を傾げた。

「どうしたの?」

「あ、いや…そういうもんなのかなって」

「え?」

「俺は真由美ちゃん以外見ないし、真由美ちゃんもそれをわかっててくれてると思うけど、やっぱ不安になるものなのかなって」

「わかってても不安になるものだと思うよ?」

「…そっか」

「だからさ、純平君も、信じてもらっているって信じることは大切だと思うけどさ、ちゃんと言葉にした方がいいと思うよ?それでなくても、純平君はモテるんだからさ。『大丈夫だよ』とか『安心して』って、わかっているだろうなって思っても伝える必要がある言葉だと私は思う。…好きってほんとに、面倒くさいよね」

 苦笑いを浮かべた。純平も同じように笑い、軽く頷く。

「ありがとう」

「え?何が?」

「教えてくれて。…真由美ちゃんを不安にさせるのだけは嫌だからさ。今度から言葉にするよ。……やっぱ、涼介が選んだ人だね」

 純平の言葉に優子は首を横に振った。

「そんなんじゃないよ」

「え?」

「何でもない。それじゃあ、よろしくね」

「岡野もちゃんと、涼介に言えよ?」

「言ったらサプライズじゃなくなるでしょ?」

「あ、そっか。…でも、真由美ちゃんみたいに顔に出るタイプじゃないからな、岡野。涼介心配するかもよ?」

「……純平君とだから、大丈夫だよ。土屋君だって、純平君がどれだけ真由美ちゃんのこと好きかわかってるんでしょ?」

「それもそうか」

「大丈夫。土屋君は心配しないよ。それじゃあ、私、帰るね」

「え?…ああ。じゃあね」

 純平に手を振り、教室を出た後、優子は夢中で走った。

泣きそうになるのを必死で堪えようとするが、出てくる涙は止まらなかった。

 知らなかった。涼介の誕生日がいつなのか。

誕生日も知らないで、何が『彼女』だ。あの子は、彼のことをなんだって知っているのに。自分は誕生日すら知らない。

 苦しい。胸の苦しさを全部、走ったせいにしてしまいたかった。苦しいなんて気づかなければ、自分は、ずっと涼介の隣にいられる。

 けれど、純平の話を聞けば、聞くほど自分たちは『恋』ではないと思い知らされた。

あんな風に、信頼されることも、あんな風に、想われることもない。

ただ、隣にいるだけだった。

「2週間か…」

 短かった。けれど、よく持ったなとも思う。

隣にいられればそれでいいと思った。

一番になれないことがこれほどつらいとは思わなかった。彼の一番にはどうしてもなれそうもない。

「この前借りた上着、返さなきゃな」

 優子の手元にある涼介のものは、たったそれだけ。それを返せば、何事もなかったかのように終わってしまう。

口からこぼれた独り言がやけに冷たく響いた。



 プレゼントを渡してしまえばどうなるのだろう。そう思うと優子はうまく眠ることができなかった。目覚ましよりも先に目は覚めていた。

カーテンを開ければ、太陽の光がいつものように注ぎ込んでくる。それがなんだか少しだけ、切なかった。

「優子、おはよう」

 靴箱で上履きに履き替えているとそう挨拶された。

優子は短く息を吐き、振り返る。

「おはよう、土屋君」

 笑顔を浮かべ、涼介も靴箱から上履きを出した。隣に並んで教室に向かう。

「涼介、岡野。おはよう」

 挨拶とともに肩を叩かれた。遅れて小さな「おはよう」という声も耳に入る。

振り向けば嬉しそうに笑う純平の隣に真由美がいた。

 会話の中に出てくることはよくあるが、優子が真由美と話した回数は数えられるほどだった。人見知りの気がある真由美は少しだけ純平に隠れるようになっている。

それが真由美らしいなと思い、優子は小さく笑った。

「おはよう。純平君、真由美ちゃん。…あとで、2人のクラスに行かせてもらうね」

「え?」

「ああ。…ほら、真由美ちゃん、今朝、話したでしょ?今日のこと」

「あ、うん」

「それより、純平君、一日遅れたけど、誕生日おめでとう。…嬉しそうだね」

「それはもう。そうだ、これ見てよ」

 そう言うと純平はワイシャツを少しめくった。真新しいベルトが顔を出す。

「真由美ちゃんからのプレゼント」

 嬉しそうに笑うその顔に優子はつられて笑った。

「似合うよ」

「そりゃ、そうでしょ!真由美ちゃんが俺に選んでくれたものだからね」

「じゅ、純平君!…恥ずかしいから」

「なんで?本当のことだろ?」

 笑顔を向けられ観念したように真由美は小さく息を吐いた。

「朝から仲がいいね」

「えっ!…そ、そんなこと…。え、えっと…あの…」

 戸惑っているような真由美の表情に、優子は首を傾げ、しかしすぐに合点がいった。

「あ、そっか。真由美ちゃんは有名だから私は真由美ちゃんのこと知ってるけど、もしかして真由美ちゃん、私のこと知らない?」

「ゆ、有名?」

「うん。佐藤純平の彼女だもん。しかもべた惚れ」

「…」

 赤く染まる頬。耳まで赤くなる姿は、恋する姿だった。

「2組の岡野優子です。よろしく」

 すっと手を差し出す。真由美はそれに手を重ねながら小さく首を振る。

「何?」

「えっと…ちゃんと知ってるよ?」

「え?」

「涼介が教えてくれたから。涼介の彼女だって」

 優子は涼介の方を見た。涼介が笑って頷く。

「そっか。そう言えば、昨日、純平君が言ってたかも。真由美ちゃん…これからもよろしくね」

 手を差し出す。真由美はその手を見つめ、慌てて手を握った。

「う、うん!こちらこそ、よろしく」

 優しく握られた手。握った先の手が暖かい。いい子だと思った。

ちらりと涼介を盗み見た。そして、やっぱりだと思う。涼介が微笑みを浮かべながら見ていたのは自分ではなかった。

幸せそうに微笑むその顔は、おそらく真由美に友達ができたことを喜んでいるのだろう。

「じゃあ、また、後でそっちに行くね」

「うん」

 手を振って別れる。

涼介が優子を見た。

「そう言えば、優子って純平と仲が良かったの?」

「え?」

「なんか、仲よさそうだったからさ。名前呼びだし」

「一年の時同じクラスだっただけだよ」

「そっか。純平は美術を選択してたんだ」

「そうだね。音楽の授業の時にはいなかったよね」

「……それで、純平と何を約束してるの?」

「え?」

「さっき話してただろ?なんか、俺だけ知らない会話」

「してた?」

「してた」

「…えっと…そう!今度、皆で出かけたいねって話になって、その計画を立てたいって話」

「皆で?」

 そこまで言って、自分の失態に気が付いた。誤魔化すためとはいえ、残酷なことを言ってしまったと後悔する。

「あ…ごめん」

「優子?」

「ごめんね」

「…どうして謝るの?」

 下を向いた優子の顔を覗き込むようにして、涼介が聞く。優しい声色だった。

「……土屋君の都合も聞かないで、勝手に進めてごめんね」

「そんなことか。別にいいよ。皆で遊びに行こう」

「……うん。ごめんね」

「優子?」

「私、朝礼までまだ時間があるから、純平君たちのところに行ってくるね」

 逃げるように速足で教室を出た。

 誕生日プレゼントを渡したら、終わりにしようと思っている。

涼介の隣にいられるならそれでいいと思っていた。けれど、一番でなければ意味がない。

代わりにもなれない、何の役にも立てない。そんな自分が嫌いだ。

上着を返さないことくらい許してくれるだろうか。

証が欲しかった。たった少しでも、彼の隣にいたという証が。

「…優子?どうしたの?そんなに急いで」

 まだ人の少ない廊下を速足で歩く優子に声をかけたのは柚子だった。

鞄を持ったままの彼女は、今し方登校したばかりのようだ。

「柚子…」

「どうしたの?」

 不安げな優子の表情を見て、心配そうな表情を浮かべている。その顔を見たら、泣きそうになった。

「…柚子。…私…」

「…まだ時間あるし、ちょっと話しようか?」

 柚子は空き教室の一つを指さす。優子は小さく頷いた。



「で?…どうしたの?」

「あのね…」

 優子は柚子に話した。涼介の一番は真由美でどうしたって、自分は彼の一番にはなれないだろうこと。それがずっとつらかったことを。

「最近、元気ないなとは思ってたんだ。…友達なんだから、もっと早く話してよ」

「ごめん」

「…私こそ、気づいてあげられなくてごめん」

「柚子…」

「ねぇ、優子」

「何?」

「私はね、何も言わない涼介君も悪いと思うけど、何も聞かない優子だって同じくらい悪いと思うよ」

「…」

「不安なら聞けばいいじゃん。だって、優子は涼介君の彼女なんだよ?」

「私なんて…」

「それ、涼介君が言ったの?」

「え?」

「優子なんてって涼介君が言った?」

「…」

「相手の気持ちを勝手に決めつけたらだめだよ。知りたいなら、ちゃんと聞かないと。聞いてほしいなら、ちゃんと言わないと。怖がって逃げてたら、ずっとつらいままだよ?」

「…でも、土屋君の気持ちを……私なんてどうだっていいって気持ちを、真由美ちゃんが好きなんだって気持ちを……土屋君の口から聞くのが、一番…怖いの」

 出てきそうになる涙を優子は俯き必死で堪えた。ふと、頭に触れる感覚。

柚子が静かに、手をのせた。

「つらかったんだね。…気づいてあげられなくて、本当にごめん」

 違う、と言おうとして、けれど声にならなかった。首を横に振る。涙があふれ出た。

柚子に言うのが怖かった。本当は聞いてほしかった。けれど、それ以上に、言葉にしたら本当になってしまう気がした。

 自分はこんなにも弱いのだと思い知らされる。

 ただ見ているだけだった。どうせ無理だと自分から彼に近づくことはしなかった。けれど、彼と話せることは嬉しかった。諦める勇気もなかった。

 彼女の代わりだと、言い聞かせていた。それでも隣にいられるなら幸せだと思い込んだ。代わりなんて嫌なのに、本当はきちんと恋をしたかったのに、確かめる勇気もなく、伝える努力もしなかった。

 隣にいて、彼の言葉に頷いて、差支えのない言葉を選んで、幸せになったつもりでいた。聞かなければ、本当のことはわからない。ただ傍にいるだけで、すべてをわかるほど、自分は彼のことを知らないのだから。それでよかった。わからなければ傍にいられると思っていた。

「傷つきたくない」それだけだった。

何も失わずに、何かを手に入れられるはずなどないのに。怖がって立ち止まっていたら、ずっと怖いままなのに。

「違うよ」

 頬を流れる涙を拭き取り優子は柚子の目を見た。

「え?」

「私が柚子に言わなかっただけ。声に出すのが怖かっただけ」

「…優子」

「だって、怖かったんだもん。土屋君の口から、お前なんか好きじゃないって聞くのが怖かったの。…真由美ちゃんが好きだよ。君は代わりだよ。って言われるのが怖かった。…だから、土屋君って呼んで、精一杯線を引こうとしてた。…でも、…それじゃあ、だめなんだよね。私も、…涼介君も前に進めない」

柚子は何も言わずに優子の頭を撫でた。

その手が優しくて、再び涙があふれ出す。

「…あのね、明日、涼介君の誕生日なんだって」

「そうなんだ」

「私ね、一昨日まで知らなかった。彼女なのに」

「…そっか」

「今日ね、純平君に頼んで一緒にプレゼント選んでもらうことにしたの。男の人が好きなものってなんだかわからないから」

「うん」

「それ渡したら、ちゃんと伝える。…大好きだって」

「うん」

「ちゃんと聞くよ。私のこと好きなのか。…ちゃんと」

「ちゃんと、ね」

「うん」

「…戻ろうか、教室」

「そうだね。純平君たちのところに行くって言ってあるけど、この顔じゃいけないよね。もうすぐ朝礼も始まっちゃう」

「お昼に行けばいいよ」

「うん。…柚子」

「何?」

「ありがとう」

「…こっちこそ、話してくれてありがとう」

 柚子が笑ったので、つられたように優子も笑みを浮かべた。

胸に詰まっていたものがとれたように楽になった気がした。

話してしまえばこんなに楽だった。

 泣いてしまえば、こんなに楽だった。

 もう一度頬を手で拭った。そのしぐさを見て柚子が笑う。頭を軽く叩かれた。それが心地よい強さだった。



 教室に戻れば、涼介がクラスメイトと談笑していた。

ふと目が合う。

 涼介が周り何かを告げ、こちらに向かってきた。

「どうしたの?」

「どうしたの?は俺のセリフ。…どうした?」

「え?」

「目が赤いよ」

 伸びた手が、優子の顔に触れる。周りの視線が痛かった。

「何でもないよ」

「優子」

 強めの口調で名前を呼ばれる。思わず、肩が上がった。

「…ごめん」

「ごめんじゃなくて、さ。…さっきから、どうしたの?」

「もうちょっと待って」

「え?」

「もう少しだけ」

 口を開いた涼介の声を、朝礼の始まりを知らせるチャイムがかき消した。

ガラガラと音を立て、教室に入ってくる教師。涼介がしぶしぶ自分の席に着いた。その背中に、優子は安堵の息を吐く。あと少しだけ、彼女でいさせてほしい。



「柚子。じゃあ、私、ちょっと行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

 お弁当を食べ終えた優子は、柚子にそう告げ、教室を出た。

純平と真由美の教室に向かう。

 クラスの中を覗けば、楽しそうに笑う2人の姿があった。あまりに和気藹々としている雰囲気に、入っていけず困っていると「岡野さん?」と名前を呼ばれる。

「どうしたの?そんなところで」

「あ…えっと…真由美ちゃん。邪魔してごめんね」

 謝りながら、2人のもとに向かった。そんな優子を見て、真由美が笑う。

「邪魔なんかじゃないよ」

「そう言えば、岡野、朝来るって言ってなかった?」

「ごめん。ちょっとばたばたしてて」

「大丈夫?」

 心配そうに尋ねる真由美に首を縦に振った。

「大丈夫だよ。ありがとう。…それで、真由美ちゃん。純平君にもう聞いてると思うけど、今日、純平君借りてもいい?土屋君のプレゼント選ぶの手伝ってもらいたいんだ」

「借りるなんて…」

「借りるだよ。人様の彼氏だもん」

「か、彼氏…」

「彼氏でしょ?俺。真由美ちゃんの」

「…そうだけど」

 真由美は小さくそう漏らし、俯いた。その顔を覗き込むように純平が見る。

「あれ?もしかして、照れてる?顔、赤いよ?」

「…意地悪」

「だって、可愛いんだもん」

 純平は優しい手つきで、真由美の髪を梳いた。優子は小さく咳払いをする。

「…そこ、いちゃいちゃしない」

「い、いちゃいちゃ?」

「あ~。ごめん、ごめん」

 正反対の反応に優子は思わず笑った。それを見て、真由美は恥ずかしそうに下を向き、純平は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「あ、あの!えっと…今日の話なら、純平くんに聞いてたよ。わざわざ来てくれなくてもよかったのに、ありがとう」

「…聞いてても、やっぱり不安じゃない?」

「え?」

「大丈夫ってわかってても、不安になっちゃうものだと思うから。でも、直接私が来れば、少しは不安を少なくできるでしょう?」

「…うん」

「だから、来ただけ」

「ありがとう。あと…ごめんね」

 急に下を向き、謝る真由美に優子は首を傾げる。

「私は岡野さんのところに行かなかった。一昨日、涼介と純平君のプレゼント買に行ったのに」

「……大丈夫。私は、ちゃんと…土屋君から聞いてたから」

「でも…」

「そうだな、じゃあ、真由美ちゃんにも手伝ってもらおうかな」

「え?」

「お詫びとしてさ、今日、土屋君の気を引いててくれる?」

「…?」

「ほら、サプライズなわけじゃない。だからさ、内緒で用意したいの。だから、土屋君に気づかれないように、真由美ちゃんが土屋君の気を引いてて?…あ、ごめん。えっと、純平君、真由美ちゃん借りてもいいかな?」

「……いいよ。でも、涼介じゃなかったら、断ってるからね」

「はいはい。ありがとうございます」

「心籠ってないんですけど?」

「そんなことないって」

「本当?」

「ほんと、ほんと。じゃあ、真由美ちゃん。お願いね」

「え?…でも…どうすればいいのかな?」

「一緒に帰って他愛ない話をしてくれればいいよ」

「それでいいの?」

 その言葉に優子に代わり純平が頷いた。

「うん。というか、真由美ちゃんは嘘下手なんだから、いつもどおりにしてる方がいいんだって。俺も一言言っておくから」

「…わかった」

 なんとなく悔しかったが、素直に頷いた。嘘が苦手であることは真由美も理解していた。特に相手が涼介だとすぐにばれてしまうだろう。

 それを見て、純平は頬を上げ、頭に手をのせる。

真由美は目を細め、その温かさを感じた。

 そんな2人の姿が優子には羨ましかった。

「当たり前」に手をのせ、「当たり前」に幸せそうに笑う。いつだって涼介の言葉におびえている自分とは違うと思った。

「じゃあ、2人ともよろしくね」

「おお。帰りに教室に迎えに行く」

「私が行くよ?」

「いや、涼介こっちに寄こすから、岡野は待っててくれた方がいい」

「そっか。了解」

「岡野さん、頑張ってね」

 真由美が小さく拳をつくった。そのしぐさに、優子は笑う。

「ありがとう。真由美ちゃん、優子でいいよ?」

「え?」

「私も勝手に真由美ちゃんって呼んでるんだし。ね?」

「…優子ちゃん」

「ん?」

 首を傾げる優子に、真由美は首を振る。そしてもう一度嬉しそうに「優子ちゃん」と呼んだ。

 純平が再び真由美の頭に手をのせる。目を合わせ、笑い合った。

「じゃあ、戻るね」

 手を振り、真由美たちの教室を出る。

 あの2人の姿を見てしまったからだろうか。涼介がいる教室に戻るのがなんだかいやだった。



 教室に一人残り、窓の外を見ていた。笑い合って帰る生徒たちの姿が目に入る。

お昼休みから優子はずっと考えていた。涼介の好きなものはなんだろうと。

誕生日プレゼントをあげるなら、やっぱり喜んでもらいたい。大切にしてもらいたい。

けれど、優子にはわからなかった。涼介の好きなものが何なのか。嫌いなものは何なのか。2週間も一緒にいたというのに、涼介のことを何も知らない。

ふと視界に入った栗色の髪。

これだけ生徒がいるのに、どこにいてもすぐに見つけてしまう。

その隣にはきれいな黒髪の真由美の姿があった。隣に並んでくれと頼んだのは自分だ。それでも、2人が一緒にいる姿を見るのはつらかった。

「なんかいつも後ろ姿ばっか見てるな」

 声が聞こえた。気づけばすぐ横に純平が立っていた。気配に気づかないほど真剣に見ていたらしい。

 優子は純平の顔を見、もう一度窓の外に視線を落とした。

黒髪と並んで歩く栗色が、とても幸せそうに優子には見えた。

「…ねぇ、純平君」

「何?」

「私ね。ずっと、土屋君の好きなもの考えてたんだ」

「うん」

「でもね、やっぱり一つしか思いつかなかった」

「一つ?」

 優子は笑みを浮かべ、窓の外を指さした。

その先が示すのは、真由美の後ろ姿。

「純平君と真由美ちゃんがお似合いだってことも、2人がお互いに想いあっていることもわかってるけど、でも、やっぱり、真由美ちゃんを土屋君に譲ってくれないかな?」

 泣きそうになった。けれど、言葉に詰まらず言うことができた。

 一拍遅れて純平は小さく笑った。

「バカだな、岡野って」

 もっともな言葉に優子は下を向く。

「涼介が好きなくせにそんなこと言うんだ?俺が譲るわけないってわかってるのに」

「…」

 黙ったままの優子を見て、純平は小さく息を吐いた。

「……家族なんだって」

「家族?」

 聞き返した優子に笑って頷く。

「そ、家族」

「…」

「誰よりも大切で、誰よりも幸せになってほしい人。でも、触れないんだって」

「…」

「だから、俺は涼介があそこにいても、平気でいる」

「…」

「真由美ちゃんも涼介も信じてるから」

「…誰よりも大切で、誰よりも幸せになってほしい人って、それって、最大の愛なんじゃないの?」

「だろうね」

「じゃあ、なんで平気なの?誰よりも愛してるって宣言されたってことでしょう?」

 矛盾している。真由美には涼介の隣にいてほしいと言いながら、涼介の隣にいることを許容している純平に腹を立てるなど。

「愛の意味が違うからだよ」

「違うって…わかんないよ」

「じゃあ、あいつの愛を見せてやるよ」

 言い終わる前に、純平が優子の腕を掴んだ。驚く暇なく、純平の腕の中に収まる。

突然のことで頭が追い付かなかった。優子を抱きしめたまま、純平は外を見る。

 大きく息を吸ったかと思うと、窓の外に向かって、叫んだ。

「涼介!!!」

 優子も窓の外を見る。後ろ姿だったはずの涼介はこちらを見ていた。目が合う。

途端に現在の状況を認識に顔が赤くなった。離れようとするものの純平の力が強くて身動きすら取れない。

 もう一度窓の外を見た。先ほどまで涼介と真由美がいた場所には、真由美一人しかいなかった。

 純平は優子を離すと、顔の前に手をかざし、「ごめん」と謝るしぐさをする。

真由美はわかっているとでも言うように、小さく手を振った。

「じゃ、俺、真由美ちゃんと帰るから」

「は?」

「だって、涼介に殴られたくないし。あいつ来る前に退散するよ」

「ちょ、ちょっと!訳がわかんないんだけど」

「あれ?岡野って鈍い?」

「…意味がわかんないってば」

「あの涼介が、真由美ちゃん一人残して、ダッシュでこっちに向かってるんだぜ?」

「…」

「想われてるよ、岡野は。岡野の話するときの涼介見ればすぐにわかる」

「でも、だって…土屋君は真由美ちゃんが…」

「好きだよ。でも、違うんだ。…わかりにくいと思う。けど、理解してやってほしい」

「…」

「ほんと、手のかかる幼馴染たちだよな、まったく。だから、俺たちがしっかりしなきゃいけないんだ」

「え?」

「俺が真由美ちゃん幸せにするから、岡野は涼介を幸せにしてやってよ。明日、あいつの誕生日だし」

「…」

「じゃあ、俺行くよ。真由美ちゃんに事情説明しないといけないし」

「…そうだね、ごめん」

「真由美ちゃんはわかってて、信用してくれてるよ。だから大丈夫。…でも、岡野が言うようにちゃんと言葉で伝えていくよ。真由美ちゃんしか見てないって」

「うん」

「岡野」

「何?」

「岡野が言うようにちゃんと言葉で伝えることも重要だと思う。だから、俺はちゃんと伝えるよ?けどさ、その前に、相手を信じることも重要だよ。岡野はそこが抜けてるんだ。そこが抜けていたら、いくら言葉を繋いだって、どうしようもない。だからさ、岡野もさ、ちゃんとあいつを信じて、それで、ちゃんと伝えろよ?」

「…」

「そこは頷いとけって!」

 軽く頭を叩かれた。顔を上げれば、にこりと笑う笑顔。優子もつられて頬を上げた。

「じゃあ、俺、行くよ。涼介が来る前に」

 早口でそれだけ告げると、純平は速足で教室から出ていった。

 その2秒後に、純平が出ていったドアとは反対のドアが開いた。

息を切らした涼介が立っている。

 肩で息をしながら大股でこちらに近づいてくる。表情から怒っているのだとわかった。

思わず目を閉じる。

 その瞬間抱きしめられていた。

「あ、え?」

 思わず離れようとした優子の背中を涼介はさらに引き寄せた。

「…なに、…してた?」

 息を切らしながら、そう問いかける。

「純平と、なに、してたの?」

「…何も、してないよ」

「じゃあ、なんで抱きしめられてるんだよ!」

 一年近く見ているのに、声を荒げている涼介を優子は初めて見た。抱きしめられる腕に力が込められる。痛かった。

「なんで抱きしめられてるんだよ!純平ばっかり、名前で呼ぶし!俺は、土屋君なのに。…ねぇ、俺は、優子にとって、何?」

 涼介が頭を優子の肩に乗せる。泣いているのかもしれないと思った。

「前は名前で呼んでただろう?それなのに、どうして付き合ったら苗字になるんだよ。…なんだか、よそよそしくなるし、謝ってばかりだし。俺は、どうしすればいいの?」

「…」

「…付き合わない方がよかった?」

 頭が混乱し、言葉が出なかった。頭を横に振ることで、否と答える。

 その様子に、涼介はほっとしたように小さく息を吐く。冷静さを取り戻し、言葉を続けた。

「俺は…今まで何人かの人と付き合ってきたけど、全部相手から言われたから付き合っただけで、好きになろうと努力はしたけど、同じ気持ちにはなれなくて。…だから、こんなに不安になったことなんてないんだ。冷静で格好良くいたいのに、純平とか他の奴と話してるだけでイライラする。ねぇ、教えてよ。何が、ごめんなの?なんで、名前で呼ばないの?」

 おかしいと思った。不安になっているのは、自分の筈だ。

優しい瞳の中に映ることができなくて、どうしても一番にはなれない。真由美の代わり。

 それなのに、自分を抱きしめる涼介の声は震えていて、まるで本気で好きだと言われている錯覚に陥る。

「………す…き?」

「え?」

「……私のことが…好きなの?」

 その言葉に、涼介は顔を上げた。背中に回していた手で肩を掴む。

覗き込むように優子の顔を見つめた。

「当たり前だろう?じゃなきゃ、付き合ってなんて言わない」

「……真由美ちゃんは?」

「え?」

「真由美ちゃんが、好きなんじゃないの?…私は、……代わりでしょう?」

 肩を持つ手に力が入った。痛さに表情を少し歪める。

「今までずっと、…そんなこと思ってたの?」

 いつも優しい声が、ひどく冷たかった。初めて聞く声に、背筋が凍る感覚を覚える。

「俺が真由ちゃんのこと好きで、優子のことは、真由ちゃんの代わりだって?…今までずっとそう思っていたの?」

「…」

「俺、好きだって言ったよね?告白した時」

「…」

「好きっていう言葉を信じてくれないなら、俺は、優子になんて伝えればいいかわからないよ!」

怒鳴るような涼介の声に、優子の肩が上がった。

傷つけたのだとわかる。信じきれなかった自分が涼介をどうしようもなく傷つけてしまったのだと。

自分の事しか考えていなかったと気づく。自分で線を引いておけば、傷つくことはないと思っていた。最悪を想定していれば、それ以上落ちることはない。

真由美を置いて駆けつけてくれるほど、自分の事を想ってくれているのに。

純平も真由美もそう教えてくれていたのに。自分は信じなかった。

自分で勝手に決めつけて、自分で傷ついていた。自分で傷ついた方が楽だったから。傷つけられるより、傷が浅いと思っていたから。

「真由ちゃんのことは好きだ。大切だと思ってる。でも、違うよ。好きの意味が違う。真由ちゃんは家族で、それだけだ。俺が好きなのは、優子だよ」

「…」

「でも、優子は違うんだろう?だって、優子から好きなんて言葉出てこなかった」

 肩を掴んだ手が離れていく。掴まれていた痛みが、ゆっくりと消えていった。

 涼介は、優子に背を向ける。

「…待って!…好きなの」

「…それを俺に信じろって?ずっと、俺の気持ちを信じてなかったのに。それは虫が良すぎるよ。…優子の言葉は信じられない」

 振り向かずに消えていく後ろ姿が涙で霞んでいく。追いたいのに、足が動かなかった。

なんて言えばいいかわからない。

 ずっと、自分が可哀想だと思っていた。可哀想になって、自己防衛していただけだった。

 大好きな人を傷つけた。その事実が、深く突き刺さる。

床に倒れるようにうずくまり、大声を出して泣いた。



 どうやって帰ってきたのか、優子は憶えていなかった。気がつけば、自分の部屋にいた。

幸い親はまだ帰ってきていなかったので、泣きはらした顔は見られていない。

 一階に降り、洗面所で自分の顔を見た。

目がはれ、赤くなっている。

 どうすればいいのかわからなかった。止まったはずの涙がまた出そうになる。

「誕生日プレゼント…」

 明日の用意をしていないことにようやく気付く。時刻を見れば、18時を少し回ったところだ。

『甘いもの好きなんだよね』

 この前一緒に帰った時に、何気なくした会話をふと思い出した。

「…なんだ、ちゃんと…知ってるじゃん、私も。涼介君の好きなもの」

 優子は自分の頬を2回叩くと、キッチンに向かった。

冷蔵庫を開け、確認する。

「よし!」

 頷き、作業を開始した。

今度は、自分が想いを伝える番だ。



 朝日が昇り、優子は目を覚ました。

正直、涼介に会うのが怖かった。「信じられない」と言われたらと思うと、身体が震えた。けれど、もう、自分だけを守るのはやめにすると決めたのだ。

信じてもらえないことはつらい。そんなことをずっと、涼介にしていたのだと思うと、苦しくなった。

小さな袋を持ち、家を出る。

ガラガラと教室の扉を開く。まだ早い時間だからだろうか。中にいたのは涼介だけだった。

音に反応したのか、こちらを見た涼介と目が合った。

「お、おはよう」

「…」

 優子を見ると、涼介は無言で教室から出ていこうと、反対の扉に向かった。

優子は慌てて涼介を追う。制服の裾を掴んだ。

「…放してよ」

「嫌だ」

「優子…」

「お願い。わがままだって、虫がいいってわかってる。でも、謝らせて」

「…」

「ずっと見てたの。一年の時からずっと。…真由美ちゃんを見る土屋君の目が、本当に優しくて、『好き』っていうのが伝わってきたの。本当に、誰よりも、大事そうに見てた」

「…」

「この人は、あの子が好きなんだって思ったの。だから、好きになったって、無理なんだって。…見ているだけで我慢しようって。でも、…真由美ちゃんが純平君と付き合うようになって、涼介君が私に告白してくれた。…代わりなんだなって思った。だって、私は、あんなに優しい目に見てもらったことがないから。だから、土屋君って呼んで距離を取ろうとした。これ以上好きにならないように」

「…」

「でも、違った。私は、ちゃんと見てもらってた。ちゃんと、想われてた。…私の歩調に合わせてくれたし、手を繋ぎたいって思った時に、手を差し出してくれた。…ちゃんと見ててくれたんだよね?…ごめんなさい。自分が、傷つくのが怖かったの。傷つけられる前に、傷ついておけば、それ以上傷つかないって。…逃げてたの。ごめんなさい」

 そこまで言って、優子は、涼介の服を放した。

 扉を開ける音が耳に入る。甘い匂いのする袋を抱きしめ座り込んだ。

 泣きそうになった。けれど、泣く資格はないと思った。

「泣きたいのは、俺だよ」

 声が聞こえた。そう思った途端に、包むように抱きしめられる。

「…ちゃんと伝えきれなかった俺も悪かった」

 涼介の言葉に、優子は何度も首を横に振る。

「好き。好きなの。…涼介君が好き」

「うん」

「大好き」

「うん。わかったよ」

「ごめんなさい」

 謝ると、回していた腕により力が込められた。

「俺も、ごめん。不安にさせて、ごめんね」

 背中に触れていた右手が、優子の頬に触れた。

顔を少し持ち上げた。微笑んだ涼介が視界に入る。その顔が優しくて、やっと気づいた。

優しい目で見てもらえなかったんじゃない。自分がその目を見ていなかったんだと。

 ずっとその目を見ていたかった。けれど、涼介の顔が近づいてきたので、優子は目を閉じる。唇に触れるその温かさに、思わず泣いた。

「優子、好きだよ」

 涙を拭きながら、涼介が言う。

「うん。私も、好き」

 優子の言葉に、涼介が笑った。優子もつられて頬が上がる。

「…そうだ。これ」

 持っていた袋を涼介の顔の前にかざす。

「何?」

「誕生日、おめでとう」

「…そっか。今日か」

「クッキー作ってきたの。この前、甘いものが好きだって言ってたから」

「手作り?」

 涼介の問いに頷くと、「ありがとう」と満面の笑みをもらう。

「……どうして、教えてくれなかったの?純平君に聞いて初めて知ったよ?」

「自分で教えるとか、プレゼント催促してるみたいだろう?」

「…そうだね。私が聞けばよかったんだよね」

「優子。俺は、正直、まだまだ優子のことを知らない。優子だって俺のことを知らない。でもさ、だから、これから知っていけばいいし、その楽しみがあると思う」

「うん」

「だから、聞きたいことは聞いて?言いたいことは言って?俺もそうするから」

 涼介の言葉に優子は深く頷く。

 恋をしているのだと思った。

自分は涼介と恋をしている。苦しくて、嬉しくて、つらくて、幸せで。そんな、恋を。

「涼介君」

「ん?」

「これからも私と恋をしてください」







おまけ



「ところで、なんで純平に抱きつかれてたの?」

「え?」

「あいつが真由ちゃん一筋なのは十分知ってるし、理解してるんだけどさ。でも、事と次第によっては絞めておかなきゃいけないから」

 黒い笑みを浮かべる涼介に優子は苦笑する。

「笑ってる場合じゃないんだけど」

「ごめんね」

「…で?」

「えっと、なんかね、涼介君の愛を見せてくれたみたい」

「…え?」

「あの涼介君が、真由美ちゃんを一人で置いてきて、私のところに駆けつけてくれた。それが愛じゃなくてなんなのか?…みたいな?」

「…やっぱあいつ絞める」

 耳まで赤くしながら、そう言うので、優子は小さく笑った。

「でも、嬉しかったよ。ありがとう」

「…そりゃ、まあね」

「え?」

「だって、俺、優子に恋してるもん」
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