30 / 31
第四章~白雪ノ宴
第一話〜幽霊屋敷
しおりを挟む
学校に煩悩が現れたり、光が消える寸前であったことなど、様々なことが起こった二日後。黒縁メガネと癖のある黒髪の少年風山一哉は、寿命を延ばすという普通に考えて有り得ないストゥーパを埋め込まれ、二日で体調を戻した光に対して、あまりのタフさに引いた。光は、瑠璃色の肩で切り揃えられた髪とアメジストのような色の双眸の少年で、その正体は天部竜部の一角難陀竜王である。最も美しい龍神は、その髪色もあってか人の姿でもなお息を飲むほど美しい。
そして、毛先十センチ程を赤に染めた黒い長髪と隻眼が特徴の不動明王の地上での姿である明は、学級閉鎖が解かれる前日である今日、保健室で補助をしていた。倶留孫が保健医として勤務しているのだが、既婚未婚問わずやたらとモテる。倶留孫は、肩より少し長めの黒髪と金色の双眸が特徴的な中性的な美人だ。なかには愛人になどと言う存在もいるため、主に明が警護していたのだ。地上での倶留孫の名は倶留弥華世。明は、隠す気ないだろと盛大に突っ込んだ。ほとんど倶留孫迦葉と言っている。しかし、生憎倶留孫という過去仏を知っている者があまりいない。それはそれで悲しいものがある。
「華世先生」
「おや・・・千枝ちゃん」
全校生徒の名前を知っているわけではないため、倶留孫は慌てて名前を当てた。
「風邪かい?ふむふむ、二日前から咳が出ると」
「倶留弥先生」
何も言っていないのに言い当てていく倶留孫に、千枝は目を見開いていた。熱があるらしく目は潤んでいるが
「熱計ってみよっか」
「はい」
保健カードというものがあり、症状や体温などを記す。
「七度九分か~風邪。一時間休んで様子見よっか」
千枝が頷くのを見ると、倶留孫はすぐにベッドをセットし、分厚めの掛け布団の下に毛布セットした。
「どうぞ。ごゆっくりね」
倶留孫は、優しい笑顔でそう呟くと、カーテンを閉め椅子に座った。座るなり生徒のデータを入れた。
「ぱそこんって何なんだい?そんなことしないで手書きでいいじゃないか。私が仏陀のときは全部手書きだよ?」
2500年に渡って隠居生活を続けてきた倶留孫は、パソコンやネットなどとは無縁だ。それ故に、よくこんなものを開発したものだと人間の進歩には驚きを隠せなかった。検索すれば何でも出てくる。カタカタとキーパッドを叩けば文字が打てる。最近はストゥーパに『南無阿弥陀仏』と印刷するお寺もある。死者に関する尊ぶ心が全くない。死んだら死んだという考え方だ。
倶留孫にはそれが考えられない。人々は様々なことに無関心すぎるのだ。無関心なのに違うことに対して侮辱して傷つける。それも平気な顔をして。それが分からない。確かに世界中、どの国であろうと王は必要だ。生まれながらの差別は確かに存在する。しかし、天から見れば王でも同じ人間としてしか見ていないし、王だからといって此奴は堕とさないなどと判断するはずもない。天は平等だ。罪あるものは堕とす。罪なきものは仏陀の元へ行く。罪あるものは償いようやく上に行ける。難しいことは何も無い。
倶留孫は、仏陀であった頃も隠居していた頃も人々を天から見ていた。それ故に憂いているのだ。飄々としているように見えて人々の営みに心を痛めていた。明はそれに気付いている。しかし言わない。
「変わらないね、倶留孫さま」
「そうそう変わるもんじゃないさ。人も仏も神もね。まぁでも君は変わったかな。良い方に」
倶留孫がいなければ今も人を消し、それを悦び生きていただろう。神は老いず病まず死なずだ。寿命が縮んだ人々を救うことすらしなかっただろう。それでもシヴァは変わった。アチャラナータとして。不動明王として生まれ変わった。倶留孫は変わらない。慈も変わらない。変わったのは明だけ
「違うな、カズがいたよ」
「あぁ、あのメガネの子かい?ところでその子さ、メガネのまま戦うとか大丈夫なのかな。ゴーグルとかすればいいのにね」
「それはいい案だね。コンタクトをしてみたら外れて大変だったし、メガネはメガネで浮くわ外れるわだし」
明は本気で弟子にゴーグルをはめさせようと考え始めた。メガネのままで戦おうというのは確かにある意味無防備だった。目が悪い仏や神などいないため、そこの配慮が欠けていたと反省した。
「アチャラナータが反省ねぇ」
「俺だってする時はするよ」
明は、愉快気な笑みを浮かべる倶留孫を拗ねたような表情で見つめた。それに対してさらに笑みを深めた。
「倶留孫さま」
「おや、マイちゃんじゃないか。一人で来たの?」
「さすがに一人で来られます」
拗ねたような表情をする慈。黒髪長髪と黄金の双眸が特徴の絶世の美少女だ。彼女の正体は、仏陀の後継者で救世主弥勒菩薩である。そんな慈が拗ねた表情をしようとも美貌はそのまま。もはや可愛いなと明は思う。自分の主に対してこんなことを思うのは如何なものかと明自身訝しむ。
「わたしもお手伝いします」
「いるだけで治せそうなんだよねぇ」
「そこにいるだけで癒しだよ、ほんとうに」
わたしも白衣を着たいと言った慈に、倶留孫はいいよと言って予備の白衣を渡した。白衣の天使がここに舞い降りた。明は、白衣の天使ふたりのバックに花や蝶が舞っているかのように錯覚した。そんなものは当然ないのだが。すると突然、コンディションが戻った光から念話が届いた。
「どうしたの?」
『一哉と聖が消えたのだ』
「消えた?」
明たちは困惑の表情を浮かべている。明の眷属と弟子がそう簡単に捕まるとは思えない。まず、捕まったとしたら光や蘭がそれに気づけないはずがないのだ。二人が気付かなかったということは、ただ外出しただけではないのかという結論に至った。しかし、光の反応は違った。ただ外出するためなら刀を持っていく必要はないだろうと。明お手製の刀を持つ一哉と、家宝である刀を武器にしている聖。それを持ち出したということはまさかと明たちの脳裏に同じことが浮かび上がった。
「煩悩?」
「それにオレたちが気付けないってどういうことさ」
「一哉くんと聖くんが勝負してるっていう説はどうかな?」
倶留孫から放たれた言葉になるほどと明と光の声が重なった。
『聞こえているかね?』
「え?」というこの場の全員の声が重なった。今騒がれている本人一哉からの念話だった。少しだけ籠っていた。倶留孫は、「霊力の高い一哉だが、完璧に使いこなせるわけではないのだろう」と片付けようとした。しかし
「カズ、声が籠っているように聞こえるのだが」
『マジ?』
「聖も一緒か?」
『ああ、一緒にいるぜ』
聖は、一哉の無二の親友で茶色の短髪と琥珀色という見た目だけは一般人である。一度は絶交しかけたが、一哉からの謝罪で和解。さらに絆を深めた。苗字は雨霧だ。
一哉と聖という親友二人による勝負ではないのだろうと明と瞬間移動でここに来た光がなるほどという言葉を撤回した。さらに、倶留孫の一哉の念話は不完全という考えも撤回された。一哉の方からも、明たちの声が聞き取り辛いという時点でおかしいことが分かった。
「状況を説明してくれ」
『状況ってかなぁ、一哉』
『肝試しみたいなものなのだよ・・・多分』
「肝試し?」
またしてもこの場にいる全員の声が重なる。一哉曰く、聖の妹である愛唯が友人三人を連れて肝試しに行きたがっているというものだった。中高生の間で密に話題となっている心霊スポットで、聖の妹はそれに興味をそそられてしまった。明は内心、「行けばいいじゃん」と思ったが、一哉と聖の考えは違った。幽霊と言われるものが煩悩と関わっているのだとしたらと考えたのだ。そこで、その三人に付いていき肝試しと銘打って調査しようということにしたのだ。そもそもどこに行くにせよ、夜中に中学生だけで出歩かせるわけにはいかない。補導されないための保険でもある。
「なるほど。籠ってるってことは・・・可能性があるのかもしれないね。で、もうそこにいるの?」
『うん、既にいるのだよ』
「早くない?」
『最初はついて行こうと思ってたんだけどな』
『愛唯くんたちが到着する前に片付けておいた方がいいと思ったのだよ。まあ、僕は巻き込まれたのだけど』
『だから悪かったって』
妹たちを巻き込まないように、彼女たちが到着する前に特定して片付けておいて、結局出なかったねというオチに持っていこうという作戦だ。そして、この屋敷には何もないから面白くなかったと愛唯が言ってくれれば、興味本位で近づこうとするものがいなくなるのではないか、と一哉と聖は考えたのだ。
『まあ、一哉は弓使えるもんな』
『うん、持ってきてあるのだよ。ただの矢でしかないけど』
「え、ちょっと待って。キミそんな特技あったの?何、弓って」
一哉の告白に、明たちは困惑した。実は、一哉は公家出身だった。弓は幼い頃から身に着けていたスキル。師匠である明に言うのをすっかり忘れていた。そもそも、武道というものが好きではなかったということが大きい。しかし、慈たちと関わるようになってから再び弓の特訓を始めた。勘が戻ったのは最近のことだ。まだ秘術が使えるわけではない一哉は、ただの矢しか使えない。せめて属性を持つ矢が使えればと最近になって意識し始めたのだ。そうして始めたのが結跏趺坐。
・・・まったく、一哉ってさ
一哉の元々の性格はこうなのではないかと思い始めていた。人を傷つける武道というものを好かないが故に道場から逃げ出し、強さよりも賢さを重視するようになった。
『守る戦いなら悪くないのだよ』
「そっか。で、なんでオレたちに連絡したの?」
『内側から結界が張られてしまったら出られなくなるからさ。まあ、暇になったら来てくれよ』
聖がそう告げるなり返事する間もなく念話が途切れてしまった。しかし、いつの間にか逞しく成長していたことを知った明と慈は嬉しそうに微笑んだ。
「弓の腕はこれが終わった後に見ようかな」
──2──
一方、噂の幽霊屋敷の前にいる一哉と聖は、異様な空気を前に身震いをした。幽霊というものに対して一種のトラウマを覚えている一哉と、幽霊とか肝試しに心躍るタイプである聖だが、今の二人の心情は同じだった。何もしないまま愛唯を連れてこなくてよかったと本気で安堵する。一般人でしかも子ども三人を庇いながら戦うには、二人はあまりにも実力不足だった。
「それにしても・・・なんなんだろうな、これ」
「屋敷から殺意的なものを感じるのだよ」
これまで自分たちに向けられた感情というのは特になかった。慈や光に対して向けられた嫉妬。明に向けられた執着心。これまで相手にしてきた煩悩とはまるで違う。これまでのはいっそ可愛いのではと思えてくるほどの煩悩だ。誰に対して殺意を抱いているのかはわからない。ここに立ち入るなと言っているのは間違いないだろう。出来れば一哉と聖もここに立ち入りたくはなかった。
「屋敷から漏れてるってことは・・・屋敷で何かあったってことなんだよな」
「つまり・・・地縛霊ってことか」
「だと思うぜ。でも、なんだろなこの違和感」
二人の中にある違和感。一哉と聖は、その正体にできれば気づきたくないと思っていた。一哉の脳裏には、その正体よりもこの辺りで起きたことが過ぎっていた。
「二年前・・・場所は定かではないが、屋敷で侍女が主人に絞殺されたという事件があったのだよ」
「え、マジで?」
「動機は、カーペットに紅茶を零したからだとニュースでやっていたのだよ」
「理不尽だな。そりゃ恨みたくもなる」
「その後、その主人が亡くなった。窒息死だったそうなのだよ」
独房は一階。酸素濃度が薄い訳では無い。誰かに首を絞められていた訳でもない。しかし、男の喉にはなぜか女の髪の毛が詰まっていた
「怖ぇ・・・」
「でもそう考えると、地縛霊ではなさそうなのだよ」
「そっか。でも、この屋敷とは限らないよな?」
「それは勿論なのだよ。ただ、そうだとしてもこの殺意はおかしい」
殺伐とした家庭なのかと思えなくもないが、殺意はさすがにないだろうと一哉は言った。さらに、不自然に感じたのは屋敷の外だ。殺意が漏れているということは、霊感がないものならば気づかない。幽霊屋敷だと噂になっているのはおそらく屋敷の様相からだろう、と一哉は推測する
「これだけの屋敷なら少なくとも庭師や使用人がいてもおかしくない。なのに、手入れが一切されていないのだよ」
「そういえば確かにな。てことは、誰もいないってことか」
「そうとも言えないのだよ」
「は?」
「まぁインターホンを鳴らしてみるのだよ」
聖は頷くと、インターホンを鳴らした。一般家庭では聞かない鐘のような音だ。人が出てくるようならば、その時点で肝試しは取り止めだ。
『はい』
「え?」
一哉と聖の声が重なった。小さいが確かに返事が聞こえた。つまり、誰か住んでいるという事だ。
『中へどうぞ』
「え、いいのですか?」
普通見知らぬ人間を中に入れたりしない。しかも確かめもしない。二人はただただ戸惑う。しかし二人は、意を決して足を踏み入れた。ドアに手をかけた。開いていた。さすがに不用心すぎはしないかと別の意味で心配になってしまう。
玄関にいたのは、車椅子の女性だった。肩より少し長めの白髪の痩せぎすの女。おそらく美人だったのだろう。窶れて美貌がくすんでいた。
「どうぞ」
案内されたのはリビングだった。中は綺麗に掃除されている。燕尾服を着た執事と思われる中年の男。
「あなたがここの主人なのですか?」
「はい」
「そこの執事さんと二人か?」
「はい、そうなんです。彼以外は逃げてしまったのです。夜になるとこの家が騒がしくなると」
・・・夜にならなくてもある意味騒がしいのだよ
突き刺すような殺意が蜷局のように一哉と聖に纒わり付く。そんな錯覚に陥る。この女性と執事はその殺意や気配のようなものに気付いていないのだろう。そうでなくては他人事のようには言えないと一哉は訝しむ。
『どうやら、事件とは関係ないらしいな』
『そのようなのだよ』
二人は念話で会話をする。ある意味でよかったと安堵する。女の髪が喉に詰まって死ぬなんて結末を迎えたくはない。座る二人の前にケーキが置かれた。
「お前は公家だからこんなのよく出んだろ?」
「出ても和菓子なのだよ」
「こっちはど貧乏だから半年に一回のホットケーキだぜ?」
母が焼いた絶妙な焼き具合のホットケーキが半年に一回おやつに出る。兄妹揃って夢中になって頬張る。公家出身でこの屋敷ほどではないが広い平屋に住む一哉は、仏様に供えたあと和菓子を戴く。ちなみに仏像は阿弥陀如来。その近くには地蔵菩薩だ。そんな二人だが、あまり出てくることの無いケーキを普通に頬張る。一瞬だけ目的を忘れていた。
『この屋敷自体に殺気が満ちているのだよ』
『ああ。暖房がついているのに寒気を感じる。悪寒ってやつだな』
この屋敷自体が殺気に包まれている。こうなると、本体を突き止めることはかなり難しくなる。
・・・ん?あれは
『聖。女性の指』
『指輪だ』
伴侶がいたということになる。二人暮しということはいないのだろう。そして執事はあくまで執事。それ以上では無いはずだ。
「パートナーはいらっしゃらないのですか?」
・・・おいおい、ここで夫のことを聞くのはデリカシーってやつが
デリカシーやプライバシーなど考えもせず一哉は尋ねた。
「私の夫は・・・刑務所で亡くなったのです」
「はい?」
・・・すっげぇ、嫌な予感がする
・・・まさか
刑務所で亡くなったのです。それだけでも恐ろしいのだが、先ほど屋敷の前でその手の話をしたばかりだった。偶然にしてはできすぎている。
「死因は窒息だったそうなのです」
・・・やっぱりか!
・・・もう、最悪なのだよ
一哉の話が何故か繋がってしまった。しかもいけない方向に。
「ということは・・・二年前までここに旦那様はいらっしゃったと?」
「いいえ。ここは別荘なのです」
・・・別荘にしては距離が短い気がするのだがね
別の県に別荘を置いているのであれば納得が行くが、隣町に別荘を建てたのは何故だと一哉は疑念する。侍女が亡くなったから引っ越したといえばそれで済む。ただ、この女性が言っている、「刑務所で亡くなったのです」が確かならば、この屋敷に忍び寄っている殺意はその侍女のものである可能性が高い。そう、一哉と聖は推理した。
「許せませんわ」
「え?」
突然女性の雰囲気が豹変した。その女性から発される気はこの屋敷のものとは違う。
「あの女を殺したのは夫ではないのです」
「ん?」
「なんでそれを僕たちに話すのですか?警察の方が・・・」
二年ならばまだ間に合う。しかし、言ったとしてもその夫が戻ってくるわけではないだろう。人殺しの妻と呼ばれるよりはマシではある。一哉と聖はそう諭す。しかし、女は決して首を縦に振らない。
「自殺なんです」
「自殺・・・首吊りということですか?」
女曰く、その侍女は主人から普段からきつく当たられていた。しかも、周りの侍女からも虐めを受けていた。それを知っていたならなぜこの女性は止めなかったのかと思えなくもないが、今はそこは傍に置いておく。限界に来た侍女は首を吊って亡くなった。足元には血文字で「すべてをにくむ」と書かれたあった。
・・・あれ?
『聖、この女性が言っていることは明らかにおかしいのだよ』
『おかしいって?』
『いつ血を流すのかね?リストカットしたというのなら分からなくもない。でも、女性からは索痕しか見当たらなかったのだよ。古いリストカットの痕はあったというがね』
文字を書くための血は、少なくとも自殺に見せかけた殺人を企て亡くなった侍女以外の屋敷にいたうちの誰かが書くしかない。すべてをにくむという血文字があったとして、その血痕から主人のDNAが検出されたから逮捕されたと考えられた。しかし、その主人の体に切り傷はなかった。それらのことから、一哉はこの女性が嘘をついているのではと疑っているのだ。
『今それを指摘しても煽るだけだろ』
『適当に聞き流しておくのが得策なのだよ』
「なぜこのことを我々に話してくださるのですか?」
「なぜでしょうか。あなたたちのことは信頼できるのです」
・・・こっちは信用できないのだよ
・・・どのあたりで信用できるって思うんだよ、この女
ここに何の疑いもなく入れた時点で既におかしくはあった。そして、今はこの話だ。狙ってのことなのか、それとも本当に一哉と聖を信頼しているのか。二人には見当がつかない。
・・・まあ、信頼しているなら聞くだけ聞いておくのだよ。おそらく報告事項なのだから
「ところで、許せないというのは誰に対してなのでしょう?」
「その侍女です。夫を貶めたのですから。夫はその後すぐに亡くなってしまいました。その女の祟りです。わたしも足が不自由になってしまったのです」
「二年前からですか?」
「はい。この屋敷で」
・・・へえ、この屋敷で
この女のこの話を信じるなら、屋敷に殺意を放つ者が潜んでいるということになる。この屋敷のことで調べたいことがあるので、見回りをしたいと素直に申し出てみれば、二つ返事でオーケーサインが出た。女は車いすなので案内できないため、執事がしてくれることになった。その間も一哉と聖は警戒を解くことはない。
「ご夫人の名は?」
「砂亜紗さまでございます」
『不思議な名前だな』
・・・おかしな点が多すぎるのだよ
足が不自由な主人がいるのに、エレベーターがない。綺麗に掃除されているということは、普段から利用している可能性がある。夫人の部屋だと案内され、ベッドを見れば綺麗にメイクされている。一階に寝室はないと執事が教えてくれた。
「砂亜紗さまは嘘をついておられます」
「やはり・・・」
「だろうな」
「殺したのは・・・彼女でございます」
二人はリアクションが出来なかった。一瞬思考回路がフリーズしてしまう。殺したのは砂亜紗夫人。夫を犯人に仕立て上げたのはあの女。執事はそう言った。そもそも、砂亜紗は自殺だと言った。にも拘わらず夫を貶めたと言った。矛盾しかない。自殺に見せかけた殺人ならわかる。しかし、殺人に見せかけた自殺などどうやって実行するというのか。少なくとも一哉と聖にはわからない。血文字が遺書のようなものだとするならば、自殺に見せかけた殺人というのが適当だ。しかし、そもそも血文字は存在しない。
「そもそも首吊りではありません」
「なんなんだよ、もう」
「索痕は二重でございました。第一発見者は私で、確認もいたしましたので間違いございません」
『遺体を見つけたわりに冷静すぎるのだよ』
『もうオレ、この屋敷のやつみんな信じられねぇんだけど。まあ二人しかいねぇけど』
『同感なのだよ』
殺人は嘘で、殺人にみせかけた自殺だったと言う砂亜紗。自殺に見せかけた殺人で、殺したのは砂亜紗だと言う執事山田。理不尽とはいえ動機があり、逮捕の末に亡くなった主人鬼島公司。自殺に見せかけ血文字で遺した言葉。そんなものは存在しないと自称第一発見者である山田が言った。罪を擦り付け合っているような家なら、様々な煩悩に満ちた侍女の霊がいても仕方がないと思えてきた。一哉と聖は、この屋敷の住人に対する同情よりも、侍女が可哀想になってきていた。見限って辞めてしまえばこんなことにはならなかった。
・・・あれ?
一哉はとんでもないことに気づいてしまった。
『聖、この屋敷からすぐに出るのだよ』
『ああ、わかった。まあ、幽霊屋敷じゃないってわかったわけだしな。直帰ってことで』
『まず図書館なのだよ』
一哉と聖は親切に様々なことをしてもらったことに感謝を述べ、屋敷から出て行った。そして、その帰りに図書館に寄り道し、二人は恐るべき事実を知りゾッとしながら聖の家に向かい、愛唯に主人がいたので肝試しは止めておけと告げ、慈たちがいる寺に帰ったのだった。
そして、毛先十センチ程を赤に染めた黒い長髪と隻眼が特徴の不動明王の地上での姿である明は、学級閉鎖が解かれる前日である今日、保健室で補助をしていた。倶留孫が保健医として勤務しているのだが、既婚未婚問わずやたらとモテる。倶留孫は、肩より少し長めの黒髪と金色の双眸が特徴的な中性的な美人だ。なかには愛人になどと言う存在もいるため、主に明が警護していたのだ。地上での倶留孫の名は倶留弥華世。明は、隠す気ないだろと盛大に突っ込んだ。ほとんど倶留孫迦葉と言っている。しかし、生憎倶留孫という過去仏を知っている者があまりいない。それはそれで悲しいものがある。
「華世先生」
「おや・・・千枝ちゃん」
全校生徒の名前を知っているわけではないため、倶留孫は慌てて名前を当てた。
「風邪かい?ふむふむ、二日前から咳が出ると」
「倶留弥先生」
何も言っていないのに言い当てていく倶留孫に、千枝は目を見開いていた。熱があるらしく目は潤んでいるが
「熱計ってみよっか」
「はい」
保健カードというものがあり、症状や体温などを記す。
「七度九分か~風邪。一時間休んで様子見よっか」
千枝が頷くのを見ると、倶留孫はすぐにベッドをセットし、分厚めの掛け布団の下に毛布セットした。
「どうぞ。ごゆっくりね」
倶留孫は、優しい笑顔でそう呟くと、カーテンを閉め椅子に座った。座るなり生徒のデータを入れた。
「ぱそこんって何なんだい?そんなことしないで手書きでいいじゃないか。私が仏陀のときは全部手書きだよ?」
2500年に渡って隠居生活を続けてきた倶留孫は、パソコンやネットなどとは無縁だ。それ故に、よくこんなものを開発したものだと人間の進歩には驚きを隠せなかった。検索すれば何でも出てくる。カタカタとキーパッドを叩けば文字が打てる。最近はストゥーパに『南無阿弥陀仏』と印刷するお寺もある。死者に関する尊ぶ心が全くない。死んだら死んだという考え方だ。
倶留孫にはそれが考えられない。人々は様々なことに無関心すぎるのだ。無関心なのに違うことに対して侮辱して傷つける。それも平気な顔をして。それが分からない。確かに世界中、どの国であろうと王は必要だ。生まれながらの差別は確かに存在する。しかし、天から見れば王でも同じ人間としてしか見ていないし、王だからといって此奴は堕とさないなどと判断するはずもない。天は平等だ。罪あるものは堕とす。罪なきものは仏陀の元へ行く。罪あるものは償いようやく上に行ける。難しいことは何も無い。
倶留孫は、仏陀であった頃も隠居していた頃も人々を天から見ていた。それ故に憂いているのだ。飄々としているように見えて人々の営みに心を痛めていた。明はそれに気付いている。しかし言わない。
「変わらないね、倶留孫さま」
「そうそう変わるもんじゃないさ。人も仏も神もね。まぁでも君は変わったかな。良い方に」
倶留孫がいなければ今も人を消し、それを悦び生きていただろう。神は老いず病まず死なずだ。寿命が縮んだ人々を救うことすらしなかっただろう。それでもシヴァは変わった。アチャラナータとして。不動明王として生まれ変わった。倶留孫は変わらない。慈も変わらない。変わったのは明だけ
「違うな、カズがいたよ」
「あぁ、あのメガネの子かい?ところでその子さ、メガネのまま戦うとか大丈夫なのかな。ゴーグルとかすればいいのにね」
「それはいい案だね。コンタクトをしてみたら外れて大変だったし、メガネはメガネで浮くわ外れるわだし」
明は本気で弟子にゴーグルをはめさせようと考え始めた。メガネのままで戦おうというのは確かにある意味無防備だった。目が悪い仏や神などいないため、そこの配慮が欠けていたと反省した。
「アチャラナータが反省ねぇ」
「俺だってする時はするよ」
明は、愉快気な笑みを浮かべる倶留孫を拗ねたような表情で見つめた。それに対してさらに笑みを深めた。
「倶留孫さま」
「おや、マイちゃんじゃないか。一人で来たの?」
「さすがに一人で来られます」
拗ねたような表情をする慈。黒髪長髪と黄金の双眸が特徴の絶世の美少女だ。彼女の正体は、仏陀の後継者で救世主弥勒菩薩である。そんな慈が拗ねた表情をしようとも美貌はそのまま。もはや可愛いなと明は思う。自分の主に対してこんなことを思うのは如何なものかと明自身訝しむ。
「わたしもお手伝いします」
「いるだけで治せそうなんだよねぇ」
「そこにいるだけで癒しだよ、ほんとうに」
わたしも白衣を着たいと言った慈に、倶留孫はいいよと言って予備の白衣を渡した。白衣の天使がここに舞い降りた。明は、白衣の天使ふたりのバックに花や蝶が舞っているかのように錯覚した。そんなものは当然ないのだが。すると突然、コンディションが戻った光から念話が届いた。
「どうしたの?」
『一哉と聖が消えたのだ』
「消えた?」
明たちは困惑の表情を浮かべている。明の眷属と弟子がそう簡単に捕まるとは思えない。まず、捕まったとしたら光や蘭がそれに気づけないはずがないのだ。二人が気付かなかったということは、ただ外出しただけではないのかという結論に至った。しかし、光の反応は違った。ただ外出するためなら刀を持っていく必要はないだろうと。明お手製の刀を持つ一哉と、家宝である刀を武器にしている聖。それを持ち出したということはまさかと明たちの脳裏に同じことが浮かび上がった。
「煩悩?」
「それにオレたちが気付けないってどういうことさ」
「一哉くんと聖くんが勝負してるっていう説はどうかな?」
倶留孫から放たれた言葉になるほどと明と光の声が重なった。
『聞こえているかね?』
「え?」というこの場の全員の声が重なった。今騒がれている本人一哉からの念話だった。少しだけ籠っていた。倶留孫は、「霊力の高い一哉だが、完璧に使いこなせるわけではないのだろう」と片付けようとした。しかし
「カズ、声が籠っているように聞こえるのだが」
『マジ?』
「聖も一緒か?」
『ああ、一緒にいるぜ』
聖は、一哉の無二の親友で茶色の短髪と琥珀色という見た目だけは一般人である。一度は絶交しかけたが、一哉からの謝罪で和解。さらに絆を深めた。苗字は雨霧だ。
一哉と聖という親友二人による勝負ではないのだろうと明と瞬間移動でここに来た光がなるほどという言葉を撤回した。さらに、倶留孫の一哉の念話は不完全という考えも撤回された。一哉の方からも、明たちの声が聞き取り辛いという時点でおかしいことが分かった。
「状況を説明してくれ」
『状況ってかなぁ、一哉』
『肝試しみたいなものなのだよ・・・多分』
「肝試し?」
またしてもこの場にいる全員の声が重なる。一哉曰く、聖の妹である愛唯が友人三人を連れて肝試しに行きたがっているというものだった。中高生の間で密に話題となっている心霊スポットで、聖の妹はそれに興味をそそられてしまった。明は内心、「行けばいいじゃん」と思ったが、一哉と聖の考えは違った。幽霊と言われるものが煩悩と関わっているのだとしたらと考えたのだ。そこで、その三人に付いていき肝試しと銘打って調査しようということにしたのだ。そもそもどこに行くにせよ、夜中に中学生だけで出歩かせるわけにはいかない。補導されないための保険でもある。
「なるほど。籠ってるってことは・・・可能性があるのかもしれないね。で、もうそこにいるの?」
『うん、既にいるのだよ』
「早くない?」
『最初はついて行こうと思ってたんだけどな』
『愛唯くんたちが到着する前に片付けておいた方がいいと思ったのだよ。まあ、僕は巻き込まれたのだけど』
『だから悪かったって』
妹たちを巻き込まないように、彼女たちが到着する前に特定して片付けておいて、結局出なかったねというオチに持っていこうという作戦だ。そして、この屋敷には何もないから面白くなかったと愛唯が言ってくれれば、興味本位で近づこうとするものがいなくなるのではないか、と一哉と聖は考えたのだ。
『まあ、一哉は弓使えるもんな』
『うん、持ってきてあるのだよ。ただの矢でしかないけど』
「え、ちょっと待って。キミそんな特技あったの?何、弓って」
一哉の告白に、明たちは困惑した。実は、一哉は公家出身だった。弓は幼い頃から身に着けていたスキル。師匠である明に言うのをすっかり忘れていた。そもそも、武道というものが好きではなかったということが大きい。しかし、慈たちと関わるようになってから再び弓の特訓を始めた。勘が戻ったのは最近のことだ。まだ秘術が使えるわけではない一哉は、ただの矢しか使えない。せめて属性を持つ矢が使えればと最近になって意識し始めたのだ。そうして始めたのが結跏趺坐。
・・・まったく、一哉ってさ
一哉の元々の性格はこうなのではないかと思い始めていた。人を傷つける武道というものを好かないが故に道場から逃げ出し、強さよりも賢さを重視するようになった。
『守る戦いなら悪くないのだよ』
「そっか。で、なんでオレたちに連絡したの?」
『内側から結界が張られてしまったら出られなくなるからさ。まあ、暇になったら来てくれよ』
聖がそう告げるなり返事する間もなく念話が途切れてしまった。しかし、いつの間にか逞しく成長していたことを知った明と慈は嬉しそうに微笑んだ。
「弓の腕はこれが終わった後に見ようかな」
──2──
一方、噂の幽霊屋敷の前にいる一哉と聖は、異様な空気を前に身震いをした。幽霊というものに対して一種のトラウマを覚えている一哉と、幽霊とか肝試しに心躍るタイプである聖だが、今の二人の心情は同じだった。何もしないまま愛唯を連れてこなくてよかったと本気で安堵する。一般人でしかも子ども三人を庇いながら戦うには、二人はあまりにも実力不足だった。
「それにしても・・・なんなんだろうな、これ」
「屋敷から殺意的なものを感じるのだよ」
これまで自分たちに向けられた感情というのは特になかった。慈や光に対して向けられた嫉妬。明に向けられた執着心。これまで相手にしてきた煩悩とはまるで違う。これまでのはいっそ可愛いのではと思えてくるほどの煩悩だ。誰に対して殺意を抱いているのかはわからない。ここに立ち入るなと言っているのは間違いないだろう。出来れば一哉と聖もここに立ち入りたくはなかった。
「屋敷から漏れてるってことは・・・屋敷で何かあったってことなんだよな」
「つまり・・・地縛霊ってことか」
「だと思うぜ。でも、なんだろなこの違和感」
二人の中にある違和感。一哉と聖は、その正体にできれば気づきたくないと思っていた。一哉の脳裏には、その正体よりもこの辺りで起きたことが過ぎっていた。
「二年前・・・場所は定かではないが、屋敷で侍女が主人に絞殺されたという事件があったのだよ」
「え、マジで?」
「動機は、カーペットに紅茶を零したからだとニュースでやっていたのだよ」
「理不尽だな。そりゃ恨みたくもなる」
「その後、その主人が亡くなった。窒息死だったそうなのだよ」
独房は一階。酸素濃度が薄い訳では無い。誰かに首を絞められていた訳でもない。しかし、男の喉にはなぜか女の髪の毛が詰まっていた
「怖ぇ・・・」
「でもそう考えると、地縛霊ではなさそうなのだよ」
「そっか。でも、この屋敷とは限らないよな?」
「それは勿論なのだよ。ただ、そうだとしてもこの殺意はおかしい」
殺伐とした家庭なのかと思えなくもないが、殺意はさすがにないだろうと一哉は言った。さらに、不自然に感じたのは屋敷の外だ。殺意が漏れているということは、霊感がないものならば気づかない。幽霊屋敷だと噂になっているのはおそらく屋敷の様相からだろう、と一哉は推測する
「これだけの屋敷なら少なくとも庭師や使用人がいてもおかしくない。なのに、手入れが一切されていないのだよ」
「そういえば確かにな。てことは、誰もいないってことか」
「そうとも言えないのだよ」
「は?」
「まぁインターホンを鳴らしてみるのだよ」
聖は頷くと、インターホンを鳴らした。一般家庭では聞かない鐘のような音だ。人が出てくるようならば、その時点で肝試しは取り止めだ。
『はい』
「え?」
一哉と聖の声が重なった。小さいが確かに返事が聞こえた。つまり、誰か住んでいるという事だ。
『中へどうぞ』
「え、いいのですか?」
普通見知らぬ人間を中に入れたりしない。しかも確かめもしない。二人はただただ戸惑う。しかし二人は、意を決して足を踏み入れた。ドアに手をかけた。開いていた。さすがに不用心すぎはしないかと別の意味で心配になってしまう。
玄関にいたのは、車椅子の女性だった。肩より少し長めの白髪の痩せぎすの女。おそらく美人だったのだろう。窶れて美貌がくすんでいた。
「どうぞ」
案内されたのはリビングだった。中は綺麗に掃除されている。燕尾服を着た執事と思われる中年の男。
「あなたがここの主人なのですか?」
「はい」
「そこの執事さんと二人か?」
「はい、そうなんです。彼以外は逃げてしまったのです。夜になるとこの家が騒がしくなると」
・・・夜にならなくてもある意味騒がしいのだよ
突き刺すような殺意が蜷局のように一哉と聖に纒わり付く。そんな錯覚に陥る。この女性と執事はその殺意や気配のようなものに気付いていないのだろう。そうでなくては他人事のようには言えないと一哉は訝しむ。
『どうやら、事件とは関係ないらしいな』
『そのようなのだよ』
二人は念話で会話をする。ある意味でよかったと安堵する。女の髪が喉に詰まって死ぬなんて結末を迎えたくはない。座る二人の前にケーキが置かれた。
「お前は公家だからこんなのよく出んだろ?」
「出ても和菓子なのだよ」
「こっちはど貧乏だから半年に一回のホットケーキだぜ?」
母が焼いた絶妙な焼き具合のホットケーキが半年に一回おやつに出る。兄妹揃って夢中になって頬張る。公家出身でこの屋敷ほどではないが広い平屋に住む一哉は、仏様に供えたあと和菓子を戴く。ちなみに仏像は阿弥陀如来。その近くには地蔵菩薩だ。そんな二人だが、あまり出てくることの無いケーキを普通に頬張る。一瞬だけ目的を忘れていた。
『この屋敷自体に殺気が満ちているのだよ』
『ああ。暖房がついているのに寒気を感じる。悪寒ってやつだな』
この屋敷自体が殺気に包まれている。こうなると、本体を突き止めることはかなり難しくなる。
・・・ん?あれは
『聖。女性の指』
『指輪だ』
伴侶がいたということになる。二人暮しということはいないのだろう。そして執事はあくまで執事。それ以上では無いはずだ。
「パートナーはいらっしゃらないのですか?」
・・・おいおい、ここで夫のことを聞くのはデリカシーってやつが
デリカシーやプライバシーなど考えもせず一哉は尋ねた。
「私の夫は・・・刑務所で亡くなったのです」
「はい?」
・・・すっげぇ、嫌な予感がする
・・・まさか
刑務所で亡くなったのです。それだけでも恐ろしいのだが、先ほど屋敷の前でその手の話をしたばかりだった。偶然にしてはできすぎている。
「死因は窒息だったそうなのです」
・・・やっぱりか!
・・・もう、最悪なのだよ
一哉の話が何故か繋がってしまった。しかもいけない方向に。
「ということは・・・二年前までここに旦那様はいらっしゃったと?」
「いいえ。ここは別荘なのです」
・・・別荘にしては距離が短い気がするのだがね
別の県に別荘を置いているのであれば納得が行くが、隣町に別荘を建てたのは何故だと一哉は疑念する。侍女が亡くなったから引っ越したといえばそれで済む。ただ、この女性が言っている、「刑務所で亡くなったのです」が確かならば、この屋敷に忍び寄っている殺意はその侍女のものである可能性が高い。そう、一哉と聖は推理した。
「許せませんわ」
「え?」
突然女性の雰囲気が豹変した。その女性から発される気はこの屋敷のものとは違う。
「あの女を殺したのは夫ではないのです」
「ん?」
「なんでそれを僕たちに話すのですか?警察の方が・・・」
二年ならばまだ間に合う。しかし、言ったとしてもその夫が戻ってくるわけではないだろう。人殺しの妻と呼ばれるよりはマシではある。一哉と聖はそう諭す。しかし、女は決して首を縦に振らない。
「自殺なんです」
「自殺・・・首吊りということですか?」
女曰く、その侍女は主人から普段からきつく当たられていた。しかも、周りの侍女からも虐めを受けていた。それを知っていたならなぜこの女性は止めなかったのかと思えなくもないが、今はそこは傍に置いておく。限界に来た侍女は首を吊って亡くなった。足元には血文字で「すべてをにくむ」と書かれたあった。
・・・あれ?
『聖、この女性が言っていることは明らかにおかしいのだよ』
『おかしいって?』
『いつ血を流すのかね?リストカットしたというのなら分からなくもない。でも、女性からは索痕しか見当たらなかったのだよ。古いリストカットの痕はあったというがね』
文字を書くための血は、少なくとも自殺に見せかけた殺人を企て亡くなった侍女以外の屋敷にいたうちの誰かが書くしかない。すべてをにくむという血文字があったとして、その血痕から主人のDNAが検出されたから逮捕されたと考えられた。しかし、その主人の体に切り傷はなかった。それらのことから、一哉はこの女性が嘘をついているのではと疑っているのだ。
『今それを指摘しても煽るだけだろ』
『適当に聞き流しておくのが得策なのだよ』
「なぜこのことを我々に話してくださるのですか?」
「なぜでしょうか。あなたたちのことは信頼できるのです」
・・・こっちは信用できないのだよ
・・・どのあたりで信用できるって思うんだよ、この女
ここに何の疑いもなく入れた時点で既におかしくはあった。そして、今はこの話だ。狙ってのことなのか、それとも本当に一哉と聖を信頼しているのか。二人には見当がつかない。
・・・まあ、信頼しているなら聞くだけ聞いておくのだよ。おそらく報告事項なのだから
「ところで、許せないというのは誰に対してなのでしょう?」
「その侍女です。夫を貶めたのですから。夫はその後すぐに亡くなってしまいました。その女の祟りです。わたしも足が不自由になってしまったのです」
「二年前からですか?」
「はい。この屋敷で」
・・・へえ、この屋敷で
この女のこの話を信じるなら、屋敷に殺意を放つ者が潜んでいるということになる。この屋敷のことで調べたいことがあるので、見回りをしたいと素直に申し出てみれば、二つ返事でオーケーサインが出た。女は車いすなので案内できないため、執事がしてくれることになった。その間も一哉と聖は警戒を解くことはない。
「ご夫人の名は?」
「砂亜紗さまでございます」
『不思議な名前だな』
・・・おかしな点が多すぎるのだよ
足が不自由な主人がいるのに、エレベーターがない。綺麗に掃除されているということは、普段から利用している可能性がある。夫人の部屋だと案内され、ベッドを見れば綺麗にメイクされている。一階に寝室はないと執事が教えてくれた。
「砂亜紗さまは嘘をついておられます」
「やはり・・・」
「だろうな」
「殺したのは・・・彼女でございます」
二人はリアクションが出来なかった。一瞬思考回路がフリーズしてしまう。殺したのは砂亜紗夫人。夫を犯人に仕立て上げたのはあの女。執事はそう言った。そもそも、砂亜紗は自殺だと言った。にも拘わらず夫を貶めたと言った。矛盾しかない。自殺に見せかけた殺人ならわかる。しかし、殺人に見せかけた自殺などどうやって実行するというのか。少なくとも一哉と聖にはわからない。血文字が遺書のようなものだとするならば、自殺に見せかけた殺人というのが適当だ。しかし、そもそも血文字は存在しない。
「そもそも首吊りではありません」
「なんなんだよ、もう」
「索痕は二重でございました。第一発見者は私で、確認もいたしましたので間違いございません」
『遺体を見つけたわりに冷静すぎるのだよ』
『もうオレ、この屋敷のやつみんな信じられねぇんだけど。まあ二人しかいねぇけど』
『同感なのだよ』
殺人は嘘で、殺人にみせかけた自殺だったと言う砂亜紗。自殺に見せかけた殺人で、殺したのは砂亜紗だと言う執事山田。理不尽とはいえ動機があり、逮捕の末に亡くなった主人鬼島公司。自殺に見せかけ血文字で遺した言葉。そんなものは存在しないと自称第一発見者である山田が言った。罪を擦り付け合っているような家なら、様々な煩悩に満ちた侍女の霊がいても仕方がないと思えてきた。一哉と聖は、この屋敷の住人に対する同情よりも、侍女が可哀想になってきていた。見限って辞めてしまえばこんなことにはならなかった。
・・・あれ?
一哉はとんでもないことに気づいてしまった。
『聖、この屋敷からすぐに出るのだよ』
『ああ、わかった。まあ、幽霊屋敷じゃないってわかったわけだしな。直帰ってことで』
『まず図書館なのだよ』
一哉と聖は親切に様々なことをしてもらったことに感謝を述べ、屋敷から出て行った。そして、その帰りに図書館に寄り道し、二人は恐るべき事実を知りゾッとしながら聖の家に向かい、愛唯に主人がいたので肝試しは止めておけと告げ、慈たちがいる寺に帰ったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる