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第一楽章 手紙を書く女-Allegro con brio-
1-3 古の歌(9)
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静かな廊下から自室に戻ると、大きなベッドに腰掛けて髪の毛から雫が垂れなくなるまでタオルで頭を拭く。昼間できなかったのを果たすように、ぐしゃぐしゃと乱暴にやっていたけれども、品のよい三つのノックはきちんと耳に届いた。
「セシル。いいかな」
それは夜にふさわしい、静かな呼び声だった。
「……いいよ」
少年の許可のあと、ドアノブがおずおずと音を立てた。顔を出したのはこの家の主人だった。
彼もまた寝巻姿だったが、その上に浅黄色のニットのカーディガンを羽織っていた。
「せっかくだから、話そうと思って。君が嫌ならばまた日を改めよう。どうだろう、喫茶には遅すぎる時間だけども」
そう言うパーシィの左手には銀の盆が、その上には小さなティーセットがあった。
セシルの背筋が思わず伸びる。それを見た青年はくすりと笑って部屋に入ってきた。
足元に置いたランタンも忘れずに持ち、盆とそれをセシルの勉強机の上に置く。
蝋燭の明かりが彼の長身を切り抜いて、絨毯の上でゆらゆらと引き延ばして弄んでいる。
橙色の温かさにつられたセシルが素足のつま先で軽やかにやってくると、彼は椅子を引いてくれた。そこへ得意げにとすんと座ると、小さな炎がふわふわと揺れた。
「くるしゅーないよ」
「それはよかった。それじゃあ、冷めないうちに」
パーシィは一人用のソファに腰を下ろす前に、二人分のお茶をカップへ注いだ。
その真っ赤な色合いは紅茶のようだった一口含んでみると全然違った。
口あたりと風味のまろやかさに驚いた。
「これ、なに? 紅茶じゃないの?」
甘いバニラの香りが鼻を抜けていったあとには、ミントに似た清涼感が残る。
舌の上を転がすほど、ささやかな甘みが口の中いっぱいに広がる。
「違う。夜に飲んでも構わないとフィリナが言っていた。リネアリスという木の葉を発酵させたものだそうだ。この辺りではなくて、南の高原でのみ生産されるらしい」
「へえ。おもしろい味がする」
「気に入ったかな?」
「うん。母さんの薬膳茶みたいだ」
セシルが進んで口にするのにそそられたのか、青年もカップに口をつけた。
喉が上下する前に、彼は目を白黒させた。
どうやらパーシィも初めてらしい。褒め言葉を探しているのかあるいは苦手な香味に極めて平静を保とうとしているのか。
絵に描いたような美男子が浮かべたどちらともつかない微妙な表情はなんだか愉快で、つい声を立てて笑ってしまった。背もたれもセシルと一緒に小さく呻いた。
「セシル。いいかな」
それは夜にふさわしい、静かな呼び声だった。
「……いいよ」
少年の許可のあと、ドアノブがおずおずと音を立てた。顔を出したのはこの家の主人だった。
彼もまた寝巻姿だったが、その上に浅黄色のニットのカーディガンを羽織っていた。
「せっかくだから、話そうと思って。君が嫌ならばまた日を改めよう。どうだろう、喫茶には遅すぎる時間だけども」
そう言うパーシィの左手には銀の盆が、その上には小さなティーセットがあった。
セシルの背筋が思わず伸びる。それを見た青年はくすりと笑って部屋に入ってきた。
足元に置いたランタンも忘れずに持ち、盆とそれをセシルの勉強机の上に置く。
蝋燭の明かりが彼の長身を切り抜いて、絨毯の上でゆらゆらと引き延ばして弄んでいる。
橙色の温かさにつられたセシルが素足のつま先で軽やかにやってくると、彼は椅子を引いてくれた。そこへ得意げにとすんと座ると、小さな炎がふわふわと揺れた。
「くるしゅーないよ」
「それはよかった。それじゃあ、冷めないうちに」
パーシィは一人用のソファに腰を下ろす前に、二人分のお茶をカップへ注いだ。
その真っ赤な色合いは紅茶のようだった一口含んでみると全然違った。
口あたりと風味のまろやかさに驚いた。
「これ、なに? 紅茶じゃないの?」
甘いバニラの香りが鼻を抜けていったあとには、ミントに似た清涼感が残る。
舌の上を転がすほど、ささやかな甘みが口の中いっぱいに広がる。
「違う。夜に飲んでも構わないとフィリナが言っていた。リネアリスという木の葉を発酵させたものだそうだ。この辺りではなくて、南の高原でのみ生産されるらしい」
「へえ。おもしろい味がする」
「気に入ったかな?」
「うん。母さんの薬膳茶みたいだ」
セシルが進んで口にするのにそそられたのか、青年もカップに口をつけた。
喉が上下する前に、彼は目を白黒させた。
どうやらパーシィも初めてらしい。褒め言葉を探しているのかあるいは苦手な香味に極めて平静を保とうとしているのか。
絵に描いたような美男子が浮かべたどちらともつかない微妙な表情はなんだか愉快で、つい声を立てて笑ってしまった。背もたれもセシルと一緒に小さく呻いた。
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