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二周目
口説き文句
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「ルーカスが気になる? でも、彼は隣国の王太子である以前にやめた方が良いよ。なかなかのプレイボーイで有名だからね」
エリアーヌの視線を追ったジェラルドは、その先にルーカスがいることを知るとそう言った。
「プレイボーイ……ですか?」
「うん。友人として尊敬できる部分もある一方で、女性にだらしない部分があることも否定しない。今夜はどうせ、国内の目ぼしい令嬢と遊ぶのに飽きてこっちに来たんじゃないかな」
「さっきからずいぶんな言い方だな、ジェラルド」
呆れたような声が聞こえ、エリアーヌは顔を向けた。その先では離れた場所にいたはずのルーカスが、いつの間にか近寄って来ている。
確かにジェラルドはずいぶんな言い草だった。にも拘わらずルーカスから怒りの気配を全く感じないのは、ジェラルドが言うように良い友人関係を築いているのは事実だからなのだろう。
「人の悪評を吹き込んでおいて、自分も今夜は一際豪華な花を両手に持っているじゃないか」
ルーカスと目が合った。途端にねっとりとした何かが肌の上を滑るような感覚がして、エリアーヌは身を震わせる。思わずジェラルドの陰に隠れ、彼のコートの裾を掴んだ。
「僕の可憐な花を、僕の前で堂々と値踏みするのはさすがにやめてくれないか。可哀想に、不躾で無遠慮な視線に曝されて怯えてしまったじゃないか」
「おっと。それは失礼。だが挨拶くらいはかまわないだろう?」
ルーカスはジェラルドの返事を待たず、右足をすっと半歩下げた。右手をお腹の前で軽く曲げて左手を開き、そのまま身を低くする。
さすが隣国の王太子だけあって無駄のない、洗練された動きだ。
「初めまして、可憐に咲く愛くるしい花によく似た姫君。私はルーカス・マドリエットと申します。心の片隅にでも、以後どうぞよろしくお見知りおきを」
ここまでされてしまってはエリアーヌも何もしないわけにはいかない。ジェラルドの陰から出るとドレスのスカートを摘まみ、淑女の礼で応えた。
「王太子殿下より直々にご挨拶を賜り光栄に存じます。わたくしはオーベルハーク侯爵家が次女、エリアーヌにございます」
「エリアーヌ嬢はその名前までもが愛らしいな」
「恐れ入ります」
淀みなく次々と褒め言葉が出て来る辺り、普段から言い慣れているのだろう。
なるほど確かに、ジェラルドが傍にいなかったらエリアーヌも口説かれていると勘違いしていたかもしれない。
「もっと時間をかけてゆっくりと話をしてみたいところだけど、エリアーヌ嬢の姉君の婚約者殿に射殺されそうだから今日のところはおとなしく退散しておくよ」
ジェラルドを遠回しに表現すると、ルーカスはレースにエリアーヌの右手を素早く取って手の甲に口づけた。レースの手袋越しにひんやりした感触が伝わって来る。ポーズだけではなかったのだ。
本当にプレイボーイなのだとエリアーヌはつい感心してしまったけれど、ルーカスは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、またね、エリアーヌ嬢」
ルーカスが立ち去ると今度はイザベルが楽しそうに笑う。
「やっぱり殿下の嫉妬は少し程度じゃないではありませんか」
「あの歩く下半身男に目の前で口説かれて落ち着いていられるはずもないだろう」
「誰にでも気安く口説かれる方なのですから、逆にそういうものだと落ち着いて構えて見ていらしては? ね、エリー。あなたも余裕のある殿方に守られたいわよね?」
「え……。あの」
突然話を振られてエリアーヌは答えられなかった。
二人が気の置けない関係だからこその軽いやりとりは馬車の中だけだと思っていた。
「エリーも到着早々にルーカス殿下に口説かれて疲れてしまったでしょう。何か口にする?」
言われてみたら緊張していたのか喉が渇きを覚えている。
何か口にした方がいいのかもしれない。給仕係を探してフロアを見回した。少し離れた場所にいる給仕係を見つけ、イザベルが手を上げて呼んだその時だ。
「あら、失礼」
見知らぬ令嬢とぶつかってしまったイザベルのドレスにワインがかかる。
ドレスを汚す目的で令嬢がわざとぶつかって来たようにも見えた。だって普通ならワインを手にしていたら、それこそ人にぶつからないよう周囲には気を配る。でも、ワインの入ったグラスを持ちながら彼女は無頓着だった。
「お姉様……帰りましょう」
だけどエリアーヌにも好都合だ。
夜会に来たばかりだけれど汚れたドレスでは人前に出られない。
「殿下、申し訳ございません。少し席を外しますので、エリーをお願いできますか?」
「分かった。護衛をつけるから行って来るといい」
「お心遣いありがとうございます」
イザベルはそれまで忠実な影のようにジェラルドの背後を守っていた護衛騎士を伴い、ホールの出入り口へ向かおうとする。
「お姉様待って。それなら私も」
後を追おうとするとジェラルドに止められた。
「彼女には護衛をつけてあるから心配いらないよ」
「殿下は、お姉様を一人で行かせても心配ではないのですか……!」
どうしてエリアーヌは引き止めるのか。
もどかしさに思わず声を荒げ、けれど大きな声を出して注目を集めてはいけないと思い直してエリアーヌは口を噤んだ。ちょうど飲み物を渡され、落ち着くべく口に含んだ。
「エリアーヌ嬢は意外と心配性なのかな。それとも王太子直属の衛兵に信用がおけない?」
「そのようなことを言いたいわけでは……」
「だったら大丈夫だよ。安心していい」
そうこうしている間にイザベルの姿はホールに見えなくなってしまった。これでは今さら後を追えない。
エリアーヌは正面に立つジェラルドを見つめた。
ルーカスいわく〝姉君の婚約者殿〟である彼が何を考えているのか、エリアーヌには分からない。
彼の人となりを知るには圧倒的に対話が足りなかった。
イザベルとジェラルドの関係は至って良好に見える。
お互いに信頼しているからこそ、護衛に任せて離れられるのか。
でも今夜、イザベルはジェラルドの信頼を裏切ってしまう。
(いっそのこと、ジェラルド様に全てを話してしまえば……)
エリアーヌの言葉は信用されないかもしれない。
それでも黙っているよりはましに思えた。
エリアーヌが決意を固めると同時にジェラルドが果実水の入ったグラスを取り上げ、給仕係に渡した。
「ダンスの時間だ。エリアーヌ嬢は踊れる?」
エリアーヌの視線を追ったジェラルドは、その先にルーカスがいることを知るとそう言った。
「プレイボーイ……ですか?」
「うん。友人として尊敬できる部分もある一方で、女性にだらしない部分があることも否定しない。今夜はどうせ、国内の目ぼしい令嬢と遊ぶのに飽きてこっちに来たんじゃないかな」
「さっきからずいぶんな言い方だな、ジェラルド」
呆れたような声が聞こえ、エリアーヌは顔を向けた。その先では離れた場所にいたはずのルーカスが、いつの間にか近寄って来ている。
確かにジェラルドはずいぶんな言い草だった。にも拘わらずルーカスから怒りの気配を全く感じないのは、ジェラルドが言うように良い友人関係を築いているのは事実だからなのだろう。
「人の悪評を吹き込んでおいて、自分も今夜は一際豪華な花を両手に持っているじゃないか」
ルーカスと目が合った。途端にねっとりとした何かが肌の上を滑るような感覚がして、エリアーヌは身を震わせる。思わずジェラルドの陰に隠れ、彼のコートの裾を掴んだ。
「僕の可憐な花を、僕の前で堂々と値踏みするのはさすがにやめてくれないか。可哀想に、不躾で無遠慮な視線に曝されて怯えてしまったじゃないか」
「おっと。それは失礼。だが挨拶くらいはかまわないだろう?」
ルーカスはジェラルドの返事を待たず、右足をすっと半歩下げた。右手をお腹の前で軽く曲げて左手を開き、そのまま身を低くする。
さすが隣国の王太子だけあって無駄のない、洗練された動きだ。
「初めまして、可憐に咲く愛くるしい花によく似た姫君。私はルーカス・マドリエットと申します。心の片隅にでも、以後どうぞよろしくお見知りおきを」
ここまでされてしまってはエリアーヌも何もしないわけにはいかない。ジェラルドの陰から出るとドレスのスカートを摘まみ、淑女の礼で応えた。
「王太子殿下より直々にご挨拶を賜り光栄に存じます。わたくしはオーベルハーク侯爵家が次女、エリアーヌにございます」
「エリアーヌ嬢はその名前までもが愛らしいな」
「恐れ入ります」
淀みなく次々と褒め言葉が出て来る辺り、普段から言い慣れているのだろう。
なるほど確かに、ジェラルドが傍にいなかったらエリアーヌも口説かれていると勘違いしていたかもしれない。
「もっと時間をかけてゆっくりと話をしてみたいところだけど、エリアーヌ嬢の姉君の婚約者殿に射殺されそうだから今日のところはおとなしく退散しておくよ」
ジェラルドを遠回しに表現すると、ルーカスはレースにエリアーヌの右手を素早く取って手の甲に口づけた。レースの手袋越しにひんやりした感触が伝わって来る。ポーズだけではなかったのだ。
本当にプレイボーイなのだとエリアーヌはつい感心してしまったけれど、ルーカスは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、またね、エリアーヌ嬢」
ルーカスが立ち去ると今度はイザベルが楽しそうに笑う。
「やっぱり殿下の嫉妬は少し程度じゃないではありませんか」
「あの歩く下半身男に目の前で口説かれて落ち着いていられるはずもないだろう」
「誰にでも気安く口説かれる方なのですから、逆にそういうものだと落ち着いて構えて見ていらしては? ね、エリー。あなたも余裕のある殿方に守られたいわよね?」
「え……。あの」
突然話を振られてエリアーヌは答えられなかった。
二人が気の置けない関係だからこその軽いやりとりは馬車の中だけだと思っていた。
「エリーも到着早々にルーカス殿下に口説かれて疲れてしまったでしょう。何か口にする?」
言われてみたら緊張していたのか喉が渇きを覚えている。
何か口にした方がいいのかもしれない。給仕係を探してフロアを見回した。少し離れた場所にいる給仕係を見つけ、イザベルが手を上げて呼んだその時だ。
「あら、失礼」
見知らぬ令嬢とぶつかってしまったイザベルのドレスにワインがかかる。
ドレスを汚す目的で令嬢がわざとぶつかって来たようにも見えた。だって普通ならワインを手にしていたら、それこそ人にぶつからないよう周囲には気を配る。でも、ワインの入ったグラスを持ちながら彼女は無頓着だった。
「お姉様……帰りましょう」
だけどエリアーヌにも好都合だ。
夜会に来たばかりだけれど汚れたドレスでは人前に出られない。
「殿下、申し訳ございません。少し席を外しますので、エリーをお願いできますか?」
「分かった。護衛をつけるから行って来るといい」
「お心遣いありがとうございます」
イザベルはそれまで忠実な影のようにジェラルドの背後を守っていた護衛騎士を伴い、ホールの出入り口へ向かおうとする。
「お姉様待って。それなら私も」
後を追おうとするとジェラルドに止められた。
「彼女には護衛をつけてあるから心配いらないよ」
「殿下は、お姉様を一人で行かせても心配ではないのですか……!」
どうしてエリアーヌは引き止めるのか。
もどかしさに思わず声を荒げ、けれど大きな声を出して注目を集めてはいけないと思い直してエリアーヌは口を噤んだ。ちょうど飲み物を渡され、落ち着くべく口に含んだ。
「エリアーヌ嬢は意外と心配性なのかな。それとも王太子直属の衛兵に信用がおけない?」
「そのようなことを言いたいわけでは……」
「だったら大丈夫だよ。安心していい」
そうこうしている間にイザベルの姿はホールに見えなくなってしまった。これでは今さら後を追えない。
エリアーヌは正面に立つジェラルドを見つめた。
ルーカスいわく〝姉君の婚約者殿〟である彼が何を考えているのか、エリアーヌには分からない。
彼の人となりを知るには圧倒的に対話が足りなかった。
イザベルとジェラルドの関係は至って良好に見える。
お互いに信頼しているからこそ、護衛に任せて離れられるのか。
でも今夜、イザベルはジェラルドの信頼を裏切ってしまう。
(いっそのこと、ジェラルド様に全てを話してしまえば……)
エリアーヌの言葉は信用されないかもしれない。
それでも黙っているよりはましに思えた。
エリアーヌが決意を固めると同時にジェラルドが果実水の入ったグラスを取り上げ、給仕係に渡した。
「ダンスの時間だ。エリアーヌ嬢は踊れる?」
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