白詰草は一途に恋を秘め、朝露に濡れる

瀬月 ゆな

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第四章

26. 守りたかったもの

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 約束の時間を前に、オードリーの案内で屋敷内を歩く。

 こちら側へ来るのは初めてだった。
 屋敷内の全体像を把握できてはいないけれど、来た時に外から見た形と重ね合わせて考えるとロゼリエッタの部屋は玄関を中心にして右側にある。
 それを今は一階へ降り、ダイニングや図書室に繋がる通路には曲がらずに真っすぐに進んで来ていた。要するに、屋敷の左側へ向かっているということだ。

 廊下の壁の左手側には大きな窓が等間隔でつけられており、花々の咲く庭が見えた。
 ふと、シェイドがいる時であれば庭に出ても良いと許可をもらっていたことを思い出す。
 でも今は二日続けて"お願いごと"を聞いてもらっている。今さら日を空けたところで何が変わるとも思えないけれど、次のお願いごとをするには少し気が引けてしまうのも事実だ。

「ロゼリエッタ様?」

 足を止めてしまっていたらしい。オードリーが心配そうに振り返った。
 何でもないと首を振って再び歩きはじめ、窓の外に見えた景色に視線が向いた。

(あれは――)

 庭のずっと奥、おそらくは屋敷を囲む外壁のさらに向こうだろう。白亜の尖塔が遠く見えた。
 明かり取りの小窓がいくつも並ぶ円形の建物に灰青色の屋根を持つ佇まいは、ロゼリエッタにも見覚えのある形だった。

 どこで見たものか。
 答えはすぐに浮かびそうな位置まで上がって来ているけれど、あえて自ら考えるのをやめた。
 今はまだ気がつかないままでいたい。
 きっとすぐに、このささやかな幸せの日々も壊れてしまうに違いないから。

 そうしてオードリーと向かったのは屋敷の最奥だった。
 長い廊下の突き当たり、両開きのドアは大きく開け放たれている。外に繋がっているらしく穏やかな風が吹き込み、良く晴れた空と鮮やかな緑が見えた。
 ロゼリエッタが来ること自体、真剣に取り組むシェイドの邪魔になってしまうに違いない。それでもできる限り物音を立てないように気をつけて足を踏み入れれば、そこは木々に囲まれた小さな中庭だった。

 中央では綿を詰めているのか、四方に立てた簡素な人形のような衝立を相手にシェイドが細身の剣を揮っている。鍛錬用の模造刀らしく、何の飾り気もなければ刃もついていない。真剣な横顔には汗で前髪が貼りつき、とても声をかけられる雰囲気ではなかった。

「ロゼリエッタ様、こちらへどうぞ」

 オードリーが小さな声で、ドアから少し離れた場所に置かれた椅子を指し示した。
 導かれるまま椅子に腰を下ろし、再びシェイドの横顔を見守る。

 剣を扱っている姿どころか、帯剣している姿さえ見たことがなかった。
 最後に同席した夜会でも彼はロゼリエッタの婚約者で、王女の護衛騎士ではなかった。
 けれどクロードは、王女の護衛騎士としての役目を選んだ。

 分かっている。それは当然のことだ。決してロゼリエッタが軽んじられているわけではない。片づくまでまだ時間がかかりそうだからと、報告だってしに来てくれた。

 でも本当は、ロゼリエッタだけの騎士になって欲しかった。
 ほんの一瞬だけでいい。
 わがままで子供なロゼリエッタを選んで欲しかった。

「やっぱり、見ていても退屈ではありませんか」

 頭の上に影が差し、顔を上げる。

 いつの間に近くに来たのか、シェイドが目の前に立っていた。
 模造刀を腰につけた鞘に収めた状態で片膝をつき、その動きを目で追えば視線の高さが入れ替わる。
 見下ろした状態で話せば威圧感を与えてしまうと判断してのことなのだろう。
 その体勢は姫君に対する騎士のようでロゼリエッタの胸を高鳴らせた。

「来たばかりですし……退屈ではありません」

 だけど、そんな扱いに全く慣れてはいないのと、恥ずかしさとでシェイドの顔を見られない。
 失礼な態度だと分かっていても、視線を背けたままの返事になった。そのせいか我ながらひどく素っ気ない反応になってしまった気がして、できる範囲で視線を戻して言葉を重ねた。

「鍛錬は毎日なさっているのですか?」
「そうですね。できる限り時間を取るようにしています。いざという時に身体が動かないなんてことがないように」
「――そう、なんですね」

 自分から聞いたくせに、いつだってレミリアの為に行動しているのだと思い知らされて勝手に傷つく。
 分かっていたことだ。
 彼はロゼリエッタの婚約者じゃない。

 泣きたいのはロゼリエッタだ。
 なのに何故かシェイドもつらそうな顔をする。

「僕の世界を眩い光で照らしてくれた大切な人を、僕の手で守りたくて騎士になることを決めました。もっとも――その志も、僕が未熟だったばかりに最後まで達成できそうにありませんが」

 どういう、ことだろう。
 レミリアの護衛騎士ではなくなったのかもしれなくても、マーガスに仕えているのなら意味合いとしてはさほど変わりがないはずだ。
 彼女はマーガスの元に嫁いでしまうから手が届かなくなった。そういうことだとしても、それはシェイドが――クロードが未熟だからではない。王族同士の婚姻である以上、もっと別の理由だ。

「シェイド様……」

 三歳年上で、優しい婚約者だった彼のこんな表情は見たくない。
 話題を変えようと、そういえば助けてくれたお礼を未だに伝えていないことを思い出す。

「でも、シェイド様は私やアイリたちを助けて下さいました。私一人では何もできなかったと思います。だからご自身が未熟だなんて仰らないで下さい」

 彼が欲しいのはレミリアからの謝辞で、ロゼリエッタの言葉なんていらないかもしれない。それでもお礼は今のロゼリエッタが伝えられる、ありのままの感情を含んだ数少ない言葉だ。

 シェイドは仮面の奥の目を見開き、それから逆に小さく「ありがとうございます」と口にした。心のうちにあるもの全てを吐き出すかのように息をつき、顔を上げる。

「すみません。せっかく足を運んで下さったのに」
「いいえ。私の方こそ、ずっとお礼を言えずにごめんなさい」

 お互いに謝罪して、ふいに笑い合う。
 ロゼリエッタの心もまた軽くなっていた。

「シェイド様がまだしばらく鍛錬を続けられるのなら、私もここで見ていてもいいですか?」
「あなたが退屈でないのなら」
「では終わるまでずっといます」

 シェイドは立ち上がり、再び衝立の中央に歩いた。腰に下げた剣を外して静かに構える。
 ロゼリエッタはその一挙手一投足から目を逸らさず、心に焼き付けるように見つめた。

 ロゼリエッタが何者かに意図的に駒として選ばれているのに、シェイドはあきらかに火事の対岸に置こうとしている。
 元よりロゼリエッタが力になれることなど何もない。だからその判断は何も間違ってはいないのだろう。

 知らない事件が知らない場所で知らない間に終わる。
 きっとシェイドは――クロードは徹底してそうしたかったのだと今なら分かる。それがひどく中途半端にロゼリエッタの前に形を見せ、やむを得ず今の状況になっているのだと思う。

 それでも。
 クロードに守られながらもマーガスと共に戦える勇敢なレミリアがとても羨ましく、何もできない捕らわれの自分を嫌いだと思った。




 お茶を一緒に飲んだり、鍛錬の見学をしたり、お互いのことなどほとんど話さないのに心の距離は少しずつ近くなって行く度、不安と予感が胸をよぎる。

 終わりの日は、そう遠くない未来のことなのだと。

「お庭が見たいです。シェイド様がご一緒の時しか見られないみたいですし」

 初めてここに連れて来られてから、してみたいと思っていた庭の散策は未だ叶わずにいた。シェイドがいなくてはだめだと言われたから、言い出せずにいたのだ。

 今日は幸いとても天気が良い。
 朝起きて窓を開けた時、風もそんなに吹いてはいなかった。

「分かりました」

 思案によるしばしの沈黙を経てシェイドが軽く頷いた。

「え……。ほ、本当によろしいのですか?」

 ロゼリエッタは驚いて確認を取った。
 まさか受けてくれるとは思わずに心臓がドキドキしている。シェイドは今度はしっかりと頷き、具体的な提案を挙げてくれた。

「ガーデンテーブルの準備を整えますから一時間後、お部屋にお迎えにあがります。昼食をそちらで一緒に摂りましょう。ただし、もし再び熱が出たようなら正直におっしゃって下さい。その時は僕が絵本を読んで差し上げますので」

 散歩と昼食、それから食後のお茶を一緒に出来る。全部を終わらせられるなら、それなりに長い時間を過ごせるだろう。だったらすごく、嬉しい。
 だけど子供扱いされたことはこんな状況でも面白くなかった。いかにもわがままな令嬢のように、つんと澄まして顔を上げる。イメージは以前に読んだ、猫のように気まぐれで、それでいて魅力的な恋愛小説のヒロインだ。

「絵本だなんて子供扱いなさらないで。どうせなら王都で人気の恋愛小説にして下さいませ」

 シェイドは目を細め、申し訳ありませんと謝罪をした。その表情も声もどこか楽しそうな印象を受けるのはロゼリエッタの思い過ごしだろうか。

「だけどシェイド様が恋愛小説をご覧になるとは思えませんし、今回は特別に許して差し上げますわ」
「レディ・ロゼリエッタのご慈悲に深く感謝いたします」
「でもシェイド様。もう少しくらいレディの好みを把握しておいた方がよろしくてよ」

 ロゼリエッタも機嫌を悪くしてなんていない。わざと「仕方ないわね」と言わんばかりに表情を和らげた。

 他愛のないやりとりが嬉しくて、でも泣きたくなる。

 わがままな言動を受け入れてくれるのはクロードではなくてシェイドだからだ。
 彼の中に、ロゼリエッタを巻き込んでしまった負い目があるから大切に扱われる。

(それでも、いいの。何も残らないよりは、ずっと)

 涙で声が詰まる前に自分も準備をすると告げてダイニングを出た。

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