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プロローグ
しおりを挟む水面に浮かぶ月のように。
視界はいつもぼんやりと滲み、揺らいでいた。
__みえる色彩は色とりどりで、あまりの種類に細かい名称など既に不明だ。
数色が滲んで、新たな色が生まれて。あるいは濃くはっきりとした色が、淡く滲んでいる色を侵食し、塗り潰す。
今現在、目の前では後者の彩りが生まれていた。数多く、生み出されていた。
見慣れてしまったその光景はどこに行っても同じで、どの種族もなんら変わりはなかった。……変わらなかった。
果たしてその種族分けに、その信仰に、その威信に、その力に。
…………なんの、意味があるのだろうか。
守りたいもの、果たすべきこと、やりたいこと。
様々な想いが強く渦巻くこの場所を、最早乖離し始めた心が遠くで悲鳴を上げていた。微かに軋んだ胸奥に気付き、ゆったりとした動作で胸元に手を当てた。
心臓が、生きていた。鼓動した。
生きている、と叫んでいた。
(__俺の力は祝福ではなく、呪いだったのか……)
目の前の景色を眺めながら感じた俺自身の叫びに、頬を伝う冷たいものを感じ、空いている手で頬を撫でる。透明な液体はするすると頬を撫でていき、静かに一筋を作った。
ぼろぼろと涙と共に、何かが崩れていく。
怒り? 悲しみ? 痛み? 寂しさ? 喜び? 楽しさ? 幸せ?
今まで積み上げた、経験が流れる。流れ落ちる、滲みでる。
「もう……もう、終わりにしよう」
これ以上、壊さないでくれ。
俺の愛した世界を、人々を、仲間を__奪わないでくれ。
俺の力は、使用時に通常必要とされる魔力も自気も霊気も要らない。
ただ必要なのは、たった一つ。
強い、純粋な希い。
ただそれだけ。
故に。
想いに連動し、規模も強さもこれまでこの場に発現した魔法のどれよりも、大きな陣が天に大きく描かれた。陣とは言っても、極々シンプルな円や楕円がいくつも重なり、またとある言語でその図形の周囲を囲っているものだ。
「__俺も一緒に、消えたいなぁ……」
ポツリと天で淡く光る陣を視界に入れながら、心の声が出た。
もし、もし……願いが叶うならば。
これから行使する術は、俺も一緒に屠ってくれるだろう。
そう希ったから、そういう術だから。そういう、力だから。
希いに数瞬遅れて、淡く光る陣がゆったりと回転し始めた。
その陣の意味に気付いたものは各々、俺を仰ぎ見た。
彼らのいる場から数十メートル離れている小さな丘の上で、そんな動きをする仲間と同志を何の感情もなく、見返した。
気付いたもの中には俺の姿を認識してすぐに、対峙していた相手を置いて、俺のいる方へ走り出し始めた。何かを叫びながら、その顔に焦りや恐怖を浮かべて。
数百、数千といた種族混合のその団体は、半数が俺のいる丘へと向かってきた。
しかし。
陣は、完成した。
「さようなら」
意識して言った別れの言葉に、寂寥にも似た想いが滲んだ。
陣が一際眩しく光り、筒状にその光を伸ばした。
眩しさに目を隠す彼らは成す術なく知覚する前に、自覚する前に、思考する前に。その姿を霧散させ小さな青白い炎に変化した。ボウッと激しく燃えると、今度こそその存在をこの世界から消失させた。
あちこちから炎の燃える音が聞こえ、次にはそこにいた筈の存在は風に浚われた。
声にならない、悲鳴が聞こえた気がした。
天に描かれた陣は、施行の折にその姿を消した。そして施行前と違うのは、筒状に伸びた光の内側にいた彼らは、跡形もなくその姿を失くし、ただの爪痕が激しい草原があるだけだった。
風通りが良くなったこの場に、晴れた青空に相応しい微風が吹き、耳までの銀白髪を舞いに誘う。
渦巻く感情が消え、代わりに全ての感情が丘にいる俺へと集中しているのがわかった。
見えたのは、恐怖だった。
ある意味当然の感情だと頷く俺とは別に、顔を伏せ目の奥が鈍く痛む俺もいて。
……もう、もう……俺は俺でいるのが疲れたな。
結局、小さく願った俺の願いは聞き遂げられなかった。
願いはダメだと、希いでないとダメなんだと。未知数の俺の力の条件を垣間見て、大きな失望が心を占める。
…………だったら、願いを希いに変えてしまえばいい。
消えたい。
なくしたい。
かえりたい。
心なんか、いらない。
お願いだ……お希いだ。
この世から、俺を消してくれ。俺という意識を、俺という存在を、存在していたという証を。全て。
__無に帰してくれ。
淡く光った、先程の陣より極めて小さい陣が足元に出現した。
ゆっくりと回転し、徐々に俺の体を上っていく。
陣が通過すると、わかりやすく体が軽くなった。
…………嬉しくなった。
知れずに微笑んだ顔は、後ろから聞こえてきた足音の主を、足止めするには十分な威力を持っているようだった。
「___ユノ……!!」
必死さが見て取れる、叫びのような呼び声。
迷ってから振り返ると同じ銀白髪の長髪を靡かせて、涙で潤む濃い翡翠の瞳の持ち主がそこにいた。一人ではなかった。その後ろに見慣れた顔がいくつも揃い、その奥から険しい顔をした黒髪で黒曜のように艶のある瞳が、俺を見据えていた。
「母さん、父さん……」
儚く、しかし圧迫するような威厳のある普段の姿とはかけ離れた、母がいた。
焦りに怒りに、悲しみに憂い。……いや、言葉で表せないほど混ざり合った複雑な感情。
「俺、やっぱ……不出来な息子でごめんな」
父が見慣れた数名の顔を押し退けて、母のそばに寄ると肩を抱き寄せた。母は抵抗なくその腕の中に収まり、顔を父の腕に押し当て、嗚咽した。
俺の中で寂しさが、顔を出す。
本来あまり表情のない俺の顔が、眉を下げ、流れる涙と相まって困ったように笑う。果たして、キチンと笑えていたかは分からない。
「__ユノ」
強い、呼びかけ。
遠くに行った筈の心が、近くなった気がした。
父に視線を合わせた。
黒曜の瞳が深く、光る。決然とした表情で、強く父は希っていた。
「生きなさい」
何故。
何故……涙が勢いを増すのか。
父の言葉を受けてすぐに、陣の光は俺の体を上り終えて。縮小したと思ったら、勢いよく周囲へと散った。空気に溶けて消えていく。
俺は父の言葉に答えなかった。
ただ微笑んで、振り返っていた体を元に戻し、どこまでも青い空を見上げた。
風が吹くとキラキラと風に乗って光が舞った。見ずとも俺の体が光の粉となって、風に浚われているのだと分かった。
痛みはない。恐怖もない。未練なんて、ない。
やっと、やっと……かえれる…………!
泣きそうな嬉しさに目を閉じ、瞼の裏で太陽の陽を感じる。
「希うなら、俺の大切な彼らに幸福を……」
心の底から、笑顔でいる彼らを思い描き。
その明るい未来に希望を抱いて、心の底から安堵する。
空気に溶けた光の粒が、高く高く舞い上がる。
母は顔を上げずに、父はしっかりと光を追いかけ。
友は涙で滲む視界で空を見上げ、友は座り込み苛立たしげに地面を叩いた。
___世界を巻き込んだ、大規模戦争。
その名も全界戦争。
神も人も獣も獣人も魔も魔人も自人も。
全てが己の信じる心を掲げて、ぶつかり合った。
しかし開戦の勢いと大きさに反し、その終戦はあっけなく。
一人の青年によって強制終了した。
犠牲はおよそ数百万人。種族に偏りはなく、等しくなくなった。
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だが、開戦の原因はいまだ完全な解決をしていない。
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