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しおりを挟む果てしない深緑と新緑。歳月を感じさせる力強い幹や、若々しい幹。
無限に広がる森林に相応しいその光景に、追ってくる緊迫した気配がなければのんびりと歩いて眺め、堪能したというのに。
「__くそっ! しつこいな……っ!」
聞こえる足音とかすかな咆哮。そして草木をかき分け、落ちた枝や葉を踏み抜く軽く、しかし駆けるための力を込めた音は、寸分の狂いもなく一定の距離をとって後ろについてきていた。
背後なぞ見ずともその並んだ牙を覗かせながら、徐々に獲物を追い詰める嗜虐を満たした表情で、それは走り逃げる青年を追っていることだろう。
靡く髪は長時間の走行による汗で首や額、頬に張り付くが手入れのされたその金の髪は、とても艶やかで柔らかい。新芽のように瑞々しい白緑の瞳は、解決策はないかと模索し続け、緊張に染まっていた。
通った鼻筋に形の良い目元や口元、鍛えているのかほっそりとしかし、しっかりとしたその輪郭や体格は、青年の凜とした雰囲気に合っていた。
着ている衣服は後ろの魔物によりズタボロになり、その裂かれたシャツの下には筋の入った腕や脇腹、脹脛があった。勿論赤い液体が流れ、時間が経っているものは傷口付近で液体は赤黒く固まっている。
痛みなぞ、とうの昔にない。いや感じなくなった、が正しい。
痛覚遮断の魔法を使用しているがその効果は切れており、痛みに慣れすぎた体は痛みをどこか遠くに放置しているようだ。
どうでもいいような思考を繰り返していると、ついにその時がやってきてしまった。
避けた筈の周囲より一際大きな木の根に、つま先が引っかかった。
「ぐっ……!!」
地面にぶつかるように倒れた体は、痛みは感じなくとも疲労していたらしい。
受け身を取ろうにも、咄嗟に体が動かなかった。せいぜい手をついたこと位か。しかしそれも支えるだけの力しか残っておらず、体は胸から落ちた。
肺が圧迫され、息が詰まる。
溜まらず腕を使い上半身を起こすものの、胸元にうけた衝撃が抜けておらず、呼吸が怪しくなった。思わず首を下に向け、目をキツく閉じながら青年は自分の呼吸に集中した。
故に、気付かないのも致し方なかった。
興奮したような、歓喜に満ちた咆哮。
それがすぐ後ろにあった。
息遣いが聞こえる。気配が、油断なく全神経で青年を見ている。
ガサリと草木を分けて、さらに追加でそれは来た。
全部で3匹か。
ずるずると這いずりながら、背中を見せるのは嫌だと体を起こし、奴らと対峙する。しかしその体勢はいまだに地面に座り込み、片足を立て、立ち上がろうと力を込め失敗している。
嘲笑うかのように大きく口を開く、濃灰色の毛並みをもつ狼型の魔物。その目は魔物に多くある赤。
ニタリ、と笑った。
視認して、奴が飛びかかる前に魔力を体内で練り上げる。
魔法でもない、ただの魔力塊。込めた魔力量であれば、まだ数発撃てる。だが最低でも
2つ、最高で3つだ。
最初に飛びかかってきた粘着質なやつに、一発目を大きく開いた口内へお見舞いしてやる。
「ギャゥッ……!?」
衝撃に顔を横へ逸らし、飛んできていた体を捻り地面に足をつける。
器用に片前足で顔を覆い、喉を悲鳴のように鳴らす。
__ゴクンッ
聞こえたその音に。
堪らず目を見開き、目の前の現象を記憶に焼き付ける。
「馬鹿なっ!? 吸収しただとっ……!?」
それは、最悪な現実だった。
伏せていた顔を上げたやつは、歪んだ笑みを浮かべて。これが現実だと、主張していた。
「__ゴチソウ、さま……」
耳を疑った。
もう、体は動かない。動けない。
何故、なんで……何が起こっている?
思考を占めるのは、許容を超えた言語にならない言葉。
魔力塊に悶えていたやつは、ブルリと身を震わせると喉を動かし、魔力塊を飲み込んだ。そして体を固めて起きた出来事の異常さに、呆然としている青年を見るため顔を上げると、魔力塊を取り込んだことにより得た声帯で皮肉げに言った。
どこで学習したのか。
いや、思考や言葉自体は既に備わっていたのかもしれない。それを発する手段がなかっただけで。
これで唯一の対抗手段だと考えていたこの魔力塊による攻撃は、完全に愚策だと悟る。
「い、タダきます」
律儀にそう言ったやつは、今度こそと大きく飛び上がり、青年の首目掛けて口を開けた。
牙の艶と、牙を伝う涎が見えた。
生々しい赤い舌が、目の前に迫り。獲物を捕らえるために降りてくる牙を、スローモーションで他人事のように眺める。
(私は……俺は…………もう)
広がる絶望に、恐怖。
日が差し込み予想より明るい森林内は、もう一切見えない。
恐怖で固まる体に力を込め、来たるべき衝撃に備える。
少しでも、少しでも反撃するために。
少しでも軽傷にする為に。
致命傷でなくても、一矢報いるために。
(動け動け動け動け、動け!!!)
首に柔らかい毛が触れた。
チクリと痛みが走り、痛みは大きくなった。
「____うるせぇぞ」
ぶっきらぼうで無愛想で、機嫌の悪い滑らかな低音。
第三者の出現を聴覚で知り、そして目の前が明るくなったことを知った。
「犬が何キャンキャン喚いてんだ……あ? 魔物?」
音もなく、その姿を青年の後ろから現した彼。
訝しげに呟いた声で、先ほどまで目の前で自身の首に牙を立てた奴がいなくなり、元の位置に力無く横たわっているのが見えた。
恐怖が、去った。
絶望が、希望になった。
道が開けた。光が差した。……光明だ。
生きてる、まだ怠いが鈍く反応する体。
いつだったか、拝見させて頂いた記録映像のように現実味のない目の前の光景に、視界が徐々にぼやけていく。
「………………生きてる……!」
「あぁ。お前の希い、聞こえたぞ。お前すげぇのな」
感心したような声が、数歩前から降ってきた。
首だけで後ろを振り返った滑らかな低音の彼が、愉快そうに笑っていた。
そこが、記憶の最後だった。
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