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ラウス様は目の前に広がっていた食事を全て平らげると、口を拭って席を立ち上がった。
「俺は仕事に行くが、モリアはゆっくり食べていてくれ」
「ではせめて玄関までお見送りさせてください」
さすがにラウス様と同じ量を食べるのは難しく、残してしまっているものもある。席を立ち辛かったのだがこれ幸いと食事の席を後にする。量をもう少し少なめにしてほしいと告げるのは後にして、後ろに控えていた使用人に「ごちそうさまでした」と告げてラウス様の隣を歩く。
玄関まで着くとそこにはラウス様の荷物を手にした使用人が数人立っていた。その中には銀縁眼鏡を今日も調子よくキリリと光らせたハーヴェイさんもいる。去りゆくラウス様の馬車を見送った後で、彼に話しかけることにした。
内容はもちろんブーケについてだ。
「結婚式のブーケを作りたいのですが、サンドリア領まで連れて行ってもらうことはできますか?」
そう話すとハーヴェイさんは廊下に飾ってある石膏のように固まってしまった。
「……詳しい理由をお聞きしても?」
ハーヴェイさんは固まった表情で何とか理由を聞き出そうとする。それもそうだろう。これは逃げたいと告げているようなものだ。
「サンドリア家にある材料を使いたいのです」
カリバーン家から逃げるつもりなど毛頭ないが、ブーケを作るには材料となる特殊な薬品が必要なのだ。そしてその薬品を調達するにはそれ相応のお金がかかる。今の私は一文無しで、換金できそうなものを一つも持っていない。
サンドリア家も借金しているとはいえ、屋敷には確か2年ほど前に嫁入りをしたお姉様が使った薬品が少しくらいは残っていたはずだ。開けてから結構な時間が経ってしまっているから、それが使えるかどうかは試してみるまでわからない。けれど試してみる価値はあるだろう。
「……それは王都で調達はできないものなのでしょうか?」
「出来るとは思いますが……その、買えないといいますか……」
買えない理由としてはお金がないからというごく単純で簡潔な理由に尽きるわけだが、それを言ってしまうのは憚られた。
「モリア様?」
口ごもる私の顔を伺うようにハーヴェイさんは覗き込んでくる。これじゃあ疑ってくださいって言っているようなものだ。
「えっと……ダメですか? 作り終わったらちゃんと帰ってきますし、心配なら監視を付けてもらっても構いません!」
これなら! と思ったが、返ってきた答えは喜べないものだった。
「申し訳ないのですが、私だけではその判断は下せません」
「そう、ですか……」
まぁ、信用なんてないよね……。仕方のないことだが肩を落とさずにはいられなかった。材料を揃えるだけのお金もなければ、サンドリア家に花を摘みにも、薬品を取りにも行けないとなればブーケ作りは諦めるしかないのだろう。長く続いた習慣を私で途切れさせてしまうことは心苦しい。そして何より憧れのブーケを作れないのは悲しくて、そして悔しかった。けれど仕方のないことだと言い聞かせる。
私は愛よりもお金を選んだ。
幼い頃憧れたブーケもその代償の一つに過ぎないのだ。
「はぁ……」
与えられた部屋まですごすごと戻ると深く椅子に腰かけた。
ブーケを作れないという事実は思いの外重くのしかかる。 どうにかしてブーケから気持ちを逸らそうと、使用人達と顔を合わせる度に何か出来ることはないかと尋ねてみたのだが……清々しいほどの全敗だった。
「そんな! モリア様にこのようなことさせられません」
「どうぞ身体を休めていてください」
――とこんな調子である。
彼らが『このようなこと』と称した掃除や洗濯はサンドリア家では私の日常の一部に組み込まれていた。それらを放棄して休める身体などありはしない。今晩に控えて、という意味があるのかもしれないが、良質な眠りを一日とり続けた私の身体は健康そのもの。むしろ体力を持て余している。
「暇、だなぁ……」
ラウス様から与えられた『隣にいてくれ』という役目はラウス様が仕事に出てしまっている以上実行はできない。毎晩身体を求められるかもしれないが、それも夜限定の話。初めてだったからぐっすり寝れただけで、これから毎回終わった後眠り続けるなんてことはないだろう。
それ以外の『妻となる』役目は一ヶ月ほど先のことだという。なら一ヶ月間、私はこんな何もすることがない生活を送り続けなければいけないのか。考えただけで背筋がゾッとした。
こんな時、もし教養でもあれば本を読んだり、楽器を奏でたりするのかもしれない。だが私は暇な時、鍬を振るって畑を耕すか山に果実を収穫しに行くか、はたまた工芸品作りに精を出すかのおおよそこの三つの中のどれかをして過ごしていた。
カリバーン家で今後このような生活を送るとして、この中で出来ることと言ったら工芸品作りくらいなものだろうか。
けれどやはりそれも材料はサンドリア領にしかなくて、王都に出荷されているものは中間の商人が彼らの利益分の値段を乗せているので結構な値段になる。つまり工芸品作りをするにもブーケと同じように材料を揃えるだけのお金か、サンドリア領に連れて行ってもらえるだけの信頼が必要なわけで、悲しいことだが今の私には到底無理なことなのだ。
前途多難すぎる……。
がっくりと肩を落とすしかない自分がふがいない。
空気の入れ替えをすれば少しは良い案が浮かぶかと窓を開け、風を感じる。初めから分かっていたことだが、アイディアなんて降ってくることはない。当然だ。暇だな……と天井を見上げてもシミ一つない。いっそ昼寝が趣味だったら良かったのに、と考えた所で、優しく扉を叩く音が耳に届いた。
「俺は仕事に行くが、モリアはゆっくり食べていてくれ」
「ではせめて玄関までお見送りさせてください」
さすがにラウス様と同じ量を食べるのは難しく、残してしまっているものもある。席を立ち辛かったのだがこれ幸いと食事の席を後にする。量をもう少し少なめにしてほしいと告げるのは後にして、後ろに控えていた使用人に「ごちそうさまでした」と告げてラウス様の隣を歩く。
玄関まで着くとそこにはラウス様の荷物を手にした使用人が数人立っていた。その中には銀縁眼鏡を今日も調子よくキリリと光らせたハーヴェイさんもいる。去りゆくラウス様の馬車を見送った後で、彼に話しかけることにした。
内容はもちろんブーケについてだ。
「結婚式のブーケを作りたいのですが、サンドリア領まで連れて行ってもらうことはできますか?」
そう話すとハーヴェイさんは廊下に飾ってある石膏のように固まってしまった。
「……詳しい理由をお聞きしても?」
ハーヴェイさんは固まった表情で何とか理由を聞き出そうとする。それもそうだろう。これは逃げたいと告げているようなものだ。
「サンドリア家にある材料を使いたいのです」
カリバーン家から逃げるつもりなど毛頭ないが、ブーケを作るには材料となる特殊な薬品が必要なのだ。そしてその薬品を調達するにはそれ相応のお金がかかる。今の私は一文無しで、換金できそうなものを一つも持っていない。
サンドリア家も借金しているとはいえ、屋敷には確か2年ほど前に嫁入りをしたお姉様が使った薬品が少しくらいは残っていたはずだ。開けてから結構な時間が経ってしまっているから、それが使えるかどうかは試してみるまでわからない。けれど試してみる価値はあるだろう。
「……それは王都で調達はできないものなのでしょうか?」
「出来るとは思いますが……その、買えないといいますか……」
買えない理由としてはお金がないからというごく単純で簡潔な理由に尽きるわけだが、それを言ってしまうのは憚られた。
「モリア様?」
口ごもる私の顔を伺うようにハーヴェイさんは覗き込んでくる。これじゃあ疑ってくださいって言っているようなものだ。
「えっと……ダメですか? 作り終わったらちゃんと帰ってきますし、心配なら監視を付けてもらっても構いません!」
これなら! と思ったが、返ってきた答えは喜べないものだった。
「申し訳ないのですが、私だけではその判断は下せません」
「そう、ですか……」
まぁ、信用なんてないよね……。仕方のないことだが肩を落とさずにはいられなかった。材料を揃えるだけのお金もなければ、サンドリア家に花を摘みにも、薬品を取りにも行けないとなればブーケ作りは諦めるしかないのだろう。長く続いた習慣を私で途切れさせてしまうことは心苦しい。そして何より憧れのブーケを作れないのは悲しくて、そして悔しかった。けれど仕方のないことだと言い聞かせる。
私は愛よりもお金を選んだ。
幼い頃憧れたブーケもその代償の一つに過ぎないのだ。
「はぁ……」
与えられた部屋まですごすごと戻ると深く椅子に腰かけた。
ブーケを作れないという事実は思いの外重くのしかかる。 どうにかしてブーケから気持ちを逸らそうと、使用人達と顔を合わせる度に何か出来ることはないかと尋ねてみたのだが……清々しいほどの全敗だった。
「そんな! モリア様にこのようなことさせられません」
「どうぞ身体を休めていてください」
――とこんな調子である。
彼らが『このようなこと』と称した掃除や洗濯はサンドリア家では私の日常の一部に組み込まれていた。それらを放棄して休める身体などありはしない。今晩に控えて、という意味があるのかもしれないが、良質な眠りを一日とり続けた私の身体は健康そのもの。むしろ体力を持て余している。
「暇、だなぁ……」
ラウス様から与えられた『隣にいてくれ』という役目はラウス様が仕事に出てしまっている以上実行はできない。毎晩身体を求められるかもしれないが、それも夜限定の話。初めてだったからぐっすり寝れただけで、これから毎回終わった後眠り続けるなんてことはないだろう。
それ以外の『妻となる』役目は一ヶ月ほど先のことだという。なら一ヶ月間、私はこんな何もすることがない生活を送り続けなければいけないのか。考えただけで背筋がゾッとした。
こんな時、もし教養でもあれば本を読んだり、楽器を奏でたりするのかもしれない。だが私は暇な時、鍬を振るって畑を耕すか山に果実を収穫しに行くか、はたまた工芸品作りに精を出すかのおおよそこの三つの中のどれかをして過ごしていた。
カリバーン家で今後このような生活を送るとして、この中で出来ることと言ったら工芸品作りくらいなものだろうか。
けれどやはりそれも材料はサンドリア領にしかなくて、王都に出荷されているものは中間の商人が彼らの利益分の値段を乗せているので結構な値段になる。つまり工芸品作りをするにもブーケと同じように材料を揃えるだけのお金か、サンドリア領に連れて行ってもらえるだけの信頼が必要なわけで、悲しいことだが今の私には到底無理なことなのだ。
前途多難すぎる……。
がっくりと肩を落とすしかない自分がふがいない。
空気の入れ替えをすれば少しは良い案が浮かぶかと窓を開け、風を感じる。初めから分かっていたことだが、アイディアなんて降ってくることはない。当然だ。暇だな……と天井を見上げてもシミ一つない。いっそ昼寝が趣味だったら良かったのに、と考えた所で、優しく扉を叩く音が耳に届いた。
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