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だがその捜索の手はあえなく阻まれることになった。
「どうしたの、義姉さん?」
心配したように顔を覗き込んでくれたサキヌ。
「今……」
彼にそう言おうとして口を噤む。彼らは私が偽物だと知ったら悲しむだろうと頭によぎったのだ。そしてここは自分が見つけ出して、速やかにラウス様の元へと連れて行くべきではないかと考え直す。
捕まえられはしなかったものの、彼女が乗って行った馬車の家紋はしっかりと瞼に焼き付いている。
これは説得の絶好の材料になるだろう。
お屋敷に帰ったら家紋名鑑を借りて探してみよう。
『家紋名鑑』――名前だけは知っていた。
だがサンドレア家でお父様の書斎にある本棚の肥やしとなっているらしいそれが、こんなにも分厚く重いものだとは思わなかった。
夜会の翌日、お義母様に貸して欲しいと願い出るとなぜだかはわからないが嬉しそうに私の腕の中にそれをズドンと置いた。
その重みはまるで初恋を失った心を表しているよう。「ありがとうございます」と受け取ったそれを大事に胸に抱えて部屋へと戻った。
この国の名前を探し出してページの初めからズラリと並んだ家名と家紋に目を通す。
今回もグスタフは応援係だ。私の足の上で丸まりながら、見つかるまでは動くなよ? と精神的と身体的に二重の意味での圧力をかけている。
指と視線で想像以上に多い家紋の中からやっと探し当てたそれはなんと国内の貴族のものではなかった。隣国の、伯父様が婿養子に行った国の公爵家の家紋だったのだ。
ミリアール様が下級貴族の娘と言っていたからてっきり同じ下級貴族だと思っていたのだがどうやら違かったらしい。異国の、それによりによって公爵家の方ともなると、ラウス様の元へ連れてくることは私の力では出来そうもない。
「はぁ……」
足の上に乗ったままのグスタフを撫でながら深いため息をついた。
今日、ラウス様はお帰りにならない。
だから私とグスタフ、1人と1匹で結論を出す絶好の機会である。
家紋名鑑よりは軽い彼を抱えたままベッドに入ると、もうすっかり見慣れた天井を見上げながらこれからの身の振り方を考えるのであった。
朝まで一睡もすることのできなかった私は、同じく起きていてくれたグスタフのお腹をつつきながらやっとのこと絞り出した考えを彼に打ち明ける。
「ねぇ、グスタフ。やっぱり結婚は愛する人とするものだと思うの。だから私の役目は今度こそ終わり」
私はラウス様を愛している。
そして出来ることなら彼が本当に愛した女性と結ばれるためのお手伝いをしたいと思う。
だがそれを実行するには男爵家の娘という身分が有する力はあまりにも弱すぎた。
「だから私はこの場は退かなくっちゃ。帰ったらお父様達怒る……いや悲しむかもしれないけど、一緒に来てくれる?」
その問いにグスタフはふんと鼻を鳴らしてから私の足元にすり寄った。どうやら前世に引き続き、私の元へとやって来てくれた彼には愚問だったようだ。
「ありがとう」
それから私は睡眠をとることにした。
少しだけのつもりがどれだけ気合を入れて寝ていたのか、起きたのはすっかり日が傾いた頃のこと。
私がひょっこりとドアから顔を出すと外に控えていた使用人はすぐに着替えを持ってきて、着替えさせてくれる。
「すでに夕食の用意は出来ております」
導かれていつもの部屋へと入るとすでにそこにはラウス様が夕食をとっていた。
「おはよう、モリア。体調は大丈夫か?」
ラウス様は私を見つけるやいなや身体の心配をしてくれる。手を止めて、心配そうに見つめてくれる瞳に私はやっぱり彼のことが好きなのだと実感する。
「すみません、ご心配をおかけしました。私はこの通り、元気ですよ」
心配をかけてしまったことを詫びると、ラウス様は元気ならいいと嬉しそうにはにかんだ。そして私は席に着くといつもよりしっかり夕飯を食べた。
この身一つで屋敷を後にすると決めた以上、今度の食事はいつになるかわからない。それは私と共にこの屋敷を去ることを決意してくれたグスタフも同じこと。彼も私の足元でここぞとばかりにご飯を喰らっていた。
お皿が空になるたびにすっかりグスタフの虜になった使用人は「グスタフさんは今日もよく食べますね~」なんて弾んだ声を出してはお皿を交換してくれていた。
グスタフがいっぱい食べるのなんて今に始まったことでもないからか、特に怪しんだ様子はない。
「今日、城の庭園の花が満開になったんだ」
私がご飯をここぞとばかりにかき込む中、ラウス様がいつものように今日の出来事を話してくれる。それが今日で最後になるのは、少しだけ悲しかった。
この数週間でたくさんの思い出が出来た。
愛より金って思ってカリバーン家へとやって来た当初はそんなこと思ってもみなかったのだから不思議な話だ。
だがその考えは今でも変わらずに私の中にある。
どんなに情が湧こうともラウス様にとって私は勘違いで嫁にとろうとしてしまった女であり、私にとってこの場にいるのはお金のためなのだ。
…………そうでなくてはいけない。
片方が破綻したらもうその関係は成り立たない。それは仕方のないことなのだ。
例えお義母様やシャロン様、そしてレトッド家のお屋敷のネコ達が歓迎してくれていたとしても、当の本人たちの気持ちを無視してまで押し進めていいとは思えないのだ。
それは恋愛結婚を繰り返して来たサンドレアならではの考えだろう。愛より金を選んだ私もやはり根はサンドレアの人間で、愛した人には出来れば愛を選んで欲しいと思ってしまうのだ。
欲を出すならば勘違いしたって面を考慮して借金の返済期間を延ばしてほしい。
ただでさえ嫁の引き取り先のなかった女が借金をこしらえて、捨てられたとなれば私はもうお嫁に行くことは出来ないだろう。いやそれは言い訳に過ぎない。私はもう誰かに恋をすることは出来ない。
恋なんて一回で十分なのだから。
疲れているのだと勘違いしたらしいラウス様は「今日はもうお開きにしよう」と提案してくれた。疲れているどころか体調は万全なのだが、彼の提案を喜んで飲み込んだ。部屋に戻った私は着替えることなくベッドへと潜り込む。寝るためではない。屋敷中が寝静まるのを待つためだ。
この屋敷を去るのは夜にした。
朝や昼、陽の高い時間は人目につきやすい。私が一人で出歩いているのをカリバーン家とつながりのある誰かに見られでもしたら、カリバーン家に迷惑をかけてしまう。
最後の最後でそんなヘマはしたくない。
目を閉じて外の音だけに集中する。音がするうちは外には出られない。微かな音を打ち消してしまう、庭のどこかで鳴く虫の声が今日だけは煩わしく感じた。
結局なんの音も耳に入らなくなったのは睡魔が襲ってきた時だった。
途中でグスタフがお腹の上にのしかかってくれなかったら完全に眠りの世界へと迷い込んでいたところだ。ありがとうと口だけ動かすと気にするなとばかりにグスタフは背中をぷいと向けた。
私は本当にいい相棒を持ったものだ。
グスタフの背中に続いて音を立てないように扉を開ける。
どんな小さな音すらも優秀なカリバーン家の使用人達の耳には入ってしまいそうで、常に緊張が身体を巡っていった。階段まで差し掛かると、前を進むおデブなグスタフが降りるときは音なんかしないのに自分の時だけギシギシなるんじゃないかって恐ろしくなった。
けれどここ数年で建て付けが気になりだしたサンドレアの屋敷ならともかく、カリバーン家でそんなことなど実際はあり得ないのだ。前を進むグスタフは時折、その長い尻尾を左右に振って本当にいいのかと私の心を読んだかのように心配してみせる。
本当に、さすがはグスタフだ。
私よりもずっと前から生きていて、私よりも先に死んでしまったネコ。そして再び私の前に現れてくれた優しくて頼り甲斐のある私の家族だ。
階段を降りると柔らかくて毛皮でモフモフとしたグスタフを胸に抱きしめる。
こうすると暖かくて、落ち着くのだ。
「どうしたの、義姉さん?」
心配したように顔を覗き込んでくれたサキヌ。
「今……」
彼にそう言おうとして口を噤む。彼らは私が偽物だと知ったら悲しむだろうと頭によぎったのだ。そしてここは自分が見つけ出して、速やかにラウス様の元へと連れて行くべきではないかと考え直す。
捕まえられはしなかったものの、彼女が乗って行った馬車の家紋はしっかりと瞼に焼き付いている。
これは説得の絶好の材料になるだろう。
お屋敷に帰ったら家紋名鑑を借りて探してみよう。
『家紋名鑑』――名前だけは知っていた。
だがサンドレア家でお父様の書斎にある本棚の肥やしとなっているらしいそれが、こんなにも分厚く重いものだとは思わなかった。
夜会の翌日、お義母様に貸して欲しいと願い出るとなぜだかはわからないが嬉しそうに私の腕の中にそれをズドンと置いた。
その重みはまるで初恋を失った心を表しているよう。「ありがとうございます」と受け取ったそれを大事に胸に抱えて部屋へと戻った。
この国の名前を探し出してページの初めからズラリと並んだ家名と家紋に目を通す。
今回もグスタフは応援係だ。私の足の上で丸まりながら、見つかるまでは動くなよ? と精神的と身体的に二重の意味での圧力をかけている。
指と視線で想像以上に多い家紋の中からやっと探し当てたそれはなんと国内の貴族のものではなかった。隣国の、伯父様が婿養子に行った国の公爵家の家紋だったのだ。
ミリアール様が下級貴族の娘と言っていたからてっきり同じ下級貴族だと思っていたのだがどうやら違かったらしい。異国の、それによりによって公爵家の方ともなると、ラウス様の元へ連れてくることは私の力では出来そうもない。
「はぁ……」
足の上に乗ったままのグスタフを撫でながら深いため息をついた。
今日、ラウス様はお帰りにならない。
だから私とグスタフ、1人と1匹で結論を出す絶好の機会である。
家紋名鑑よりは軽い彼を抱えたままベッドに入ると、もうすっかり見慣れた天井を見上げながらこれからの身の振り方を考えるのであった。
朝まで一睡もすることのできなかった私は、同じく起きていてくれたグスタフのお腹をつつきながらやっとのこと絞り出した考えを彼に打ち明ける。
「ねぇ、グスタフ。やっぱり結婚は愛する人とするものだと思うの。だから私の役目は今度こそ終わり」
私はラウス様を愛している。
そして出来ることなら彼が本当に愛した女性と結ばれるためのお手伝いをしたいと思う。
だがそれを実行するには男爵家の娘という身分が有する力はあまりにも弱すぎた。
「だから私はこの場は退かなくっちゃ。帰ったらお父様達怒る……いや悲しむかもしれないけど、一緒に来てくれる?」
その問いにグスタフはふんと鼻を鳴らしてから私の足元にすり寄った。どうやら前世に引き続き、私の元へとやって来てくれた彼には愚問だったようだ。
「ありがとう」
それから私は睡眠をとることにした。
少しだけのつもりがどれだけ気合を入れて寝ていたのか、起きたのはすっかり日が傾いた頃のこと。
私がひょっこりとドアから顔を出すと外に控えていた使用人はすぐに着替えを持ってきて、着替えさせてくれる。
「すでに夕食の用意は出来ております」
導かれていつもの部屋へと入るとすでにそこにはラウス様が夕食をとっていた。
「おはよう、モリア。体調は大丈夫か?」
ラウス様は私を見つけるやいなや身体の心配をしてくれる。手を止めて、心配そうに見つめてくれる瞳に私はやっぱり彼のことが好きなのだと実感する。
「すみません、ご心配をおかけしました。私はこの通り、元気ですよ」
心配をかけてしまったことを詫びると、ラウス様は元気ならいいと嬉しそうにはにかんだ。そして私は席に着くといつもよりしっかり夕飯を食べた。
この身一つで屋敷を後にすると決めた以上、今度の食事はいつになるかわからない。それは私と共にこの屋敷を去ることを決意してくれたグスタフも同じこと。彼も私の足元でここぞとばかりにご飯を喰らっていた。
お皿が空になるたびにすっかりグスタフの虜になった使用人は「グスタフさんは今日もよく食べますね~」なんて弾んだ声を出してはお皿を交換してくれていた。
グスタフがいっぱい食べるのなんて今に始まったことでもないからか、特に怪しんだ様子はない。
「今日、城の庭園の花が満開になったんだ」
私がご飯をここぞとばかりにかき込む中、ラウス様がいつものように今日の出来事を話してくれる。それが今日で最後になるのは、少しだけ悲しかった。
この数週間でたくさんの思い出が出来た。
愛より金って思ってカリバーン家へとやって来た当初はそんなこと思ってもみなかったのだから不思議な話だ。
だがその考えは今でも変わらずに私の中にある。
どんなに情が湧こうともラウス様にとって私は勘違いで嫁にとろうとしてしまった女であり、私にとってこの場にいるのはお金のためなのだ。
…………そうでなくてはいけない。
片方が破綻したらもうその関係は成り立たない。それは仕方のないことなのだ。
例えお義母様やシャロン様、そしてレトッド家のお屋敷のネコ達が歓迎してくれていたとしても、当の本人たちの気持ちを無視してまで押し進めていいとは思えないのだ。
それは恋愛結婚を繰り返して来たサンドレアならではの考えだろう。愛より金を選んだ私もやはり根はサンドレアの人間で、愛した人には出来れば愛を選んで欲しいと思ってしまうのだ。
欲を出すならば勘違いしたって面を考慮して借金の返済期間を延ばしてほしい。
ただでさえ嫁の引き取り先のなかった女が借金をこしらえて、捨てられたとなれば私はもうお嫁に行くことは出来ないだろう。いやそれは言い訳に過ぎない。私はもう誰かに恋をすることは出来ない。
恋なんて一回で十分なのだから。
疲れているのだと勘違いしたらしいラウス様は「今日はもうお開きにしよう」と提案してくれた。疲れているどころか体調は万全なのだが、彼の提案を喜んで飲み込んだ。部屋に戻った私は着替えることなくベッドへと潜り込む。寝るためではない。屋敷中が寝静まるのを待つためだ。
この屋敷を去るのは夜にした。
朝や昼、陽の高い時間は人目につきやすい。私が一人で出歩いているのをカリバーン家とつながりのある誰かに見られでもしたら、カリバーン家に迷惑をかけてしまう。
最後の最後でそんなヘマはしたくない。
目を閉じて外の音だけに集中する。音がするうちは外には出られない。微かな音を打ち消してしまう、庭のどこかで鳴く虫の声が今日だけは煩わしく感じた。
結局なんの音も耳に入らなくなったのは睡魔が襲ってきた時だった。
途中でグスタフがお腹の上にのしかかってくれなかったら完全に眠りの世界へと迷い込んでいたところだ。ありがとうと口だけ動かすと気にするなとばかりにグスタフは背中をぷいと向けた。
私は本当にいい相棒を持ったものだ。
グスタフの背中に続いて音を立てないように扉を開ける。
どんな小さな音すらも優秀なカリバーン家の使用人達の耳には入ってしまいそうで、常に緊張が身体を巡っていった。階段まで差し掛かると、前を進むおデブなグスタフが降りるときは音なんかしないのに自分の時だけギシギシなるんじゃないかって恐ろしくなった。
けれどここ数年で建て付けが気になりだしたサンドレアの屋敷ならともかく、カリバーン家でそんなことなど実際はあり得ないのだ。前を進むグスタフは時折、その長い尻尾を左右に振って本当にいいのかと私の心を読んだかのように心配してみせる。
本当に、さすがはグスタフだ。
私よりもずっと前から生きていて、私よりも先に死んでしまったネコ。そして再び私の前に現れてくれた優しくて頼り甲斐のある私の家族だ。
階段を降りると柔らかくて毛皮でモフモフとしたグスタフを胸に抱きしめる。
こうすると暖かくて、落ち着くのだ。
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