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1章

21~25

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21.
「ユタリア、久しぶりだな!」
「いらっしゃい、ライボルト」
 実に6年ぶりとなるライボルトとの抱擁は、会えなかった月日の長さを感じるにはちょうど良かった。もっと早くこうして会っていれば良かったのだが、なにぶん、その場の勢いだけで絶交の手紙をしたためただけあって、こちらからは会いにくかったのだ。
 もちろん同じ国に住んでいて、私もライボルトも貴族としての役割果たしている以上は、顔を合わせないなんてことは出来ず、数ヶ月に一度は夜会で叔父様によく似たその顔を見つけていた。叔父様は、お父様とは違ってキリッとした、射抜くような瞳が特徴的で、けれど中身は見た目と反してとても優しい方だ。まぁそれは身内に対してだけなのだが……。そんなところもライボルトは引き継いでいるらしく、私が一方的に絶交を言い渡したことなど忘れているように、強く私を抱きしめた。
「ユタリア、俺はずっとこの日を待ち望んでいた」
 ライボルトの親愛に応えるべく、私も彼の背中で腕を交差させる。
「ライボルト……」
 まるで何年ぶりかに顔を合わせた兄妹のように熱い視線を交わすと、彼は急に背中に回していたはずの手で私の肩をガッと掴む。
「ユタリア、俺のオススメの本を読んでくれ!」
 そしてその一言で、ああライボルトはこういう男だったなと感動が一気に離散していく。よくよく見れば彼の後ろに控えた使用人達の腕にはどっしりと本が乗っていた。
 だがそんなところは何とも私の知っているライボルトらしい。
 感動とともにどこかへと消えていってくれた身体の強張りに、やっと自分が緊張していたことに気づいた。従兄弟とはいえ、結婚するかもしれない相手なのだと、これで見極めなければと肩に余計な力がこもっていたのだろう。
 ライボルトはこんなにも昔と変わらずに接してくれているのに、本当に……我ながらバカらしい。
「相変わらずね、ライボルト」
「そう簡単に人は変わらないし、変われない。変わる必要性も感じなかったし、な。それよりも早く読んでくれ! ユラ宛にユタリアから送られてくる感想が羨ましくて、羨ましくて、ついに俺はロマンス小説にまで手を出し始めたんだぞ!」
「え、本当に!?」
「ああ。登場人物の心情に全く共感できないが、ユラのコレクションの三分の一ほどは読破した」
「それは……致命的じゃないかしら」
「ああ。だがそれでもユタリアと感想を交わし会えるほどには読み込んだ。だからユタリアもこの本を読んで、互いに感想を交わし合おうじゃないか!!」
 一つ訂正しよう。ライボルトは変わった。昔はここまで熱い男ではなかったはすである。おそらく変わってしまったのは数年間、孤独に読書を続けていたせいだろう。元々誰かと共感したいタイプではあった彼にとってそれは苦痛だったのだろう。それこそ絶対に手を伸ばすはずがないと豪語していたジャンルに手を伸ばし、大量のユラコレクションの一部を読破してしまうほどには。つまりこうなった理由は私にある。責任、取らないとよねぇ……。あまりの多さに思わず苦笑いを浮かべてしまう。けれど本が理由で離れたのならば、その距離は本で詰めよう! なんて何とも私達らしい仲直りの方法だと思ってしまうのだ。
「さすがに今日中にこの量は読めないわよ?」
「別に今日でなくても構わない。ただ俺は、ユタリアの感想が聞きたい。お前は俺の大事な読書仲間だからな! というわけで用は済んだし、俺はもう帰る」
「え、もう?」
「ああ。俺はこれから城下町の本屋で新しい本を探索しなきゃならないからな!」
「それは大事な予定ね!」
「だろ? ……ということで、結婚するにしてもしないにしても、その本の感想は送れよ?」
「わかったわよ」
「それでもし結婚することになったら、その時は夜な夜な愛を語り合おうな!」
「……そんなにオススメの本、たまってるの?」
「何をいってるんだ、ユタリア。一生読み続けたとしても本は絶えず世の中へと送り出されるんだぞ?」
 そう言って、嵐のように去って行ったライボルトはオススメの本を大量に置いて、感想を要求する代わりに、私の不安要素を全て絡め取っていった。
「これ、一体何冊あるのよ……」
 残された私はライボルト付きの使用人が置いていった本の表紙を撫でながら、久々に読むこととなるライボルトおすすめのファンタジー小説に想いを馳せるのだった。


22.
 あのライボルトが一方的に置いて帰るだけあって、どの本もページをめくる手を止めることは出来なかった。
 もしかしたら6年間、ずっと私に渡す本を選び続けていたのかもしれない。
 妹のユラに嫉妬して、興味のないジャンルにまで手を伸ばし始めるほどに本への愛情が増幅した、今のライボルトならやりかねない。
 それにしてもどれもこれも名作だった……。さすがライボルトである。早速、有り余るこの感情をライボルトの代わりに便箋へとぶつける。言葉の代わりに走るのは万年筆。昔のように遠慮なく、彼と対面している時のように走り続ける。一枚、また一枚と増えていく便せんの中にはきっと、省略できる言葉も多いだろう。けれどそれもライボルトに送る手紙ならば無駄にはならないのだ。
「……あ」
 ライボルトが6年間、私にオススメする本をため続けていたのなら、私もまた彼の選ぶ本に飢えていたのだ。ユラにオススメしてもらってロマンス小説を読んでも、感想を伝えあっても、ライボルトと語るのは別物なのだ。
 だからだろう。これだけあれば大丈夫だろうとタカをくくっていた便箋が足りなくなるまで気づかなかったほどに、私は感想を書くことに熱中していた。
 一旦手を止め、万年筆にキャップを被せて一時休憩を取らせる。そして部屋から顔を出して初めに会った使用人に尋ねる。
「ねぇ、便箋ってある?」
「便箋ですね。持ってまいりますのでしばしお待ちください」
「よろしく」
 部屋に戻り、椅子に深く腰かけると読み終わった本の山を眺める。ライボルトが持ってきた本は全部で15冊だ。シリーズものが2種類で、短編集が3冊、その他は1冊で完結のもの。同じファンタジー小説と冒険小説というジャンルでありながら、見事に全く違うものを選ばれていたため、4日ほど毎日読み続けていても全く飽きることはなかった。
 城下に繰り出せる貴重な日々の、1ヶ月のうち4日間を屋敷に閉じこもって過ごすことに費やしたが後悔は全くない。
 それに…………もう、やりたいことは一通り終わった。まだ本は読み足りないし、編み物もしたいけど……それは結婚からも変わらず出来ることだから。窓の外の鳥を眺めながら、城下町に繰り出した日々を思い返して頬を緩める。
 あの日々がなければ私は今頃、エリオットと結婚していただろう。まず初めに婚姻の申し込みがあったというのもあるけど、ブラントン家は家柄も申し分ないし、エリオット自身の悪い噂も聞かない。ユタリア=ハリンストンが嫁ぐには絶好の男性だ。だけどあんなことがあって、断って……。けれどエリオット=ブラントンの甘いもの好きという意外な一面も垣間見ることが出来た。
 まさかリガード=ブラッドに、エリオットに惚れているのだと勘違いされるとは思わなかったが。
 それにライボルトとも昔のように感想を送れるほどの仲になれた。
 だからもう心残りなどない。
 コンコンコンとテンポよくドアをノックされ、はいと返事と共に迎え入れるとそこには先ほど声をかけた使用人が申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。
「ユタリア様、申し訳ありません。ちょうど便箋を切らしておりまして。すぐに買ってまいりますので、しばらくお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「最近お手紙書くこと多いものね」
 通常の手紙に加え、ユラから送られた本の感想を書き連ねたり。それに最近はハリンストン家に送られてくる手紙の量は平年の倍以上だ。もちろん、その分返す手紙も消費する便箋も比例するように増える。だから切らしてしまっても仕方のないことだろう。

「なら私が……」
 城下町に行ってお菓子を食べるついでに買ってくる、と言いかけて止めた。早くライボルトに感想を書いて送りつけたいし、城下町に出るならまた、あのクレープが食べたい。けれどあの日、私は気持ちに区切りをつけて『最後』にしたのだ。今またあの場所へ向かったら、私はきっとそれと同じように結婚するまでの期間を延ばしてしまうだろう。
 あくまでこの期間はお父様の好意でもらった、自由時間なのだ。貴族として、ハリンストン家の娘として、一つの役割を果たしたからこそ得られた期間限定の、夢のような時間。
「ごめんなさい、お願いできるかしら?」
「お待たせして申し訳ありません。すぐに買いに行ってまいります」
 だから私は進まなければいけないのだ。拳をギュッと握りしめ、お願いねと繰り返して使用人を見送ることにした。
 それからさほど時間はかからずに再びその使用人は私の部屋を訪れると、大量の便箋を補充した。これでしばらくは便箋に困ることはないだろう。買ってきたばかりの便箋は心なしか万年筆の滑りがよく、結果的に中断する前よりも多く消費したのだった。


23.
 ユグラド王子の誕生日パーティーぶりの夜会は、ブラントン家が主催する夜会だ。今晩を皮切りに、ほぼ毎日お茶会か夜会の招待を受けている。
 ハリンストン家お抱えの針子が作り上げた十数着のドレスから、お母様が選んだこれぞという一着に身を包み、会場であるブラントン屋敷へと足を踏み入れる。そして控えめの笑顔を振りまきながら早速、場内の人を確認する。名家ブラントン家が主催するだけあって、参加している貴族達の顔ぶれは豪華だ。どうやら前回顔を合わせた公爵家のほとんどが招待されたようだった。
「ユタリア様、ようこそいらっしゃいました」
「ブラントン公爵、本日はお招きいただきありがとうございます」
 この歳の令嬢ともなれば、本来婚約者や配偶者と連れ添うのが一般的ではあるが残念ながら今の私は完全にフリーである。そのため、私はたった一人で夜会に参加することになった。
 前回のパーティーは一人で参加することが古くからの決まりごとで決まっていたが、今回のは義務ではなく、ハリンストンの意向だ。だがこれは決して異例の判断という訳ではない。実際、過去にそういう手段をとった家もいくつか存在する。もちろん、婚約者や結婚相手が決まるまでの間は父や兄に連れ添ってもらうご令嬢もいる。いや、その方法を取る家が圧倒的多数である。それはご令嬢の精神状態や一気に押し寄せるだろうアプローチを鑑みてのことである。けれど今回、ハリンストン家がその方法を取らなかったのは単純に、私の場合は一人の方が動きやすいだろうとお父様が判断を下したからである。

 他の妙年のご令嬢ならば、父兄に連れ添ってもらうなんて行動をとっただけでも、婚約者もいないのだとアピールするのと同義であり、恥をかきにきているようなもので、ましてや一人で参加するなどあり得ない話だ。けれど王子の婚姻相手候補だった者ならば意味は異なる。いわばまだ隣が空席であることの、お相手探しの真っ最中であることのアピールとなるのだ。それを見るだけで貴族達の目の色は変わる。私が来ることをわかっていてこの夜会に参加した者も一定数存在するのだろう。
 そう思うと婚姻者発表後、初めに参加する夜会がブラントン家の主催で良かったと思う。過去に何度か王子の元婚姻候補者を嫁として迎え入れるべく、既成事実を作ろうと動いた者がいたらしい。そのどれもが未遂に終わり、ご令嬢方の名誉を守るため公表はされていないものの、幼い頃に候補者3人には気をつけるよう、強く言い聞かされていた。
 だがさすがに騎士貴族であるブラントン家の夜会でそんな大それたことをする者はいないだろう。つまりブラントンの目が光っているこの場で行われるのは、ライバル同士の品の定めあいだ。
 ハリンストンとペシャワール、どちらの争奪戦に参加するか、もしくはそのどちらもから降りることにするのか、笑顔の下であまたの利害計算を繰り広げているのだろう。
 そして現在、私は絶賛ブラントン家のご当主様との腹の探り合いが繰り広げている。彼と対峙することは、ユグラド王子と共にいる時は何度かあった。だがこうして、一対一で向き合うことはなかった。いつだって彼の前にいた私は王子の婚姻相手候補の一人で、ユタリア=ハリンストン個人ではなかったのだ。
 エリオットよりも背の高い彼を見上げるようにして視線を合わせる。息子のエリオットとはあまり顔は似ていない。彼は母親に似たようだ。久々に彼の強い視線を身に浴びて、ようやく私の第2の役目の開幕を肌で実感する。
 お父様ならどの選択肢を選ぶだろう?と、普段はぽわんとしているようにも見えるが、一歩外に出るとその見た目を最大限に活かしながら社交する父を思い出しながら行動をとる。
 ……とはいえ今はまだ、本領を最大限に発揮する必要はないようだが。
 ひたすらに笑顔を貼り付けていると、ブラントン家の当主はこちらへとニコリと微笑んで、とある男に向かって手招きをした。
「ユタリア様、紹介いたします。息子のエリオットです」
 城下町で会っていた時のように砕けた笑顔でなく、今の私と同じように社交用の顔を貼り付けたエリオット=ブラントンだ。服装だって夜会に参加するに相応しいタキシードで、露店のお菓子を幸せそうに頬張っていた男と同一人物だとは思えない。もちろんそれは彼だけではなく、私にも言えることだろうが。
「こんばんは、ユタリア様。エリオット=ブラントンと申します。どうぞお見知り置きを」
 化粧や服装、メイク、そして外出用の石膏のような分厚い笑顔の効果だろうか、エリオットが私とユリアンナが同一人物であると気づいた様子はない。ならば今まで通りに繕うまでだと社交用の笑顔を深めるだけだ。いくらブラントン家主催の夜会とはいえ、婚姻の申し込みを断った以上、挨拶さえ済んでしまえば深く関わることはないだろう。
「御機嫌よう、エリオット様。ユタリア=ハリンストンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 そして私達の挨拶を終えるとすぐ、待っていましたとばかりに私とエリオットには人が群がる。婚約者がいるというのに男性陣は私の方に、女性陣はエリオットの方に見事に分かれる。私と結婚して見込める利益と同じくらいに、ブラントンと縁を結ぶ時の利益も計り知れないものがあるのだろう。家によってはブラントン家が本命で、今の婚約は保険のような位置付けになっているのかもしれない。婚約者及び婚姻相手を探し始めたのはエリオットも同じなのだから。
 より家に利益があるように動くのが貴族たるものの務めだ。その根性は貴族として素晴らしい心持ちである。
 群れのように押しかけてきた男性陣に笑顔を振りまきつつ、今晩から恒例化するのだろう、ハリンストン家の真夜中の報告会に備えて値踏みを開始する。
 服装一つとっても、その人の家のことがよくわかる。
 例えば私の左前でワイングラスを持って、順番待ちをしている男は、家柄こそ公爵家に劣る侯爵に属してはいるものの、身につけているタキシードの生地は東洋のものだ。閉鎖的なその国の生地を仕入れられる商人は少なく、またそれだけに加工できる針子も少ない。そんな生地のタキシードを身につけているということは、それだけ優秀な商人と針子を抱えていることの証明となる。
 それに今ちょうど目の前に立っている男の耳飾りは輝きの足りない、人工物だ。前回お会いした時にあれと気にかかったものの、今回ではっきりとした。以前まで身につけていたアクセサリーは、どれも彼の家の領内にいくつかある鉱山から発掘された天然の、大きな石を使用していただけに、その家の家計事情が大きく変わったことが見受けられる。暗い色の髪の中に隠してしまえばパッと見ただけではわからないとでも思ったのだろう。だが生憎、私は幼い頃から叔母様のアクセサリーコレクションを飽きるほどに見せられる。いつか必ず必要になる日がくるからと、実子であるライボルトとユラが逃げて行く中、彼女に捕まって宝石に関する知識を嫌という程に叩き込まれているのだ。そうして培った見る目はそれを生業とする宝石商よりも確かだと自負している。
 あの時は逃げ遅れた……! とか思いつつ、耳にタコが出来るほどに聞かされていたため、毎回ハイゲンシュタインの家に行くのは気が重かったのだが、今では叔母様の言うことを一応まじめに聞いておいて良かったと思う。なにせ目の前の男の家からは、私との婚姻を希望する旨の手紙が届いていて、それは見事にお父様のチェックを通り過ぎたのだから。
 確かにほんの少し前までの彼であれば、家柄的にも、財力や所有する技術に人脈、どれもハリンストンの娘の嫁ぎ先として申し分ない。けれど違和感があったこともあり、お断りすることにしたのだが、やはりあの時の私の判断は正しかったと小さく息を吐いた。

24.
 それから徐々に人が引いていくのと同じく時は過ぎていき、ある程度人が捌けていった。だが新たに得た情報といえば、誰も彼も条件としてはライボルトに劣っている者ばかりいうことだけだ。
 ハイゲンシュタイン家との婚姻は元々近い親戚関係にあるだけあって、利益こそ少ないが損益はゼロだ。内情もよく知っていて、後から発生するリスクもない。あったとしてもそれは遅かれ早かれハリンストン家にも関わるものだろうから、ハイゲンシュタインの人間になった時にのみ発生するものではない。
 今宵の収穫を元に、ライボルトよりも好条件もしくは同条件の婚姻を望むとすれば、相手に選ぶのは、エリオット=ブラントン、リガード=ブラッド、アドルフ=シュタイナー、タイロン=ファラデーの4人だ。
 だがそのうちのアドルフ=シュタイナーは結婚間近と言われる、比較的仲の良い婚約者がいる。タイロン=ファラデーは前回の夜会で手短な挨拶のみで去っていたこと、そして今晩は姿が見えないところからして、私との婚姻は望んでいないと断言できる。だが計算高いことで有名なファラデー家がこの競争に乗ってこないというのは考えづらい。おそらくすでにペシャワールとコンタクトを取っているのだろう。三家の当主陣の顔を思い浮かべてみると、ハリンストンとペシャワールではファラデーにとっては真っ直ぐとした毅然とした態度を崩さないペシャワールの方が相性が良いのだろう。ハリンストンはケースバイケース、動き分けを得意とするタイプでファラデーと似ていると言えば似ているが、相性はあまりいいとは言えないのだろう。
 そしてリガード=ブラッドは、ユリアンナ相手にエリオットの友人と自己紹介しただけのことはあり、先ほどまでは会場内にいたのだが……今はどこにも姿は見えない。その理由は不明だがおそらく彼も私とのお相手として乗ってくることはないだろう。
 残るはエリオット=ブラントンだが、こちらはすでに断っている。
 やはりライボルトと結婚するのが一番か……と社交ラッシュ1日目にして早くも私の中ではそう結論づける。もちろんお父様やお母様と相談はしてみるが、2人とも止めはしないだろう。

 
 人が切れた瞬間を察して、他に悟られないように会場から姿をくらます。さすがに疲れたし、代わる代わるやってくる相手の熱気に当てられてきた。少し夜風に当たって熱を冷まそうと、ほんの少しだけ空いた窓からバルコニーへと身体を滑らせた。
 満天の星空と、半分ほど欠けた月の下、吹く風はほどよく冷たくて気持ちがいい。そろそろ季節も変わる頃合い、もう一つまた季節が巡る頃にはきっと誰かしらとの婚姻の話が進んでいることだろう。それは今のところ、高確率でライボルトだ。
 ライボルトとの結婚生活か……。まだ早い話かもしれないが、それは容易に想像できる。
 寝室はきっと本棚に囲まれていることだろう。そして毎晩本に対する愛を語り合うのだ。離れた時を埋めるように、そして2人でこれからの一生を歩むように、愛おしいそれに指を這わせて内緒話でもするようにお互いに見つけあったものを見せ合うのだ。
「ふふふ」
 ロマンス小説のようにはいかないけれど、それはそれで幸せな生活だ。想像してみると、たった一人のバルコニーで潜めたはずの笑い声がこぼれてしまう。
「楽しそうですね。何があなたを喜ばせるのか、よろしければお聞かせ願えませんか?」
 一人きりだと思っていたからこそ、不気味な笑い声も恥ずかしくはなかった。けれど振り返り、そこに人影が見えたことで一気に顔が紅潮する。
「すみません、あなたの時間を邪魔するつもりはなかったのですが……」
 現れたのは私がバルコニーへと出てくる時ですら何人ものご令嬢方に囲まれていた、エリオット=ブラントンだった。本日の主役といっても過言ではない彼がなぜここにいるのかは疑問だが、それよりもハリンストン家の令嬢が一人で思い出し笑いをしていた、なんて噂が立たないように弁解するのが先だ。
「空が綺麗だったものですから、つい童話の一幕を思い出してしまったのです」
「『星くずのキャンディ』ですね」
「ええ」
 とっさに考えたにしてはまずまずの内容だ。
『星くずのキャンディ』はリットラー王国に生まれたからには、貴族平民問わず誰もが知っている童話だ。

 とある少女に恋した少年が、少女のために空に輝く星を取ろうとする話だ。当然のことながら遠く離れた星に手は届かない。そして少年は小さなキャンディを星なのだと嘘をついて少女へと渡した。もちろん少女はそれが嘘だと分かっていた。けれど少年が自分のために手を伸ばしてくれたことが嬉しかったのだ。こうして思いが通じあった2人は大人になると結婚して、幸せな家庭を作りました――というストーリーだ。
 思いやりの大切さを伝えるための物語なのだが、そのお話しを聞かされた幼い子どもは大抵、少年の身長がもっと高ければ届いたのではないかとか、自分なら取れるのではないかと少年のように台に乗って手を伸ばすのだ。
「大人になった今なら星に、手が届くと思いますか?」
 夜空で一番輝く星に標的を定め、尋ねてくるエリオットもまた、夜空で輝く星に手を伸ばしたのだろう。
 懐かしい、幼かった頃の話だ。
「いいえ。ですが星は空にいてこそ輝くものですから」
 あの頃から成長した今なら、星に手が届くわけもないことを知っている。それは人が手を伸ばしても届くわけもないほどに、遠い場所の存在だから。だが私は届かないからこそ、人は星を美しいものだと認識しているのだと思っている。この手に収めてしまったら、意外とつまらないものだと思ってしまうだろうと。だからこれくらいの距離がちょうどいいのだ。
「私との縁談をもう一度考えていただくキッカケとして、あの星をプレゼントしたかったのですが……残念です」
「エリオット様との縁談を、ですか?」
「一度は断られてしまいましたが、どうしてもまだ諦めきれないのです。ご迷惑でなければもう一度、当家との縁談を考えてはいただけませんか?」
 1度目は『私』、そして2度目に彼は『当家』と、縁談の相手をそう表した。これらは個人の意思ではなく、ブラントン家の意思であることを明確に伝えるためだろう。
 断られてもまだなお食らいつくほどにはブラントン家にとってハリンストンの娘は価値があるものなのだ。そしてハリンストンにとっても悪い話ではないだろうとよく理解しているからこその申し出でもある。
「私個人では決めかねますので」
「返事は今でなくとも構いません。いい返事を、お待ちしております」
 そう言い残すとエリオットは一足先に屋敷の中へと戻っていった。彼は一度だって貴族の仮面を外しはしなかった。あくまで交渉の場だったというわけだ。私達の間に愛なんてものは存在しない。あるのは互いの家の利益が絡む損得勘定のみだ。夫婦円満になどなりはしない。どんなに頑張ろうがなれるのは、この夜空のような関係だ。
 星だけ見れば一面の銀世界。だが月をみれば半分ほども欠けてしまっている。
 私達は社交界という舞台で美しい星を演じ、そして家に帰ればポッカリと愛情が欠けた家庭に落ち着くのだ。どんなにロマンチックな場所で2人きりで語らい合おうが、私達は小説の中の登場人物にはなり得ない。
 身をもって現実を知り、そしてその世界に全身で浸ってしまっているのだから。


25.
 屋敷へと帰るとそこにはすでにお父様とお母様が私の帰りを待ちわびていた。
「お帰り、ユタリア。それで……今日の夜会はどうだったんだい?」
 着替えすら済んでいないというのに、早速お父様はそう切り出す。私も着替えなんてする暇も惜しいと思っていたからちょうどいいと、エリオット=ブラントンから婚姻の申し込みがあったことを伝える。それに対し、お父様はまるでそうなることが分かっていたかの「そうか」と頷いた。お母様はブラントン家の御令息からの申し出はすでに断ったのではなかったかと過去の記憶を辿るように首をかしげる。だがお母様もその申し出に即断りを入れる訳ではないようだ。
「お父様。お父様はライボルトとエリオット=ブラントン、どちらと結婚するのがハリンストン家の得になると思う?」
 お母様もいるが、先にお父様の意見が聞きたかった。同じ男性として、そしてハリンストンの当主から見たあの男はどんな人物なのか――と。
「ユタリアは、エリオット=ブラントンが嫌じゃなかったのか?」
 けれどお父様は私の質問に答える前に疑問を投げかける。あれだけ頭ごなしに断りを入れると決断してまだ2ヶ月ほど。お父様の疑問も当然といえば当然だろう。だが買い食いを通じて仲を深めたなんて説明するのもな……と思い、手短にかつ簡潔に答えることにした。
「あれから色々あってね。今日直接、考えて欲しいって言われて、ライボルトと並べて結婚を考えるほどには好意を持っているわ」
 これだけ伝えれば、私の選択肢の中に新たにエリオットという男が浮上したことはハッキリと伝わるだろう。するとお母様は「なるほどね」と全てを理解したと言った様子でうんうんと何度も頷く。だが私の話はまだ終わってなどいないのだ。
 私が聞きたいのはあくまでどちらを選べばより利益を得ることができるかである。
 だが未だにお父様はその答えを返してくれる様子はない。
「なるほどな。なら何を迷っているんだい?」
 むしろ私に決めさせようと誘導しているかのようだ。悪いようにはならないことは重々承知で、ならばと、とりあえずはその誘導に乗ってみることにした。
「エリオット=ブラントンには好いている女性がいるらしいの」
「ユタリアは夫となる相手が愛人を囲うことが嫌なのか?」
 嫌うどころかむしろ、好いている女性がいながらも、貴族として生きることを選んだこと、そして私との婚姻に前向きな姿勢を示したことは、たとえそれが義務からだとしても、いや義務感から来るものだからこそ、好意的に捉えることができる。ライボルトの婚約者が駆け落ちをしたとつい先日聞いたばかりだからだろう、エリオットが貴族としての責務を果たそうとしていることが嬉しいのだ。
「いや、全然」
 真顔でそう答えるとお父様はならば何を迷うのかと、まるで困った生徒を見るような視線を私へと注ぐ。
「…………エリオット=ブラントンは、いや彼個人というよりもブラントン家は代々王家に仕えるだけあって皆、真面目で堅実な生き方をしてきている。名家と呼ばれる家でもあそこまでクリーンなのはブラントン家くらいなものだ」
「つまり?」
「ユタリアがブラントン家の令息とライボルトのどちらを選ぶか迷っていて、そしてよりハリンストン家に得になるような相手と結婚したいというのならブラントン家の令息にしなさい」
 その言葉は私の胸にしっくりとハマった。それと同時にライボルトとの夜は永遠に私の元へとやってくることはなくなった。けれど彼となら、結婚はせずともいい読書友達として感想の送り合いは続けられるような気がする。そう考えると案外、私の将来は明るいものだ。
 読書は趣味として認めてもらうことにして、編み物は他のご令嬢だって手習いとして幼い頃に習得するもの。買い食いはさすがにもう出来るなんて思ってはいない。これで完全に焼きたてのクレープとはサヨウナラだ。
 グッバイ、クレープ!
 私はこれからもあの味を忘れることはないだろう。

 その数日後、お父様はブラントン家へ今回の申し出を受け入れる旨の手紙を送った。するとそれからすぐにブラントン家からの手紙が戻ってきた。そしてトントン拍子に話は進み、夜会やお茶会の他に、結婚の準備に追われる日々を過ごすようになった。お茶会はともかくとして、夜会にはエリオットがパートナーとして付き添ってくれるようになったため、周りの態度はまたもや変わる。
 婚姻や婚約を目当てとしたものから、今後の繋がりを目当てとしたものに。

 エリオットが同伴してくれるようになる前よりも、挨拶にくる人の数が増えたのは、ハリンストンとブラントンが縁を結ぶことにはそれだけの影響力があるということだろう。休みがなく、疲労は溜まっていく日々だが、その一方で、この婚姻が正しい選択であったのだと少しだけ肩の荷を下すことは出来た。
 お世辞なのだろうが、誰もが私達をお似合いだと称賛し、私を白百合に、彼をナイトに例える。騎士職に就いているエリオットはともかくとして、私に白百合なんて似合わない。
 それが以前より私を表していた『窓際の白百合』からとったものなのだとしても、もうユグラド王子の婚姻候補者でもないのだ。つまり妖精や薔薇と並べて表す必要などない。だからこそ、もう少し気の利いた例えはないものだろうかと繰り返されるその言葉には徐々に嫌気がさしてくる。けれどそんなことを話せるのはミランダくらいなものである。今だって白百合をイメージして作ったウェディングドレスの手直しをしてもらいながら、日々溜まっていくストレスを発散すべく、ミランダには愚痴に付き合ってもらうのだ。
「夜会でもお茶会でも誰も彼もが白百合、白百合ってそればっかり。それでももう飽き飽きしてるのに、なんでウェディングドレスまで白百合なのよ……」
 もっと他にあっただろうと、ブラントン側より提案された、鏡に写る花嫁衣装にため息を吐く。ブラントンの誰が考えたのかは知らないが、その誰かにとって私は白百合のイメージなのか。
 儚くて簡単に手折れそうな、私には似合わない美しい花。
  「やっぱりお姉様に白百合なんて似合わないわよね」
 私の後ろからひょっこりと顔を見せて、鏡に映る私とドレスを見比べたミランダはそう呟く。
「ミランダもそう思う?」
「うん」
 やはりさすがはミランダだ。私のことをよく分かっている。理解者がいることに、そしてそれが妹であることに安心して、私の頬は緩んでしまう。
「私もそう思うわ。サボテンみたいな、真緑のドレスなら少しは似合うと思うんだけど、純白は、ねぇ……。いや、これが花嫁衣装だから仕方ないのは分かってるけど、それにしても白百合はないわよねぇ……」
 花嫁・花婿衣装は主に白のものを着用する。決まりごと、というわけではないのだろうが、余程の思い入れがない場合は大抵白の衣装に身を包む。平民の場合は結構、思い出の花だったりなんだりの色やモチーフを使用するらしいが、貴族の、政略結婚の男女にはそんなものはない。あったとしても重要視するものでもないのだ。ましてやサボテンをイメージした花嫁衣装なんて聞いたこともない。実現もするはずがないのだ。私も、ミランダだってそんなことは知っている。
「なら頭には赤い花飾りを飾らなきゃ!」
 けれど最近、こうしてはしゃげる時間も少なくなってきていて、私が嫁入りするまであとわずかなのだ。だからこそ今この時を楽しむべく、サボテンをイメージした空想上のウェディングドレスの話題に花を咲かせるのだ。

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