回帰の果てに逢いましょう ――滅亡する世界で、回帰の英雄に殺されないための六つの方略――

藤橋峰妙

文字の大きさ
8 / 26
第一部『第006世界』

2-2:置いていった人たち

しおりを挟む
 

 · · • • • ✤ • • • · ·

 
 椎野みつえと椎野豊は、渚の生みの親だ。
 
 しかし渚に二人の記憶はほとんどなかった。二人が渚を児童養護施設へ置き去る前まで共に暮らした日々を、どこか遠くに落としてきてしまったからだ。


「私の部屋、じゃない」
 

 一度、状況を整理しなければならない。
 
 渚はベッドから降りた。身体が自分のものではないように軽い。調子が良すぎて不気味だ。
 

 部屋を出ると、目の前に階段があった。

 ゆっくりと一段一段を踏みしめるたび、古びた軋みではなく、築数年の新しさと、使い慣らした柔らかな音が返ってくる。
 
 暖かな匂いが強くなった。
 
 トントントン、と包丁の軽やかな音もする。他人の生活音が聞こえる。渚の心臓は下へ行くほど早鐘を打った。

 階段を下りきると、明るいキッチンとダイニングが広がっていた。隣にはリビングルーム。壁際のテレビから、アナウンサーの声が淡々と流れる。


「おはよう、渚」

 
 美しい内装をぼんやり眺めていると、背後から声をかけられた。
 低く落ち着いた口調。スーツ姿の男が渚の横を通り過ぎ、手にしていたパンの皿をダイニングテーブルに置いた。

 
「渚、これも運んでちょうだい」


 キッチンの奥から、母親の姿をした女性が顔を出す。

 お盆に味噌汁を載せながら、父親の姿をした男性が小首をかしげていた。


「どうしたんだい?」


 渚が立ち尽くしていることを、不信に思ったのだろう。

 渚の全身は痺れたように動かなかった。何とか身体を動かして、ロボットのように、言われるがまま渡された皿をテーブルの上に運ぶ。


 母親はエプロンの裾で手を拭きながらやってきて、そのまま席に座った。父親も向かいに座り、二人は何事もないように、朝食を食べ始めた。


 油が切れた機械のような渚は、箸が置かれた席にぎこちなく座った。

 目の前にパンと味噌汁。野菜サラダ。

 並べられた朝ごはんを眺めて、二人の姿を交互にうかがう。ゆっくりとお椀に触ってみると、握れる程度の温かさが指先に染みた。


 それは、これが夢ではないと突きつける温度だった。


「今日はどうしたの」
 

 いつまでも動かない渚に、母親が穏やかな声で問いかけた。
 

「具合が悪いの?」
 
「顔色も良くないな。何かあったのか?」
 
「え、えっと……」


 歯切れの悪い返事に、二人は顔を見合わせた。
 
 渚はひどく混乱していた。あの揺さぶられるような感覚に、まだ頭の中をかき混ぜられている。
 
 俯いていた顔を上げると、箸を止めて、眉を下げて、渚を見つめる二つの顔がある。

 居心地の悪さがさらに膨れ上がった。この場にいることにも耐えられない。だがそれ以上に、心配そうな顔で渚を見ている二人に、心が締め付けられる。
 

(何か言わなきゃ)

(でも、何を?)


 言葉にならない感情が膨らみ、頭の中が燃えるように熱い。止められない衝動が目から零れ落ちそうになる。渚は下唇の裏を強く噛んだ。
 

「渚、やっぱり病院に行った方がいいんじゃない?」
 
「びょ、病院?」


 渚は素っ頓狂な声をあげた。

 もしかして、自分が、気付いているのだろうか。

「だってほら、この前、大怪我してから、やっぱりおかしいわ。あの……あのこどうに行ってから」

 
「こ、え? こどう……?」


 母親が頷く。

 
「あそこで何かあったんでしょう? お休みだってもらってきて。何も話してくれないんじゃ、私たちもわからないわ」
 
「そうだぞ。父さんたちは力になりたいんだ」
 
「いつも怪我してばっかりで……。何かあるなら、もう無理しないで、機関も辞めた方が良いんじゃないの」


(何を……言っているの?)
 

 頭の中に何かがひっかかった。

(――こどう?)

 その言葉を、渚は知っている。

 聞き覚えがあるのではない。見覚えがある言葉だった。心臓の動きを表す鼓動でも、古い道の古道でもない。


 渚はその言葉を、つい最近見た覚えがあった。

 あれはそう――「弧洞こどう」と書かれていた。思考が自然と、その言葉へ漢字を当てはめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...