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第一部『第006世界』
2-3:違和感
しおりを挟む『今週のDDAニュースの時間です。それでは真野乃キャスター、お願いします!』
突然の声に渚は弾かれたように顔を上げ、音の出どころを探した。
意識の外にあったテレビの音声が、その瞬間だけ倍に膨れ上がったように響く。
男性アナウンサーの呼びかけと同時に、ポップなBGMと鮮やかなテロップが流れ、画面が切り替わった。
『ハーイ! アナウンサーの真野乃です! 私は今、DDA本部の入口前にいまーす!』
軽快な女性アナウンサーの声。
渚だけではなく、両親二人もつられて顔を向けていた。
画面の向こうで、明るい笑顔を浮かべた女性が、大きなビルの前で元気よく手を振っている。女性はマイクを片手にビルを指し、用意された原稿を読み始めた。
――それでは、今日の天災関連ニュースをお伝えします。
――DDA本部は第五十八弧洞での作戦終了を発表しました。これに伴い、周辺市民への緊急避難指示は昨日午後六時をもって解除されています。
アナウンサーの声は滑らかに響く。
ニュースの内容は異様だった。
それなのに、言葉は不思議なほど自然に胸に染み込んでいく。知らないはずの世界の情報が、どこか懐かしいもののように感じられた。まるで、以前から知っていたかのように。
――当局によると、現時点で市民への被害は確認されていません。今回の「第五十四弧洞掃討作戦」は、DDA、《天賀グループ》、《白緑組合》の三者共同で実施された大規模作戦であり、一か月前の第五十三弧洞作戦以来となる中規模弧洞への対応でした――。
――しかし市民の間ではDDAの対応力を疑問視する声もあり、民間組織との協力を歓迎する意見と、国家依存の弱体化を懸念する意見が分かれています――。
アナウンサーの言葉が続く。
市民の声、国家依存の是非。DDA。グループ――。考えれば考えるほど違和感は増し、霞のような思考の鈍さが渚を縛った。
――次は「発生危険度推定値」のお知らせです。DDA本部は新たな弧洞の発生に関する情報を提供しています――。
――また本日、《天賀グループ》の天賀吉野会長は、DDA研究開発部門との正式提携を発表しました――。
「……ぎさ、渚!」
急に呼ばれて、渚は短く息を吸い込んだ。母親が心配そうな顔で渚を見つめていた。
「本当にぼうっとして。明日から機関に戻るんじゃないの?」
「きかん?」
母親は眉尻をわずかに下げる。
「特別休暇。今日で終わりでしょう?」
(特別休暇?)
また身に覚えのない言葉だった。
呆然とした渚に、父親がテレビを消した。柔らかな声が余韻を残しながら消え、食卓はしんと静まり返った。
ゆっくりと茶碗から立ち上る湯気に、渚はぼんやりと視線を落とす。ふっくらと白く輝く白米の粒が、やけに鮮やかに見えた。
「もう少し延ばしてもらえないの?」
母親の心配が、藪をつついたようにざわめく。
「それに、ねえ。この間の任務で分かったと思うけど、やっぱり隊員になるのは、あなたの能力じゃ無理なのよ。C級の界律能力なんだから」
「……え?」
界律能力。
渚はその言葉にもどこかで覚えがあった。
「前の前の時だって大怪我で帰ってきて、心配しているの。後遺症だって、まだ分かってないってお医者さんも言ってたじゃない。それなのにまた行くの? ご飯も食べないで部屋に籠もるなんて、見ていたくないの」
母親の声は震えていた。押し込め切れていない心配が食卓の空気をさらに重くした。
「それに、特務機関じゃなくて、民間の組織のほうだっていいじゃない。そっちのほうで後方支援に回してもらうことだって……」
心配している――その言葉に渚の胸が締め付けられる。
自分の親が、自分を心配している。
縫い付けられていた傷口が緩んでいく。奥底に溜めていた感情が引きずり出されそうになる。その場にいることが居たたまれず、渚は強く口元を引き結んだ。
何も言わない渚に、母親は小さくため息をついた。
「お母さんも、お父さんも、渚のことが心配なのに、どうして分かってくれないの?」
抑えきれない焦りと心配が奥底に潜んでいた。
渚は心の奥に重く沈んでいく感覚を覚えながら、湯気を立てている茶碗を手に取った。『心配している』なんて言葉を、渚は一度も言われたことがない――。
「わ、わかってる」
それで精一杯だった。
自分の声なのに、どこか遠い場所から出てくるような。現実が夢のようで、夢が現実のようで――どちらか確かめたいのにその術はない。
渚は目の前の白米をほんの少し口へと運んだ。
甘くて、温かい。こんな味は知らない。初めての温もりが、逆にこの世界での自分の異物感を際立たせる。
母親はさらに何か言いかけ、結局その言葉をのみ込み、再び静かにため息をつく。
残りのごはんはもう喉を通りそうになかった。だが、残せば、またあの顔をさせてしまう。渚は通らない喉に無理やり朝食を押し込んだ。
「ご……ごちそうさま」
「もういいのか?」
口を閉ざしていた父親が言った。
「うん」
渚は立ち上がって、手早く食器をキッチンの流しへ入れ、食卓の重苦しい空気から逃げるように階段を上った。背中に二人の視線が刺さるのを感じながら、振り返ることはしなかった。
部屋に戻り、ドアを閉める。ベッドに腰を下ろして、すぐに膝を抱え込んだ。
深く息をつきながら、部屋の窓越しに見える薄暗い空をぼんやりと眺める。
「ここは……どこなの? どうなってるの……」
空は青い。
しかしその下に群れをなす建物は、渚が知る日本の景色とは似て非なる。近未来的な建物が林立し、まるでSF映画の中に迷い込んだかのよう。
(――会えるなんて、思ってもみなかった)
ずっと逢いたいと願っていた頃の自分は、もういないはずなのに。
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