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第一部『第006世界』
3-2:命令
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やっぱり、と渚は思った。
「すみません、メッセージ……」
「あ、いいんだ。もう怪我は大丈夫かい?」
ちらりと職員証に目を向ける。B級の一般隊員。名前は『和久田一利』。
その名前を見て、渚の心臓が跳ねた。
(七瀬の仲間だった、あの和久田一利!?)
和久田一利という人物は、《天賀グループ》に所属するA級の《界律者》だ。陽気で気さく、チームの潤滑油のような存在で、誰もが信頼を置く人物として描かれていた。
しかし、目の前の和久田は、どう見てもまるで別人だった。
本の描写とは、似ても似つかない。表情には暗い影が焼き付き、覇気も微塵に感じない。
(――どうして、和久田が特務機関に?)
そしてA級ではなくB級ということも。
「どうかした?」
和久田は不信げに眉を寄せる。動揺を隠すように、渚は頷いた。
「えっと……はい。大丈夫です」
「そうか、それなら……良かった」
俯き加減で安堵したように頷いた和久田は、手に持った装備袋をぎゅっと握りしめる。
「椎野さん、前と雰囲気がちがうね」
「え、そう……ですか?」
「あ! いや、悪い意味じゃなくて……。なんていうか、前より、表情が明るい気がしたんだ」
渚はさっと自分の頬に手を当てる。ぎこちなく笑みを返した。
「和久田さん、『七瀬玲梓』って名前、聞いたことありますか」
和久田はきょとんとした表情を浮かべた。そして頭を傾げ、考えるように目を伏せる。
「ななせ? いや……聞いたことないかな」
「S級の新人とか、いませんか」
「S級? 最近その話題は無かったと思うけど、どうして?」
和久田の目に、嘘をついているような影はない。こつん、と小石を投げつけられたよう。どこかで分かっていたその落胆に、視線が下を向く。
「いえ……ちょっと知り合いで」
「何か調べてるのかい?」
「あ、いえ。聞き覚えがあるか、知りたかっただけです」
和久田は不思議そうに眉をひそめる。渚が何でもないと苦笑すると、驚いたような顔をして、それ以上は何も聞いてこなかった。
渚の胸の奥で、和久田の言葉がひどく冷たく響いていた。
この世界に『七瀬玲梓』の名前がない。
まだ知られていないだけなのか、それとも――七瀬という存在そのものがいないのか。
希望が全く見えてこない。
渚が考え込んでいると、和久田が小さな声で言った。
「……副班長なのに、この前は何もできなくて本当にすまなかった。あの調査の時は」
「あっ、……ええと、その……、気にしないでください」
渚は咄嗟に言った。
「……私、よく覚えていなくて。前の任務のあと、どうなったんですか? 他のメンバーは」
「前回の調査任務は成功したかな。椎野さんを含めて、重傷者が多くなってしまった。他のみんなは、復帰しないことになって、辞めてしまったよ」
「そう、ですか」
気まずい空気に包まれたその時、控え室のドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは坂田だった。
「和久田ぁ、何をしてる? さっさと準備を済ませろ! 椎野もだ! お前らの失態は二度と許されないと覚えておけ」
渚の手が小さく震えた。心臓が喉までせり上がる。
(あ――、い、嫌だ)
理屈ではどうにもならない恐怖が、坂田の登場と共に、肺の奥を押し潰そうとする。身体だけが、渚の意思を置き去りにして硬直していた。
「調査先は第四十九番弧洞。ランクC1、現状は非活性だ」
坂田班長の声には、妙な弛緩と浅ましさが混じっていた。
「通常通り、今回も弧洞の脅威度調査と資源分布の確認、拠点候補地の安全確保……」
薄ら笑いを浮かべながら、坂田は続ける。
「――だが、美味しい話は奥に転がってる。異能石だ。目についたもんは全部拾ってこい」
和久田が恐る恐る声を上げた。
「…… しょ、初期猶予時間を超過するのは危険です。それにもし四十九番に所有権がつく予定なら、異能石の収集は協定違反に」
和久田は、坂田の表情を見て言葉を切った。坂田の笑みが、すっと消えたからだ。
「和久田ぁ。A級の俺が命令してるんだぞ? お前らに選択肢があるわけない。それに、お前らが黙ってりゃ、何があったかなんて誰にも分からない。そういうもんだろ?」
「ですが……!」
和久田は言葉を失う。肩がわずかに震えている。
「お前らがやるのは、敵がいるかどうか確かめるだけじゃない。目に付くモンは全部拾ってくる。簡単な任務さ。こんな任務もできないってか? それとも俺の評判を落とすつもりか?」
坂田の声を聞く度に、渚のこめかみに、脈打つ痛みが走った。
声の中に、精神を直接削り取るような異質な感触が混じっている。
押しつぶされるような圧迫感。見えない爪が脳の奥をなぞり、恐怖だけを神経に刻み込んでくるような、違和感。
その時ようやく、渚はこの感覚の正体に気がついた。
(これ……、坂田の界律能力?)
坂田は鼻を鳴らし、ぐるりと全員を見渡した。
「なにをそんなに心配してる。俺だってお前らが死ぬのは見たくないさ」
坂田の視線に、一片の「守ろう」という意思はなかった。渚は、ぐっと奥歯を噛んだ。
「けど、結果がなきゃあ俺の立場が悪くなるんだよ。そしたらお前らの立場だって悪くなる。ただでさえ力の無いB級とC級を使ってやってるんだ。お前らが命張って成果を持ち帰れば、それでお互い得じゃないか」
渚は呼吸を整えようとしたが、胸の奥の震えは収まらない。
「すみません、メッセージ……」
「あ、いいんだ。もう怪我は大丈夫かい?」
ちらりと職員証に目を向ける。B級の一般隊員。名前は『和久田一利』。
その名前を見て、渚の心臓が跳ねた。
(七瀬の仲間だった、あの和久田一利!?)
和久田一利という人物は、《天賀グループ》に所属するA級の《界律者》だ。陽気で気さく、チームの潤滑油のような存在で、誰もが信頼を置く人物として描かれていた。
しかし、目の前の和久田は、どう見てもまるで別人だった。
本の描写とは、似ても似つかない。表情には暗い影が焼き付き、覇気も微塵に感じない。
(――どうして、和久田が特務機関に?)
そしてA級ではなくB級ということも。
「どうかした?」
和久田は不信げに眉を寄せる。動揺を隠すように、渚は頷いた。
「えっと……はい。大丈夫です」
「そうか、それなら……良かった」
俯き加減で安堵したように頷いた和久田は、手に持った装備袋をぎゅっと握りしめる。
「椎野さん、前と雰囲気がちがうね」
「え、そう……ですか?」
「あ! いや、悪い意味じゃなくて……。なんていうか、前より、表情が明るい気がしたんだ」
渚はさっと自分の頬に手を当てる。ぎこちなく笑みを返した。
「和久田さん、『七瀬玲梓』って名前、聞いたことありますか」
和久田はきょとんとした表情を浮かべた。そして頭を傾げ、考えるように目を伏せる。
「ななせ? いや……聞いたことないかな」
「S級の新人とか、いませんか」
「S級? 最近その話題は無かったと思うけど、どうして?」
和久田の目に、嘘をついているような影はない。こつん、と小石を投げつけられたよう。どこかで分かっていたその落胆に、視線が下を向く。
「いえ……ちょっと知り合いで」
「何か調べてるのかい?」
「あ、いえ。聞き覚えがあるか、知りたかっただけです」
和久田は不思議そうに眉をひそめる。渚が何でもないと苦笑すると、驚いたような顔をして、それ以上は何も聞いてこなかった。
渚の胸の奥で、和久田の言葉がひどく冷たく響いていた。
この世界に『七瀬玲梓』の名前がない。
まだ知られていないだけなのか、それとも――七瀬という存在そのものがいないのか。
希望が全く見えてこない。
渚が考え込んでいると、和久田が小さな声で言った。
「……副班長なのに、この前は何もできなくて本当にすまなかった。あの調査の時は」
「あっ、……ええと、その……、気にしないでください」
渚は咄嗟に言った。
「……私、よく覚えていなくて。前の任務のあと、どうなったんですか? 他のメンバーは」
「前回の調査任務は成功したかな。椎野さんを含めて、重傷者が多くなってしまった。他のみんなは、復帰しないことになって、辞めてしまったよ」
「そう、ですか」
気まずい空気に包まれたその時、控え室のドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは坂田だった。
「和久田ぁ、何をしてる? さっさと準備を済ませろ! 椎野もだ! お前らの失態は二度と許されないと覚えておけ」
渚の手が小さく震えた。心臓が喉までせり上がる。
(あ――、い、嫌だ)
理屈ではどうにもならない恐怖が、坂田の登場と共に、肺の奥を押し潰そうとする。身体だけが、渚の意思を置き去りにして硬直していた。
「調査先は第四十九番弧洞。ランクC1、現状は非活性だ」
坂田班長の声には、妙な弛緩と浅ましさが混じっていた。
「通常通り、今回も弧洞の脅威度調査と資源分布の確認、拠点候補地の安全確保……」
薄ら笑いを浮かべながら、坂田は続ける。
「――だが、美味しい話は奥に転がってる。異能石だ。目についたもんは全部拾ってこい」
和久田が恐る恐る声を上げた。
「…… しょ、初期猶予時間を超過するのは危険です。それにもし四十九番に所有権がつく予定なら、異能石の収集は協定違反に」
和久田は、坂田の表情を見て言葉を切った。坂田の笑みが、すっと消えたからだ。
「和久田ぁ。A級の俺が命令してるんだぞ? お前らに選択肢があるわけない。それに、お前らが黙ってりゃ、何があったかなんて誰にも分からない。そういうもんだろ?」
「ですが……!」
和久田は言葉を失う。肩がわずかに震えている。
「お前らがやるのは、敵がいるかどうか確かめるだけじゃない。目に付くモンは全部拾ってくる。簡単な任務さ。こんな任務もできないってか? それとも俺の評判を落とすつもりか?」
坂田の声を聞く度に、渚のこめかみに、脈打つ痛みが走った。
声の中に、精神を直接削り取るような異質な感触が混じっている。
押しつぶされるような圧迫感。見えない爪が脳の奥をなぞり、恐怖だけを神経に刻み込んでくるような、違和感。
その時ようやく、渚はこの感覚の正体に気がついた。
(これ……、坂田の界律能力?)
坂田は鼻を鳴らし、ぐるりと全員を見渡した。
「なにをそんなに心配してる。俺だってお前らが死ぬのは見たくないさ」
坂田の視線に、一片の「守ろう」という意思はなかった。渚は、ぐっと奥歯を噛んだ。
「けど、結果がなきゃあ俺の立場が悪くなるんだよ。そしたらお前らの立場だって悪くなる。ただでさえ力の無いB級とC級を使ってやってるんだ。お前らが命張って成果を持ち帰れば、それでお互い得じゃないか」
渚は呼吸を整えようとしたが、胸の奥の震えは収まらない。
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