回帰の果てに逢いましょう ――滅亡する世界で、回帰の英雄に殺されないための六つの方略――

藤橋峰妙

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第一部『第006世界』

3-8:閉じていく先

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 渚は足元の短剣を左手でつかみ取り、ほとんど反射的にがむしゃらに振り下ろした。


 刃が液体にもつれた首筋に突き刺さり、骨を裂いて抵抗を断つ。黒い体液が噴き出し、獣は灰のように崩れ散った。


 鉄と血の臭いが混じって鼻を刺し、胃がひっくり返りそうになる。


「は、はあ……っ」

 
 渚は荒く息を吐き、震える手で短剣の柄を握り直した。


 ――生きるために振るった一撃。それが、確かに命を奪った感触だけが、腕に残っている。


 頭がふわふわとして、心臓がどくどく激しく暴れている。

 そのとき、奥の闇が揺れた。重たく湿った、等間隔の地響きが近づいてきた。


 足音だ。


 巨大な影が、骨の枝を背に伸ばしながら這い出てきた。


 泥と血の塊のような毛皮。無数の触手が蠢き、背には骨の枝が樹のように突き出している。裂けた口の奥では蔦の舌がのたうち、赤い双眸が炎のように揺らめいた。


 一歩ごとに腐れた泥が地面に滴り落ちていた。その泥の中から、再び、小型の狼の姿をした分身が、ずるり、ずるりと形を成していく。


 ただそこにいるだけで、空気が圧し潰された。デバイスの画面は赤一色のまま、《危険度:判定不能》を繰り返している。


「ひ、ひい……っ!」


 坂田の喉から押し殺しそこねた恐怖が漏れた。彼はその腕に奪った結晶を抱えたまま、必死に後ずさった。


「寄るな……俺を誰だと思ってる!」


 あっという間に怪物の口から蔦のような舌が伸び、坂田の身体を絡め取った。


「やめろ! は、放せ! 助けろ、俺を助けろぉっ!」


 坂田は必死に身をよじり、手にした異能石を振りかざした。坂田の能力は弱者にしか通じない。圧倒的な恐怖の前では、命令の力すら意味を失っていた。


 狼めいた異形は咆哮し、絡めとった坂田を宙に吊り上げると、闇の奥へとずるずる引きずり込んでいく。

 木霊する悲鳴が尾を引き、やがて小さく、途切れていく。


「は、はんちょ……」


 矢羽が呆然と呟く。次は、自分たちだ。その思考をなぞるように、小型の獣たちが一斉に渚たちのほうを向いた。


 ――ぎいぃぃ。


「副班長! 扉が!」


 掛原の叫びに振り返った和久田の目に、鋼鉄の扉が軋みを上げながら閉じ始める光景が飛び込んだ。


「くそっ、古藤!」


 和久田が声を張り上げ、藤が慌てて扉に掌を押し当てる。
 硬質化した腕で必死に押さえつけるが、圧倒的な力に押し返される。掛原も肩を押しつけたが、金属の悲鳴はさらに強まった。


「駄目だ! 止まらないぞ!」


 背後から、小型の獣たちが波のように押し寄せてくる。矢羽が銃で援護しながら叫んだ。


「副班長! 渚ちゃん、早く!」

「くそっ……!」


 和久田は御幡を背負ったまま、歯を食いしばって駆け出した。扉の隙間はすでに人ひとりがやっと通れる幅しか残っていなかった。


「椎野! 急げ!」


 掛原が腕を伸ばす。古藤も矢羽も必死な形相で、渚たちの援護をした。そして渚が、もう少し、そう思った時だった。


「うっ!」と和久田の短い声が聞こえて、渚は反射的に振り返った。


 崩れ落ちかけた御幡の身体を、和久田が抱え直している。そのほんの一瞬の停滞を狙うように、背後から獣たちが飛びかかる。


「危ないっ!」


 渚は咄嗟に和久田の腕を掴み、考えるより先に彼らの体と自分の体を入れ替えた。勢いのまま二人を扉の外へ突き飛ばし、自分の身体をその位置に滑り込ませた。

 どうしてそうしたのか分からない。身体が勝手に動いていた。眼前には、獣の鋭く涎にまみれた牙が迫っている。

 
 渚は慌てて、力任せに短剣を構えた。次の瞬間、ガッ、と強い衝撃を受ける。

 受け身も取れず、衝撃を逃せなかった。骨が軋む音が身体の内側で鳴った。感覚が腕から抜け落ち、渚の身体は勢いよく壁に叩きつけられた。


「ぐっ……、かっ、あ、うっ……!」


 視界が白く弾け、耳鳴りが世界を覆った。
 肺の奥の空気が一気に押し出され、立ち上がるだけで精一杯だ。


「椎野さん!」


 扉の外に投げ出された和久田と御幡の姿が見える。その姿を確認できたことに、渚はほんのわずかに安堵した。


「早く!」


 矢羽の悲鳴じみた声が聞こえた。


「くそぉっ! 閉じ、るな……っ!」


 古藤と掛原が必死に扉を押さえつけているが、重たい扉は容赦なく閉じ続け、問答無用で隙間をかき消していく。

 扉の外に投げ出された和久田が踵を返し、中へ飛び込もうとした。

 しかし、重たい扉は動きを止めず、じわじわと隙間を奪った。和久田は外側から結界を張って押しとどめようとしたが、力はあっけなく圧し潰された。

 すでに、人が一人通れる隙間すら残されていなかった。

(――待っ、まだ、私、中に……っ!)


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