いつの間にか結婚したことになってる

真木

文字の大きさ
12 / 35

11 わかりにくい人だなもう

しおりを挟む
 あの世暮らしがこの上なく快適というのもよろしくない。
「そろそろ参りますか」
 広々とした部屋で睡眠取り放題、極上の食事は食べ放題というブルジョアな生活を続けていると、毎日それだけで満足して何もしなくなってしまう。
 無生産に、無為に生きる。オーナーが撫子に希望したのはまさにそんな生活だったかもしれない。
 しかし撫子が「いや、それは人間の生活としてどうなのか」と哲学してしまったのは、残念としか言いようがない。
「ごちそうさまでした。それではお掃除に行ってきます」
 レストランでの食事の後、撫子は手を合わせてから立ち上がる。
 自堕落防止法として、考えた策が一つ。
 撫子は一度寝て一食食べたら、一度は働くという習慣をつけることにした。
「失礼します」
 撫子の部屋の隣にあるオーナーの部屋に、合鍵を使って入る。
 フィンの世話もひと段落し、次に何かする仕事がないかと訊いたところ、オーナーの部屋の掃除を言いつけられた。
「よし、やるぞ」
 腕まくりをしてから、撫子は絨毯を隅から順々に掃除機をかけ始める。
 ワイヤレスで音の静かな小型掃除機は、少しの力ですいすい動く。
「ふん、ふふんふーん」
 最近お気に入りの歌のイントロを口ずさみつつ、快適にお掃除をする。
 死出の世界の塵は掃除しなくても害はないらしいが、積もると美観を損ねるらしい。
「むかしむかしのおはなしでーす」
 ハイテク掃除機はすぐに廊下を掃除し終わったので、撫子は奥まで行ったついでにお風呂場に手をつけることにした。
「すずめのおやどにやってきた、わかものがひとり」
 洗剤の要らないスポンジを使って、ごしごしと湯船を擦る。
「にんげんはめずらしい、ひとばんおとまりいかがです……これよく落ちるな。うちにもほしい」
 ついまじまじとスポンジを見る。
「うたとおどりでおもてなし、おんせんつかってごくらくきぶん」
 バスタブの湯垢を落とし終わると、今度は壁を磨く。
「ふーん、ふふふーん」
 間奏に入る。
「ふーん、ふ? あれ? まあいいや」
 あまりに間奏が長いのでわからなくなってきた。
 撫子はシャワーで壁の汚れを落とすと、掃除用品をバケツに入れてベッドルームに向かう。
「かえるとき、すずめのおかみにいいました」
 撫子はベッドメイキングが好きだ。しわ一つ作らずにできたときの満足感は実に快感だ。
「おだいはなにで、はらいましょう」
 撫子はシーツを持って意気揚々とベッドルームの扉を開いた。
「むかしむかしのおはなし……」
 ソファーの上にオーナーの白い尻尾が覗いていることに気付いて、撫子は氷になった。
「ひゃあ!」
 今の歌を聞かれたかもしれない。チャーリーに教わった、再現率三パーセントくらいのド下手な歌をオーナーが聞いていたら、冷笑が返ってきそうだ。
 思わず一歩後ろに引いた撫子にオーナーの冷たい一言はかけられることがなかった。
 撫子は恐る恐るソファーに近付いて覗きこむ。
 オーナーは体を丸めて横向きに眠っていた。静かな寝息を立てながら尻尾の先までくるんと巻いている。
 人型になっても丸まって眠るんだ。そう思ったら、なんだか愛おしく感じた。
 しみじみと見てみると、オーナーの横顔は端整で上品だ。目を閉じていると睫毛も長くて綺麗な扇状になっている。
 いつも撫子が掃除に来る時には部屋にいないし、時々会うことはあっても長く一緒にいることはない。オーナーが忙しいのは、ホテルの隅で働いている撫子にもわかる。
 それでもオーナーから愚痴なんて聞いたことがない。そもそもオーナーが自分のことを語るのを聞いたことがない。
 撫子がみつめていてもオーナーは起きる気配がなかった。
 撫子はそろそろとベッドから毛布を持ってくる。
「オーナー」
 そっと毛布をかけようとしたところで、オーナーが呟いたのが聞こえた。
 オーナーが、「オーナー」?
 撫子が首をひねりながら毛布をかけると、オーナーのまぶたがぴくりと動く。
 彼は気だるげに半身を起して、撫子に緑の目を向ける。
「撫子でしたか」
 ぼんやりした目をしたのは一瞬で、オーナーはすぐにいつもの笑顔になっていた。
「毛布は結構。もう起きます」
「お疲れなんじゃないですか? ベッドでお休みになったら」
「あなたもそろそろおわかりでしょうが、この世では肉体的な疲れを感じません」
 オーナーはカッターの襟を整えながら立ち上がる。
「精神的な疲れは別ですが、あなたに心配されるほど私も無様ではありません」
 きっぱりと言い切って、オーナーは優雅に笑った。
「大体あなた、歌詞をわかって歌っているんですか?」
 オーナーは鏡で身支度を整えながら言う。
 その言葉に、撫子は喉を詰まらせた。
「や、やっぱり起きていらっしゃったんですか?」
「眠っていましたが、聴覚は起きていますので」
 そんな器用な。思わず感心しつつ、撫子は言い訳をする。
「歌詞はアラム語辺りでしょう? 日本人の私じゃわかりませんよ」
 マニアックな理由をつけた撫子を見下ろしつつ、オーナーは言う。
「死出の世界では言語は共通です。動物のお客様の言葉もわかるでしょう?」
「ああ、そういえばそうですね。どういう原理なんですか?」
 オーナーは少し考えてから答えた。
「じゃあ、あなたの世界ではどうして言葉が分かれているんですか?」
「え? それはバベルの塔が……いえ、実はわかりません」
 撫子が適当な知識を披露するのをさっさと諦めて素直に認めると、彼もまた堂々と言い放った。
「この世界ではそういう風に出来ているんです」
「わかりました」
 このひとのこういう案外投げやりなところ、私は好きだなぁ。撫子はこっそり思いながら、頭を下げた。
「その歌は歌詞を理解してこそ面白いものですよ。……ああ、そうそう」
 オーナーは部屋を横切って机の前に来ると、そこにある黒い機材を示して言う。
「時間があったら倉庫にこれを仕舞ってきて、ついでに片付けをしてきて頂けますか? 場所はチャーリーが知っていますから、彼も使って構いません」
「了解です。気合入れて掃除しますよ」
 撫子がうなずくと、オーナーはまた撫子の方に歩いてきた。
「な、何ですか?」
 すぐ側からじっと猫目で見下ろしてきて、撫子はちょっとのけぞる。
「あなたは働くことが楽しいですか?」
「ここで働くのはたいてい誰でも楽しいんじゃないですか」
 撫子はきょとんとして言う。
 備品がいちいちハイテクで使いやすいし、同僚が親切だし、まかないと寝床がすばらしい。
「何もしないで寝暮らししていても全く構いませんよ。ただあなたがそれだと死にそうだと言うので仕事を与えているだけです」
「オーナー。それはあまりに私を馬鹿にしてます」
 撫子はその言葉にちょっとむっとした。
「オーナーが疲れてソファーで寝ている横で、私に掃除もしないでふてくされてろって言うんですか」
 オーナーは黙って撫子を見た。撫子は気まずい思いになる。
 またやってしまった。生きていた頃も、こういう熱いところというか、噛みつく癖が足を引っ張った覚えがあるのに。
「私はあなたを利用するために結婚を申し込んだわけではありませんが」
「はは。すみませんね、たいしたことできなくて」
 私に瞬間移動とか超人的なことを要求されても困りますから。
 撫子が乾いた笑いをこぼしつつ頭をかくと、オーナーはぽんとその頭を叩いた。
「愛していますよ、撫子」
「なっ、突然何ですか!」
 いきなり言われて首の辺りを赤くする撫子に、オーナーは笑う。
「ちょっとわかりにくかったので、まとめました」
 尻尾を一振りして、オーナーは撫子の肩を通り過ぎ際に叩いて去って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在 唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話 中山加恋(20歳) 二十歳でトオルの妻になる 何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛 中山トオル(32歳) 17歳の加恋に一目ぼれ 加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する 加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる 会社では群を抜くほどの超エリートが、 愛してやまない加恋ちゃんに 振り回されたり落ち込まされたり… そんなイケメンエリートの ちょっと切なくて笑えるお話

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...