いつの間にか結婚したことになってる

真木

文字の大きさ
13 / 35

12 お掃除には危険がいっぱい

しおりを挟む
 撫子がチャーリーに連れられて扉を開くと、石造りの重厚な地下室の倉庫が二人を迎えた。
「片付けがいがあるでしょう?」
 倉庫は元の世界でいうドームくらいの高さはあって、ぽつんとした頭上の頼りない光だけでは全貌がまったく見えなかった。
 物が天井近くまで詰め込まれていて、消防士が使うような特殊な梯子を使わないと上まではとても届かない。
「でもあんまり汚くはないね。不思議」
 ほこりも塵も見当たらないからだろうか。物は多くて圧迫感はあるが、触ることに抵抗はなかった。
「こちらです。むやみに手をつけると僕もわからなくなりますから、まずは目的のものから片付けましょう」
 チャーリーは黒い機材を手に、先に歩いていく。
「それって何?」
 黒い機材は古い脚立付きのカメラのような形をしていた。
「プロジェクターですよ。昔風に言えば映写機ですね」
「ああ、映画見るための機械なんだ」
 木製でごつごつした形は見慣れなくて、博物館にありそうなくらい古そうだった。
「オーナー、部屋で映画見てたのかな」
 猫が見る映画ってどんなものだろう。撫子は首を傾げて、ちょっと見てみたいと思った。
 チャーリーは右に曲がったり左に曲がったり、案内もないところをすいすい歩いていく。自分だけで来たら百パーセント迷ったと、撫子はありがたくチャーリーの後をついていった。
「ここです」
 チャーリーが鼻を動かして立ち止まる。どうやら彼は匂いで場所を覚えているらしい。
 そこにはスクリーンが数十枚とフィルムがぎっしり詰まったケースが積み重なっていた。
「新しいものもあるんだね」
「そちらはこの間使ったばかりですから。時々当ホテルでは上映会を開催いたしますし」
 最新鋭と思われる自動映写機と映画館にあるような巨大スクリーンも丸めて壁に立てかけてある。
「僕がすす払いをしますので、撫子様は片づけを」
「了解」
 チャーリーははしごをたてかけるなり、するすると器用に上っていく。あっという間に一番上に辿り着くと、片足を梯子に絡めてすす払いを始めた。
「昔々のお話です」
 あ、またチャーリー君があの歌を歌ってる。撫子は耳に留めながら思った。
 撫子はオーナーの部屋から持ってきたフィルムをどこに片付けようかと思案する。
「あ、ここだ」
 フィルムボックスを開けていると、その中にぽっかりと空いたスペースがあった。撫子はそこに持参のフィルムを仕舞うと、ふと床に落ちてきたものを拾ってみる。
「ほこりのわりに汚くないなぁ」
 チャーリーが上から払い落しているものは、手で触ってみるとまるで霧のように溶けてなくなってしまった。
 砂糖のような、雪のような。正体はわからないままほうきを取って集めていると、空気の流れを感じた。
 鳥の羽音が聞こえて、突風が撫子たちを襲う。
「危ない!」
 撫子はとっさにチャーリーのはしごを支えようとしがみついた。
「え、えええっ!」
 けれど突風は撫子すら吹き飛ばした。
 倒れていくはしごがスローモーションのように見えた。落ちてくるチャーリーに伸ばした手は空を切る。
「つぅ!」
 仰向けに床へ叩きつけられた撫子は、息を詰まらせて倒れる。
 目の前が出来の悪い抽象画みたいに歪んだ。
「撫子様!? 撫子様!」
 優雅に着地したチャーリーにだけは安心した。
 ほうきで集めた白いものを視界いっぱいに映したのを最後に、ぷつりと撫子の意識が途切れた。





「あなたのような優秀なホテルマンがここにいてくれれば、心配は要らないわね」
 女性の声がどこかで聞こえた。
「もったいないお言葉です、オーナー」
 聞き覚えのある男性の声がそれに答える。
 その声が誰のものか考える前に、撫子の視界はフィルムのように入れ替わる。
 雲の上を漂うように頼りない感覚が体を包んだかと思うと、ゆっくりと下降し始める。
 ぽすっと何か柔らかいものの上に落ちた。
「もう、子ども扱いして」
 今度は少年の声が聞こえた。
 撫子は頬に当たる柔らかさに、幼い頃母に膝枕してもらった感触を思い出す。
「だってあなたの髪、柔らかくて気持ちいいのだもの」
「見せたいものって何ですか?」
 さきほどの女性の声が軽やかな笑い声を立てて言う。
「オーナーの鍵よ。私の助けが必要になったら使いなさい」
 目の前に映ったものに、撫子は思わず声を上げた。
「あ……!」
 自分の声で目が覚めた。
 撫子は自室のベッドの上にいた。赤茶色の光が部屋を満たしていて、肌触りのいい毛布が肩までかかっている。
 左手が何か温かいものに包まれていることに気付いて、撫子は視線を上げる。
「気分はどうです?」
 緑の目をじっと撫子に向けているオーナーがいた。
「オーナー。その顔怖いです。目が脅してます」
 顔は笑顔なのだが、目がちっとも笑っていなかった。
「笑っていませんからね」
「怖っ!」
 撫子は少し身を引いたが、手は離してもらえなかった。
「私、何かしましたか?」
「お迎えがくるところでしたよ」
 撫子が首を傾げると、オーナーは低い声で告げる。
「この世でも魂があまりに痛むと、回収するために『お迎え』が来ます。あなたの世界で言うところの死神です」
「転んだくらいで死神が来るんですか!」
 お風呂場で転んだら命にかかわることもあると聞いたが、そう簡単に来ないでほしい。
「そうでなくてもお迎えが来ることはあるんですけど。あの方々の基準は私たちにはよくわかりませんから」
「いつ死刑執行人が来てもおかしくないとは」
「ともかく、転んだことが問題ではありません。あなたが大量に吸い込んだ記憶があなたの精神を痛める危険があったんです」
「記憶……? えっと、あの白いものですか?」
 意識が途切れる直前に撫子を襲った大量の白いものを思い出すと、オーナーがうなずく。
「倉庫のような日常的に掃除しない場所には記憶が溜まりやすいんですよ。元々死出の住人なら生まれた時から吸い込んでいますから問題ないんですが、あなたが慣れていないのを忘れていました」
「同感です。そんな未知のアレルギーがあるとは私も知りませんでした」
 生きていた頃は花粉症すらかかったことがない撫子には、想像もつかないアレルギーだった。
「私のミスです。記憶が散らばりやすい場所に近付かないのはもちろん、これからは掃除もおやめなさい」
「え!」
 撫子は起き上がってオーナーの袖をつかむ。
「大丈夫ですよ。ちょっと吸い込んだくらいで死にやしません」
 ハウスダストくらいで死んでたまるか。そう思って言った撫子だったが、オーナーは首を横に振る。
「退屈しのぎにさせている仕事で死なれては敵いません。何か別の仕事を与えますから、掃除はやめるように」
 有無を言わさない様子だったので、撫子は仕方なくうなずいた。
 撫子をまたベッドに横たえると、オーナーは額に手を当てて言う。
「よく眠って記憶を追い出してしまいなさい。何日か眠れば抜けるはずですから」
 ひんやりとしたオーナーの手は気持ちよくて、撫子は目を閉じる。
「オーナー」
「何です?」
 撫子はふいに目を開いて言う。
「私の中に入って来た記憶も、元は誰かのものだったってことですか?」
「そうです。だから捨てていいんです」
 オーナーは撫子の前髪をかきあげながら目を細めた。
「あなたが今を生きるためには、人が捨てたものなど気にしないんです」
 その声が真剣だったので、撫子はそれ以上言葉を続けられなかった。
「おやすみ、撫子」
 繰り返し頭を撫でられている内に、いつしか撫子は眠りに落ちていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?

六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」 前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。 ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを! その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。 「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」 「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」 (…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?) 自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。 あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか! 絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。 それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。 「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」 氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。 冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。 「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」 その日から私の運命は激変! 「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」 皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!? その頃、王宮では――。 「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」 「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」 などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。 悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

処理中です...