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4.misfortune
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変化は、予想していたほど急激じゃなかった。
緩やかに、穏やかに、密やかに――
私の日常は、壊れていく。
「君、ここのところ帰るのがやけに早いな」
やけに重たい鞄を肩に提げて、いつも通っていた美術部の部室前を通り過ぎたところで、「彼」とばったり出会った。
「……」
私が何の返事もしないでいると、彼はため息をついた。
「部活。……嫌になったのか? 君がいないと、張り合いがなくて困る」
そう言いながら肩をすくめる彼から、私はふいと視線を逸らした。
……私は部活が好きだ。
思うようにキャンバスに筆を走らせて理想の景色をそこに映し出す。好きな色を筆先で創り出して、キャンバスに走らせて、変わった色を差したり影をつけたり光を入れたり、絵を描くのは本当に楽しい。だから、美術部が好きだった。そして、同じように絵を描くのが好きな仲間たちが大好きで、彼らと一緒に絵の腕を磨くのが、とても好きだった。
けれど。
「……「彼女」が来たから、かな」
彼の問いに、私ははっと彼を見た。それに、彼は苦笑を見せる。
「やっぱりか。……君がいないと、俺は彼女からの逃げ場がないんだけどな」
「そんなの、……自分で、どうにかしてよ」
白百合さんが美術部に入部したのは、彼女が転校してすぐのこと。彼がどの部活に入っているのか、と確認してすぐ入った様子だった。
他の攻略対象にも随分声を掛けたりしているのに、親切で優しそうな彼がよほど気に入ったのだろうか。彼のほかに一人も攻略対象のいないこの美術部を選ぶなんて、最悪にも程がある。
「なぁ、君。俺も彼女のことは好きじゃないよ。だけど君は彼女と話したこともないだろ。必要以上に避けなくても、君にはそこまでの被害なんてなさそうだ。いつもの生活を壊す必要もないだろう。彼女については多少不愉快かもしれないが、美術部に足を運ばなくなるくらい苦手なのかい」
彼は心底不思議そうに訊ねた。
――彼の言うことは、正論だ。
今のところ、私自身に何かしら彼女から迷惑を掛けられたことはないし、そもそも声を掛けられたこともない。彼女は周りに当り障りない態度をとっているものの、そもそも女子には興味がなさそうだった。
でも別に、そんなことはどうだってよかった。
彼女が何をしていようが関係ない。私と関わりなくてもどうでもいい。
「彼」にまとわりついているのが、不愉快なのだ。
――だって。
だって、彼とずっと一緒だったのは、私だ。
彼とずっと一緒に育ってきて、色んな面も知ってて、一番最初に彼を好きになったのは私で。私は「彼」以外の男の子になんて興味がなくて、昔からずっと好きだった。
それなのに、あの子は当たり前のように彼にまとわりついて、甘えた声で縋り付いて、助けを求めて。でも別にそれは彼だけじゃない、「攻略対象」みんなにそうで、だけど特別彼にべったりしている気がして。
嫌だった。とにかく嫌だった。彼女を見るのも嫌で、声を聴くのも嫌で、それが彼の傍にいつもまとわりついているのかと思うと、吐き気すらしそうだった。
でも、それがただの醜い嫉妬心だなんて、わかりきっていた。彼と私が釣り合うわけなんてなくて、だから私は彼に好きだなんて伝えられないし、恋人でもないのに彼が彼女と一緒にいるのを責められるわけもない。
私は、彼に片恋をしているゆえに、ただ彼女が嫌いで、そしてなんだかんだで彼女に優しく振舞う「彼」に腹を立てていて、そしてそんな自分がひどく嫌だった。そんなことを、どうして伝えられよう。醜い勝手な嫉妬だと、ただ恥をかくだけだ。
「……どうだって、いいでしょ」
彼にぶつけたい言葉はあった。
あんな子に声を掛けないで、親切にしないで、笑いかけないで、冷たくあしらってよ。
でも、そんなこと、言えるはずもなくて。幾百の言葉を飲み込み、私はうつむく。
黙り込む私に、彼が歩み寄る。刹那、甘いものが香った。
「……!」
それに私は素早く後退った。
「……そ、れ」
「ん?」
彼が不思議そうに首を傾げるが、私はさらに後退った。
「どうしたんだ」
よくわからないとばかりに、彼は私に手を伸ばしたが、私は反射的にその手を叩いた。そして、
「あ、おい!」
私はその場から逃げ出すようにして走り去った。
――彼が追いかけてくることは、なかった。
片想いなんてするものじゃないなと思う。
惨めなだけの嫉妬、虚しいだけの憤り、嫌になるまで自分を苛む自己嫌悪。
好きだという気持ちがあふれだすたびに、自分の醜さが露呈していく。
もっと可愛くなりたかった。綺麗な子になりたかった。
でもそんなこと、きっと永遠にかなわない。
彼を好きだという気持ちが、早く消えたらいいのに。そうしたら少しは楽なのに。
だけどそんなことができるわけもなく。
私は熱い目頭を両手で覆って、小さな嗚咽を漏らすしかできなかった。
緩やかに、穏やかに、密やかに――
私の日常は、壊れていく。
「君、ここのところ帰るのがやけに早いな」
やけに重たい鞄を肩に提げて、いつも通っていた美術部の部室前を通り過ぎたところで、「彼」とばったり出会った。
「……」
私が何の返事もしないでいると、彼はため息をついた。
「部活。……嫌になったのか? 君がいないと、張り合いがなくて困る」
そう言いながら肩をすくめる彼から、私はふいと視線を逸らした。
……私は部活が好きだ。
思うようにキャンバスに筆を走らせて理想の景色をそこに映し出す。好きな色を筆先で創り出して、キャンバスに走らせて、変わった色を差したり影をつけたり光を入れたり、絵を描くのは本当に楽しい。だから、美術部が好きだった。そして、同じように絵を描くのが好きな仲間たちが大好きで、彼らと一緒に絵の腕を磨くのが、とても好きだった。
けれど。
「……「彼女」が来たから、かな」
彼の問いに、私ははっと彼を見た。それに、彼は苦笑を見せる。
「やっぱりか。……君がいないと、俺は彼女からの逃げ場がないんだけどな」
「そんなの、……自分で、どうにかしてよ」
白百合さんが美術部に入部したのは、彼女が転校してすぐのこと。彼がどの部活に入っているのか、と確認してすぐ入った様子だった。
他の攻略対象にも随分声を掛けたりしているのに、親切で優しそうな彼がよほど気に入ったのだろうか。彼のほかに一人も攻略対象のいないこの美術部を選ぶなんて、最悪にも程がある。
「なぁ、君。俺も彼女のことは好きじゃないよ。だけど君は彼女と話したこともないだろ。必要以上に避けなくても、君にはそこまでの被害なんてなさそうだ。いつもの生活を壊す必要もないだろう。彼女については多少不愉快かもしれないが、美術部に足を運ばなくなるくらい苦手なのかい」
彼は心底不思議そうに訊ねた。
――彼の言うことは、正論だ。
今のところ、私自身に何かしら彼女から迷惑を掛けられたことはないし、そもそも声を掛けられたこともない。彼女は周りに当り障りない態度をとっているものの、そもそも女子には興味がなさそうだった。
でも別に、そんなことはどうだってよかった。
彼女が何をしていようが関係ない。私と関わりなくてもどうでもいい。
「彼」にまとわりついているのが、不愉快なのだ。
――だって。
だって、彼とずっと一緒だったのは、私だ。
彼とずっと一緒に育ってきて、色んな面も知ってて、一番最初に彼を好きになったのは私で。私は「彼」以外の男の子になんて興味がなくて、昔からずっと好きだった。
それなのに、あの子は当たり前のように彼にまとわりついて、甘えた声で縋り付いて、助けを求めて。でも別にそれは彼だけじゃない、「攻略対象」みんなにそうで、だけど特別彼にべったりしている気がして。
嫌だった。とにかく嫌だった。彼女を見るのも嫌で、声を聴くのも嫌で、それが彼の傍にいつもまとわりついているのかと思うと、吐き気すらしそうだった。
でも、それがただの醜い嫉妬心だなんて、わかりきっていた。彼と私が釣り合うわけなんてなくて、だから私は彼に好きだなんて伝えられないし、恋人でもないのに彼が彼女と一緒にいるのを責められるわけもない。
私は、彼に片恋をしているゆえに、ただ彼女が嫌いで、そしてなんだかんだで彼女に優しく振舞う「彼」に腹を立てていて、そしてそんな自分がひどく嫌だった。そんなことを、どうして伝えられよう。醜い勝手な嫉妬だと、ただ恥をかくだけだ。
「……どうだって、いいでしょ」
彼にぶつけたい言葉はあった。
あんな子に声を掛けないで、親切にしないで、笑いかけないで、冷たくあしらってよ。
でも、そんなこと、言えるはずもなくて。幾百の言葉を飲み込み、私はうつむく。
黙り込む私に、彼が歩み寄る。刹那、甘いものが香った。
「……!」
それに私は素早く後退った。
「……そ、れ」
「ん?」
彼が不思議そうに首を傾げるが、私はさらに後退った。
「どうしたんだ」
よくわからないとばかりに、彼は私に手を伸ばしたが、私は反射的にその手を叩いた。そして、
「あ、おい!」
私はその場から逃げ出すようにして走り去った。
――彼が追いかけてくることは、なかった。
片想いなんてするものじゃないなと思う。
惨めなだけの嫉妬、虚しいだけの憤り、嫌になるまで自分を苛む自己嫌悪。
好きだという気持ちがあふれだすたびに、自分の醜さが露呈していく。
もっと可愛くなりたかった。綺麗な子になりたかった。
でもそんなこと、きっと永遠にかなわない。
彼を好きだという気持ちが、早く消えたらいいのに。そうしたら少しは楽なのに。
だけどそんなことができるわけもなく。
私は熱い目頭を両手で覆って、小さな嗚咽を漏らすしかできなかった。
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