乙女ゲームに転生したけど報われない。だって

天音 神珀

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5.misfortune

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 描きかけのキャンバスがある。

 白い白いキャンバスには、まだ鉛筆の線が記されただけで、絵具は乗せられていない。

 私はずっと、そのキャンバスの絵を進められずにいる。









 彼から覚えのある花の匂いがして泣きだした私に、追い打ちをかけたのは同じ花の匂いだった。

「あら?」

 可憐な、鈴のなるような声。愛らしい、綺麗な声。
 それが、私の後ろで立ち止まって私に向かって掛けられる。

「こんなところでどうしたんですか?」

 私は涙を拭って恐る恐る振り向いた。そこには、予想通りの女の子がいて。

「白百合、さん」

 私が声を掛けられるとは思いもしなかった。女子には毛ほども興味がなさげだったと言うのに、どうしたというのだろう。

「やっぱり。彼の幼馴染だって聞いて、私、あなたと少しお話ししてみたいって思ってたんです」

 少女はにっこりと愛らしく微笑んだ。

「あなたなら彼のこと、たくさん知ってるんでしょう? 好きなものとか、嫌いなものとか……。ねぇ、教えてくれませんか?」

 白百合さんはそう言って首を傾げた。誰もが可愛いと思うような、完璧な笑顔だった。

「……ごめんなさい、私、あの」

 私は、胸の内に何かどろどろしたものがたまっていくのを感じていた。

 そんなこと。

 そんなこと、あなたにはどうだっていいじゃない。

 どうせあなたはいろんな格好いい男の人と恋ができるんだから、それでいいじゃない。

 私の彼にまで手を出さないで。彼まで自分のものにしようとしないで。私から彼を取り上げないで。

 別に自分が彼の恋人であるわけでもないのに、自分勝手な言葉の羅列が頭の中を駆け巡る。

「私、幼馴染ですけど、大したことは知らないんです。……本当に」

 私は彼女から目を逸らしてそう呟いた。

 ――彼女は。

 彼女は自分が悪いことをしている自覚なんてないのだろう。そして、事実彼女は悪いことなど何もしていない。

 ただ、自分の好きになりそうな人間に近づき、その人間を知りたがっているだけだ。それは罪じゃない。

 何故なら彼女にはその「資格」があるから。

 私にはない、他の誰にもない資格が、彼女には存在するから。

 その彼女に、私が嫉妬するのは筋違いだろう。恨むなら凡庸な己か、私をこんなに凡庸に創り出した神を恨むべきだ。

「そうなんですか。残念。じゃあ、いいです。さよなら!」

 彼女は残念そうに一つ嘆息すると、にっこりと再び微笑んで走り去っていった。

 私はその背中を見送り、鞄を握り直す。

 ……帰ろう。

 こんなところで、自分の醜さにまた惨めな思いをする必要なんてない。

 ――さっきまで晴れていた空はいつの間にか、静かな雨を降らせ始めていた。







 私は家に帰ると、鞄を放り出してベッドに倒れ込んだ。

 しばらくそのまま天井を眺めていたものの、やがて視線を右に動かす。すると、机に立てかけられた描きかけのキャンバスが視界に入り込む。

 キャンバスにはまだ絵具は一切乗っていなくて、拙い線が散りばめられたままだ。
 何を書こうとしていたのだったか。あぁ、そういえばいつだったか、彼が海に行きたいなんて言っていたから海を描こうとしたんだ。
 まだ海には行ったことがないっていうから、きれいな海を見せたいなんて思って。そんなもの、パソコンでも本でも、調べようと思えばいくらでも見せられるだろうに、格好つけて自分の絵で彼に海を知ってほしかった。どんな海に行きたいか、って聞いたら夕暮れの橙が溶けた海が見たいっていうから、大きな大きな夕焼けと、薄紫の空、橙が映りこんだ濃い青の海を描こうって。

 そんなことを考えて、あの絵を描こうと思ったんだ。

 彼のために、描きたかった。

 彼のための絵を描いてみたかった。

 でも多分、そう遠くないうちにそれは叶わなくなる。

 彼女が全てさらっていってしまう。

 彼との時間も、彼の心も、彼の視線一つまで。

 すべてを、持ち去ってしまうだろう。

 私はキャンバスから視線を逸らしてポケットから携帯を取り出した。

 友人から、連絡が一つ入っている。何かと思って開いてみると、理解不能な文面が飛び込んできた。

『ファンクラブに入ってくれない?』

 ……何を言われているのかが分からず私は『何の話?』と短く返す。すると、すぐに返事が返ってきた。

『彼のファンクラブ。あなた、幼馴染じゃない。みんなで彼のこと共有し合わない?』

 ……何だそれ。

 タチの悪い冗談だろうか。彼を共有とか。彼はものじゃない。

 そこまで考えて、私は思わず自嘲する。

 私だって、彼を「私のもの」のように思っていたじゃないか。最低なのはむしろ、彼の隣にいながらそんなことを平然と思っていた私の方だ。

『悪いけど、共有とかよくわからないから断る』

 素直にそう打つと、友人はすぐにこう返してきた。

『だけど、あの子うざくない?』

 あの子、と言われて思い至るのは一人だけだ。

『白百合さん?』
『そう』
『何で彼のファンクラブに入ることとそれが関係あるの』
『だって彼もきっと迷惑だと思うのよね。いっつもベタベタしに行くのよ、あの子から! だから、あの子が近づけないようにファンクラブで守るわけ。いわば妨害するの。どう? 悪くないと思わない』

 私はそれに数秒、考え込んだ。
 そして。









 抵抗したところでどうにもならないことなんて、よく判っていた。
 私にそんな力がないことだって、嫌と言うほどわかっていた。
 何より、もしかしたら彼女と仲良くなりたいと思っているかもしれない彼の、邪魔をしているかもしれないという可能性も、わかりすぎるほどわかっていた。

 でも、仕方ないじゃないか。
 私だって彼が好きなんだ。
 ずっとずっと好きだったんだ。
 誰にもとられたくない。誰にも渡したくない。私だけの彼でいて欲しい。

 自分のものじゃないってわかってても、そんな風に思っちゃうんだよ。


 ――そうして進んだ道が、私を地獄に突き落とすための最初の一歩になるなど、誰がわかっただろうか。
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