白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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 すこし早めの昼食を取っていると、共に食事をしているカーチェスから視線が注がれているのに気づいた。

「……ええと、私の顔に何かついてたりします?」
「あ、いや、そういうわけでは、ないんだけれど」

 カーチェスは私に話しかけられた途端、ぱっと頬を染めて視線を逸らす。うん、相変わらずの反応だ。

「別に、特別なことはないんだけれどね。なんていうか」
「はぁ」
「君は、本当においしそうにご飯を食べるなぁって、そう思って」

 それだけだよ、と赤みの残る頬を緩めて、彼は美しい笑顔を見せる。

「……そうですか?」

 特に自覚もないことを指摘されて首をかしげると、ユンファスがひらひらと手を振ってニヤリと笑った。

「はっきり言っちゃえば? 食べ方がこう、女王様っぽくないってさ」
「えっ」

 頬を引きつらせて私が姿勢を正すと、ぷっとユンファスが噴き出す。

「いやいや、別に悪いことじゃないと思うよー? 僕は」
「いえ、女王ぽくないって、あの」
「記憶喪失なんだし、いいんじゃない? まぁそれにここ、お城じゃないし。いいと思うよ、気楽にしちゃっててさ」

 いや、記憶喪失だとしても多分、所作までは抜け落ちないはずだ。これでは不審がられてもおかしくない。記憶喪失というところが疑われてはさすがに困る。

「ど、どういうところがこう……女王っぽくないですか?」
「うーん……全体的に? ノアフェスもやるからあんまり気にしてはいないけど、お皿持ち上げたりとかは普通しないよね」
「皿」

 言われてから手元を見ると、ちょうど持ち上げていた皿が視界に映りこむ。それに慌てて皿を素早くテーブルに置くと、ユンファスが爆笑した。

「ちょっとユンファス、そんなに笑ったら失礼だよ」
「いやもうユンファスって結構失礼なのでそのあたりは気にしてないですけど……」

 大体、このひとは悪戯好きだしよく人のことをからかうし、いちいち気にしていたらきりがないひとだというのは、この短い付き合いですらわかっている。
 というかそんなことは心底どうでもいいのだけど、この世界では皿を持ち上げないのがマナーなのか。いや、ノアフェスは持ち上げるみたいだから、この国では、というべきか。
 いずれにせよテーブルマナーなどそこまで気にしたこともなかった。このあたりはこの世界の住人であるスジェルク辺りに聞くべきだろうか……

「あ、酷いこと言われた気がする。まぁ気にしないけどさー。ほんっと姫って面白いよね。見てて飽きない」
「私はおもちゃじゃありません」
「うんうん知ってる。可愛いよー」
「まともに話聞いてます?」

 軽くユンファスをにらむと、彼はやはり笑う。……本当によく笑うな。
 元々いっつもこう……チェシャ猫よろしくにやにやと笑っていた気はするけれども、大爆笑というのはなかったような。
 ――と。

「……賑やかだ」

 ひょい、と階段から顔をのぞかせたのはノアフェス。

「あれ、皿を持ち上げるひともう一名ー」
「? 何の話だ?」
「いや、あの、すみません……」
「姫が謝る必要はないでしょ。ユンファス、君が謝るべきだよ」
「えー? そういうもの? ノアフェス、ごめんねー」
「……。うん? だから何の話だ?」

 突如として謝罪されたノアフェスが話についていけず首をかしげる。

「昼食か。俺もそろそろ食すとしよう」
「じゃあ持ってくるよ」
「いや、自分で持ってくる」
「そう?」
「うむ」

 ノアフェスが無表情のまま台所に消えてから、ふと私はあることに気づいた。

「そういえば結局、食事はカーチェスが作ってくださったのですね」
「え? あぁ、うん。君もエルシャスも疲れただろうしと思って」

 なんて気遣いのできるひとなのか。助かる。

「ありがとうございます。カーチェスはやっぱり優しいですね」
「えっ!?」

 カーチェスの頬が朱に染まる。あれ、今の私の発言って照れるほどのことですか。彼にとってはこれもダメな感じか。

 ……恥ずかしいことを言ったみたいで私まで照れるからこの話はやめよう。
 何かほかに話題はないだろうか。
 ここは無難に、話題そのものを誰かに振ってみよう。

「そういえば皆さん、今日はどうされるんで……」

 そう、訊ねようとしたところで。

「――姫、」

 階段から降りてくる足音が聞こえて、ルーヴァスが現れる。
 その表情は、幾分か固かった。

「はい……?」
「すまないのだが、食事が終わったら、一度自室の方へ戻ってもらえないだろうか」
「それは、構いませんが……」

 仕事、だろうか。この雰囲気は。

 ……でも。

「あの、ルーヴァス……」
「……何だろうか?」
「お仕事の、お話、ですよね? 狩りの……、私には、関係ないお話で……」

 ルーヴァスはその言葉を聞くと、少し顔を歪めてふいと目をそらした。それから、

「そうだ」

 と頷く。

 ……うそだ、と。

 わかった。

 彼のその苦々しい表情から、そらされた視線から、彼の言葉が嘘だと。わかってしまう。

 けれど、なぜ。

 どうして、嘘をつく必要が?

「……わかり、ました」

 ――私は、頷いた。

 わざわざ嘘をつくくらいなのだ。きっと彼は、私にその理由を話さない。

 それならば。










「ようやくキミが素直になってボクを恋しく呼んでくれたと思ったらこの仕打ちって酷くナイ?」
「恋しくないし私はいつも素直です。とりあえず知ってること全部教えてください」
「話聞いテ☆」

 私が襟首をつかんで笑顔で話しかけると、スジェルクは笑顔のままケタケタと笑った。この状況下で笑われると馬鹿にされている感が半端なくて大変腹立たしい。

 現在位置は自室。ドアにスジェルクを襟首掴んで叩き付けているような状況ですが。

「……個人的にそろそろ整理したいと思うんですよ。色々と」
「色々とネ☆」
「で、教えてもらおうと思いまして」
「この体勢デ?☆」
「この体勢で」
「キャ☆」

 スジェルクが照れたように口元に両手を当てるのを完全に無視する。
 呼んですぐに来てもらえたのは助かったがどこまでもイラつかせてくれる人だ。どういう脳内構造をしているのか。

「とりあえず、あなたについて教えてもらおうと思います」
「あぁ何ダ、ボクについて聞きたかったノ? なら最初から恥ずかしがらないで素直に言ってくれればよかったのニ☆ 可愛いナァ。まぁボクはやっぱり格好良いしね、わかってたよキミの気持ちハ☆」
「死んでくれ」

 真顔で本心が零れるも「照れナイ照れナイ☆」と受け流される。このひとのようには死んでもなりたくないが、このひとのメンタルの強さには呆れを通していっそ感心する。あと何故そんなに自分ダイスキーなのかさっぱりわからない。確かに綺麗な顔立ちではあるけれども、それを自分で言うといきなり残念な人にしかならないというのをなぜ判らないのか。

「で、ボクのコト? うーん、どうしよっカナァ。教えようかなーどうしようカナー☆」
「あ、そういう前振りは良いんで」
「冷たぁイ☆」

 いちいち大げさなジェスチャーで反応する彼を見ていると何だか色々馬鹿馬鹿しくなってくる。

「まぁとりあえずボクのことだケド。ボクは精霊デス☆」
「知ってた」
「もっと驚こうヨ☆」
「前に聞きました」
「アレ、そうダッタ?☆ ん~、で、ボクはこの家の住人デス」
「普段どこにいるんですかあなた」
「それハ秘密☆ 謎が多いほうが気になるでショ~☆」

 心底どうでもいい。

 ということすら彼を楽しませるだけの気がしてきて、私はおざなりに頷いた。

「あぁそうですか、わかりました。あなたのことはその程度で結構です」
「遠慮しないデ☆」
「十分すぎるくらいわかりましたスジェルクさんは超がつくイケメンなんですねこれで満足ですか」
「雑!☆」

 私は彼の襟を手放すと、椅子に座った。彼は襟元を正しながら、「積極的だナァ☆」と笑っている。そして私の元まで歩み寄ってくると、椅子に座る私の顔を覗きこんでくる。

「キミが知りたいのはボクのコト?☆ 今知りたいのはそこじゃないんじゃナイ?」
「わかっているんですか」
「さっきの会話を聞いてたら、なんとなくはネ☆ まぁボクはほら、とっても格好いい上に頭もいいカラ☆」

 これさえなければ本当に格好は良いだろうに。

「まぁ、そしたら多分想像通りだと思います。……ルーヴァスたちは何を隠しているのでしょうか?」

 私の問いに、彼が笑みを深めた。

 ルーヴァスは控えめではありながらも確かに私を気遣ってくれている。彼は悪いひとじゃない。だから、私に危害があるようなことだとは思わない。

 でも、隠され続けていていいことかどうかはわからない。

 私はこの世界のことを何も知らず、知らないままに女王の座についている。そして理不尽極まりない命の危険にさらされているわけで、とりあえず情報が多いに越したことはない。

 それに彼ら七人のことも、いくらかは把握しておきたい。

「……知りタイ?」

 どこか意味深な響きを孕んだ声音に、私は、

「教えたくないというなら、いいです。あなたに無理に聞くのはさすがに申し訳ないと思いますし……でも、聞けるものなら聞いておきたいです」

 私の答えに彼は頷いた。

「ナルホド☆ ――なら、見せてあげようカ」
「見せ……て?」
 
 意味が分からず眉を顰めると、スジェルクは双眸を三日月型に細めた。

「キミにその覚悟があるのならネ」
「覚悟――」
「でも見たくないものを見ることになると思うヨ。いろんな意味でネ☆ ――だって」

 ――彼らは、親切心から、隠しているんだから

 スジェルクの言葉は、何故か、哀切な響きを持っていた。














「姫」

 ルーヴァスが、私に声をかける。
 玄関前、他の六人もそれぞれの獲物をもって、物々しい雰囲気で私を見ている。

「これから、仕事に出かけてくる。……今回はそれほど時間はかからない。明日の朝には戻る――家からは出ないように」
「……はい」

 私は彼の言葉を、どこかどこかで聞いているような気分でいた。

「怪我をしないでくださいね」

 私が言うと、ルーヴァスはほんの少しだけ微笑んだ。それから六人に向き直り、

「対象の捕縛が任務だ。遂行の後、速やかに私に引き渡してくれ」
「了解」

 全員から一斉に同じ言葉が紡がれる。

「それでは、――行くぞ」

 ルーヴァスが上着の裾をひるがえして去っていく。それに六人が続いていき、やがて家には静けさが訪れた。

「……スジェルク」

 私が呼ぶと、どこからか一匹の鼠が私の隣まで走ってきてふわりと人の姿をとる。

「私は、行くべきなんでしょうか」

 私が彼を見ないまま、七人が消えた扉に向かってそういうと、彼は目を細めた。

「――サァ。それは、キミによるサ」

 私が彼を見ると、彼はやはり笑っていた。

 ただそれは、口元にわずかに刻まれた笑みだけが笑みと示すだけで、目はまったく笑っていない。さながら試すようなその視線を受けながら、私は視線を彷徨わせた。

 私は、ルーヴァスの隠していることが分かればいいと思った。
 別に彼らのしようとしていることを、邪魔したいわけじゃない。ただ、自分の身に危険の迫るようなことであれば何か対策を取りたい。あるいは、彼らの秘密が白雪姫に直結するようなことであるならば、それはなんとしても回避したい。そういう気持ちでいた。そのほかに、特に他意はない。

「スジェルクは最初、私に協力するのを下心からと言ってたと思います。……あなたにとって、この秘密を私に教えることは、吉と出ますか?」
「サテ。それは、なかなか難しい質問なんだよネ☆ ボクはどちらでもいいかナァ、と思っテルヨ。本質的なところは変わらないからサ」
「はあ」
「ボクは彼らを君が受け入れられればいいと、そう思っているだけダヨ」
「それがあなたの、下心、とやらですか?」
「ウーン? それを完遂するのに必要な、コト? カナ☆」

 彼は変わらず笑っている。けれど、下心について、話す様子はない。
 私が、彼らを受け入れること。
 それが彼の下心のカギだというのか。

 けれど。

 ……それは、逆ではないだろうか?

 私は彼らに対してそこまで負の感情を抱いてはいない。彼らと出逢ったのはほんの少し前だが、この短期間の中で私は彼らに好印象すら抱いている。
 対する彼らは、複雑だろう。
 妖精としての本能と、人間と妖精の確執。それらを鑑みて言うのならば、「受け入れられればいい」という言葉は、私でなく、あの七人に向けられるべきではないのか。
 彼らが憎き人間である私を、受け入れる。それこそが大事なのではないのだろうか。
 スジェルクの言葉が分からない。

「……この秘密を教えることで、あなたは受け入れられればいいと、そういいますけれど」
「ウン?」
「……この秘密を私が知ったら、私は彼らにさらに好印象を抱き、受け入られる――そう考えているということですか?」

 私が慎重に問うと、彼はゆるりと首を傾げる。灰色の髪が肩先からさらりと零れた。

「――逆だよ」

 ふと、静寂を帯びた声音で、一言、そう紡がれる。

 スジェルクは真紅の瞳を伏せ、笑みを消した。

「キミがこの事実を知ったなら――」

 彼は作り物めいたその美貌に、何の表情も感情も乗せず、無機質に吐き出した。

「キミはあの七人に、戦慄するんじゃないカナァ?」


















 私は結局、スジェルクのいう「見せてあげようか」という提案に乗らなかった。

 彼のその提案には、ルーヴァスの“この森から出ず家にいて欲しい”という頼みを破ることになるし――否、これは以前、スジェルクに強引に連れ出されたことにより既に破ってしまったのだった。だからといってまた破りたいとも思わないのだけれど。

 私の懸念はそこではなく――無論そこも心配ではあるのだけれど――ただ、スジェルクの言葉が。

 あの七人に戦慄すると、そう告げられたから。

 ……真意はよくわからないけれど、今は知りたいと思えなかった。
 彼らのことは嫌いじゃないのだ。嫌いじゃない。好印象ですらある。それは間違いない。
 でも今、戦慄する、と称されるようなものを見て、それでも彼らに好印象を抱いていられるかはまた別だ。そこまでの信頼関係はまだ、ない。

 私は、私が彼らを嫌うことが怖かった。彼らを恐れるようになることが怖かった。

 ここの他に、私の居場所はない。だからここでは、なるべく普通でいたいのだ。
 家族のような信頼関係はない、友人と言えるほど気安い関係でもない、でも今のこの距離は、決して遠すぎるものではない。
 お互いが歩み寄ろうと思っているときに、水を差すようなことは控えたい。

「……ホラホラ、手が止まっているヨ☆」
「え、あ、はい」

 私は気分転換がてらに始めていた文字の練習を再開する。

 だいぶマシな文字が書けるようになってきたのではないだろうか。簡単な読み書き程度ならできる気がする。

「……そういえば、ルーヴァスは、」
「うん?☆」
「明日の朝には、戻ると、そう言ってましたね」
「あぁ、今回は近いからネ」

 近い、というのは狩りの獲物が割合近くにいる仕事だったということか。

「それなら、お風呂沸かしておいた方がいいですよね」
「ん? ソウ? 面倒じゃナイ?」
「外から帰ってきたらお風呂に入りたくなると思います。私、風呂を磨いてお湯沸かしてきます」

 そして、お風呂を沸かしたら、食事を作ろう。
 彼らが返ってきた時に、おなかが空いてたらすぐに食べられるように。

 ――今はただ、何も考えずに動こうと思った。
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