白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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 カン、カン、と何か硬いものを打つような音が連続的に響き、私は飛び起きた。

「な、何?」

 音は上からのようだ。私は眉をひそめつつ、寝巻きから着替えて手鏡をポケットに入れ、上へと向かった。

「あれー、姫おはよー」
「おはようございます。あの、これ何の音ですか?」

 リビングにいたのはエルシャス、ユンファスの二人だ。

「……僕の部屋の……床……。穴、空いてた……それの……修理……」

 空いてた、というか彼自身が空けたというか……まぁ、そこは深く突っ込まないほうがいいだろう。

「姫ー、聞いてよ? ルーヴァスってば酷いんだよ? 『あなたたちはさらに床に穴を空ける可能性があるから、とりあえず朝食をとっていてくれ』って。酷いよねぇ?」

 まぁ、妥当な判断だろう。

 とは流石に言えないので、私は適当に笑って誤魔化した。

 ――にしても、エルシャスは、本当に覚えていないのだろうか。彼の様子を見ていると、とてもあの日私を殺しかけたものと同一人物とは思えない。

「……姫、どうか、した?」
「え? あ、いえ、何でも……」

 エルシャスを見つめたまま黙り込む私を不審に思ったのか、彼が首を傾げて訊ねてくる。とはいえ例のことを蒸し返すようなことをしても大していいことは起こりそうにないので、私は首を振っておいた。

「今日は誰が朝食を作ったんですか?」
「あ、僕。お姫様の口に合うかどうかわからないけど、まずくはないと思うから食べてみて。じゃ、僕はちょっと森の中を散歩してくるよ」
「え? 今からですか?」
「うん。ここのところ天気がいいし、何かいいものあるかも」
「いいもの……?」
「美味しそうな実とか。とりあえず料理に使えそうなものとか探してみる。じゃねぇ」

 そう言うと、ユンファスはぷらぷらと手を振って家を出ていった。

「と、すると……私は何をすべきかなぁ……」

 何となく朝食後のことを考えつつ、自席に置かれた食事に手をつけようとしたところで。

「……姫」

 ぼんやり、といった感じでエルシャスが声をかけてきた。朝食は既にとり終わっているらしい。空っぽの皿が、彼の前に並んでいる。朝食後にせめて皿洗いくらいはしておくべきだろうか――

「エルシャス? なんでしょうか?」
「……姫は、怪我とか、ない?」

 突然の問いに、「へ?」と間の抜けた声を上げてしまう。怪我……といわれても、いまいちピンと来ない。

「えっと、なんのことですか?」

 意味がわからない、という風に笑って問うと、ふとエルシャスが表情を歪めた。いつも眠たげであまり表情から感情を読み取ることができない彼にしては珍しいことだった。

「姫は……あたりまえみたいに、僕と話してくれる。けど。僕の部屋の……床の、穴。見て、わかった」

 そこでエルシャスは一旦言葉を切り、私を見つめてきた。

「僕、姫のこと、殺しそうになったんだって」

 そういう彼の目には涙すら浮かんできて、見ているこちらが慌てそうなくらいに悲しそうな顔をしていた。

「え、エルシャス」
「僕、わすれてた。僕が、普通じゃないって。こうして姫が隣にいてくれても、いつかまた、同じことをしてしまうかもしれないって。わすれてた。わすれてた……!」

 そう言うとエルシャスは、服の袖に覆われた手でごしごしと目をこすった。ひっく、ひっく、としゃくり上げる声まで聞こえてきて、私は流石にうろたえる。

「えっと、あの」
「ごめん、姫。ごめんなさい。だけど、ねぇ、きらわないで。おねがい。いなくなっちゃ、やだ……」

 胸に抱えていたクマのぬいぐるみが彼の腕から零れ、床へと落ちてしまう。それも構わずエルシャスがあまりに泣くので、思わず私は席を立った。そして彼の元まで行き、ぬいぐるみを拾う。

「エルシャス」
「ぅ……」

 顔を上げた彼に、私は安心させるように笑いかけた。

「私は、ここにいますよ」

 そう言って、ぬいぐるみを彼に渡す。おずおずと受け取った彼の手を握ると、びくっと怯えるように彼の肩が跳ねた。
 それに、怯えることなどないと伝わるように、なるべく優しい声音でそっと囁いた。

「どこも怪我してません。大丈夫。ね。私、エルシャスのこと嫌いじゃないですから。だから、泣かないで」

 私がそう言うと、ようやっと収まりかけていた彼の涙が再び盛り上がってきた。

「え」

 何か悪いことを言ったのか、ともう一度自分の言葉を頭の中で反芻しようとしたところで。

「!」

 ぎゅ、とエルシャスが抱きついてきた。

「姫……ありがと……」

 涙混じりのその声に私は二、三度瞬きをしたが、やがて頬を緩め、子供らしく優しい温かさを持つ小さな体を抱きしめる。
 抱きしめた体は柔く、心を穏やかにさせた。

 いい子だ。
 この子は決して、私に悪意を持ってなどいないのだろう。
 あの時だって、彼はきちんと起きていたようには思えない。
 私が読むべき一線を越えたり、軽率に踏み込まなければ、この子とはきっと今よりももっともっと仲良くなれる。それが恋愛にまで発展するかどうかはわからないが、少なくともこの子とは良好な関係を築けそうだと思う。

 頑張ろう。もっともっと、みんなと仲良くなっていこう。私なりに。

 そんなことを思いながら、私はそっと彼の頭を撫でたのだった。



 ――しばらくして、エルシャスが泣き止んだ頃。

 朝食を改めて再開しようとする私に、エルシャスがいつもの眠そうな顔でこう告げた。

「……ねぇ、姫」
「うん?」
「よる、僕が寝てる時は、僕に近づかないで。もし、どうしても会わなきゃいけないときは……ドア、叩いて。絶対、夜に寝てる僕に、近づかないで」

 そういう彼の瞳は真っ直ぐだったが、まだどこかに怯えるような色を宿していて。

 だから私は、安心させるように再び笑いかけ、

「わかりました」

 と、頷いたのだった。
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