白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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「……すまん。寝ぼけていた」
「あ、い、いえ……」

 昆布の瓶を受け取りながら、ノアフェスは頭を下げた。

「全く……このおかしなものは捨てますよ」

 シルヴィスはもはやスープとは呼ぶことができない形状になったものを若干おぞましげに見て顔を歪めてから、それを片付け、スープをもうひと皿運んできた。

「……すまん……」
「謝らなくていいので今後は絶対にやめてください」
「努力する……」

 ノアフェスは神妙に頷き、スープを受け取った。

 そして再び瓶を傾け――

「えっちょっ待っ……」
「これを入れると美味くなるのは本当だ。問題ない」

 ノアフェスはひと振りふた振り昆布の粉末と思しきそれをスープにかけると、「いただきます」とスープを口にした。

「……うむ」

 何故か少し満足げに――彼は常に無表情なので笑ってはいないのだが、雰囲気的には実に嬉しそうだった――頷くと、ノアフェスはふとこちらを見た。

「……気になるのか」
「えっ」

 言わずもがな、その昆布入りスープのことだろう。

 ……いや、昆布が入っている時点で微妙な味になっている予想はできる。

「いえ……あの、スープに昆布入れる習慣はないので、特には」
「――なに?」

 心底不思議そうに問い返される。

「は、いえ、だからあの」
「なぜお前はこれが昆布と知っている?」

 食いついたのはそこなのか。

「……え、そこの瓶に書いてあるじゃないですか。何かすごく達筆な字で」

 私が、無駄に大きく達筆に「昆布」と書かれた小瓶を指すと、ノアフェスは目を瞬かせた。

「お前は、この文字が読めるのか?」

 わけがわからない、といった体でそう言われる。いや、読めないわけが……

 と、そこまで言いかけて。

 そういえばこの国の文字はあのスジェルクから習った未だに使いこなせそうにない文字だった、と思い出す。

 ということは、私がこの文字――日本語だ。それはもう懐かしいくらいに完璧な日本語だ――を知っているというのは若干……おかしなシチュエーション、ということだろうか。

「あ、読めません」

 口から出てきたのはそんな言葉だった。

「……は? いやそれでは矛盾するだろう」
「そうかもしれませんがスルーしてください」
「な、何でだ」
「その説明をさせられても答えようがないからです」

 きっぱりと開き直ってそう言った私に、ノアフェスは唖然とした表情をする。それから腑に落ちない表情で「……うむ、わかった」と頷いた。物分りがよくて助かります。

「文字はともかく……お前は箸も使えると言ってたな。俺の国がどこだかわかるのか」
「国? ……いえ全く」

 日本ですよね、と言おうとしたが、この世界に日本という国があるのかどうか甚だ疑問なので控えておくことにした。

「……そうか」

 ノアフェスは少し落ち込んだような表情を見せたが、すぐにいつもの無表情に戻ると、

「色々面倒なことを聞いたな。すまん」

 と言って食事を再開したのだった。







 昼食を終え、部屋ですることもなく寝転がっていると――このままでは廃人になりそうだ。暇だ。暇すぎる――コンコンと、扉が叩かれる音がした。

「姫、ちょっといい?」

 それにベッドから起き上がる。

「あ、はい、いまドアを開けます」

 扉の方まで行ってドアを開けてみると、ユンファスがいた。

「頼まれてたもの、できたんだけどね」
「あ、鏡ですか?」
「そう」

 と頷くものの、ユンファスは鏡を渡してくる様子も、持っている様子すらもなかった。

「ええと……」
「で、対価をもらおうと思って」
「……え」

 にっこりと笑われて告げられた言葉の意味が一瞬理解できない。

 けれどよく頭の中でそれを噛み砕いて、ようやく意味を悟り、私は青ざめた。

 対価など、私は何も持ち合わせていない。

 だって城からの唯一の持ち物が鏡だ。それも手鏡一つだ。というかそれをユンファスに修理してもらったのだ。では何を対価にしろと。

 青ざめ言葉を失った私に何を思ったのかはわからない。しかしユンファスは笑ったまま私に歩み寄ってきた。

 それに思わず何もできないまま硬直してしまう。

 が、ユンファスは構わない。遠慮なく私に歩み寄ると、何を思ったのか、その顔を私の首筋に埋めて……ってうわぁああああああああああああああああ!!

 な、何この状況なにこれどうしよう寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来

「……おかしいなぁ」

 すん、と匂いを嗅がれてパニック状態に陥っている私の耳に、そんな声が流れてきた。

「ゆ、ユンファス、あの」
「一国のお姫様ならアリかとも思ったんだけど。でも、これは違うな……」

 ユンファスの言葉の意味をはかりかねていた私は状況を再び思い出しユンファスの肩を叩いた。

「あ、あのえっとすみません勘弁してください……」
「ん?」

 ユンファスがようやく私の首筋から離れる。

「あれ。もしかして恥ずかしがってるの」
「う、うぅ……」

 逆に聞きます。この状態で私が平然としているとでも思ったのでしょうか……!


 わたわたしている私に、ユンファスは妖しく笑いかけた。それはぞっとするほど綺麗な笑みだ。綺麗な人が妖しさを含んだ笑みを浮かべると、綺麗は綺麗だけど、若干怖い。毎日接しているから忘れがちだけど、彼らはとても綺麗なのだった。格好いい……と、いうよりは、うん、やはり綺麗に近い。神秘的なまでに中性的だ、皆。それが神様に近い存在ゆえなのか、乙女ゲームのご都合主義なのかは知らないけれど。

「あぁ、もしかして襲われると思った?」
「おそっ!?」
「別にそういう意図はないから、安心したら? この家でそれはなかなかないと思うしね」

 ユンファスはそう言うと、「でも」と低く笑って付け加えた。

「油断してると殺されちゃうから、少しは気をつけたほうがいいかもね?」
「え……、あの」
「さてと。はい、これ」

 ユンファスは何も持っていない手を私に向かって突き出した。するとそこに手鏡がどこからか現れる。リリツァスが言っていた聖術というものか。

「で、でも対価は」
「君の恥ずかしがってる可愛い顔見たからそれでチャラってことにしてあげるよ。ほら、どうぞ?」
「あ……ありがとうございます」

 恐る恐る鏡を受け取る。見れば、鏡にはヒビどころか傷一つ入っていなかった。あれだけ盛大に砕けたのにも関わらずだ。どうやって修復したのかは知らないが、これは。

「すごい……」
「ん?」

 思わず漏らした感嘆に、ユンファスは不思議そうに首をかしげる。

「なに?」
「いえ、まさかこんなに綺麗に治るとは思っていなくて。聖術?ってすごいんですね、魔法みたいです」

 そう私が言った途端。

 そういえば魔法も聖術もこの世界では同じようなものだったけ、と思う間もなく――彼の表情がさっと変わった。

 端的に言うなれば、強ばった。

「なに、言ってるの?」
「え? あ、すみません、魔法も聖術も似たようなものでしたよね」
「……」

 確か魔術は悪魔が使うものだったか。妖精である彼らは神様に近いそうだから、多分悪魔とは相性が良くないだろう。もしかしたら聖術とごっちゃにされて気分を害したかもしれない。いや、十中八九そうだ。

 そう思って彼を見たのだけれど、彼は気分を害している、と言った風ではなかった。

 なんというか、そんな単純な表情ではなかった。

「――――せに」
「え?」

 彼が小さく呟いた言葉――というよりもは、あまりにも小さすぎて聞き取れない。けれどよく見てみれば彼の唇は震えていた。

「……ユンファス?」
「……僕、」

 ユンファスは俯き、表情を隠して告げた。

「……僕、部屋に戻るね」
「え……」

 これは、なんというか、あの、気分を害したとか、そういう……次元じゃない、のでしょうか。え?

 明らかに失言だった、んだよ、ね?

「あの、」
「ごめん」

 ユンファスは私に何も言わせなかった。そのまま、背を向けて退室する。

 その一瞬。

 彼が背を向けた刹那。

 いつも髪に隠されがちな彼の左目が真っ赤に光った気がしたのは、――気のせい、だったのだろうか?







「……ユンファス? どうした」

 地下から上がってきたユンファスの様子におかしなものを覚えたのか、ルーヴァスが彼に声をかけた。

「……別に。何もないよ」
「……」

 ルーヴァスは、すぅ、と目を細めた。しかしそれ以上問うようなことはせず、「……そうか」と一言呟いただけだった。

「僕、ちょっと、外の空気吸ってくる。夜までにはもどるよ」
「……ああ」





「『魔法も聖術も似たようなものでしたよね』? あはは、何言ってるのかなぁ、姫は……」

 ふらふらと、どこか覚束無い足取りでユンファスは森を歩く。あてもなく彷徨い歩く。

 日がかなり傾くまで、彼はどこへ向かうともなく歩き続けていた。

 かなり森の奥深くへ進んだと思われるところで、彼は突然立ち止まった。

 目立った何かが周囲にあるのかと問われれば、おそらく何もない。木ばかりが視界を埋め尽くす。

 ……いや、埋め尽くしているはず、だった。

「……あのさぁ、……気配隠すのヘタクソなんだよねぇ。不愉快だから出てきてくんない? 僕今、超機嫌悪いからさぁ……」

 ユンファスがそう言った。そう彼が言った瞬間、木々の影から二、三人の人影が出てきた。

 丸みを帯びた両耳――人間だ。

「はは、物騒だねぇ……」

 とユンファスが言う。

 ――そう。

 人間は皆、ユンファスに剣を向けている。油断なく、彼を睨みながら。

「なにがばれたのかわかんないけど。まぁ、僕はどっちでもいいかな。――だって、」

 人間が地を蹴る。ユンファスめがけて、全員が剣を突き出してくる。

 対するユンファスは丸腰だ。武器は何も持ち合わせていないように見える。

 けれど彼は笑う。

 愉快そうに、退屈そうに。

「君たちみぃんな、ここで死んじゃうんだからねぇ?」

 壮絶な笑みを、浮かべたのだった。
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