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3.gift
65.apple
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「おはよー」
「おはようございます」
「……おはよう」
「おはよう……」
「あぁ、おはよう」
「……チッ。おはようございます」
「おはよう」
“挨拶運動をしよう”という私の提案は、思いのほかすんなりと通った。
どう考えても反対しかしないだろうと思われたひとも何故かさらっと納得し……何故だろう。まぁ、個人的にはその方が家が明るくなっていいと思うけど。
「久々に全員そろっての朝食だね! へちっ」
「……いやなんかもうほんとすみません」
「リリツァスはあなたを責めているわけではない、姫」
「そ、そうだよ!? へちっ、え、嫌な思いさせたならごめん!」
「朝から謝罪大会はやめたらー? 湿っぽくなっちゃう」
「あ、そ、そうだね、へちっ」
「……結局ういろうはまかろにに勝てないのか……」
「ええと、うん、マカロンじゃない?」
「まかろん……すき……」
賑やかな朝食の席には、誰一人として欠けていない。
――口に出すひとはいないけれど、私への疑惑が晴れたわけじゃないと思う。
私が彼らを裏切って、妖精狩りに加担する可能性だって、当たり前だけどゼロじゃない。私の気持ちなんて関係なく、立場とか種族の違いとか、そういったものの観点からそれは持たれてしかるべき疑惑だ。
それでもみんなの雰囲気が優しくて、気分が明るくなった。
「あ」
カーチェスがふと思い出したように声を上げた。
「なに? 何かあったー? カーチェス」
「何かというほどでもないけど……料理当番」
「げ」
リリツァスが片頬を引きつらせておかしな声を上げたが、無理もない。
料理当番と言えばもちろんあれだ。来週一週間、それぞれに割り振られる料理担当日を決める、あれだ。
いや、別にそれを思い出すことに咎はない。無論いずれは決めなければならないことだし、というか明日からの当番なのだから今日中に決めなければならないのは明白だ。
だが、それをこの場で言うのか。
「ちょっと、カーチェス……」
ユンファスもせわしなく視線を彷徨わせながら、非難がましい声を上げる。
当たり前だ。
この場には、全員がそろっている。
つまり、彼もそろっているわけで。
「あ……、ご、ごめ」
カーチェスが前言撤回をするがごとく謝罪を口にしようとするが、それを遮って幼い声が響いた。
「料理……やる!」
「いや待てそれはまずい」
ノアフェスが真顔でそう言うも、彼――エルシャスは喜々として立ち上がる。
「姫へのお菓子……今度こそ、つくる……!」
「あ、標的私なんですね! 嬉しいような何とも言えない複雑な気分何だろうコレ!」
「姫が標的なら僕らは関係ないってことー?」
「そこで見捨てる発言はおかしいと思いまーす! というか料理当番の話なんですからお菓子以前の問題じゃないですか!」
「あーそうだった……やばいねぇ」
「ぼく……がんばるの……!」
「俺たちはまだ死ねないんだ……!」
「ノアフェス格好良く言ってるけどその手のういろうどうにかして」
「というか、貴女。貴女が何とかしなさい!」
「は!? な、何でそこで私なんですか!?」
「ここ数日間勝手にじめじめと落ち込んでいたのはどこの誰ですか責任を取りなさい」
「いやそれこの場で全く関係ないですよね? むしろそれの責任どうやってこれでとれるのか想像できないっていうかそもそも私の腕力でエルシャスに勝てるとか天と地がひっくり返ったって無理な話です」
「役に立たない人ですね!」
「役に立たなくて悪かったですね!! そうは見えなくても! 女なんで!! 無理なもんは!! 無理!!」
「いや二人とも落ち着いて」
「あああここは俺が何とかするから姫は逃げていややっぱ無理だったごめん姫ひくちっ」
「諦め早すぎません!? まだ何にもしてないじゃないですか!」
「――全員、とりあえず落ち着いてくれ」
ルーヴァスが立ち上がり制止の声を入れると、一応場が収まる。
ただ、肝心なところは何一つとして解決していない。
「エルシャス、料理に関してだが。……その、もう少し……そう、練習を。練習を重ねていくべきだと、わたしは思うのだが。どうだろうか」
「れんしゅう」
「あなたは元々、料理についてあまり知らないだろう。だから、練習を」
「あー待った待った。あのさルーヴァス、練習はいいけど、それに誰が付き合うわけ」
ユンファスが青ざめながら辛うじて保たれている笑顔でルーヴァスに訊ねた。もっともな意見だ。
「それは……その」
何となく、ルーヴァスの表情から察した。
このひと、自分がやるとか言い出すだろう。
そもそも責任感が強いだろうルーヴァスがこんなことをいつまでも野放しにしているわけがない。
――なら。
「あの」
私が控えめに手を上げると、視線が一斉にこちらに集まった。
「エルシャスに条件を出していいのなら、……私も、頑張ってみます」
私の言葉に、しばしの沈黙が流れ。
「……は」
間の抜けた声が、響く。
「……い、……いや、姫。それは、少々、その、無理があるのではないだろうか」
「あると思いますが」
「即答だな……いや、あなたの心遣いはありがたいのだが。これに関しては、あなたの手に負えないと、先ほどあなた自身も言っていただろう」
「まぁ実際、負えないと思います」
「わぁ断言するね」
私はエルシャスの方を見ると、彼にこう言った。
「あの、エルシャス」
「なに……?」
「私と一緒に、料理の勉強しません?」
「……なぜこうなったのか、わたくしには理解しかねます」
シルヴィスが憮然とした態度で零した溜め息交じりの言葉を、「そんなことを言ったら良くないよ」とカーチェスが窘める。そう言っている間も、全員本棚を漁る手は止めない。
今の状況を簡単にご説明。
エルシャスに料理を一緒に持ち掛けようとした私だったが、ふとあることに思い至り、青ざめたのである。つまり、エルシャスと一緒だとリオリムに頼れないのだ。ということは私はレシピが分からない。まぁルーヴァスたちからもらった紙にいくらかレシピを記したものはあるのだけれども、それだけで凌げるとは思いにくかった。リオリムに自室でレシピとかコツのようなものを聞いて紙に記そうにも、実際の台所でやはり具体的に材料を示してもらわないと多分ちんぷんかんぷんだ。名前もわからないものばかりに囲まれた台所では、到底一人で何もできそうにない。
そこまで考えた私が「レシピってこの家にありますかね?」と聞くと、なんと彼らは全員でレシピを探してくれるとのことで。……やはりなんだかんだで彼らは優しいのだなぁ、と思う。
まぁでも多分、これはエルシャスへの料理教育をどうにかしたいという気持ちの表れでもあるのだろう。
エルシャスが大暴れしたあの日、女だからか人間だからかはわからないが、結局彼は私にその驚異的な力を振るうことはなかった。だから私なら教育できる可能性があると思ったのかもしれない。現に今、エルシャスは無理に台所へ向かうことはせず、私の隣でちょこんとぬいぐるみを抱えて本棚を漁る六人をぼんやりと待っている。
私と一緒に料理の勉強をしないか、と聞いた時、彼は「べんきょう……?」と首をかしげてから「姫といっしょ」と呟き、やがて「……やる」と私を見つめたのだった。この子は多分、料理の仕方を知らないだけで、教えればどうにかなるのではないか。
まぁとにかく、そういうわけで。
とりあえずは現在全員総出で地下の本棚でレシピ本を絶賛捜索中、と。
――ちなみに地下の本棚というのは、私の自室の手前にずらりと並んだそれなりに立派なものだ。が、如何せん私自身がこの世界の文字を未だまともに習得していないせいで縁がない。 それなりに新しそうなものもあれば、かなり年季の入った本や魔術書ですかと聞きたいくらい怪しげなものまで揃っているのだが、表紙の文字が読めないというのは致命的である。まったくもって興味が湧かない。よしんば湧いたとしても読めない。一ページ開いてみたら一文字目から意味不明とかもう、絶対読む気がしない。
いやそれはいいとして。
まぁ早い話が、私はこの本棚に全く手を付けていないわけだ。地下の掃除は、私の部屋となっている元倉庫とこの本棚周辺は行ったが、他の部屋は鍵がかかっているのか開かなくて手を付けていない。当然、タイトルも読めない本の整理なんて全くしていないわけで。
「……あの皆さん、この本棚、整理してないんです?」
名前順とか種類順とか、とりあえず何かの規則を持って整列してあるのなら、少なくともここまで探すのが遅くなるわけはないと思うのだけれど。
と、私のその発言は的を射たものだったようで、しれっとノアフェスが私の疑問に答えてくれた。
「とりあえず適当に突っ込んでる」
「並べましょうよ!!」
「この数を並べるのは至難の業だぞ」
「最初から並べておけば問題なかったと思います」
「後の祭りだな」
「他人事ですね!!」
残念ながらもし整頓するというのならこれは私がやるしかないようだ。文字の読めない私が。これは酷い。
「スジェルクに何とかしてもらおう……」
私がぼそりと呟くと、カーチェスが「何か言った?」と首をかしげて訊ねてきた。
「いいえ特には……。これは、整頓が大変そうだな、と」
「あぁ、うん、無理にやらなくてもいいんじゃないかな」
カーチェスははにかみながら苦笑を見せる。どうしてそうなるんだ。
「いやでも不便ですよね?」
「うーん……一回読んだ本はあまりもう一度手に取ることがないからなぁ……」
それはすさまじく記憶力がいいということですか。それとも単に興味が薄い、気に入らない本しかなかったということですか。
前者だとしたら妖精って何なの。顔面偏差値は無駄に高いし声も綺麗だし何だかんだで優しいし、そのうえ記憶力もいいとかもう色々スペックが高すぎて凡人の私はついていけない。
このひとたちを私に惚れさせるとかあの道化師は頭でも沸いているのか。私に何ができるというのだ。掃除でどうにかしろと? どう考えたって無理に決まっている。まぁそのあたりはもう既にすっぱりと諦めているけれども。
「……あ。あったあった、これじゃない?」
ユンファスが埃を落とすように叩きながら取り出した本は、やけに装丁が凝った、おとぎ話ですかと聞きたくなる感じの本だった。厚さもかなりある。
「……それ、本当にレシピ本です?」
「うん、そうだよー。ほら」
ユンファスは固い表紙を開き、中をぱらぱらとめくってこちらに見せてくれる。
……文字はまるで読めなかったが、フルカラーでイラストが載っているのは見て取れた。うん、なるほど。これなら文字の読めない私でもわかるかも。
「かなり詳しく載っていそうですね」
「あぁ……その本は結構古くから根強い人気のある。良いレシピが載ってるし、結構料理の幅も広い。料理初心者から上級者まで勉強になると評判のものだな」
「なるほど……! じゃあ私でも料理が出来そうですね」
「……。……? あなたは、さほど料理の腕が悪くはなかったと記憶しているが?」
「あ、いや、うん、まぁ、でも、その。ほら、上達とかしたいじゃないですか」
「……君は努力家なんだね」
カーチェスが微笑んでくれるが、残念ながら違う。上達したいだとかそんな崇高な思考以前に、そもそも料理ができないと私がこの家でできることは掃除しかない。掃除婦という価値しかない、顔も頭も性格も平々凡々な女とか、何の魅力もない。いや別に特別魅力が欲しいかと聞かれたら、そんなものは逆立ちしたって無理なのでとうに諦めているんだけれども、人間として最低限、まともな人付き合いができるくらいの魅力は欲しい。
つまり何が言いたいかというと、何もできないより何かできたほうがいいからとりあえず勉強、と。あと、料理当番が回ってきた時にリオリムに頼りきりにならなくて済むように、というのもあるが、結局はただ単にそれだけの思考回路である。まったくもって努力家の発言ではない。
「よし。エルシャス、これで一緒に私と勉強しよう!」
私がエルシャスに向き直ると、彼はぼんやりと一、二度瞬きした後、「……おー」と可愛らしく拳を振り上げたのだった。
「おはようございます」
「……おはよう」
「おはよう……」
「あぁ、おはよう」
「……チッ。おはようございます」
「おはよう」
“挨拶運動をしよう”という私の提案は、思いのほかすんなりと通った。
どう考えても反対しかしないだろうと思われたひとも何故かさらっと納得し……何故だろう。まぁ、個人的にはその方が家が明るくなっていいと思うけど。
「久々に全員そろっての朝食だね! へちっ」
「……いやなんかもうほんとすみません」
「リリツァスはあなたを責めているわけではない、姫」
「そ、そうだよ!? へちっ、え、嫌な思いさせたならごめん!」
「朝から謝罪大会はやめたらー? 湿っぽくなっちゃう」
「あ、そ、そうだね、へちっ」
「……結局ういろうはまかろにに勝てないのか……」
「ええと、うん、マカロンじゃない?」
「まかろん……すき……」
賑やかな朝食の席には、誰一人として欠けていない。
――口に出すひとはいないけれど、私への疑惑が晴れたわけじゃないと思う。
私が彼らを裏切って、妖精狩りに加担する可能性だって、当たり前だけどゼロじゃない。私の気持ちなんて関係なく、立場とか種族の違いとか、そういったものの観点からそれは持たれてしかるべき疑惑だ。
それでもみんなの雰囲気が優しくて、気分が明るくなった。
「あ」
カーチェスがふと思い出したように声を上げた。
「なに? 何かあったー? カーチェス」
「何かというほどでもないけど……料理当番」
「げ」
リリツァスが片頬を引きつらせておかしな声を上げたが、無理もない。
料理当番と言えばもちろんあれだ。来週一週間、それぞれに割り振られる料理担当日を決める、あれだ。
いや、別にそれを思い出すことに咎はない。無論いずれは決めなければならないことだし、というか明日からの当番なのだから今日中に決めなければならないのは明白だ。
だが、それをこの場で言うのか。
「ちょっと、カーチェス……」
ユンファスもせわしなく視線を彷徨わせながら、非難がましい声を上げる。
当たり前だ。
この場には、全員がそろっている。
つまり、彼もそろっているわけで。
「あ……、ご、ごめ」
カーチェスが前言撤回をするがごとく謝罪を口にしようとするが、それを遮って幼い声が響いた。
「料理……やる!」
「いや待てそれはまずい」
ノアフェスが真顔でそう言うも、彼――エルシャスは喜々として立ち上がる。
「姫へのお菓子……今度こそ、つくる……!」
「あ、標的私なんですね! 嬉しいような何とも言えない複雑な気分何だろうコレ!」
「姫が標的なら僕らは関係ないってことー?」
「そこで見捨てる発言はおかしいと思いまーす! というか料理当番の話なんですからお菓子以前の問題じゃないですか!」
「あーそうだった……やばいねぇ」
「ぼく……がんばるの……!」
「俺たちはまだ死ねないんだ……!」
「ノアフェス格好良く言ってるけどその手のういろうどうにかして」
「というか、貴女。貴女が何とかしなさい!」
「は!? な、何でそこで私なんですか!?」
「ここ数日間勝手にじめじめと落ち込んでいたのはどこの誰ですか責任を取りなさい」
「いやそれこの場で全く関係ないですよね? むしろそれの責任どうやってこれでとれるのか想像できないっていうかそもそも私の腕力でエルシャスに勝てるとか天と地がひっくり返ったって無理な話です」
「役に立たない人ですね!」
「役に立たなくて悪かったですね!! そうは見えなくても! 女なんで!! 無理なもんは!! 無理!!」
「いや二人とも落ち着いて」
「あああここは俺が何とかするから姫は逃げていややっぱ無理だったごめん姫ひくちっ」
「諦め早すぎません!? まだ何にもしてないじゃないですか!」
「――全員、とりあえず落ち着いてくれ」
ルーヴァスが立ち上がり制止の声を入れると、一応場が収まる。
ただ、肝心なところは何一つとして解決していない。
「エルシャス、料理に関してだが。……その、もう少し……そう、練習を。練習を重ねていくべきだと、わたしは思うのだが。どうだろうか」
「れんしゅう」
「あなたは元々、料理についてあまり知らないだろう。だから、練習を」
「あー待った待った。あのさルーヴァス、練習はいいけど、それに誰が付き合うわけ」
ユンファスが青ざめながら辛うじて保たれている笑顔でルーヴァスに訊ねた。もっともな意見だ。
「それは……その」
何となく、ルーヴァスの表情から察した。
このひと、自分がやるとか言い出すだろう。
そもそも責任感が強いだろうルーヴァスがこんなことをいつまでも野放しにしているわけがない。
――なら。
「あの」
私が控えめに手を上げると、視線が一斉にこちらに集まった。
「エルシャスに条件を出していいのなら、……私も、頑張ってみます」
私の言葉に、しばしの沈黙が流れ。
「……は」
間の抜けた声が、響く。
「……い、……いや、姫。それは、少々、その、無理があるのではないだろうか」
「あると思いますが」
「即答だな……いや、あなたの心遣いはありがたいのだが。これに関しては、あなたの手に負えないと、先ほどあなた自身も言っていただろう」
「まぁ実際、負えないと思います」
「わぁ断言するね」
私はエルシャスの方を見ると、彼にこう言った。
「あの、エルシャス」
「なに……?」
「私と一緒に、料理の勉強しません?」
「……なぜこうなったのか、わたくしには理解しかねます」
シルヴィスが憮然とした態度で零した溜め息交じりの言葉を、「そんなことを言ったら良くないよ」とカーチェスが窘める。そう言っている間も、全員本棚を漁る手は止めない。
今の状況を簡単にご説明。
エルシャスに料理を一緒に持ち掛けようとした私だったが、ふとあることに思い至り、青ざめたのである。つまり、エルシャスと一緒だとリオリムに頼れないのだ。ということは私はレシピが分からない。まぁルーヴァスたちからもらった紙にいくらかレシピを記したものはあるのだけれども、それだけで凌げるとは思いにくかった。リオリムに自室でレシピとかコツのようなものを聞いて紙に記そうにも、実際の台所でやはり具体的に材料を示してもらわないと多分ちんぷんかんぷんだ。名前もわからないものばかりに囲まれた台所では、到底一人で何もできそうにない。
そこまで考えた私が「レシピってこの家にありますかね?」と聞くと、なんと彼らは全員でレシピを探してくれるとのことで。……やはりなんだかんだで彼らは優しいのだなぁ、と思う。
まぁでも多分、これはエルシャスへの料理教育をどうにかしたいという気持ちの表れでもあるのだろう。
エルシャスが大暴れしたあの日、女だからか人間だからかはわからないが、結局彼は私にその驚異的な力を振るうことはなかった。だから私なら教育できる可能性があると思ったのかもしれない。現に今、エルシャスは無理に台所へ向かうことはせず、私の隣でちょこんとぬいぐるみを抱えて本棚を漁る六人をぼんやりと待っている。
私と一緒に料理の勉強をしないか、と聞いた時、彼は「べんきょう……?」と首をかしげてから「姫といっしょ」と呟き、やがて「……やる」と私を見つめたのだった。この子は多分、料理の仕方を知らないだけで、教えればどうにかなるのではないか。
まぁとにかく、そういうわけで。
とりあえずは現在全員総出で地下の本棚でレシピ本を絶賛捜索中、と。
――ちなみに地下の本棚というのは、私の自室の手前にずらりと並んだそれなりに立派なものだ。が、如何せん私自身がこの世界の文字を未だまともに習得していないせいで縁がない。 それなりに新しそうなものもあれば、かなり年季の入った本や魔術書ですかと聞きたいくらい怪しげなものまで揃っているのだが、表紙の文字が読めないというのは致命的である。まったくもって興味が湧かない。よしんば湧いたとしても読めない。一ページ開いてみたら一文字目から意味不明とかもう、絶対読む気がしない。
いやそれはいいとして。
まぁ早い話が、私はこの本棚に全く手を付けていないわけだ。地下の掃除は、私の部屋となっている元倉庫とこの本棚周辺は行ったが、他の部屋は鍵がかかっているのか開かなくて手を付けていない。当然、タイトルも読めない本の整理なんて全くしていないわけで。
「……あの皆さん、この本棚、整理してないんです?」
名前順とか種類順とか、とりあえず何かの規則を持って整列してあるのなら、少なくともここまで探すのが遅くなるわけはないと思うのだけれど。
と、私のその発言は的を射たものだったようで、しれっとノアフェスが私の疑問に答えてくれた。
「とりあえず適当に突っ込んでる」
「並べましょうよ!!」
「この数を並べるのは至難の業だぞ」
「最初から並べておけば問題なかったと思います」
「後の祭りだな」
「他人事ですね!!」
残念ながらもし整頓するというのならこれは私がやるしかないようだ。文字の読めない私が。これは酷い。
「スジェルクに何とかしてもらおう……」
私がぼそりと呟くと、カーチェスが「何か言った?」と首をかしげて訊ねてきた。
「いいえ特には……。これは、整頓が大変そうだな、と」
「あぁ、うん、無理にやらなくてもいいんじゃないかな」
カーチェスははにかみながら苦笑を見せる。どうしてそうなるんだ。
「いやでも不便ですよね?」
「うーん……一回読んだ本はあまりもう一度手に取ることがないからなぁ……」
それはすさまじく記憶力がいいということですか。それとも単に興味が薄い、気に入らない本しかなかったということですか。
前者だとしたら妖精って何なの。顔面偏差値は無駄に高いし声も綺麗だし何だかんだで優しいし、そのうえ記憶力もいいとかもう色々スペックが高すぎて凡人の私はついていけない。
このひとたちを私に惚れさせるとかあの道化師は頭でも沸いているのか。私に何ができるというのだ。掃除でどうにかしろと? どう考えたって無理に決まっている。まぁそのあたりはもう既にすっぱりと諦めているけれども。
「……あ。あったあった、これじゃない?」
ユンファスが埃を落とすように叩きながら取り出した本は、やけに装丁が凝った、おとぎ話ですかと聞きたくなる感じの本だった。厚さもかなりある。
「……それ、本当にレシピ本です?」
「うん、そうだよー。ほら」
ユンファスは固い表紙を開き、中をぱらぱらとめくってこちらに見せてくれる。
……文字はまるで読めなかったが、フルカラーでイラストが載っているのは見て取れた。うん、なるほど。これなら文字の読めない私でもわかるかも。
「かなり詳しく載っていそうですね」
「あぁ……その本は結構古くから根強い人気のある。良いレシピが載ってるし、結構料理の幅も広い。料理初心者から上級者まで勉強になると評判のものだな」
「なるほど……! じゃあ私でも料理が出来そうですね」
「……。……? あなたは、さほど料理の腕が悪くはなかったと記憶しているが?」
「あ、いや、うん、まぁ、でも、その。ほら、上達とかしたいじゃないですか」
「……君は努力家なんだね」
カーチェスが微笑んでくれるが、残念ながら違う。上達したいだとかそんな崇高な思考以前に、そもそも料理ができないと私がこの家でできることは掃除しかない。掃除婦という価値しかない、顔も頭も性格も平々凡々な女とか、何の魅力もない。いや別に特別魅力が欲しいかと聞かれたら、そんなものは逆立ちしたって無理なのでとうに諦めているんだけれども、人間として最低限、まともな人付き合いができるくらいの魅力は欲しい。
つまり何が言いたいかというと、何もできないより何かできたほうがいいからとりあえず勉強、と。あと、料理当番が回ってきた時にリオリムに頼りきりにならなくて済むように、というのもあるが、結局はただ単にそれだけの思考回路である。まったくもって努力家の発言ではない。
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