白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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「エルシャス」
「……ん」
「台所に入る前に一つ、約束してほしいことがあるのですが」
「……?」

 私の言葉にエルシャスが首をかしげる。
 うん、可愛い。可愛いけれども。

「やくそく」
「はい。ええとですね、台所では、勝手に突っ走るのは禁止です」
「突っ走る……?」
「まぁつまり、この本を見ながら、私と一緒に頑張っていきましょうってことです」

 やんわり、暴走しないでくれ、と暗に伝えたつもりなのだが、伝わっているだろうか。
 私が緊張気味に彼の返答を待っていると、彼はしばらく考え込んでから、

「力加減、できない」
「いや、しましょう」

 割と真顔で返してしまった。……流石に今より好感度が落ちるのはまずいだろうと思われたので、私はできる限り笑顔を繕うと彼の手を握る。

「私も一緒に頑張りますから。力加減ができないなら、できるように一緒に努力しましょう。物は壊したらダメです」
「こわしたら……だめ」
「そうです。今回はそれを目標に頑張りましょう」

 「いいですか?」と私が訊ねると、エルシャスは重々しくうなずく。そこまで難しいことなのだろうか、これは。

「ひめ」
「はい?」

 そのまま台所に入ろうとした私の袖を、エルシャスがきゅっと掴む。

「力加減、できたら」

 エルシャスはうつむいていた。その表情はふわふわの前髪に隠れて見えない。

「ひめは、ぼくのこと、嫌いにならない?」

 エルシャスの言っている意味が、一瞬、理解できなかった。

 けれど、その言葉に聞き覚えがあるのを思い出す。

 あれは確か、そう。彼が私に、斧を振った後のこと。

――ごめん、姫。ごめんなさい。だけど、ねぇ、きらわないで。おねがい。いなくなっちゃ、やだ……

 確かそんなことを、言われた気がする。

 はっきり言って、彼が何を考えてそんなことを言ったのかは、未だにわからない。
 あの時は今よりさらにここの七人との心理的な距離があったし、そう考えると彼が出会って数日の私に物凄い好感を抱くというのは考えにくかった。

 ただ、考えられるとするなら。

 ――彼は、誰かに嫌われ、捨てられることを極度に嫌がっている、のだろうか。

 誰だって嫌われて捨てられるだなんて気分のいいものではないだろうけれども、出会って数日の良く知りもしない女にそんな台詞が出るというのなら、それは何かしらの相当なトラウマがあるのかもしれない。

 だとしたら、私は慎重に言葉を選んで答えを返すべきだろう。

 どう答えるべきだろうか。

「……エルシャス」

 私は少しの逡巡の後、彼の両手をとった。そして、それにつられて私を見つめる彼を、真正面から見つめた。

「私は、正しいひとじゃないし、聖人じゃないから、エルシャスの求める答えはわからないけれど。……努力をする人は、嫌いじゃないです。でもそれ以前に、エルシャスは、凄く、良い子ですから」
「……良い、子?」
「そうです」

 彼の青の双眸がゆらゆらと揺れる。
 それから数秒して、彼は首を振った。

「ぼくは良い子じゃない」

 いつもの眠たげな声色とは違った。はっきりと、拒絶するかのようにそう言いきる。その様子に私は驚いた。

 しかし何も言わないわけにもいかない。だから私は、ゆっくりと落ち着かせるように、できるかぎりの優しい声で、

「エルシャスは良い子だと思いますよ。とっても」

 けれど、

「ちがう」

 エルシャスは首を振る。

「ぼくは良い子じゃない。いいこじゃない……」

 ぎゅっと眉根を寄せて、泣きそうになりながら彼は何度も繰り返す。良い子じゃない、僕は良い子じゃない、と。

「ぼくがもし」

 一瞬言いよどんでから、しかし彼はこういった。しゃくりあげながら、それでも言い募る。

「ぼくがもし、いいこだったら……だれかは、きっと、ぼくのこと、だいじにしてくれる……みんな、ぼくのこと、きらいにならない……いいこに、なりたい……」

 大粒の涙が、青い瞳からほろりと零れ落ちた。それはさながら、宝石のように美しかった。美しくて、なにより痛々しかった。

「良い子になりたい、って……」

 ――どうして、そんなことを言うのか。

 彼は、そりゃあ力加減が出来ずにいろんなものを壊しているようだけれど、この家のひとたちは彼のことを少なくとも最低限気遣っていないだろうか。例えばそう、料理の味についてはっきり彼に伝えたら傷つけるだろうと、明言を避けたりしている様子を見る限り、エルシャスは大事にされていると思う。
 それに彼自身、世間的に見て良くできた凄く良い子、ではなくても、決して悪い子じゃあないはず。
 それなのに、どうしてそんなことを言うのだろう。現時点の大事にされている、という状態ではまだ、満足できないのだろうか。

 それともその「大事に」の方向が、彼の思っているものと違うのだろうか。

 ――私にはわからない。

 ……結局、私にその答えは出せなかった。安易に彼の真意を聞くことも何故かためらわれた。正直、どんな顔をすればいいのかすらわからなかった。

 だから私は、曖昧に彼をなだめて台所へと向かうしかなかったのだ。












「エルシャス、こっちです、こっち」
「ん……」

 エルシャスが粉の入った大きな袋を腕一杯に抱えて慎重に運んできてくれる。その粉が一体何なのか、実のところ私自身もよくわかっていないのだが、レシピを見る限りは多分小麦粉みたいなものだと思う。
 落とさないように潰さないように、力加減をしようとするその小さな手は、少し震えていた。

「はい、そこに。ありがとうございます」
「うん。つぎは?」

 エルシャスが首をかしげるのを見て、私は慌ててレシピをのぞき込んだ。

「えーとですね……その袋の粉をカップに……二杯……で、器に」
「……わかった」

 エルシャスが袋の口を開けて、無造作にカップを袋に突っこむ。

 あっ、という間もない。袋へ入ったカップが見えなくなった途端に、

「……! けほっ、こほっ、うぅ」

 恐らくカップを叩き付けられたのだろう白い粉が袋からもわっと舞い上がった。

「え、エルシャス大丈夫ですか!! けほっ」
「けほっ……力加減……こほっ……できなかった……」

 しょぼん、と肩を落としてエルシャスが項垂れる。うん、項垂れても可愛いですね。
 彼の鼻先が白く染まっていたので、人差し指で拭うと彼は捨てられた子犬のような目で私を見つめる。多分、自分が失敗したことを責めているのだろう。

「大丈夫です、大きな失敗じゃありません。次行きましょう、次。えーと、カップに二杯、慎重に」
「うん」

 今度はゆっくりと慎重に袋の中にカップが消えていく。そして静かに白い粉を掬い上げられた。

「その調子です、エルシャス! あともう一回、頑張ってください」

 少しプルプルと震えている手をそっと両手で包むと、エルシャスは私を見て緩慢に瞬きをし――頬を染めて照れくさそうに笑った。









「……ええと」

 リビングの椅子に座って静かに眠っているエルシャスの頭をなでながら、私はテーブルの上に視線を走らせた。テーブルの上にはいくつもの皿が並んでいる。

 しかしなんというか、黒である。
 ものの見事に、黒である。

 ……まぁ早い話が、料理に失敗したわけなのですが。

「……とりあえず、ですね。結構いいところまで行った、ということは、彼の名誉のためにも言っておきたいです」

 と、私が言っても、妖精六人からは反応が返ってこない。

「あと焼くだけだったんですけど。火の加減を、間違えてしまったみたいで。まぁ危うく私まで火だるまになりかけた、すんでのところで彼が水をぶっかけた途端、これが出来上がった次第です」

 おそらくハンバーグらしきものであろうものが出来上がるはずだったわけだが、最後の工程で前述のような状態になり、まぁ当然、料理は仕上がらなかった。
 エルシャスはと言えば、疲れたのか眠ってしまい、今現在は私の隣で座って寝ている、という状況である。

「確かに料理自体はダメになってしまいましたけど、今回は初めての試みですし、その、大目に見てもらえると……」

 私がそう言おうとすると、「いや……」とルーヴァスから声が上がった。

「その。……その状況については、全部知っている」
「は」
「万一エルシャスの暴走が起こったらということを考えて、一応……我々が交代であなた方を見ていた」

 気まずそうに眼をそらしながら、ルーヴァスがそういう。

 なるほど。

「しかし今回は大事に至らなかったようだが、危ない面もあっただろう。火については特に。このようなことで女性のあなたの顔に火傷の跡でもついてしまったら、わたしはあなたに合わせる顔がない。……それだけ危険だったというのに、あなたは怒らないのか?」
「……うーん」

 怒らないのか、と問われても、正直何とも言えない。

 火が眼前で上がった時、慌てるだけで、特に誰かに対する怒りも恨みも浮かばなかったし、むしろ目の前に火が迫るあの状態でそんな余裕などあるわけがなかった。鎮火した後は焦りから解放されて安堵したのと、ぐったりしただけで、何というか、あれだ。

 とりあえず、疲れた。
 この一言に尽きる。

 まあでも、最後に失敗したとはいえ、エルシャスがあれだけ頑張って慎重に慎重に料理をしてくれたのだし、達成感はあった。

 何度も何度も続けていけば、彼はもっともっと良くなるだろうと思う。あれだけ頑張って力を制御していたわけだし。

「怒るとか、そういう感情は、とりあえずないです」
「……そう、なのか?」
「そもそも私が一緒に料理しようって持ち掛けたわけですし」
「確かにまぁ、それは……そうだが」
「まぁ次は、下手でも何でもいいから、料理を完成まで持って行くのが目標かな。頑張ります、ほどほどに」

 つい本音が最後にこぼれたが、特に六人は言及しなかった。

「じゃあ私、ちょっと疲れてしまったので部屋で休んできてもいいですか」
「その……もう朝食、って時間じゃないけれど、昼食はどうするの? おなかすいたでしょう」
「うーん……お気遣いは凄くありがたいんですが、今は疲れてるせいか微妙で」
「そう? じゃあ昼食を作ったらここに置いておくから、おなかがすいたら食べにおいで」

 カーチェスがはにかみながらゆるりと微笑む。

 私は礼を言うと、七人を背にふらふらと自室へと戻った。
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