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自殺したい女と家政婦が欲しい男のお話

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「しけた顔をしていますねぇ」

 背後から聞こえてきた声に、私は思わず振り返った。そして長身痩躯の見知らぬ男性を認めて顔をしかめる。

「……誰ですか、あなた」
「そこって結構どうでもいいところだと思いますよ、個人的に。えぇ、とてもね」
「質問に答えて頂けますか。答えないなら消えてください。邪魔なので」
「へぇーえ」

 男はにやにやと笑ったままこちらに歩み寄ってきた。

「何ですか。近づかないでください、気色悪いので」
「いいじゃないですか、そうもったいぶらずとも。減るものじゃないんですし」
「わたしの精神的なものが色々減るんで半径5メートル以内に入らないでほしいです」
「5メートルってかなりですよ、あなた。それじゃまともに会話ができないじゃないですか」

 男は私の言葉を意に介した風もなく私の傍まで近寄ってくると、フェンスを握る私の手を握った。
 私も無論逃げたかったのだが、身動きをとれる状態とはいいがたかったために、男の手を振り払おうとするくらいしかできない。

「離して!」
「あんまり暴れると落ちちゃいますよ? あのねぇ、一つ言っておきますけど」


 男はにこにこと笑みを絶やさずにこう言い放った。



「飛び降り自殺って結構迷惑なのでやめてほしいんですよねぇ」












「……何でこうなった」
「あれ、その紅茶割とおいしくないですか? 奮発して買ったやつなんですけど」
「美味しいですけど」
「うんうん、それはよかった。美味しいものは美味しいと思って飲んでもらわないと。勿体ないですよね、主に金銭的に」

 ニコニコと笑みを絶やさない男に、私は何とも言えない気持ちになりながら紅茶をすすった。うん、かなり美味しい。この得体のしれない男、良い物を買うんだな。
 良くわからないまま連れてこられた男の自宅は、何だか妙に片付いていて、あまり生活感がなかった。

「で、何で死のうと思っていたんですか? 答えたくないなら答えてくれなくても一向にかまわないですけど」
「……じゃあ答えません」
「そうですか。まぁ自殺しようとする人の理由なんて大抵似たり寄ったりですからね、特に興味もわきません」

 ならなんで聞いたんだよ、と返しかけた私に男は、にまーっと不気味な笑いを浮かべてこうのたまった。

「あなた、家政婦にでもなります?」
「脈絡性がなさ過ぎてびっくりですよ。意味が分かりません。今の会話からどうしてそうなったんですか」

 私が訊ねると、男は「うーん」と考えてから、ぴん、と親指を立て、

「特に理由はないです」
「何なんですかあなた」
「自由に生きると人生楽ですよ」
「そんなこと誰も聞いてないんですけど」

 不愉快な表情を隠さずにそう返せば、男はふっと息をこぼして笑った。

「人生の大先輩には大人しく従っておくべきですよ」
「そう年が離れているようには見えないんですけど? あなた何歳です?」
「あ、今年で27です」
「5つしか違わねぇじゃねぇか!!」

 思わず漏れた言葉に、男が「おお怖い」と大げさに身をすくめてみせる。

「あなた結構口が悪いですねぇ。やめた方がいいですよ。そんな可憐な顔で口が悪いだなんて台無しです。「わたし、死にたいのよ……世の中って辛いわ」くらい上品でお願いします」
「あなたのリクエストなんて聞いてませんけど?」
「いや、個人的に清楚なのが好みなんですよ。好みっていうか理想のタイプ? そういうひとを奥さんにしたいな~くらいの勢いです」
「あなたの好みとかタイプとか心底どうでもいいし私がそれに沿う理由も義理もありませんよね?」
「紅茶出してあげたじゃないですか」
「頼んでません」

 私がにべもなく返すと、男はやはり笑ったまま「困りましたねぇ」と零す。

「まぁ、とりあえず家政婦になってくださいよ。ここの」
「嫌ですよ」
「おや、何故ですか?」
「私、勤めてるところあるので」
「でも死のうとしてたでしょ? だったら家政婦になったっていいじゃないですか」
「得体のしれない男の? 強姦されるかもしれないじゃないですか」
「エロ同人みたいに?」
「エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!」
「あなた意外とノリがいいですね?」
「うるさいです」

 私が紅茶をすすると、男は「ケーキもいります?」と腰を浮かせた。

「あ、お願いします」

 私が割と反射的に答えると「いいですよ~」と男は台所の方へ去っていく。

「ケーキ出してあげるから家政婦になってくださいよー」
「嫌です」
「うーん。美味しいショートケーキですよ」
「ショートケーキ大好きです」
「お、良いこと聞きましたね。じゃあまた今度買ってきますねー」

 男はショートケーキを手に戻ってくると、私の前にケーキを置いた。そして何だか少し高そうな金色のフォークを手渡すと、

「さ、どうぞ」

 とすすめてくる。

「頂きます」
「はいはい召し上がれー」

 ケーキを小さく切って口に運ぶ。……うん、上品な甘さでしつこくないし、やっぱり苺が美味しい。苺大好きである。

「……美味しい」
「うんうんそれはよかった。で、家政婦になりません?」
「なりませんてば」
「でもケーキ美味しいでしょ?」
「美味しいです」
「じゃあなりましょう」
「その選択肢、私に一切の利益がないんですけど?」
「うーん。あなた、死のうとしてたんですよね? なら何が利益になるんですか?」
「……」

 問い返されて、考え込む。

 何が利益になるだろう。

 お金とかはいらない。そんなものが欲しいなら、生活に困らないくらいの収入のある、今の暮らしで十分だった。

 私が欲しいのは、そんなものじゃなくて。

「……あの場所じゃなくて、誰も私を馬鹿にしなくて、」
「うん」
「私がいるだけで、それだけでいいよって言ってくれる人がいて」
「うんうん」
「あぁ私幸せだなぁって、そう思える、そんな、どこか、遠い場所」
「そこに、行きたい?」
「……うん」

 私が頷くと、男は「うーん」と首を傾げて考え込む。

「遠くなくてもいいならここでもいいと思いますよ」
「だからどうしてそうなるんですか」
「だって私、きっとあなたのことを大事にしますよ」

 男の笑ったままの言葉に、思わずケーキを切る手が止まった。男を見ると、しかし彼はやはり笑っている。

「あなたがいい、あなたがいてくれればそれでいいって言ってあげますし、あなたのことを馬鹿にしません。幸せって人それぞれなので何とも言えませんけど、まぁ最低限生きていけるだけの環境は無償で……じゃなくて家政婦をやってくれれば提供しますし、そうですね。あとは、あなたの要望に応えてあげてもいいですよ」
「要望」
「そう。これが欲しい、ここに行きたい、これが食べたい。まぁあんまり無理なものは無理ですけどね。世界征服してくれとか」
「言いませんけど」
「うん、そうでしょうね。とりあえずは、あなたの都合のいい人間にはなってあげますよ。それでどうでしょう」

 男は笑ったまま、私に手を差し出した。握手の形のそれは、私にも同じものを求めていて、そしてその手を取ったらきっと、彼の言う「家政婦」とやらになるのだろう。

 ……まったく、どうかしていると思う。

 見ず知らずの男の意味不明なこの提案に、誰が乗ると思うだろう。

 けれど。

 彼の言ったことは、何だか、魅力的に響いてしまった。
 馬鹿だなと思う、惨めだと思う、これはきっとただの同情なんだってわかってる、でも。

「……私のこと、愛してくれますか?」

 私の問いに、男は少しだけ黙り込んだ。それから、

「えぇ、あなたが望むのならば」

 そう言って、にっこりと微笑んで。


 私はそれに、ゆっくりと手を伸ばした。








 あえていうのならこの関係は、家政婦と主人というより恋人ごっこだろう。

 でもそれでもいい。

 私は、私の日常を捨て、今日からこの場所で生きていく。






「ちなみに今日ハンバーグが食べたくてですね……」
「冷蔵庫の中身は?」
「あ、レトルトカレーの固形ルーなら」
「それ冷蔵庫に入れておくものじゃないんですけど?」






 こんなので大丈夫かなぁって、ちょっと不安になりながら。
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