精霊の御子

神泉朱之介

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9話

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那理恵渡玲ナリエドレ は、ほんとに帰ってくるのが遅いね」
 李玲峰イレイネ は、不満げにつぶやく。
「一体、何をしているんだろう?」
 草原の中を少年たちは歩いていく。
 風が吹き渡る、緑の草原。
 どこまでも広がる青い空。
 草叢の中には耳の長い兎や野鼠、小動物たちが潜み、空は鳥たちが渡っていく。
 虫が、花と花の間を忙しく飛びかっていく。
 神聖島 宇無土ウムド は、精霊たちの活力に恵まれた生命の楽園だった。
那理恵渡玲ナリエドレ さまは、根威座ネイザ の 亜苦施渡瑠アクセドル 魔皇帝の動向を探りに行っておられるんだ、きっと。
 みんなが、那理恵渡玲ナリエドレ さまの力を頼りにしているから」
 於呂禹オロウ は静かな声で応じる。
「戦争、か」
 李玲峰イレイネ は、そっとその言葉を口に昇らせてみた。
 どうにも、実感が湧かない。
 島の外の世界では戦いが始まっているそうだ。
 大陸 根威座ネイザ では、帝国の支配者たる魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル が三百年の眠りから目覚め、根威座ネイザ の圧制を脱した浮遊する九つの大陸の連合軍に戦いを挑んでいるという。
 根威座ネイザ
 ただ一つの、定着する大地を持つ、この世界最大の大陸。
「わっかんないなぁ?」
 李玲峰イレイネ は、ぼりぼりと頭を掻く。
「何が?」
 風の中に立って、風の声を聞いていたらしい 於呂禹オロウ が、李玲峰イレイネ の大きなひとり言に驚いて振り返る。
「だって、さ」
 歩きながら腕組みをし、李玲峰イレイネ はらしくなく物思う顔をして、ぶつぶつとつぶやく。
「その、根威座ネイザ って大陸は、たった一つ、他の浮遊大陸と違って動かない大地を持っているんだろ?
 人々の暮らしも、浮遊大陸に住んでいる民の暮らしよりはずっといいって聞くのに、どうして、わざわざ九大陸に攻めてきて、みんなを苦しめるんだ?
 そんなことをする必要、どっこにも無いだろう?」
「必要がなくても……」
 於呂禹オロウ は答える。
「自分より弱い者は従えたい、と思うものなんじゃないか?」
「そうかぁ?」
 於呂禹オロウ は、苦笑いした。
「うふふ」
 麗羅符露レイラフロ の笑い声も聞こえてくる。
「なんだよ、なんで笑うんだっ!」
 李玲峰イレイネ が、顔をしかめる。
「だって」
 麗羅符露レイラフロ の声が風とともに聞こえてきて、その問いに答えた。
「そーゆうの、わかんないのって、とってもイレーらしいんだもの」
「なんだよ!
 すぐ、馬鹿にするんだからな!」
「馬鹿にしてるんじゃないよ」
 於呂禹オロウ は真顔に戻る。
「そうだね。どうして、根威座ネイザ は九大陸を支配しようとするのかな?
 ただ、根威座ネイザ の大地は、定着した大地だけど、死んでいる土地だというよ」
「死んでいる……って?」
「精霊の恵みがないんだ。
 根威座ネイザ の地には、草一本、木一本生えていないって。
 ただ荒涼とした荒れ地だけ。
 そこには四大精霊の恵みはまったく無く、森も無ければ、川も無い。干涸らびて死に果てた地があるだけだって。
 もちろん、鳥も獣も、虫だっていない」
「嘘だろ?
 信じられない。そんなところで、なんで人間が生きてかれるんだ?」
「魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル の力だ」
 於呂禹オロウ の声は暗く掠れた。
「魔皇帝はもう何百年も、へたをすると何千年も生き続けているというよ。
 外見はとても若くて美しいというけれど。
 彼は永劫に物を生み出す力を持っていて、その力がある限り、根威座ネイザ に生きる人々は困ることがないんだそうだ。
 どうしてそんな力があるのかはわからないけれど。
 昔、精霊たちがまだ寛容で、人間にいくらでもその力を分け与えてくれた時に、精霊たちの力を閉じ込めたんだって」
 みなし子で、その金色の髪ゆえに 常羅ツネラ の僧院に引き取られて育った 於呂禹オロウ は、李玲峰イレイネ よりずっと物知りだ。
 この世界の成り立ちについては、李玲峰イレイネ も 那理恵渡玲ナリエドレ からいろいろおそわっているけれど、於呂禹オロウ にはとても敵わない。
 於呂禹オロウ に言わせると、それは彼が知っていることが習った事柄ではなく、世の中のこととして知らなければならなかった事柄であるせいだというけれど。
「魔皇帝は、つねに 根威座ネイザ を治めているわけじゃない。
 帝国の支配体制が定まると、魔皇帝は眠りに就く。
 何十年から、時には何百年と。
 その永遠の若さを保つために」
「なんだか、気色悪いな。
 それこそ、化け物じゃないか」
「魔皇帝が眠ると、帝国の支配体制が緩くなるから、九大陸は 根威座ネイザ に叛旗をひるがえす。
 浮遊大陸の王家の歴史は、その繰り返しだ。
 根威座ネイザ 帝国の圧制への従属と離反。
 今度の魔皇帝の眠りは永かったから、九つの浮遊大陸の王家は連合の盟約をかわして、力を合わせて 根威座ネイザ の支配から脱することが出来た。
 だけど、魔皇帝は目覚めたらしい。
 もし、魔皇帝に対抗して九大陸の連合を保ち、少しでも平和な時代を長くすることが出来る者がいるとしたら……李玲峰イレイネ、それはあなたなんだ」
「……おれ?」
「あなたは 藍絽野眞アイロノマ の王子で、炎の宝剣をもたらす宝剣の英雄になれる資質を持つ、炎の子なんだから」
 於呂禹オロウ の言葉に、李玲峰イレイネ はたじろぐ。
「んなこと言ったって。
 おれが王国に戻るのは、まだ二年も先のことだぜ、於呂禹オロウ 」
「ダメね、李玲峰イレイネ
 麗羅符露レイラフロ のすました声が聞こえてくる。
「なんだよ、レイラ」
 またしても皮肉が聞こえてきそうなのに、李玲峰イレイネ は思わず身構える。
「だって、二年なんてすぐたっちゃうわよ。宝剣の英雄になるんだったら、今から心構えをしておかないといけないんじゃない?
 那理恵渡玲ナリエドレ が帰ってこないって、ダダこねて泣いているようじゃ……」
「いつ、泣いたよ! でたらめ言うなよな、レイラ!
 大体……ずるいやっ!
 精霊の御子 はおれだけじゃないぞっっ。
 レイラだって 於呂禹オロウ だって、精霊の御子 なんだろっ。
 なんだっておれだけっ!」
「しっ」
 その時、於呂禹オロウ が口元に指を当てた。
 於呂禹オロウ のいつも穏やかな顔がちょっぴり緊張しているのに気がついて、李玲峰イレイネ は黙り込む。
 しばらくじっと何かに耳を傾けるような素振りをして、それから、於呂禹オロウ は首をひねった。
「何、於呂禹オロウ ?
「うん。なんだか、さっきから変なんだ。
 大地の声が」
「変って、何が?」
「感じないかい?」
 大地が歌を……吟わない」
 李玲峰イレイネ はもう一度口をつぐんで、於呂禹オロウ が言うものを感じようと努力した。
 何も聞こえない。
 ただ、わけもなく、胸騒ぎがした。
 心臓の奥で炎が燃え盛って、妙に落ち着かないような、そんな気持ち。
「何も聞こえないけど、変な感じはする。
 どうしてかはわからないけれど」
 李玲峰イレイネ は、素直に感じた感覚を口にした。
「……イレー、|於呂禹《オロウ」
 麗羅符露レイラフロ の声が聞こえた。
「どうしたんだい、レイラ」
 李玲峰イレイネ が応じる。
 しばらくためらってから、麗羅符露レイラフロ は言った。
「島の、南の方。
 あなたたちから、なにかが見えない?」
「南?」
 李玲峰イレイネ は、問い返す。
「行ってみよう」
 すぐに、於呂禹オロウ は方向を変えて歩き出した。
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